番外編 実父(二)

― 王国歴1076-1077年


― サンレオナール王国 西部ペルティエ領




 どうやらこの男性は私とアレックスの関係を誤解して乗り込んできたみたいでした。


「俺は迷惑を大いにこうむっている」


「はい? どうして貴方が?」


「俺は早く結婚して子供も欲しいからだよ! 付き合うんなら俺にしておけ、何なら一回試してみるか? 試用期間を設けてもいいぜ? 経験の差でテクはまだ未熟かもしてないけどよ、俺の方が長持ちするしスタミナもある。絶対俺なしじゃ生きられない体にしてやる」


 それにしても彼はサラッと何気に大事なことを言っています。


「どういう意味よ! 随分な自信じゃないの」


 けれど肝心の告白がアレックスには伝わっていません。彼女の耳には下品な部分しか聞こえていないようです。


「だからそのまんまの意味だってば、ゲッ……外に……」


 そこで相手の男性に何故か私の気配を覚られてしまったようでした。扉を開けたのはアレックスではなく彼でした。何と彼はアレックスの用心棒だったケネス・ミショー様でした。私はそれで納得しました。


 アレックスを訪ねて来てから、彼女がミショー様の話をする時の表情が何と言うか、意味を含んだものだったのです。アレックスにとってミショー様は最初にできたペルティエ領の知り合いでした。山賊に襲われた時もしっかり守ってくれた頼もしい若者だそうですし、二人が恋仲になるのは自然なことだと思えました。


「えっとお取り込み中だったでしょうか。お嬢様、明日の朝はゆっくりで良いですよと貴女に言いに戻ってきたのですけれども……」


 私はニヤニヤ笑いをこらえるのに苦労しました。


「おい、オッサン、何そんな涼しそうな顔してんだよ! 『明日の朝はゆっくりで良いですよ』なんて流石年配者は違うな、余裕じゃねぇか」


「ちょっとケン、私のルイに向かって何て口の利き方なの! 失礼でしょ、彼に謝りなさいよ」


「いいのですよ、お嬢様。ミショー様、貴方とは少しお話をする必要がありそうですね」


「アンタ、何で俺の名前……」


 ペルティエ領に旅立つアレックスを執事として見送った時に私はミショー様のお顔を一度だけ見て覚えていました。彼の方は私を知らないようですが、無理もありません。


「お嬢様はもうゆっくりお休み下さい。また明日の朝お待ちしております。ミショー様、私の宿屋まで来ていただけますか、そこの食堂兼飲み屋でお話しましょう」


「あ、ああ……」


 私の正体をミショー様に今知らせるわけにはいきませんが、誤解だけは解いておかないといけません。


「ケン、ルイに殴る蹴るの暴行加えたりしたら私が許さないから!」


 私達二人がアレックスの宿舎を去る時に彼女がそう声を掛けるものだから思わず吹き出してしまいました。ミショー様は宿の食堂に着くまで無言で憮然としたままでした。二人で席に着き、私は麦酒を注文しました。


「ルイ・ロベルジュと申します。ポワリエ侯爵家に執事として仕えております。ミショー様には先日アレクサンドラお嬢様を山賊から守っていただいてお礼の言葉もございません」


 麦酒で乾杯するよりもまず、私は彼に深く頭を下げました。


「そういうことか……まあアレックスの用心棒として当然の仕事をしたまでなんだけど。それでアンタ、執事の分際で主家のお嬢様に手を出したのか? 答えによってはちょっと俺も感情を抑えきれないかもしれない」


「ははぁ、なるほど」


「何か面白がっていないか? アンタ、今日の午後、街の土産物屋に行っただろ。そこで黒髪に合うような櫛と組紐を探しているって店主に聞いていた。わざわざアレックスにペルティエ領まで会いに来て、王都に居る黒髪の恋人へのプレゼントを買うかなあ」


 ミショー様はすっかり冷静になっておられましたが、私を責める口調は厳しいものでした。確かに私はその店でソニアに櫛を、ベンに組紐を買いました。二人共長い黒髪なのです。魔術師は黒髪が多く、二人共例外ではありません。私とソニアの子供達は上二人が私と同じ薄茶色の髪で、末っ子のサミュエルは黒髪です。


「ミショー様は何でもお見通しのようですね。けれど真実は貴方がお思いのようなことはありません」


 私は真面目な顔で続けます。


「私とアレクサンドラお嬢様は男女の関係でも恋愛関係でもありません。どちらかが片想いしているわけでもありません。過去にそうだったことも、現在も、これからそうなることも決してありません。しかし、主家の娘と執事という関係だけでもないのですが、私からは貴方様に申し上げられないのです。貴方の本気の愛をお嬢様が受け入たら、その時彼女自身が教えてくれることでしょう」


「そんな顔で言うんだったら、嘘じゃないよな」


「はい。神に誓って。私は信心深くありませんが、私が神に誓うと言うと本気です」


「……ロベルジュさん、先程からの無礼を許して欲しい、です。すみませんでした」


 彼は自分の非を認めて素直に謝罪出来る好青年でした。


「許すも何も、貴方の気持ちは良く分かりますよ」


「俺だけ一人感情的になって何だか恥ずかしいですね」


「それだけお嬢様のことが気になるという証拠でしょう。彼女のこと、これからもよろしくお願いいたします」


 それから麦酒を片手に私はミショー様にアレックスの少女時代の話などをしました。次の朝も早いので遅くなる前に男二人の飲み会はお開きにしました。




 それからは皆さんもご存知のとおりです。二人は旅行先で気持ちを確かめ合い、結ばれたというのに、その後アレックスの早とちりでミショー様の妹さんを奥さんだと誤解してしまうということもありました。


 それでも若い二人はお互い尊重し合い、愛を育んでいきました。


 愛しい娘の晴れの日に、彼女と腕を組んで教会に入場するという大役を私は仰せつかりました。三人の子供に恵まれましたが、私は一生脇役で、彼らをそっと見守っていくだけと思っていたのです。こんな重要な役割を担うだなんて夢のまた夢でした。


「お父さん、今までありがとう。私のことを陰ながら見守ってくれて、誰よりも愛してくれて……」


 しかもアレックスに初めて『お父さん』と呼ばれました。上の二人は私が実の父親だと知ってからも、何だか照れくさいと言って呼び方はそのままだったのです。末っ子のサミュエルだけが人の居ない所で『お父さま』と呼んでくれていました。


「お父さん、私嫁ぐ前にちゃんと親孝行できたかしら?」


「何をおっしゃいますか、アレックスは。貴女が生まれてきてこうして幸せになれる、それだけで親孝行ですよ」


「ルイ……いえ、お父さん」


 その日は朝から涙ぐんでばかりでした。


 今までの自分の人生を振り返ってみると、子供の頃は不運な自分の境遇を嘆いていたものでした。親を恨んでもしょうがないのは分かっていましたが、やりきれない気持ちでいっぱいでした。


 両親がベンの屋敷に住み込みで勤めていたので、私は彼と一緒に育ちそのまま彼の執事となり、奇妙な経緯を経て彼の妻ソニアとの間に三人の子供を設けました。


 世間に公にはできないものの、こんな私でも温かく賑やかな家庭が築けたのです。少年時代の自分はこんな幸福に溢れた将来などとても思い描けませんでした。


 ペルティエの小さな教会前で、街の人々に祝福されている新郎新婦の後姿を私はいつまでも感慨深く眺めていました。




     ――― 実父  完 ―――




***ひとこと***

ルイがケンと二人きりで話すところは私の好きな場面の一つです。

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