『闇霧』14
14
浄化済み九ミリパラベラム弾によって、膝を撃ち抜かれたエレベーターガールがよろめいた。その表情に変化はない。異様な笑みを浮かべたまま、エレベーターガールの手に呪力が広がった。片手に持ったベネリM4を、火保は勢いよくエレベーターガールの顔面に叩きつける。怪物は怯まない。エレベーターガールの掌が腹に押し付けられ、途端に燃えるような痛みが走る。たまらずベネリM4を落とし、火保は崩れた体勢のまま、グロックの引き金を引く。銃弾は掠りもしない。エレベーターガールの膝が復元していた。足がもつれる。エレベーターガールから放たれた呪力が影のようにまとわりついていた。背中から倒れた火保の上に、エレベーターガールが覆い被さる。肩を押さえつけられ、心臓の真上にエレベーターガールの手が当たる。黒い熱を感じる。呪力が火保の体を侵食しようとしている。
「わたくしはお母さんによって捨てられ、お父さんは顔を知りません。お母さんはお父さんの話をしませんでした。お母さんはわたくしの事を怖がっていました。わたくしは母になれるでしょうか。伴侶を得られるでしょうか。このエレベーターは十階まで参ります。十階は迷子センターとなっておりま――」
エレベーターガールの腹部に銃口を突きつけて火保は引き金を引く。銃声がエレベーターガールの言葉を遮った。
「ニソンバ・バザラ・ウンハッタ!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
九字を唱え、九字を切る。エレベーターガールの顔や体に、九本の線が走った。ブロック状になったその体がばらばらに落ちる。火保は素早く立ち上がった。
「ソンバ・ニソンバウン・バザラ・ウンハッタ」
降三世印を両手で結び、真言を唱える。
「ソンバ・ニソンバウン・バザラ・ウンハッタ。ソンバ・ニソンバウン・バザラ・ウンハッタ」
九字によって分断された体を、エレベーターガールは復元しようとしていたが、すでに降三世明王のお札によって結界が作られている。身動きは取れない。
「お……あ……か……」
エレベーターガールの体が崩れ、黒い破片が落ちては降三世明王の火焔光に焼かれる。逃がしはしない。この怪物は、今ここで調伏する。
「ソンバ・ニソンバウン・バザラ・ウンハッタ。汝が秘めたる道筋を晒せ。汝が攫った子の
分解され、体のほとんどが黒い液体と破片になったエレベーターガールの腹に、火保は手を入れ、中にあるものを掴んで引き抜く。
エレベーターガールを取り囲んでいたお札が一斉に燃える。全身を焼き尽くされ、エレベーターガールの生首だけが、ぼとんと床に落ちた。
火保が引き抜いたそれは、真っ黒な横長のチケットで、白い奇怪な字がいくつも書いてあった。退出チケットと同じようなものだが、これは剥き出しの呪力の塊だ。このエレベーターガールが案内人であるならば、手順を守って儀式を成功させた人間を異界に導く義務がある。おそらくは、この真っ黒いチケットがそのプロトコルだろう。
火保はグロックを拾い上げ、後ろを振り返った。
無祝の体が、今もエレベーターの前に横たわっている。顔は見えない。死んだのか、あるいは死んだふりか。グロックをホルスターに収め、ベネリM4を拾い、肩にかける。これで両手が自由になった。プロトコルを持つ手でエレベーターガールの髪を掴み上げる。プロトコルだけでは手順は実行されまい。ある程度形の残った体が必要だ。
エレベーターガールの生首を片手に、火保は再び、グロックを抜いた。
視界の先にある無祝の体は微動だにしない。
火保はその頭を狙い、引き金を引いた。浄化済み九ミリパラベラム弾が、呪術師の頭部に直撃する。
「……」
何もない。何も起こらない。
動かなくなった呪術師の体が通路に横たわっている。エレベーターに乗るためには、その脇を通り抜けなければならない。
生きているのか、死んでいるのか。下手に動かれるより面倒だった。死んでいるなら無視すればいい。だが、もし生きていたら。
「……時間がない」
自分に言い聞かせ、火保は息を吸った。
全速力で、駆ける。無祝の体の横を通り抜け、エレベーターに駆け込む。
――じゃら、じゃら、じゃら。
背後で、鎖の擦れる音がした。
「くそったれ!」
火保は手に持ったプロトコルと生首をエレベーターの床に置いた。一階のボタンを押す。じゃらじゃらじゃらと音を立てて、幾条もの鎖の束が芋虫か何かのようにエレベーターに突っ込んできた。グロックを撃つ。閉ボタンを連打する。エレベーターの扉が閉まり、突っ込んできた鎖の束が音を立ててぶつかった。
