第五話『七ツ森』

『七ツ森』1


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 金曜日。昼。

 白原しろはら火保かほは買い物を済ませてスーパーを出た。よく晴れていて、暖かな午後だった。食材を入れた大き目のトートバッグを下げていると、まるでこのまま家にでも帰るかのような恰好だったが、火保の自宅はこの辺りではない。買い物を済ませた事をSNSで相手に知らせると、スマートフォンを仕舞って火保は歩き出す。

 地下鉄の駅から歩いて十分ほど。商店街を抜けたところに、七階建ての賃貸マンションが見える。築十五年。のちにシリーズ化するゾンビ映画が公開された年に完成したこのマンションは、一見すれば何の変哲もない建物だが、火保のいる業界では、知らない者はいない。

 いわく、オカルトマンション。

 都内に拠点を置く退魔屋たいまや向けに建てられたマンションで、内部のいたるところに魔除けや呪詛封じが仕掛けられている。日々、呪いや怪物と戦う退魔屋にとって、拠点の安全確保は必須だ。隣人は同じ業界の人間なので何かあっても一般人を巻き込むリスクも少ない。家賃は割高だが、そのぶん管理も徹底している。一時は、火保も住もうと考えていたくらいだ。

 正面玄関に入り、インターフォンで部屋番号を押す。

『はーい』

 住人の声が返ってきて、火保は到着した事を告げる。すぐに自動ドアが開き、火保は中に入るとエレベーターに乗った。

 数週間前の事件で遭遇したエレベーターの怪異を思い出すが、それだけだ。心に波風は立たない。

 最上階に到着し、廊下を進む。

 七階。角部屋。七〇七号室。

 表札にあるのは、七ツ森の三文字。

 ちょっとやり過ぎなんじゃないかと、見るたびに思う。

麻來鴉まきあ? 着いた」

『開いているよー。入ってきてー』

 仕事の時よりいくぶんか軽い調子の返答が返ってくる。火保は七〇七号室のドアを開けた。

「お邪魔します」

 部屋に上がる。ガヤガヤとした音が聞こえる。2LDKのリビングには、曲がりくねった止まり木が置かれ、幾冊もの本が整然と本棚に並んでいる。ソファには二人の少年と少女の姿があり、テレビゲームに熱中している。ソファ前のローテーブルでは、ピンク色の眼鏡をかけた少女が数学の教材を片手にノートに何やら書き込んでいた。

「あ、火保。久しぶり」

 ソファの少年が火保に振り返って言った。

「こんにちは。オボロ」

「いらっしゃい。火保」

 少女も振り返って言う。

「こんにちは。ヨミチ」

 火保も挨拶を返す。と、ピンク色の眼鏡をかけた少女が手を振った。

「久しぶり。火保」

「もう大丈夫なの? 麻來鴉」

「まあまあね。まだちょっと――」

 言いかけた麻來鴉の腕が、一瞬ノイズが走ったかのようにブレた。

「安定しないけど」

 そう言って、鴉の魔女はにっと笑った。

 火保は不安な顔を隠せなかった。今の異様な現象は、前回、麻來鴉が使った術の影響だ。魔力昇華オド・アクセラレーション戦神の型モード:ガグンラーズ。自らを神の化身とし、その力を借り受ける術。その代償は己の存在そのものだ。もしあの時、限界を越えて戦っていたなら、麻來鴉の存在はこの世から消え去っていたであろう。

「大丈夫だよ。あと少し大人しくしていれば元通りになるから。あ、材料ありがとう。適当にキッチンに置いちゃっていいから」

 麻來鴉は言いながら立ち上がると、ソファの上の使い魔たちを睨んだ。

「こら、オボロ、ヨミチ。いつまでもゲームしてないで、お茶の用意して。お客様だよ」

「はーい」

 オボロとヨミチが口を揃えて言った。

「ケーキ買ってあるよ。みんなで食べよう」

「いいね」

 火保は頷いて、キッチンに食材を置いた。


 ローテーブルにコーヒーカップが二つ、オレンジジュースが入ったグラスが二つ置かれる。火保はモンブランを切り分けて口に運ぶ。傍らでは、オボロとヨミチが音量を幾分か落としてゲームを再開する。

