恋患い

第八話 訪問者


― 王国歴1076年 秋


― サンレオナール王国西部ペルティエ領




 ケンと遠乗りに出掛けてから、数日間は彼に会うことはありませんでした。私は仕事に打ち込むことで気を紛らわせました。目の回るような忙しさに救われていました。


 けれど、ふと休憩時間や夜一人宿舎の部屋に居る時にケンのことを思い出してはため息をついていました。




 そんなある日の夕方、王都から嬉しい来客があったのです。その人は私の宿舎の正面玄関を入った待合室で私が仕事を終えるのを待っていてくれました。


「ルイ! 貴方が来てくれるだなんて、知らせてくれれば良かったのに!」


 私はなりふり構わず彼に抱きつきました。


「アレックス、貴女を驚かせたかったのですよ。良くお顔を見せて下さい」


「会いたかったわ、ルイ」


 私は既に涙ぐんでいました。


「おやおや、私のアレックスはいつの間にこんな泣き虫になったのでしょうね。それに少しおやつれになりましたか? 一度に色々な変化があったから無理もないですけれども」


「王都の皆は元気?」


「御両親も御兄弟もお変わりありません。皆様いつも貴女のことを心配しておいでですよ」


「ルイ、今晩はここに泊まるの? 食事がまだだったら良かったら街の食堂で一緒に食べない? 私はお腹ぺこぺこよ」


「ははは、少し落ち着いて下さい。お部屋に荷物を置いて着替えをなさいますよね」


「ええ。すぐに支度するわ! ここで待っていて」


 私は自分の鞄を掴むと急いで自分の部屋に向かいました。


「相変わらずですね、アレックスは」


 ルイの声が後ろから聞こえていました。




 以前ケンに連れて行ってもらった食堂にルイと一緒に入りました。私は彼に話したいことがいくらでもありました。それに王都の家族の近況も聞きたかったのです。


「お父さまもお母さまも良く貴方がペルティエ領に来ることを承知したわね」


「確かに御両親は渋々と一人で発つ私を見送って下さいました。けれど彼らも貴女を一番甘やかしていいのは私だと分かっておいでですからね。役得です」


 ルイは私に軽くウィンクします。


「何日か滞在出来るの、ルイ?」


「はい。街の宿に二泊して、明後日には帰ります」


「私、明日は仕事だけど、明後日は休みよ。朝一番に出発するなんて言わないでね」


「お嬢様のお望みの通りに致しますよ。昼食後に発つことにしましょう」


「嬉しいわ、ルイ」


 新しい職場のことなど、積もる話は尽きませんでした。私たちが山賊に襲われたこともケンから父に報告が行っていました。


「私達はその知らせを聞いた時には肝をつぶしましたよ。でも何となく貴女の身に何かがあったことは分かっていました。丁度同じ日でしたか、この魔法石が暖かくなって、貴女の声が聞こえてきたのです。ルイ心配しないで、と」


「実際にはケンが腕に怪我をしただけで被害はなかったのよ。だから彼には内緒にしておいてと頼んだのだけれど、どうしても雇われた身としては報告せずにいられないと言われたわ」


「ミショー様のおっしゃる通りです。私達も知らずに居たくはありませんでした。彼は御両親のお知り合いというだけあって、立派な方ですね」


「え、ええ」


 ルイはそこで意味ありげな表情になりました。私の心の中を読んだのでしょうか。昔から私はルイに隠し事が出来ませんでした。何となく、これ以上ケンのことをルイに話したくなかったので慌てて話題を変えました。


「ルイ、明日は何をするの? 残念ながら私は朝から晩まで仕事よ」


「そうですね。午前中は『フロレンスの家』の見学を申し入れています。見せてもらえるのは孤児院だけですから貴女の仕事場へは行けませんけれどもね。午後は特に予定はないですから、御母上に頼まれた木工細工を買いに行こうと思っています」


 この地で作られる木の置物や小物にアクセサリーはペルティエ領の名産品なのです。


「そうね、お母さまには飾り櫛なんてどうかしら? お母さまだけに何か買うとお父さまがねるわよね……お父さまには組紐がいいのではなくて?」


「名案ですね」


「地元の名産品を扱っている店が街の大通りには何軒かあるのよ」


 そこで私は思わず欠伸を噛み殺していました。ルイの顔を見た嬉しさと満腹感と、ほっとした気分になれたこともあってきっと疲れがどっと押し寄せたのでしょう。


「そろそろ出ましょうか。明日の朝も早いのでしょう?」


「ごめんなさい、ルイ。そう言われると益々眠くなってきたわ」


 二人で食堂を出るとルイが言いました。


「私の宿はすぐそこ、はす向かいです。実は御両親から貴女にお土産を沢山持たされていて、中には生菓子もありますから今晩お渡ししておきたいのですが……」


「ええ、いいわ。宿舎に帰る前に寄って行きましょう」


 私はルイと腕を組んで宿まで歩いて行きました。少々驚いたような顔をした彼の頬を軽くつつきました。


「私たち、王都ではこうして並んで一緒に歩くことなんて出来ないもの」


「確かにそうですね」


 ルイが宿の部屋に置いていた私へのお土産を持ち、私はルイに見送られて宿舎に戻りました。


「明後日の休みが楽しみだわ、ルイ。お休みなさい」




 私は翌日一日仕事でしたが、仕事の後はルイの宿に直行し今度は宿の食堂で夕食をとりました。再び夜遅くなり、彼に送ってもらって宿舎の部屋に戻りました。


「また明日ね、ルイ」


「はい」


 ルイは私の額に軽く口付けると宿に帰って行きました。部屋に入った私は着替えをしようとしていたところ、扉を叩く音がしました。ルイが何か言い忘れたのかと思い、すぐに扉を開けてしまいました。


「ルイ、どうしたの?」


 私の部屋から漏れる薄暗い灯りに照らされた訪問者の顔は不機嫌そのものでした。彼のそんな顔を見たのは初めてでした。


「お前な、誰か確認もせずに何いきなり扉開けてんだよ! 恋人のあのオッサンじゃなくて悪かったな! 俺が強盗か暴行魔だったらどうする?」


「ケン……」


 ケンは大声でいきなりまくし立てています。彼の言う恋人とはもしかしてルイのことなのでしょうか。


「お前、もう少し自分を大切にしろよ!」


「ケンこそ、何そんな大声上げないでよ、今何時だと思っているのよ!」


 ケンは部屋の前に居る私を押しのけてずかずかと上がりこみ、扉を閉めてしまいました。


「緊急事態だから入らせてもらう。どうせあのオヤジもこの部屋に招いているんだろ?」


 何がどう緊急なのか分かりません。


「ルイのことオヤジとかオッサン呼ばわりしないで!」


「父親くらいの歳の男をオヤジと呼んで何が悪い? お前な、仮にも侯爵令嬢さまだろ? なんで平民の冴えないオッサンと付き合わないといけないんだ? 同年代で……貴族でなくても、平民でもお前にもっとお似合いの男がいるだろーが!」


「よくも言ってくれたわね、ルイを侮辱するなんて許せないわ! 平民だってどうして分かるのよ、決めつけないで。それに冴えないオッサンって何なのよ!」


 私も黙ってはいられません。




***ひとこと***

ケンが激しく誤解しています。お約束のような気もしますが……二人共頭に血が上っていて言い争いになっていますねー。

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