2、「正治か?」

 正治のネットカフェ暮らしはその後も続いた。カプセルホテルなんか泊まってたらあっという間に財布が空になる。

 最近は雇う側の規制が厳しくなって、日雇い仕事にもなかなかありつけない有様だ。

(くそっ、何が労働者の権利だ。そんなもの、フリーターにはいらねえ! どいつもこいつも恵まれやがって!)

 ネットカフェの個室で空腹に腹を痛め、体を椅子に丸めてうつらうつらしているときだった、

 携帯に着信があった。

 発信者は不明だ。しかし誰であってもこれ以下最悪はない。

「はい、もしもし」

 仕事の口かも知れないのでせいぜいご機嫌を取って明るく言う。


『正治か?』


 訛りのある老女の声。誰だ?と思った。

「もしもし、どなたです?」

『わっしだよー、婆ちゃんだよ』

「婆ちゃん?」

 その訛りの強いしゃべり方とちょっとしゃがれた甘い声に正治は懐かしさを覚えた。

 しかし、

(ふざけやがって)

 とすぐに思いを切り替えた。

 正治の祖母は5年も前に死んでいる。

『正治ー、元気にしとっかー?』

 正治は、ケッ、なに言いやがる、間抜け野郎め、と思いつつ、

「ああ、まあね。ぼちぼちってとこ。婆ちゃんは?」

 とすっとぼけて会話を合わせた。

『婆ちゃんは変わりないよー。もう年だかんねー、ゆっくり弱っちくなっていくだけだよー』

「そんなこと言わないで、元気で長生きしてくれよ」

 言いながら正治はあざ笑う。相手は本当に婆あか?それとも俺みたいに若い奴が老婆の声真似をしているのか?

 笑いを隠して言う。

「で、婆ちゃん、どうしたの? なんか用?」

 俺みたいな金無し相手にどんな詐欺を働きやがる気だ?

『正治う……』

 老女役の女はせいぜい元気のない声で言う。

『おまえこのところうち帰っとるかー? 父ちゃん母ちゃんに、電話してやってみれ?』

「父ちゃん母ちゃんがどうかしたん?」

『あんなー、最近はやっとるだろー、振り込め詐欺っちゅうのんが。あれになー……、母ちゃんが引っかかってしもうたんだわーー……』

「はあん? 振り込め詐欺に母ちゃんが?」

 正治は笑いをこらえるのに必死だった。なんだよ、自分と同じシナリオかよ、と。

「たいへんだあ! いったいいくら?」

『50万円だってよー。大金だあなー』

「50万! それは大金だな。払っちゃったの? もう、母ちゃん、なんでそんなのに引っかかっちゃうんだよお。それにしても50万なんて大金、よくあったな?」

『そんだよー、蓄えの貯金みんな下ろしてしもうて、みーんな振り込んじまったんだわー』

「たいへんだなあ」

 正治は心の中で笑っている。それで、いくら振り込んで欲しいんだ?

「生活だいじょうぶか? 食うものあるんか?」

『農家だものお、食うもんなら事欠かないがな。それに兄ちゃんがおるからええわいな』

 チッ、調べてやがるな、とムカついた。

『それより父ちゃんが怒ってしもうて、母ちゃんかわいそうに、すっかり落ち込んでしもうてなー。正治ーー』

 そろそろ来るか?

『おまえ、こっちさ帰ってこんか?』

「は?」

 正治は戸惑った。どういうシナリオだ? それとも、これは……

『おまえが帰ってきたら、母ちゃんも安心するだでえ。父ちゃんも、口では厳しいこと言うども、おまえが帰ってくりゃちゃんと将来考えてくれるでえー。な、帰ってこい。兄ちゃんも、おまえがいっしょに畑やってくれれば助かるでえ。なあ、正治う?』

 正治は、こいつはとんだ振り込め詐欺だ、と思った。

 誰だ?

 堅物の父や兄がこんなしゃれた真似はしないだろう。親戚の誰かか?

 しかし携帯の番号はとっくに変えて誰も知らないはずだが…………

『なあ、正治う。帰ってこいー。なあ? 母ちゃん慰めてやってくれ、なあ?』

 正治は腹が立った。まさか自分が振り込め詐欺に荷担したなどと知りはしないだろうが、それもあり得なくはないだろうと考えられたシナリオだ。罪悪感をかき立てて、田舎に帰ってこい、だあ?