「勉強しているの?」

 数学のテキストに目をやり、火保は言った。

「まあ、一応ね。退魔屋の仕事ばかりやっていると、学力下がるでしょ。休み中は家に籠っているし、やっておいたほうがいいかなって」

「真面目ね」

 火保は麻來鴉を見た。

 普段は黒マントに黒のとんがり帽と魔女そのものの恰好をしているが、今日はグレーの部屋着に普段はかけない眼鏡をしている。いつもはなびかせている長い黒髪も、今日はまとめてあった。

「火保はまだ休み?」

「現場復帰はまだね。事務仕事はしている。でも来週には戻る予定」

 数週間前のムーサ・柴崎ビルでの事件のあと、火保と麻來鴉は消耗激しく、しばらくの間回復に努めなければならなかった。麻來鴉は一時姿を消し、自宅に戻ったのが一週間前だ。普段なら感じ取れる溢れ出る魔力も、今はそこまで感じない。

「いいなー。わたしも早く復帰したい。そろそろ異界捜索するでしょ? ムーサ・柴崎ビルの」

「そう遠くないうちにね。でも焦っては駄目よ。まずはあなたが回復しないと」

 多数の行方不明者を出したムーサ・柴崎ビルの事件では、その後、少しずつではあるが事件に巻き込まれた人々が見つかっている。事件の過程で現世とは異なる世界である異界に迷い込んだと見られており、現在ビルの周囲を鳥居で囲み、異界に迷い込んだ人間が帰って来られるようにしてある。

 異界捜索では、専門の捜索隊を編成し、事件当時接続していたと思われる異界を捜索する。可能であれば、当時事件の対応をしていた火保と麻來鴉も行かなければならない。

「そうね。まあ、今日はその話はいいか。別の話をしなきゃだし」

 言って、麻來鴉は立ち上がると、背伸びをした。

「それじゃあ、わたしの部屋に行こう。オボロ、ヨミチ、今日は大事な話をするから静かにね」

「完全防音だから大丈夫でしょー」

「うるさくするのはだいたいオボロだから大丈夫ー」

 オボロとヨミチがそれぞれに返事をして、それからすぐに喧嘩を始める。まあ、じゃれあっているようなものなので気にしなくていいだろう。

 リビングを出て、火保は麻來鴉に続く。魔女は『MAKIA』という表札の掛かった部屋のドアを開けた。

 明るいリビングの様子とは変わって、麻來鴉の自室はダウンライトで照らされていた。さながら山小屋か、洞窟の中を思わせる。狭い部屋の壁一面に、魔術、呪術の関連資料が貼られ、本棚に入りきらない専門書が床に積まれている。

「……」

 火保はじっと壁一面を見つめた。

「……あ、買ったんだよ。この部屋。だから大丈夫。壁に紙貼っても」

「金持ち」

「いやいや火保だって海辺の家持ってるじゃん!」

「安かったんだもん」

 退魔屋の仕事は高額報酬である。とはいえ、得た金銭のほとんどは装備の維持費や道具の購入費に消えていく。火保の使うお札一枚とっても、由緒ある寺の僧侶に書いてもらうので安くはない。業界には多種多様な人物がいるが、新人の退魔屋の何割かは、高額報酬につられてこの業界に足を踏み入れた者だ。もっとも、そうした連中は修行も中途半端にしているので、実力が伴わず脱落し、詐欺師まがいの霊感商法に走るか、あるいは命を落とし、新たな呪いに転ずる事もままある。

