第三話 新生活


 荷馬車に揺られながら私は何か言おうとして思わずケンに聞いてしまいました。


「ねえケン、貴方は時々用心棒の仕事をしているって言ったけれど、本業は何をしているの?」


 あまり根掘り葉掘り聞きだすのも失礼かと思いましたが、彼に興味を持ったのは確かです。


「ペルティエの街の材木屋で働いている」


 彼は力仕事をしていたのでした。しかし、日々木を切ったり運んだりしているだけでは複数の山賊をあっという間に倒すことは出来ません。ケンに関する疑問はまだまだ残っていましたが、これ以上深入りはしないことにしました。


「そう。私は来週から『フロレンスの家』で働くことになっているの」


「ああ、聞いているよ」


 『フロレンスの家』は家庭内暴力などで行き場を失った被害者を保護する施設で、孤児院や託児所も兼ねている非営利団体です。


 王都にも同じ名前の施設があって、というか王都の方が元々の本家なのです。以前王宮医師として働いて居た時に知り合いに施設を見学させてもらい、興味を持ちました。それから私は時々無報酬でそこで手伝いをすることもありました。


 その後、ペルティエ領の施設の方で医師を探しているという話を耳にして思い切って応募したところ、採用が決まったのです。これが私がはるばる王国西部に引っ越すこととなった理由です。


 それからはペルティエの街に着くまで、ケンと他愛のない世間話をしました。


「民間で働くのも初めてなら、引っ越しも一人暮らしも、何もかもが初めてなの、私。だから不安で一杯だわ」


「まあな、お前もまだまだ若いから初めてのことが沢山あって当然だ。色んな経験を積むのは良いことだよ」


「貴方は私のことを若いって言うけれど……先程の賊は私のこと、年増呼ばわりしていたわよね。あれでカチンときて思いっきりあの男の腕をひねることができたわ」


「つくづく失礼な奴らだったよなぁ。それでもアイツら、俺まで売り物にしたかったからこんな浅い傷だけで済んだわけだし。ラッキーと言えばラッキーだよな」


 私のことを若いと言ったケンですが、聞いてみると実は私と同い年で数か月先に生まれただけでした。私より何歳か年上だと思っていたのに、それは少々意外でした。


 最初はただ能天気なだけに見えた彼ですが、山賊と対峙した後に話してみると色んな人生経験を積んでいる人だと感じられたのです。


 ペルティエの街に着いてすぐ、ケンは私に断って街の警護団に寄りました。山道に縛られて転がっている山賊達を捕まえてもらうためでした。ケンは警護団の皆さんを良く知っているようです。私のことも皆さまに紹介してくれました。


「アレックス、こちらはペイヤー団長と警護団の皆だ。こんなむくつけき男共だけど、実は良い奴ばかりで、この街の治安の良さは彼らのお陰と言っても過言じゃない」


 警護団の団長、ペイヤーさんは両親の年代よりも少し若いくらいで、体格の良い強面こわもての方でした。


「また山賊が出たのか。奴らもケンの荷馬車を襲ったのが運の尽きだったな」


 彼らはすぐに私たちが襲われた現場に向かってくれました。




 それからケンは私を『フロレンスの家』の職員用宿舎まで送ってくれました。緊張が解けたのか、再び彼は歌い出しています。


「王都発の乗合馬車おりた時からぁ~、ペ~ルティエ領は雪の中ぁ~♪」


 こじつけた歌詞に思わず吹き出してしまいました。


「ふふふ、雪なら王都の方が余程降ると思うけど」


「流石、お医者様だけあって細かいな。それにしてもお前の笑顔初めて見たよ、アレックス」


 私は彼のそのニヤリとした顔に不本意ながらドキッとしてしまいました。




 今日からの私の新居である宿舎に着くと、腕に怪我をしているというのに、ケンは荷物の大部分を部屋まで運んでくれました。


「この独身寮を出て、新居を建てる際には是非ともミショー建材を贔屓ひいきにしてくれよな。じゃあゆっくり休めよ、アレックス」


 ケンはそう言って去って行きました。私は両親とルイに無事にペルティエ領に着いたとだけ文を書きました。余計な心配をさせたくなかったのです。両親に山賊のことを知らせるな、何の報告もするな、とケンには口止めをしたのですが、どうしても譲ってくれませんでした。


『俺のことを信用して雇ってくれた御両親に嘘をつくわけにはいかねぇよ。高額の報酬も既に頂いているのに』


 私が隠し事をするだけで嘘ではないと何回も繰り返したのに、聞いてもらえませんでした。ケンはかなりの頑固者ですが、筋を立てる律儀な人だと私も心の奥底では感心していました。


 ソンルグレ総裁にただ紹介されただけの彼を両親がどうしてそこまで信頼するのか不思議でした。けれど彼を雇うことにした両親の判断は正しかったのです。ただ、両親もルイも私が山賊に襲われたと聞くと大層心配することは分かりきっていました。




 そして私の新生活は始まりました。職場に挨拶をして、生活に必要なものを揃え、私は来週からの仕事に備えました。


 今まで侯爵令嬢として生きてきた私ですから、職員用宿舎での生活は戸惑うことも多かったのです。それでも食事は施設の食堂でとることができたし、洗濯も施設でしてもらえました。


 宿舎に暮らしている他の職員にも分からないことは素直に聞くようにしました。家族が心配していたのはそこでした。私が平民ばかりの環境でちゃんとやっていけるのか、ということです。最初苦労することは目に見えていました。


 ケンはなんと私の様子を時々見に来てくれました。幸いなことに彼の腕の傷は感染症も起こさずに綺麗にふさがりつつありました。ケンは荷馬車で来ると、私を街に連れ出してくれて、必要なものを買うのに付き合ってくれました。彼のことは既に気軽に何でも話せる相手として私は認識していました。


 何と言っても、他に誰も知らない新天地で初めて出来た知り合いでした。


「ケン、こうして私の様子を見て、買い物を手伝うことまで両親に頼まれているの?」


「それは違うよ。お前の置かれている境遇も分からないことはないし、街で買い物なんて今までしたこともないだろ?」


「いくら私が貴族令嬢だからって、買い物くらい出来るわよ。貴方もお仕事忙しいのでしょう? でも本当はとても助かっているの、ありがとう」


「お前みたいな世間知らずのお嬢様が市場に行っても、いいようにボられるだけだからな。財布の中身は見せるな、手持ちの金額も言うな、とりあえず値切れ、それからな、物にもよるが金貨で買い物するな、銀行か信頼出来る人間に予め銀貨と銅貨に両替してもらっておくんだ……」


「あまり沢山のことを一度に言わないでよ!」


 ケンは私にペルティエ領で生き抜くための技を色々と伝授してくれました。庶民の彼がどうして貴族の私が犯してしまいそうな間違いが分かるのか、不思議でした。お勧めの食堂や、何をどこで手に入れればいいかも一通り教えてくれました。



***ひとこと***

ケンのお陰でペルティエ領に無事に着き、アレックスの新生活は順調な滑り出しをみせています。さて、ペルティエ領と言えばあの方々のゆかりの地ですね。

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