『千歳』

にのまえ あきら

起 そこには今日も君がいる

 

 あのときの旋律が聞こえた気がして、目を開けた。


 部屋の中はすでに明るく、枕元の時計に視線をやれば短針が見慣れない位置を指している。


 どうやら普段よりもだいぶ遅くに目覚めてしまったらしい。


 まあ、今日くらいは寝坊したっていいだろう。


「…………」


 わだかまっていた息を吐き、寝る前から付けていたプロテクターを外す。


『――――――――』


 やっぱり何も聞こえなくて、僕はもう一度息を吐きだした。


 


 正確には、『』。


 第二次性徴が訪れる十歳から十二歳ごろから脳の変化が始まり、最終的には耳に音を入れただけでそれが脳内で反復し、痛みを伴って暴れまわるようになる。


 人類は、五感のうちの一つである聴覚を奪われたのだ。


 それが神の罰なのか、人類の進化なのか、はたまた別の理由なのか、僕には分からない。


 ただ一つできることがあるとすれば、日中も夜寝るときも音を聞いてしまわないように、プロテクター耳栓を付け続けることだけ。


 だから僕はプロテクターをしてから、部屋を出た。


 リビングに出るとすでに両親と妹は食卓についており、テレビを見ながら朝食を摂っていた。


 三人とも、耳には僕と同じ白いプロテクターをつけている。


 パンをかじったりコーヒーを啜ったりしている両親の肩を叩き、自分の存在を知らせる。


 言葉を音で伝えることができない僕らは、ハンドサインで会話をする。

 

『おはよう』


 すると、こちらを振り向いた両親がハンドサインで『おはよう』と返してくる。


 妹はまだハンドサインを覚えきれておらず、にっこり笑顔と口だけで『おはよう!』と元気いっぱいに挨拶をしてきた。


 まだ音を聞いてもなんともなくて、学校では友達と楽しくおしゃべりをしている年頃だ。


 僕は妹に笑顔で『おはよう』と返しながらテレビを見る。


 ちょうどコマーシャルに切り替わったところらしく、無音のテレビ画面には『最新の骨伝導機能を搭載したプロテクターが遂に発売!』という文字が踊っていた。


 値段は二十万円を優に超えており、思わず『たかいな』と声に出さず口だけで言ってしまう。


 二十万円の耳栓なんていったいどんなセレブなら買うというのか。


 ――似合いそうな人は、一人だけ知っているけれど。


 そう思っていたら、母親が笑いながらこちらへ振り向いて『あれ欲しい?』と聞いてきたので、苦笑しながら首を振った。


 あんなプロテクター、僕には分不相応だ。


 もちろん母親も本気じゃないから、肩をすくめただけでテレビを見るのに戻ってしまう。


 普段この時間はニュース番組をやっているはずだけれど、いまはドローンで中継映像を繋いでいるらしい。


 どこを映しているのかは一目見ただけでわかった。


 巨大な円を描いたような敷地。


 その中に乱立している建物は、中央に向かえば向かうほど高さを増していく。


 そうして建物が密集しきった中心には、鋭い針のようなものが覗いていた。


 まるでアーサー王物語の騎士たちの都キャメロットを思わせる荘厳な造りのそれらは

EEPFエーペフ〉と言い、正式名称を〈悠久式エネルギー生産施設群Eternity・Energy・Production・Facilities〉という。


 けれど、僕ら含めたこの街の人はみな『千歳ちとせ』と呼んでいる。


 なぜ『千歳』なのかというと、みんながそう呼んでいるから。


 具体的にいつ頃から『千歳』と呼ばれているのかはわからない。


 両親も知らないという。


EEPFエーペフ〉は現在の人類の使っているエネルギーの八割を生み出している。


 大仰な名前に負けず劣らずの仕事ぶりだけれど、その方法の一切は不明だ。


 火力でも、原子力でも、風力でも、水力でも、地熱でもない。


〈EEPF〉は未知の何かによってエネルギーを生み出している。


 それを調べようにも中心部からは常に音が発されており、人が近づくことは実質不可能。


 僕たちにできるのは、ただ『千歳』よりもたらされるエネルギーを安全圏から甘受することだけだ。


 けど、それももう終わり。


 テレビ画面の右上には、『千歳、臨界点近づく』とテロップがある。


 そう――『千歳』はもうじき活動限界を迎える。


 悠久という名を冠していても、実際には永遠じゃない。


 千の歳を重ねて、ついに役目を終える時がきたのだ。


 活動限界を迎える〈EEPF〉は『千歳』が世界初であり、活動限界時に何が起こるかは専門家にも予想がつかないという。


 最悪の想定として、『敷地内の建物すべての連鎖的な崩壊』が挙げられており、実際にそれが起きた時には半径15キロ以上の範囲が崩壊時の音の波に晒されるという。


 だからこの街にいる人たちは皆、『千歳』が臨界点を迎える前にこの街を去らなければならない。


 そして、今日がその最終退去日だ。


※ ※ ※

 

 朝食を食べ終え、各々が準備を始めたところで僕はハンドサインで『少し寄りたい場所がある』と言った。


『いつも行ってるっていう場所?』


『そう』


『わかった。駅で待ってる』


『待たなくて大丈夫。一人でも行ける』


『わかった。気をつけて』


『ありがとう』


 そうして僕は家を出た。


 二度と戻ることはないと知りながら。


※ ※ ※


 よく晴れた青空の下、慣れ親しんだ坂道を下って行く。


 そうしてメインストリートに出ると、白を基調とした建物が立ち並ぶ先に中継映像で見るのと大差ない大きさの『千歳』が見えた。


 この街は『千歳』から半径5キロ以内にあり、人の住む場所としてはだいぶ〈EEPF〉に近いのだけれど、この辺りには高い建物はほとんどなかった。


 僕はこの街の風景を見るたび、まるで精緻な造り物のようだと思っていた。


 そして今は、ほんとうに造り物めいて見えた。


 ものさみしい感慨を抱きながらメインストリートを抜けると、林道に差し掛かった。


 右手には『森林公園入り口』と書かれた看板があるけれど、僕は道から外れて土の地面を突き進む。

 

 湿った土の香りを吸い込み、木漏れ日に包まれながら緩やかな坂道を十分ほど上っていくと、街を一望できる小高い丘のような場所に出た。


 丘の上は直径十メートルほどの広場になっていて、中心には鏡のように艶めく黒い筐体が置かれている。


 広場の周囲には内と外とを分ける円形の線が引かれていて、僕がその線を踏み越えると同時に、音が聞こえてくる。


 跳ねるような、流れるような、軽快で重厚な音。


 夢にまで聞いた旋律を奏でるのは、広場の中心にいるだ。


 黒い筐体の前で指を踊らせ続けていた彼女が演奏を止め、顔をあげた。


 透けるような浅桃色の髪が肩から流れ落ち、こちらを見透かすような翡翠の瞳と目が合った。


「……あら、また来たのね」

 

 彼女が笑ってそう言うから、僕も笑って返す。

 

「うん、また来たよ」



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