「麻來鴉、海外にも部屋持ってなかった?」

「あれはほとんど師匠が買った部屋だよ。まあ、わたしが継いだんだけど」

 適当に座って、と麻來鴉が促すので、火保は近くにあった椅子に腰掛けた。

「さて」

 麻來鴉は椅子に座ると、あらためて火保に向き合った。

「これから話すのは、わたしが子どもの頃の話。まあ、わたしも火保と同じで本当の名前は封印しているから、その辺はちょっと適当になるけど、勘弁してね」

 古来より魔術、呪術において、真の名前を知られる事は、己の魂を明け渡す事に等しい。だから多くの退魔屋は生まれてから最初につけられた名前を封印し、退魔屋としての名前を名乗っている。名前が封印されている限り、退魔屋はその本名に関する記憶を呼び起こす事ができない。

「問題ないよ」

 火保は頷いた。

「ありがとう。前の事件で、あいつが出てきたからね。次いつまたやってくるかもわからないし、火保には話しておかなきゃと思って」

 ――あいつ。

 麻來鴉の言う人物が誰の事を指しているか、火保もよくわかっている。

「闇霧の一族、ガルタンダール。一応確認だけど、火保は闇霧の一族についてどれくらい知っている?」

「その存在は知っているというくらいね。闇霧の一族についての情報は秘匿されているし、私の仕事で直接関わる事はなかったから」

「オーケー」

 麻來鴉は頷き、机の上にあった一冊の古びた日記帳を手に取った。

「これはわたしが師匠と一緒にいた頃につけていたもの。最初から話すよ。わたしと師匠の話、わたしの両親の話、それから――」

 麻來鴉の目に稲妻のような強い感情が浮かんだ。

「闇霧の一族の話をね」



 ――七年前。K県K市のとある町。

「マキちゃん、もうやめようよ……」

 F小学校の四年生の教室で、女子生徒の一人が震える声で言った。

 休み時間だというのに、教室は静まり返っている。小学校の教室らしからぬ異様な緊張感が、子どもたちから言葉を奪っている。声が出せないのだ。恐ろしくて。

 窓の外は、異様な曇り空に覆われている。雨雲のようで、そうではないような予感を感じさせる。

 何かが、近付いている。

「どうして? みんなだって見たいんでしょ。化け物退治」

 窓際の席に座った黒髪の少女が震える声に答える。白い上着に、黒のジャンパースカート。真っ黒な長い髪。雪のように真っ白い肌は、仄かにターコイズブルーの燐光を纏い、その両目は同じ色に輝いている。この教室でただ一人何者にも縛られず、それどころか余裕のある微笑みさえ浮かべている。

「それに、今さらめられないよ。コックリさん、逃げちゃったんでしょ? もうすぐ学校に戻ってくるよ」

「だから、それはみんなで謝ればいいんだよ! あたしが紙をひっくり返しちゃったから、それでコックリさんは帰れなくなっちゃって……」

「違うよ」

 黒髪の少女の声が答える。いや、だがおかしい。席に座った少女は一言も発しておらず、微笑んだままだ。

「うわっ!?」

 事の成り行きを見守っていた男子生徒が、不意に声を上げた。

 大なり小なり、グループで固まっていた生徒たちの中に、いつの間にか、一人分の人影が増えていた。恐ろしい事に、その姿は窓際に座る少女、マキと全く同じである。

 少女の述懐を遮ったのは、こちらのマキだ。

「コックリさんはずっと逃げようとしていたんだよ。タイミングを見計らって、アカリちゃんを驚かせて儀式を中断させた。でも逃げたはいいけど、エネルギーが足りなくなったから、自分を呼んだ人間たちを食べに、学校に帰ってこようとしている」

「もう来るよ」

 今度は、廊下からマキの声がした。

 三人目のマキだ。

「今、階段を上がっている。もうすぐ――」

 教室の中がにわかにざわめく。時を同じくして、休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「来た」

 窓際のマキが小さく言った。

「あれー? 皆まだ準備してないの? 休み時間終わったよー。次は算数やるよー」

 教室に、快活な声が響く。

 担任の泉さち子先生が、持ち前の明るい顔で教室に入ってきた。

 生徒たちの目が、一斉に先生へと注がれた。

「……え。何、なんかあった?」

 ジャージ姿の泉先生は、ぽかんとした表情で問い返す。だが、答えられる生徒は一人もいない。

 窓際に座った黒髪の少女は、沈黙を守り続けている。

「あ、そうだ。今、思い出したんだけど、昨日の放課後、教室を散らかしたまま帰った人がいるでしょー。えーと、アカリちゃん、ヒロミちゃん、ルミちゃん。これ落として帰ったでしょぉおぉおぉおおお」

