『黄金樹』3


      3


「魔力が濃いね」

 七ツ森と名乗った魔女が重たそうに右腕を振った。

「いつからこんな感じ?」

「……いつからって」

「今みたいな、幻像みたいなのが見えるの」

「……今日から。いや、違う。昨日の夜中から」

「うーん」

 聞いているのか聞いていないのか、曖昧な返事をしながら、魔女は右手の人差し指で、何もない空中をなぞった。

「〝伝われアッシュ〟」

 パチン、と指を鳴らす。魔女がなぞったあたりに、何か、青白い光の模様のようなものが浮かんだ。アルファベットのFの横棒が、二本とも下に向いたような模様。

「これは伝達のルーン。今からこの部屋の魔力濃度がどれくらいか調べるから。この文字が抵抗なく散っていけば問題ないけど、反発があると――」

 バンバンバン! 

 言っている間に、空中に浮かんだ模様が爆竹のような音を立てて弾けた。

「ちょっと、火事とかやめてくれよ」

 思わず強めの抗議をすると、少女はきまり悪そうな顔をした。

「ごめんって。いやでもこれ、下手に手出し出来ないな。直に魔力ぶつけると家吹っ飛ばしちゃうし……」

「ちょっと!」

「大丈夫、大丈夫だって。ここではやらないから。でもなー〝輝きシゲル〟のランプで樹には影響ないからなー。効いてないって事だしなーそうなると……」

 ぶつぶつと何か言いながら、手の中で細長いガラス瓶を少女は弄ぶ。ちらっと見えたが、瓶の中には焦げた紙切れのような物が入っていた。

「それは?」

「ああ、これ? 〝輝きシゲル〟のルーン文字を紙に書いてランプの中に入れてみたんだ。本当は刻むほうが効果出るんだけど、こういうガラス瓶みたいなのは魔力籠るから、普段から充填しておけば石に刻むのとあんまり変わりないかなーって」

「ごめん。何言っているか全然わからない」

 実際、本当にわけがわからなかったので、伊藤は極めて正直に言った。

 魔女は神妙な顔をした。

「魔力とか、魔術とか知らない? 好きじゃない、こういうの?」

「別に。中二臭いなーってさっきから思ってる」

 魔女はあからさまにイラっとした顔になった。

「いや中二病とかじゃなくてリアルなんですけど。リアルな魔術なんですけど。種も仕掛けもないんですけど」

「リアルな魔術とか。いや、魔術はリアルじゃないじゃん。ファンタジーじゃん」

 匿名で書き込めるまとめサイトのコメント欄で磨いた辛辣さを伊藤は発揮した。伊藤が理解出来ない事を言う奴は、伊藤よりも程度が低い奴である。

「何だよ、腹立つな。そんな事言っていると助けてやらないぞ」

 むすっとした顔で、魔女は頬を膨らませる。そんな顔をされても、伊藤は別に何も感じなかった。どころか、ちょっと苛ついたくらいだ。

 砂を叩き落として立ち上がり、奇妙な闖入者に伊藤は向き合った。

「別に助けてくれなんて頼んでない。ていうか、君、まじで何なの? 何で急に人ん家に入ってくるんだよ」

 魔女は呆れたような顔で、とんがり帽子に手をやった。

「わたしは担当。あなた、交換所で調査を依頼したでしょ? あの樹……黄金樹の」

 魔女はそう言って、樹のほうを指差した。

「確かに様子が変だとは言ったけど。じゃあ、君が受付の人が言っていた専門家って事?」

「だからそうだって言っている。もういい? 仕事を始めるからね」

 言うや、魔女はマントの内側から平べったい石を取り出した。

「ちょっと! 一体何する気だ。まさかその石、投げるつもりじゃないだろうね!? 家の中なんだぞ!」

 石を見た瞬間、何故だか伊藤は胸中に強い危機感を覚えた。まるで目の前で刃物を取り出されたかのような感覚である。突き動かされるように、伊藤は魔女の手を掴んだ。

 いきなり手首を掴まれ、いきり立った伊藤を前にしても、魔女はむしろ平然としていた。

「安心して。石を投げたりはしない。まずは何が起きているのか、どういう手段が有効なのか、調べたいだけ」

 茶色い魔女の瞳が、うっすらと青く光ったような気がした。

「……ずいぶんあの黄金樹ってのが大事なようだね?」

「当たり前じゃないか。あれはお祖母ちゃんから受け継いだ大切なものなんだぞ。絶対に守り抜かなきゃいないんだ。僕らは先祖代々からずっと、黄金樹様に守られてきたんだから」