 ふっざけんなよ、だれがあんなところ………

『正治うー』

「うるっせえ、バーカ!」

 正治は老女を怒鳴りつけて通話を切った。

 胸がムカムカした。

(ちきしょう、世の中の奴らどいつもこいつも………)


 それから3日後。

 またネットカフェで腐っている正治の携帯に着信があった。

 非表示。

「はいー、もしもしー」

『………………………』

「……もしもーし」

『………………………』

「………………………」

『………………………』

「おい、ふざけんなよ。もしもし? どなたあ?」

『………………………』

「おい、誰だ?」

『……………………ふ…』

「あん?」

『…………』

 まるで地獄の底からのような低い声が言った。

『……ざまあみろ……』

 老人の、男の、声だった。

「え? なに? おまえ誰だよ?」

 しかし通話は切られていた。

「くっそ、むかつく野郎だぜ」

 正治は携帯を閉じ、イライラとしていたが、ふと、気になった。

「……………………家、かけてみるか……」

 それからも考え込み、気が重いながら嫌々といった感じで懐かしい家の番号を押した。

『もしもし』

「もしもし。……兄ちゃんか? 俺、正治だけど」

『正治……? おいおまええ!今いったいどこで何してやがんだ!!』

「イテテ、ちっ、怒鳴るなよ、だから家に電話なんてしたくねえんだ。どーでもいーだろー?不肖の弟のことなんかどーでもさーあー? そっちはどうなんだよお? 父ちゃん母ちゃん元気にしてっかー? ついでに婆ちゃんもさー?」

 正治はあの電話を思い出して笑いながら言った。まあ、この兄があの電話に絡んでいるとは思えないが。

『馬っ鹿やろーーー……』

 深く押し殺した声がうなるように言った。

「あん? どうした兄貴?」

『馬っ鹿野郎。………………………

 父ちゃんと母ちゃんはな、………………

 死んだ……………』

「え、なに? なんつった?」

『死んだよおー、この、大馬鹿野郎!』

「………どういうことだよ? 二人ともか!? 何か、事故か、火事か!?」

『首くくったんだよ、二人して』

「首を……くくった?…………」

『自殺したんだ! 母ちゃんが振り込め詐欺にあってな!』

「な、なんだってえ!?」

『畜生……………、絶対に許さんぞお……………。

 正治、聞けよ。

 おまえの名前で、母ちゃんに、金を振り込んでくれって電話があったんだ。おまえが、悪い奴らの仲間になって、振り込め詐欺を働いて、金を振り込ませてしまった。どうしよう、オレ、犯罪者になっちゃった。お金を返せば許してもらえるかなあ? でも仲間にそんなこと言ったら裏切ると思われて殺されちゃう。どうしよう、オレ、返せるような金無いし。母ちゃん、助けてくれよー、ってな。泣きながら頼み込まれたそうだ。それで、350万、町に出てあちこちのATMから小分けにして送金したそうだ。たまたますぐ父ちゃんにばれてな、馬鹿!なんでそんな詐欺に引っかかるんだ!テレビでさんざんやってただろう!?って怒っちまってな。母ちゃん泣いてたし、父ちゃんもな、内心じゃひょっとして、と思ってたんだ。おまえならそれもやりかねないんじゃないかってな。

 おい、正治、おまえなんで電話かけてきたんだ? まさかおまえ、本当に振り込め詐欺働いて母ちゃんに350万振り込ませたんじゃねえだろうな!?』

「し……し……してねえよ……そんなこと…………。そ……そ……それで……、ど、どど、どうしたんだ?…………」

『詐欺にあったのが3日前、で、昨日の夕方だ、父ちゃんが帰ってきたら、母ちゃん、部屋で首をくくっていたらしい』

「…………………………………で?……」

『父ちゃんは母ちゃんを下ろしたが、もう死んでいたらしい。父ちゃんは、母ちゃんの首をくくったロープで、自分も首をくくって、で、でだ! 俺が今朝、家に行って母ちゃんの死体と、首くくってる父ちゃんを見つけたんだ!!! 分かったかあ、バカヤロウーッ!』

 正治は、何も言えなかった。呆然としている。

『父ちゃんから俺たちに遺言だ。よく聞けよ。こうだ、

 子供たちへ。正直に、しっかり生きろ。

 分かったな?

 正直に、しっかり生きろ。だ』

「………………………………………」

『おまえ、どうする気だ?』

「………え?……」

『父ちゃんと母ちゃんの葬式に出る気があるかと訊いてるんだ』

「……いや……………、お、俺は………………」

『そうだよな? どの面下げて帰ってこれるんだよなあ? 分かった。おまえと話すのはこれっきりだ。いいか、母ちゃんがそんな詐欺に引っかかったのはおまえのせいだ。おまえが母ちゃんと父ちゃんを苦しめて、殺したんだ! いや、今ばかりじゃねえ、今まで、ずっと、おまえは父ちゃん母ちゃんを、俺たちを、苦しめ続けてきたんだ! おい、どんな気分だ? ええ?どんな気分だよお、正治う!!??』

 正治は、答えようもない。

『へっ、思いっきり苦しめ、馬鹿野郎。……ざまあみろ!!』

 兄から通話が切られた。正治は予感する、これが兄弟最後の会話だろう。


 正治はネットカフェにいる。

 ネットで調べてみた。

 振り込め詐欺、自殺。

 正治の父母の自殺と同じようなニュースを見つけた。

 振り込め詐欺にあった妻を夫が責め、妻は自殺、夫も後を追って自殺した、と。

 ひと月前のニュースだった。


「なるほど、俺はこれに復讐されたってわけか」

 正治はぼーっとした目でディスプレイを見続けた。

 今は何も考えられない。

 しかし、どうしようもなくどろどろした暗い感情が重く胸にわだかまっていた。

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