 先生の声音が渦を巻くように歪む。はらりと、五十音が書かれたコックリさんの紙が舞い、肉と骨とが音を立てて、先生のポニーテールの頭が三六〇度回転した。

 再び正面を向いたその顔は、愛らしい先生の顔ではなく、ひどく縦長に伸びた歪な獣の顔をしていた。

 絶叫が生徒たちの口から迸った。一斉に教室のドアへと幼い脚が駆けこむ。が、最初の一人が廊下に出ようとしたその直前、二か所ある教室のドアが、どちらも勢いよく閉じた。

 アカリ、ヒロミ、ルミの三人が、血の気を失った顔で、教室の真ん中にへたり込んだ。

 先生の身体からだは、前傾姿勢となり、腕は異様に伸びて鬼のような爪が生え、獣となった口からは涎がしたたり落ちる。

「駄目じゃないのおおおお。コックリさんを片付けず帰ったらああああ。皆の命を食べなきゃ、駄目になっちゃうじゃないのおおおお!」

 先生から変じた、異形の獣が、濁った声で吼えた。教室中で泣き叫ぶ声が重なり、ほとんどの生徒がドアを開けようとするが、閉ざされたドアはぴくりともしない。

「皆、殺すよおおおおお。皆の命、殺して貰うよおおお」

「させないよ」

 少女の声が、静かに、獣に答えた。

 ターコイズブルーの目を爛々と輝かせ、窓際の席から立ったマキが、敢然と獣と化した先生に対峙していた。

「あ、あ、あぁ? おまえぇ――」

 マキの手が動く。右の掌を獣に向かってかざす。一人ではない。傍らから、二人のマキが現れ、同じように掌をかざした。

「あ、っ? がっ、おま、おまえぇ――!?」

 目には見えない波動が、同じ姿の三人の少女の手から放たれていた。獣の、先生の身体が、宙に浮く。

「出ろ」

「出ろ」

「先生の身体から出ろ」

 子どものものとは到底思えぬ命令口調で、少女の掌からターコイズブルーの波動が獣に向かって送り込まれる。心臓が強く打つような音が聞こえ、獣が乗っ取った先生の体が捻じ曲がる直前まで激しく軋む。

「っ、あっ、あぁ……痛い! 痛い!」

 先生の悲鳴が聞こえた。宙に浮かんだ獣は、顔も身体も泉先生に戻っている。

「先生!」

 アカリが叫んだ。泉先生が怯えた表情を浮かべる。

「え……何、これ。何で浮いているの。いやだ、下ろして」

「……っ、マキちゃん!」

 涙を浮かべたアカリがマキを見た。

「下ろしてあげて! 先生はもう大丈夫!」

「そうだよ! 早く下ろしてあげて!」

 アカリの言葉に、ヒロミが追従する。ルミも続けて何かを言おうとした瞬間、マキの掌が三人に向けられた。

「え?」

 アカリが呆けた声を出したのも束の間、三人の身体がふわりと浮かび、突風に吹かれたかのように教室の隅に飛ばされる。ガチン! と、鋼鉄の如き牙が三人のいた場所で音を立てて噛み合った。

