第十三話 疑惑
ケンは情熱的な恋人でした。仕事も私生活も充実していて、私は今までになく幸せでした。
主にデートと言えば私たちはラプラント領に出掛けることが定番になっていました。
仕事の後、夕方一緒に食事をして二人で私の宿舎に帰ることもありました。ケンによると私の宿舎の寝台は一人用で寛げないし、そもそも独身者用の宿舎に住む私が男性をしょっちゅう呼びこむのも外聞が良くないだろうから外で逢うのがいいとのことでした。
ラプラントの街では知り合いに会うこともあまりないので都合が良かったのです。
街外れにあるケンの家には今弟さんが帰って来ているから駄目だと言われていました。弟さんは普段、北西部の山中で木材の切り出しをされているそうです。
ペルティエ領にもうすぐ冬が訪れる季節になりました。ある日、私はマルゲリットさまの診療所で働いていました。時々彼女の診療所で働く非常勤のクリスチャンと勤務を交代しているのです。
その日はお互いの都合と休みの関係で彼が私の代わりにフロレンスの家の勤務に入っていました。
「アレックスさん、良かったら帰りにこの野菜とパンをケンの所に届けて下さるかしら?」
「分かりました」
勤務を終えて帰り際にマルゲリットさまにそう頼み事をされました。
「助かるわ。冬になる前に畑の野菜を取り入れてしまったのです。沢山あるのよ」
ケンの家がどこにあるのか私は知っていましたが、行ったことはありませんでした。彼が在宅なのかどうか、煙突から煙が上っているので誰かが居るようです。扉を叩くと意外なことに若い女性の声がしました。
「少々お待ちください、今開けます」
出てきたのは金髪に近い薄茶色の美しい髪を後ろで束ねた女性でした。歳は私と同じくらいか少し若いくらいです。エプロン姿ですから今料理中なのでしょう。
「あ、あの、これをミショーさんのお宅にと、マルゲリットさまに頼まれてお持ちしました。私、デュケット診療所で働いている者です」
「まあ、ありがとうございます。助かるわ」
「えっと……」
「はい?」
「い、いえ、何でもありませんわ。失礼いたします」
私はケンとの関係を彼女にとても聞けず、くるりと踵を返して去りました。ケンの家に可愛らしい女性が居たという事実に、心臓の動きが早くなっていました。
その翌日、私は休みで夕方からケンと会って食事をする約束をしていました。
午前中に街に出て銀行に寄りました。そこの窓口に出てきた若い女性の綺麗な
「いらっしゃいませ」
その声で私は彼女の顔を見て、ハッとしました。昨日ケンの家に居た女性だったのです。
「あ、貴女は……」
「お早うございます。昨日はありがとうございました。貴女が王都から来られた新しいお医者さまのアレクサンドラさんだったのですね」
「私ってそんなに有名なのですか?」
思わず口調がきついものになってしまいました。
「ええ、それはもう」
彼女の笑顔は何か意味ありげです。それにも私はカチンときました。
「ヴィオレットと申します。どうぞヴィーとお呼び下さい。私はアレックスさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「はい……」
どうして彼女と愛称で呼び合わないといけないのか分かりませんでした。私は
私が必要な手続きをヴィオレットさんに済ませてもらっていたら、彼女の後ろから同僚が声を掛けていました。
「ミショーさん、ちょっと後でいい?」
ヴィオレット・ミショー……彼女の苗字にドキッとしました。昨日からの不安が的中したのです。私は銀行からどうやって帰宅したのかも分からないくらい動揺していました。
「どうして……ケンには奥さんが居るの? あんなに可愛らしい人が……」
ケンの言葉や態度を一々思い出してはため息をついていました。既婚者なのに私と一緒に出掛けて、旅行までして一線を越えて、そんな嘘を重ねる人には到底思えません。昨日まではケンとお互いただ一人だけの恋人同士になれたのだと疑っていませんでした。
この小さなペルティエの街でも何度も二人で食事をしていますが、そう言えば最近はラプラント領に出掛けることの方が多かったような気がします。ラプラントの街の方が大きくて人目につかないから気楽だ、自分の家には今弟が居るから呼べない、ケンはそう言っていました。
「彼が私に囁いた愛の言葉も全て嘘……なのに私ったら……彼に全てを許してしまって、ルイとの関係までペラペラと喋ってしまったわ……」
気付いたら辺りは薄暗くなっていました。宿舎の部屋でポツンと座って一人物思いに
律儀な私は人との約束をすっぽかすことは出来ず、結局重い腰を引きずって出掛けることにしました。時々待ち合わせの時間に遅れて来るケンが珍しく先に食堂の席についていました。
私は無理をして笑顔を作り、彼の向かいに座りました。動揺のため震える手を見られたくないので膝の上に置きました。
「どうした、アレックス? 仕事疲れか?」
それでもケンは私の表情から何か読み取ったようです。
「ええ、まあそんなところよ」
私はケンに真実を問いただす勇気がありませんでした。彼が既婚者だと言ったらその場で私たちの関係は終焉を迎えます。
このまま彼を繋ぎ止めていられるはずはないと分かっていても、私からその温かい手を離すことがどうしてもできそうにありませんでした。
私はケンの話に相槌を打ち、自分も他愛のない子供時代の話などを取り留めもなく彼に聞かせていました。私の生い立ちや、ルイとの秘密の親子関係にも少し触れました。
「貴族なんて全くもって面倒くせぇよなぁ」
ケンのその言葉にハッとしました。庶民の彼が面倒だと思うのも当然です。ケンは貴族の私とは真面目に交際するよりも、軽い気持ちで恋愛ごっこがしたかっただけなのかもしれません。
そもそも、彼には奥さんがいるかもしれないのです。私のことはただの火遊びなのでしょう。それでもしょうがないと考える弱気な自分がいました。
不思議と彼に対する怒りは湧いてきませんでした。下心があったとは言え、この地に一人で越してきた私にケンがとても親切にしてくれたのは本当です。それに楽しい思い出も沢山作れました。
食事をしてしばらくお喋りした後、黙り込んでしまった私を見てどう思ったのか、ケンが帰宅を促しました。
「そろそろ出るかな……」
「ええ」
***ひとこと***
新キャラ、ヴィオレットちゃんの登場です。ケンの家でエプロン姿で料理をしている彼女は一体何者?
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