 自分がこんなにも黄金樹の事を大切に思っていたとは知らなかった。壊れた蛇口から水が際限なく溢れ出るように、次々と心の中で感情が溢れかえっている。

「今の気持ちが本当に自分のものか、よく考えたほうがいい」

 青みがかった魔女の瞳が、伊藤の目を見つめ返す。

「――手を放してもらえる?」

 そう言われて、伊藤ははじめて、自分が彼女の手首を掴んだままだと気が付いた。いや、しかし、黄金樹へ危害を加えるかもしれない相手を、このまま自由にしておけるだろうか。駄目だ。この手は絶対に放せない。

「聞こえているよね? 手を放して」

「駄目だ。黄金樹様には指一本触れさせない」

 自分の中に溢れかえる感情に突き動かされているのを、伊藤は感じていた。魔女の手首を掴む手に込められる力が、どんどん強くなっていく。

 魔女の眼差しは、全くぶれていない。

「これが最後。自分で手を放して。でないと、少しばかり痛い思いをする事になる――」

 その言葉は、伊藤の耳には挑発として届いた。腹の底から脳天にまで突き抜けるような怒り――

「嫌だね! このまま手首をへし折ってやる!!」

 伊藤が魔女の左手の動きに気付いたのは、その時だった。手首を掴む伊藤の手の甲の上で、魔女の指先が踊る。

「そう。じゃあ、仕方ない」

 アルファベットのFの横棒が、二つとも下を向いたような文字が、伊藤の手の上に浮かび上がり、

「〝伝われアッシュ〟」

 魔女の指が鳴る。

「うぅっ!?」

 バチン! と、手に弾けるような強い衝撃が加わり、伊藤は思わず魔女の手首から手を放す。

 その瞬間、伊藤は、背後におぞましい気配を感じた。

「ユルサナイぃいいいいい……」

 全く不思議な事だが、その恨めし気な声が聞こえたその時、伊藤の体は宙に浮きあがっていた。いや、正確に言えば、掴み上げられていた。巨大な、掌の骨に。

「ユルサナイぃいいいいい……」

 家の中はぐにょぐにょと壁や天井が動き回り、異様なエネルギーが目で見えるほどに満ち満ちている。背後から、大きな影がぬっと出てくる。髑髏だ。巨大な髑髏が恨めし気な声を上げながら、魔女のほうへ首を伸ばしていく。

「あ、あぁっ……」

 今になって急速に伊藤の頭は冷えていた。何故あんなにも自分は怒っていたのだろう? 何故こんなに恐ろしい状況に陥っている? この髑髏は一体何だ。一体、自分は何をされているというのか。

「《俄者がしゃ髑髏どくろ》。魔力を呪力に転換して怪物に変化したのか」

 冷静な口調は保ったまま、魔女が一人ごちる。その目が空間の歪んだ周囲に向けられる。

異層転移いそうてんいが起きている。このままじゃ飛ばされるか」

 眼前に巨大な髑髏が迫ってきているというのに、魔女は一向構う様子がない。何だかよくわからない事を、一人でぶつぶつと呟いている。

「おい、君! そのままだと死ぬぞ!」

 伊藤の忠告に、魔女は気だるそうな顔をした。

「ご心配どうも。でも――」

「ユルサナイぃいいいいいいいいい!」

 髑髏の首が、突如として魔女へ突っ込む。魔女の小さな体が髑髏の不気味なあぎとに喰われた。

「魔女!」

 カン! カン! カン! と、伊藤の叫び声に乾いた音が三つ重なった。音は、どうやら髑髏の中から聞こえたようだ。

輝けシゲル光れダエグ浄められよベオーク。日の父、デリングの扉よ、開け」

 パチン! と指を鳴らす音がしたかと思うと、髑髏の中から一条の光が漏れた。たちまち、いくつもの光が髑髏から溢れ出し、一瞬、目が眩むほどの光の爆発を起こす。

「うわっ!」

 伊藤を掴んでいた髑髏の指も消え去って、伊藤は床に落ちた。幽解離とかいう現象で砂となったのであろう髑髏の体が、部屋中に撒き散らされている。あれほど歪んだように見えた部屋の中も、今は何ともない。

