血筋

第十五話 氷解


 目を開いた私の視界に最初に入ってきたのはケンの心配そうな顔でした。


「アレックス、目覚めたか! 大丈夫かお前、いつも無理し過ぎなんだよ!」


「お兄さん、そんな大声出さないの! ここは病室です」


 最初は何が何だか分かりませんでした。


「ケ、ケン? ケンなの?」


「ああ、気付いたみたいだな、良かったぁー」


 ケンに微笑まれて、唇や額に軽くキスをされていました。片手は彼にしっかりと握られていて、彼のもう片方の手は私の髪と頬を優しく撫でています。


 意識が戻ったとは言え、私はまだ混乱していました。


「私、きっと現実逃避の夢を見ているのね……ケン、貴方がここに居るだなんて……」


「何言ってんだ、アレックス。お前が倒れたって聞いて居ても立っても居られなかったんだぜ、俺は。何を置いても駆けつけるに決まってるじゃねぇか」


「だからもう少し静かにしなさいってば、お兄さん。アレックスさんが驚いているじゃないの」


 ケンの後ろにはヴィオレットさんも居ました。彼女の前でケンが私の手を握って口付けているのです。状況がどうしても理解できませんでした。私が寝かされているのは施設内の病室の一つのようでした。


「ヴィー、お前のキンキン声の方がよっぽど耳障りなんだよ! アレックスはお前の診察中に倒れたんだってな、大体風邪でさえここ数年ひいたことのないお前がなんで医者にかかる必要があんだよ」


「そんなこと、お兄さんに言う必要ないでしょ」


「医者なら母さんの所へ行って診てもらえばいいだろーが! ただでさえアレックスは忙しいのに、仕事増やすんじゃねぇよ。俺とのデートの時間も減るし」


「家族じゃなくて他人に診てもらいたいこともあるじゃないの!」


 ケンが後ろを向いてヴィオレットさんと言い合いを始めていました。私はそろそろと体を起こしました。


「えっと、あの……お兄さんって?」


 彼女はケンのことを何度かそう呼んでいました。


「ごめんなさいね。アレックスさん、こんな兄で本当にいいのですか?」


「ケン……ヴィオレットさんって……?」


「アレックス? お、おいどうした、な、泣くなよ!」


 私はここ数日、一人で無駄に抱え込んでいた負の感情が一気に安堵に変わったお陰で涙をポロポロと流し始めていたようでした。ケンが慌てて私の涙を手で拭ってくれていました。


「ケ、ケン……わ、私ったら……」


 私は感極まってしまって何も言えなくなって、寝台に座って私を優しく抱きしめてくれたケンの胸でしばらく泣きじゃくってしまいました。そう言えばあまり自分のことを喋らないケンですが、妹と弟が一人ずつ居ると言っていたのを思い出しました。私は冷静になれず、大きな誤解をしていただけだったのです。


「引越しや転職、一度に色々なことが起こっただろ。それに仕事もし過ぎなんだよ。二日ほど休みをもらえるらしいからゆっくり体を休養させろ」


 私が疲労で意識を失ったのはそれらが原因ではありませんでしたが、ケンのその言葉にただ頷くだけでした。私の背中をそっと撫でてくれる大きな温かい手に段々私も落ち着いてきました。


「ケン、仕事中だったのでしょう? 来てくれてありがとう」


「大事な愛する恋人が倒れたんだから、当たり前だよ」


「恋人?」


「それ以外何て言えばいいんだ? 彼女か?」


 恋人という言葉が自然にケンの口から出てきたことに、言いようのない嬉しさが込み上げてきます。


「そうね、私たち、恋人同士なのよね」


「何を今更、やっと笑顔を見せたと思ったら」


 そこで扉を叩く音がしました。私の同僚の医師と看護師が様子を見に来てくれたのです。ヴィオレットさんが呼んでくれたようでした。


 私はただの過労と診断され、二日間の休養を取ることになりました。


「出来ればもう少し休ませてあげたいところだけれども……」


「いえ、とんでもないですわ。二日間も仕事に穴をあけるなんて、申し訳ないくらいです。これからはきちんと体調管理に努めます」


 彼らが退室した後、ケンが再び私の唇に軽く口付けます。


「良かったな、大事じゃなくて……」


「ええ。心配させてごめんね、ケン」


 そこでケンは扉の方を向き、そちらに一声掛けています。


「おい、そこの野次馬さん達よ、扉に耳を付けて盗み聞きしてんのは分かってんだぜ……全く」


 扉がゆっくり開いて、いつの間にか居なくなっていたヴィオレットさんに、何故かマルゲリットさまと二人の男性が入ってきました。


「兄貴が病人に不埒な行為をしないように皆で聞き耳を立てていたんだよ」


 ケンのことを兄と呼ぶその若い青年は、髪の毛の色はケンよりももっと濃くて、まだ幼さの残る彼はニヤニヤと意味ありげにケンを肘でつついています。


「先ほど診察を終わろうとしていたところに診療所にフロレンスの家から使いが来たのです。なんでもアレックスさんが倒れたから、クリスチャンが代理の医師として入れるなら明日から来て欲しいと急に呼ばれて……ですから私もアレックスさんが心配で……」


 マルゲリットさまにも私は施設の同僚だけでなく、クリスチャンやマルゲリットさんの診療所にも迷惑を掛けてしまったみたいです。


「大勢で病室に押しかけて申し訳ありません」


 そう言って頭を下げた年配のこの男性は黒髪で異国の人の顔立ちをしていました。マルゲリットさんに付き添っているこの方が、料理も家事も何もかも得意なマルゲリットさまの噂のご主人のようです。


「父上はともかく、何でロンまで来てんだよ」


「いや、だって家に帰ろうとしていたら丁度父上の荷馬車が街に入って来るのが見えたからさ」


「アレックス、こっちが俺の父親のダンジュで、母親は診療所で会っているから知っているだろ、このガキは弟のロナルド」


「えっ? マルゲリットさまってケンのお母さまだったの?」


 ケンの家族の皆さまにいきなり紹介された私はまだ少し混乱中でした。けれどやっと納得できました。よく見るとケンはお父さま似でヴィオレットさんとロナルドさんはお母さま似でした。


「あれ、診療所を紹介した時に言ってなかったっけ?」


「今まで知らなかったわ」


「お兄さん、何をやっているの、全く。詰めが甘いのよ」


 私が要らぬ誤解をしていた事がヴィオレットさんには分かっているのかどうか、彼女には軽くウィンクまでされました。


「アレックスさん、軽い貧血だけだって聞いたけれど、大丈夫ですか?」


「はい、マルゲリットさま。自己管理ができていませんでした。医者の不養生ですね、お恥ずかしいです」


「二、三日はお休みさせてもらえるそうですから、ゆっくり体を休養させて下さいね」


「クリスチャンさんをお借りすることになって申し訳ないです。皆さんにご迷惑をおかけしてしてしまって情けないですわ」


「折角王都から来てくれた医者をこき使う施設が悪いんだよ。アレックス、休みの間は俺の家に来い。俺が面倒見てやる。コイツらは実家に帰すから静かにゆっくりできるしな」


「えっ? そんな……」


「何よそれ!」


「はぁ? なんで俺達が追い出されんの?」


 ケンの提案には私を含め、各自がすぐに声を上げていました。




***ひとこと***

さて、ヴィオレットちゃんの正体と同時にケンの素性が判明しました。同じく全裸徘徊癖のあるジェレミーは彼の大伯父、ナタニエルは伯父だったのです。血は争えないですね。

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