ワイヤーが切れたはずのエレベーターが動き出す。上のほうへ。異界エレベーターの儀式では、最後に一階のボタンを押すと、エレベーターは操作を無視し、上昇して十階まで上がる。火保はグロックを収め、アーミーナイフを抜いた。迫り来る鎖どもを切り付けて、近付けさせないようにする。エレベーターは上昇を続ける。外から金属の擦れる異様な音が響いている。
「オン・マユラキ・ランデイソワカ!」
孔雀明王真言を唱え、お札で侵入してきた鎖どもを捕える。エレベーターの出口は、蟲のように蠢く鎖の群れで覆われていた。バックパックから飛び出るお札が鎖に貼り付いて、その動きを封じ込める。鎖と昇降路が擦れる音がずっと響いている。エレベーターは異界に向かって上昇を続けているが、階数表示はすでに奇怪な文字化けを起こしていて現在地を知るには役に立たない。正気が一秒ごとに削られていく。火保自身が壊れるのは時間の問題だった。
――……仕方ない。
アーミーナイフを抜き、ベネリM4のスリングを切ってショットガンを床に落とす。タクティカルベルトから、聖閃光手りゅう弾を取って、手早くベルトもはずす。耐えろ。待て。プロトコルは実行されている。もう少しだ。
――ガン! と。
カゴがひしゃげるほどの振動が走った。
鎖どもが突き刺さった扉が、軋んだ悲鳴を上げながら、徐々に、徐々にこじ開けられていく。これもプロトコルの一部だろう。儀式を果たした者を異界に下ろそうとしているのだ。
人一人、ぎりぎり通り抜けられそうな隙間が開く。瞬間、火保はバックパックを掴むと、全力でその隙間に向かって放り投げた。辛うじて開いた隙間にバックパックが引っかかる。苛立ちよりも先にバックパックを蹴り飛ばして外に出す。聖閃光手りゅう弾のピンを抜いて落とす。お札に封じられた鎖どもが火保を捕えようと伸びてくるのをアーミーナイフで弾く。急げ。急げ。
外へ飛び出すのと同時に、聖閃光手りゅう弾が爆発し、十字の閃光がエレベーター内の呪力を焼き尽くした。吊るし上げる力がなくなったのか、エレベーターのカゴが僅かな間を空けて、異音を立てながら落下する。
火保は砂浜に転がり込んでいた。ベネリM4を失うのは正直痛かったが、万が一にも出口で鎖に引っかかってエレベーターから脱出出来ない事態は避けたかった。
バックパックを拾い上げる。お札もずいぶん消費してしまった。
スマートフォンを見る。もはや動いているのが不思議なほどの損傷ぶりだったが、画面は点灯した。十二時五十分。ガルタンダールが宣言したゲーム終了時刻まで残り四十五分。
疲労で頭がどうにかしそうだ。火保は辺りを見回した。海が見えた。それから、少し遠くに小さな人影が見えた。
バックパックを担ぎ、歩き出す。
小さな人影は、膝を抱えてじっと海を見つめていた。
「マサキ君」
火保は少年の背に声をかけた。
有賀マサキは火保の呼びかけに応えようとはしなかった。ただぼうっと海を見つめているだけだ。
波は静かで遠くの空に少し雲が出てきている。
「遅くなってごめん。迎えにきたの」
マサキは動かない。聞こえてはいるはずだ。感覚的に、火保はマサキの魂がまだ肉体とともにある事を察知した。
「帰ろう。ミオちゃんもここにいる?」
マサキが息をした。小さな肩が僅かに動いた。
「……僕は失敗するんだ。お姉ちゃん」
「あのレストランで僕は未来を見たんだ。少し大きくなった僕は失敗をして、ミオを大きなクラゲにやってしまうんだ。嫌いになったわけじゃないのに。どうしてミオのいるところでクラゲを
少年の両腕には包帯が巻かれていて、解けかかった包帯の先端が途中から鎖に変わっていた。
この術を知っている。
だが、理解が追いつかない。
「マサキ君……君とミオちゃんは一体、どこからきたの?」
マサキが、ようやく火保のほうを振り返った。
その瞬間、火保とマサキの周囲に、青白い人影の集団が出現した。どの顔も朧気で、差異がない。
まるで同じ顔のようだ。
「ミ――――オ――――――」
「――――ミ――――――オ」
青白い人影たちが、口々に言った。
「僕らはね、その人に呼ばれたんだ。お姉ちゃん」
マサキの視線が、火保の肩越しに後方を見ているように感じた。
振り返ったその瞬間、強烈な一撃が火保の腹部に叩き込まれる。じゃらじゃらと、耳障りな鎖の音。
「無……祝……」
火保が呻く。駄目だ。意識が遠のく。
鎖の呪術師が火保を見下ろしている。
「オレは過去を正すためにきた。退魔屋」
無祝が静かに言った。
「無限の可能性の外側に、オレは弾き出された。オレは未来を掴むために、ここにやってきたんだ」
無祝が、青白い人影の群れが、そしてマサキが、倒れ込んだ火保を見下ろしていた。
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