「一応、この部屋に充満している魔力の一部は消費させられたけど、まだ何も解決していない」

 マントについた砂を落としながら、魔女は言った。

「少しは担当の話を聞く気になりましたかね、伊藤さん?」

 嫌味ったらしい口調で、魔女は伊藤に話を振る。

「ああ。聞く……聞くさ」

 立ち上がり、伊藤は答えた。

 今はまだ大丈夫だが、放っておくと、またさっきみたいに、何か強い感情に囚われてしまいそうだ。

 伊藤は、黄金樹を見た。

「あれは……一体何だ。ここで何が起きてるんだ」

「今わかる事はただ一つだよ」

 魔女は、黄金樹を指差した。

「あれはこの世のものじゃない」


 部屋中に散らばった砂は、魔女が片付けてくれた。皮で出来た袋と、手持ちサイズの羽箒を使い、あっという間に袋の中に砂を収めてしまった。部屋の中は相変わらず危険だというので、伊藤は近くのファミリーレストランへ魔女を案内した。

「――で、これが、お祖母ちゃんがつけていたノートだけど」

 家の中にあった紙袋やトートバッグを使い、伊藤はニ十冊近くある祖母のノートを持ってきていた。本当のところ、こんな重たいものを持つのは嫌だったが、魔女がどうしても必要だというので仕方なく持ってきたのだ。

 伊藤が差し出したノートをパラパラとめくって、魔女はぱたんとそれを閉じる。

「つまり、伊藤さんは詳しい事は何も知らないわけね。あの黄金樹について何かを知りたければ、このノートを読むしかないのか」

「悪いけど、そういう事になるよ。僕は完全にお祖母ちゃんから引き継いだだけだから」

「もう。ちょっとは考えてよ。最近変わった事とかなかった?」

「えぇ?」

 魔女、七ツ森麻來鴉はじれったそうな顔をした。

「だからさ。聞いた話じゃつい最近まで、あの黄金樹には何もなかったわけでしょ。何かきっかけみたいな事があったって考えるのが普通でしょ。何かない? 何でもいいから」

「何でもって言われても、そんな」

 最近あった変わった事……。思いつくのは、一人の人間だ。

「知り合いが出来たよ。桐緒さんっていう人」

「キリオさん? 男? 女?」

「女性だよ。お隣に引っ越してきたんだ」

 麻來鴉の目つきがちょっとだけ鋭くなった。

「その人が来てから、黄金樹はおかしくなった?」

「それは……」

 どうだろう。別にそういう事でもなかったような気がする。桐緒とは出会って最初の頃は、ちょっと立ち話するくらいで、その時は、別に黄金樹なんて気にも留めていなかった。

「いや……別に、そうでもないような……」

「じゃあただのお隣さんって事?」

 麻來鴉の質問に、伊藤は頭を巡らせるが、よくわからない。何だか頭が働かない。

「まあ……その、そうだね。ただのお隣さんだね」

「はあー」

 麻來鴉は大きなため息をついた。

「全く。これじゃあ手掛かりなしじゃない」

 帽子をつけたままの頭を掻いて、麻來鴉は野菜ジュースをストローで啜る。

「なしって何だよ。ノートがあるんだから、それを読めばいいじゃないか。だいたい、しょうがないだろ。僕は水やっていればいいって言われていたんだから。お祖母ちゃんのノートは何書いてあるのかわからないし、別にこれまでは変なところもなかったし。他にどうしようもないじゃないか」