「あぁあああ……余計な事をぉぉぉお」

 卑屈めいた笑みを浮かべ、面長の獣が残念そうに唸る。泉先生の身体は、再び獣の姿へと戻っていた。吹き飛ばされた三人は身を起こしながらも、その様子に愕然とする。

「嘘……そんな」

「そう、嘘だよ」

 静かに、マキが歩いてくる。この異様な状況にあっても、黒髪の少女は一切動じていなかった。

「卑怯な化け物め」

 マキは三人と獣の間に立った。残る二人のマキはそれぞれ左右に分かれ、三方向から獣を取り囲む。

「あ、あ、あ、お前えええ、何者だああああ?」

 ぎょろぎょろと左右の目を動かしながら、獣が言う。

「た、た、た、た、ただのガキじゃあぁ、ないなあぁあ?」

「化け物には、教えてやらない」

 三人のマキが、同時に手をかざした。

 空間に、裂け目ができる。ノイズめいた音を立てて、教室の真ん中に突如生まれた真っ黒な裂け目に、獣の身体が飲み込まれるや、一瞬で裂け目ごと消える。

「え……?」

 教室中の生徒たちが、突然の事に虚を突かれる。が、再びノイズめいた音が聞こえ、今度は三人のマキが同時に教室から消える。

「……どこに」

 生徒たちが辺りを見回す。二人、いや四人の姿は完全に教室から消えていた。

「……あ、見て! 外!」

 生徒の一人が窓の外を見て声を上げた。たちまちほかの生徒たちも窓に駆け寄る。

 校庭に、いた。肩で息をするような二メートルを超す獣と、それと対峙する全く同じ姿の三人の少女が。


「あ、あ、あ、あ、お前えええ、飛ばし、たあ?」

 漆黒に近い曇天の下、獣は混乱しながらも問うた。

「お、お、お、おれをを飛ばし、たあ? どどどどうやってえええ」

「わたしの力は、おまえなんかに負けないの」

 マキは、自分よりも大きく、邪悪な気配を纏った獣を睨み付けた。

 マキと同じ姿の二人に加え、さらにもう二人、分身を出現させる。五つの方角から獣を取り囲むその様は、上空から見ればさながら、五芒星を描くかのようだった。

「出ていけ」

「出ていけ」

「出ていけ」

「出ていけ」

「先生の身体から、出ていけ!」

 五人の少女が手をかざし、言い渡す。地の底から噴き上がったターコイズブルーのエネルギーが、強烈な勢いそのままに獣の身体を呑み込む。

「ぉ、おおぉおっ、ああぁがあぎぃいいい」

 呪われたエネルギーそのものである獣の魂が、先生の身体から引き剥がされようとしていた。考えられない事だ。憑依し、人間を支配できる獣の力が、こんな人間の小娘一人に劣るなど――!

「なんでぇええ、なんでぇええ、お前もおお、お前こそおおおおぉお!」

 ターコイズブルーの光の柱が、なおいっそう輝く。邪悪な獣の魂が強引に引き剥がされ、強烈なエネルギーの奔流にかき消されていく。

「ばけ……もの……」

 獣の最期の言葉が小さく聞こえたが、マキにはどうでもよかった。

 人間の姿を取り戻した泉先生が、校庭に横たわっている。

「先生」

 マキは自分の担任の元へ、静かに駆け寄る。

 四人の分身の姿は、もうない。

「……ぁ」

 意識を取り戻した先生が身を起こし、辺りを見回す。

「え……何……何が起きたの。何だったの、今の」

 震えている。大の大人が。青ざめた顔で、子どものように。

「怖い、怖いよう……何だったの、今の。怖い、怖い……」

 震える声が泣き声に変わる。たちまち錯乱した泉先生の絶叫が、校庭に響き渡った。

「大丈夫だよ、先生。大丈夫。もうあいつ、やっつけたから……」

 マキは、泣きじゃくる泉先生に近付き、その震える肩を抱き締める。

 ――視線を感じる。大勢の視線を。

 マキは顔を上げる。先生は泣き止まず、大声を上げ続けている。

 学校の窓という窓に、人の姿があった。小さな小学校の教室という教室、部屋という部屋の窓に人の姿があった。学校中の生徒たちが、教員が、職員が、じっとマキを見つめていた。

 マキは静かにその視線を受け止める。無意味な目。目の前の出来事を理解できない、石のような固い視線。

 曇天の空は黒く、さらに色を増していく。

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