番外編 野次馬(一)


― 王国歴1076年 夏-秋


― サンレオナール王国 西部ペルティエ領




 皆さんこんにちは、ヒヒーン。私はご主人さま一家に仕える馬エトワールです。私は生まれた時からご主人さまに育ててもらっていて、名前もご主人さまが付けてくれました。額に星のような模様があるからなのです。


 ご主人さまやヴィオレットさんやロナルドさんが移動される時にお乗せするのが私の仕事です。私より少し年上の雄馬カフェも同じで、遠乗りや身軽な移動の時に出動するのです。


 ご主人さまは荷馬車を引かせる馬も二頭持っていて、彼らの名前はミエルとショコラです。彼らはただのオッサン馬で、彼らほど名前負けしている馬には会ったことがありません。




 私がアレックスさんに初めて会ったのはご主人さまが彼女を遠乗りに誘った時でした。ご主人さまはその前の晩から大張り切りで、私に念入りにブラシをかけてくれるので何事かと思っていました。


「ようこそここへ♪ ヒッヒヒッヒン、私の黒い馬♪」


 ご主人さまは超ご機嫌のようです。彼の口ずさむ歌からすぐに分かります。優しくブラッシングされるのは私も大好きなので、喜ばしい事態です。


「うれしはずかし初デェト♪ 君に会うまで考えなくちゃ♪」


 何ですって、今初デートって歌いましたか、ご主人さま? これは一大事ですわよ!