 憮然としてそう言うと、たちまち麻來鴉の冷たい目が、伊藤を見つめた。

「伊藤さん。自分の家の事なんだから、もっとしっかり考えてよ。あの黄金樹を何とかしなきゃ、伊藤さんはもうあの家で暮らせないんだよ? わかってる? そこんところ」

「そんな事は……」

 わかっている、と言いかけて、伊藤は言葉に詰まった。本当に自分は理解しているのだろうか。

「わかっているさ。君は専門家なんだろ。何とかしてくれよ」

「もちろん。仕事だからね。何としてでも解決するよ。でも」

 ジュースのグラスを置いた麻來鴉がじっと伊藤を見た。

「一番の鍵は伊藤さんだよ。それを忘れないで」

 自分よりはるかに年下の少女の瞳が、伊藤を見ていた。

「やめてくれ」

 思わず、伊藤は目を背ける。

「わかっている。出来る事ならやるさ……。わかっているんだ」

「なら、いいけど」

 麻來鴉はそう言って、窓の外に視線をやった。

 気まずい沈黙がやってきた。何を話していいかわからず、伊藤は朝食に頼んだパスタをフォークに巻き付けて、黙々と食事を進めた。

「……なあ、質問なんだけど」

 ふと気がかりな事を思い出して、伊藤は麻來鴉に声をかけた。ノートを読んでいた麻來鴉は、その声に顔を上げた。

「今日はこのあとどうするんだ。やっぱり今日は家には帰れないのか」

 魔女の少女は、ちょっとだけ考え込むような顔を見せた。

「……まあ、無理だね。まだ手がかりも解決策もないし。さっきも言ったけど、あの家の魔力濃度は高い。俄者髑髏を倒したから、ある程度は薄まったと思うけど、一時的なものだよ。原因を絶たないと」

「原因を絶つって……?」

「黄金樹を刈るとか、燃やすとか」

「そんなの困る!」

 思わず、伊藤は叫んだ。周囲の客が何事かとこちらを見ているのがわかって、すぐさま縮こまる。

「困るって言われても……」

「僕はあの実を売って生活しているんだ。元に戻ってもらわなきゃ生きていけない」

 麻來鴉は神妙な顔をした。

「もっといい仕事あるよ……世の中」

「僕にはこれしかないんだ。あの樹、元に戻せないのかい?」

「元に戻すなんて無理。以前はそうじゃなかったんだろうけど、今のあの樹は毒を撒いているのと一緒。伊藤さん、さっきおかしくなっていたでしょ? あれは部屋中に充満した魔力に影響されたからだよ。悪いけど諦めて。刈るにせよ燃やすにせよ、あの樹は絶対にこの世から消さなきゃならない」

「そんな……」

 やばい、と思った。つまり、もうこれ以上、同じ方法で生活するのは不可能だと言われたのだ。

 伊藤は立ち上がった。

「待って。どこ行くの?」

「帰るんだ。君が黄金樹を消すつもりなら、せめて今ついている黄金の実は全部回収しなくちゃ。一ヶ月に一粒だけなら換金出来る。なら、しばらくはそれで生活していけるんだから」

「欲望の塊か、あんたは! さっきの俄者髑髏を見てなかったの? あいつもあの樹が生んだ怪物だよ。あんたは、そんな化け物の一部を売ってきたんだよ。その生活をこれからも続ける気なの?」

「そんなの知るもんか! 買いたい奴がいるんだ。だからあれを売って生きている! それ以上の事は知らない! 僕には関係ない!」

 ずっと、心の奥底で考えていた事を、伊藤は吐き出していた。

 ようするに、そういう事である。伊藤は世界に関わらない。世界も伊藤には興味がない。すぐそばに楽に稼げる手段があり、伊藤は生きるほかに多くは望まない。だからこの世で、何が起きようと、誰が苦しもうと、極論伊藤には関係がない。

「僕はこれしか知らないんだ。黄金樹の世話をして、黄金樹の実を売る生活しか。君はプロなんだろ? 何とかしてくれよ。あの樹がなくなったら、僕は、僕は……」

「――ッ」

 あからさまな舌打ちと、侮蔑するような目で、少女は伊藤を見ていた。

「あんたね、いい加減にしないと――」

「――あれ?」

 濃く、香しい匂いが伊藤の鼻孔を突き、

「伊藤さん? どうしたの?」

 気が付けば、血のように真っ赤な服を着た桐緒が、すぐそばに立っていた。

「ひょっとして、喧嘩でもしているの?」

 そう尋ねる桐緒の口元は、何故だか薄っすらと笑っているようで、

「魔女と喧嘩なんて、面白い事をしているのね。伊藤さん」

 魔女を見つめる桐緒の目は、どこか悪魔めいて見えた。

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