『ちょっとアナタ、聞いた? 明日ご主人さまは女の子とお出かけするのかしらね、久しぶりじゃない?』


 私は隣のカフェに話しかけます。


『それで俺達の出番だったら俺もブラッシングしてもらえるな。二人乗りでお前一頭だけ連れて行くなんてことはねぇだろーし』


 カフェの言った通り、私にブラシをかけ終わるとご主人さまはカフェの方へ移りました。


『ねえ、ミエルとショコラ、最近ご主人さまに女性の影がちらついていない?』


 荷馬車を引く彼らの方がご主人さまとお出かけする機会が多いのです。


『ああ、ちょっと前に俺達王都まで行ったろ、その帰りに旦那が女を乗せていたな。ほら、山賊に襲われた時だ』


『彼女は何でも王都からペルティエの街に越してきたらしいぞ。その後も旦那は一回彼女と荷馬車で買い物に出掛けてたな』


『まあ、どんな女の子?』


 情報収集には余念のない私です。それはもちろん、ご主人さまのデートを成功させたいからに決まっています。


『どんなって言われても……フツーに人間の女だった』


『歳は? 髪や眼の色は? 美人?』


『そんなこと聞かれてもさぁ、人間は人間だから俺達には良く分かんねぇよ。たてがみや尾毛も、前足もねぇし、ケツも見えねぇし』


 馬の美的感覚は、というかミエルとショコラは当てにならないということが分かっただけでした。


『しょうがないわ、明日私がこの目で確かめてくるわ! ご主人さまに相応しい人かどうか見極めるから、任せて!』


『お前が張り切ってどうすんだよ』


『ご主人さまには幸せになって欲しいもの。どこの馬の骨かも分からない相手なんて彼に近付けさせるものですか!』


『馬の骨って……相手は人間に決まってんだろ』


『何言ってるの、カフェ。慣用句よ。はあ、これだから速く走るだけしか能がない馬は……』


『つくづく失礼な奴だな、お前。俺、速いだけじゃねぇぞ。優秀な種牡馬ぼばでもあるんだからな。俺の種付け料金いくらか知ってるか?』


『知りたくないし。種馬という言葉が良い意味で使われてそれが自慢できるのは馬だけだわよ……要するに頭脳を使わない肉体労働なら任せてなのよね、アナタは!』


『まあまあ二頭とも、落ち着けよ』


 ミエルになだめられてしまいます。確かに私たちのやり取りはいつもこんなパターンなのです。


『毎年ペルティエの収穫祭の競争で優秀な成績を修めている俺のお陰でケンは大層鼻が高いんだからな』


『はいはい、分かっているわよ。本題に戻りましょう。とにかく、私の毛の黒いうちはご主人さまに悪い虫がつくのなんて断固認めないわ』


『旦那の彼女も大変だな、こんな小姑まで居るなんて想定外だろうなぁ。お前に気に入られなかったら後ろ足で蹴られたり振り落とされたりするんじゃ……』


『小姑とは何よ! そんなことするわけ……』


『あんだろ?』


『うーん、ないとは言い切れないかも……』




 そしてご主人さまに連れられて私とカフェはうれしはずかし初デートにいざ出陣しました。


 初めて見る彼女、アレックスさんは人間の年齢で言うとご主人さまと同じくらいでしょうか。馬の私が見ても綺麗な女性だということが分かります。


「お早う、ケン。どちらも素晴らしい馬ね。貴方の馬なの?」


 その彼女の言葉に私とカフェの耳はピクリと反応します。馬好きに悪い人間は居ないのです。


「ああ。こっちがカフェでお前が乗るのはエトワールだ」


「まあ本当、額にエトワールのような模様があるわ。よしよし、良い子ね。私、馬に乗るのは久しぶりなの。今日はお手柔らかにお願いね、エトワール」


 アレックスさんは私の毛並みを愛で、優しくたてがみを撫でてくれます。


『ヒヒーン、嬉しいわ』


『お前、単純だな。もう陥落かよ……』


 カフェの現金な奴、と言う視線が痛いです。


 その日はご主人さまの提案で、北部の湖まで行くことになりました。久しぶりの遠出に私もカフェも張り切ってしまいます。アレックスさんは馬の扱いも上手でした。彼女の株が私の中でぐんぐんと上がっています。


『ケンの彼女、乗馬も結構デキるな。お前を乗りこなしているじゃないか』


『私、アレックスさんに乗ってもらうの、好きだわ。彼女とは馬が合うみたいよ。馬なんだから当然だろ、なんて馬鹿なこと言わないでね、カフェ。慣用句だからね!』


『ちぇっ、何だよ。俺だってそのくらい知ってらぁ』


 湖畔に着き、ご主人さまたちは一休みして昼食をとることにしたようです。私たちは近くの木に繋がれました。他に人はいません。


「何から何までありがとう、ケン。今週はずっと働き詰めだったから、久しぶりに良い気分転換になったわ」


「喜んでもらえて何よりだよ」


 そして二人、しばらく会話が途絶えて沈黙が流れました。


「なあ、アレックス……」


「なあに?」


 アレックスさんがご主人さまの方を向きます。そして二人見つめ合って、どちらからともなく唇を合わせていました。


『待ってました、口づけタァーイム! ヒヒーン~ ああなんてロマンティックゥ~』


『おい静かにしろよ、それにジロジロ見てんじゃねぇよ。その野次馬根性何とかしろよ』


『野次馬ってしょうがないじゃないの、馬なんですもの』


 いつの間にかアレックスさんはご主人さまの逞しい腕に抱きしめられていました。そしてキスが段々と激しくなって……と期待していたら彼女は両手でご主人さまの胸板をそっと押し返しています。


「駄目よ、ケン。カフェとエトワールに見られているわ」


『いえ、見てませんわ! 決して見てませんから安心して続けて下さヒヒーン!』


『俺、ノーコメントで』


「何だよ、それ。俺の馬なら心配するな。別に気にしていないし、見て見ぬふりで誰にも言わないって」


『そうです、そうです、ご主人さま、彼女の口を塞いで押し倒しちゃえばこっちのものです!』


『……』


 しかしご主人さまはそれ以上強引な態度には出ませんでした。そんな紳士なご主人さまなのです。でもそれがいいところなのですよね。


「そろそろ帰ろうか? 何だか雲が増えてきていないか? 街に着くまでもてばいいけどな……」


 確かに先程までは青空が広がっていたというのに、いつの間にか空の半分が雲で覆われていました。


「本当だわ、これは雨になるかもしれないわね」


 私たちは帰路に就くことになりました。急いで帰ってきた私たちでしたが、街が小さく前方に見えてきた頃に雨に降られてしまいました。アレックスさんの宿舎に着いた時は皆びしょ濡れでした。




野次馬(二)に続く




***ひとこと***

正にそのまんま、野次馬視点です!


アレックスの心配通り、カフェもエトワールもしっかり見ていたのでした!

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