第二話 山賊退治


 ルイの優しい声はどこからともなく聞こえてきて、私の頭の中だけで響いていたようでした。


「ルイ……」


 泣きわめいても何も解決しないことは分かっていましたが、涙が出てきそうになりました。


『羽交い絞めにされた時は全体重を掛けてしゃがむのです。落ち着いて慌てずに。そして片方の腕をこのように持って、相手の脇の下から後ろに回って……』


 彼の声はそう続きました。ルイは博識な上に剣の腕も相当なものなのです。彼は私の兄と弟に剣の基本を教えただけでなく、私には簡単な護身術の知識をつけてくれていました。それまで動転していて賊の言うなりになっていた私は我に返りました。


 私は自分自身に落ち着いてルイの言う通りにしろと心の中で言い聞かせました。そして大きく深呼吸をした私は、ルイの教えてくれたように関節技を使ってみました。練習で何度もやっていたので体が動きを覚えていました。


「な、何だ? イデデデ……このアマッ」


 賊の弟分は私に腕をひねられると、あっという間に地面にうつ伏せに倒れました。私は彼の手から短剣も奪います。


「急所に蹴りを入れられなかっただけましだと思いなさいよ!」


「オイッお前、何やってんだよ!」


「あ、兄貴ぃ……」


 その隙にケンは立ち上がり、私たちに気を取られていた兄貴分へ体当たりしました。その男はケンの不意打ちによりうめきながら地面にあっけなく倒れています。


 ケンが私の所へ駆けつけてくるので、私は足で弟分の腕の付け根を押さえ、左手は彼の腕を捻ったまま、右手の短剣でケンの手首を縛っている縄を切りました。自由の身になったケンは弟分の腕を更に捻り上げ、彼の手足を器用に縛っています。


「良くやった、アレックス。コイツら全員を縛ってからすぐ出発するぞ」


「え、ええ」


 私は安堵でその場にへなへなとへたり込んでしまいました。ケンは手際良くあっという間に山賊たちの手足を縛りました。


 私はガタガタ震えている体を彼に支えられながら、荷馬車まで急ぎました。そしてケンはすぐに荷馬車を発車させ、その場から逃げることが出来ました。しばらくは二人共無言でした。


「アレックス……怖い目に遭わせたな。けれどお前のお陰で助かったよ。用心棒として雇われたのは俺なのに、面目ない……」


「私こそ……油断していて、あ、貴方の……足手まといになって……う、後ろから男が荷台に乗り込んできたのにも気付かずに……ごめん、なさい……」


 私はまだ体が震えていました。歯の根も合っていませんでした。片手で手綱を握るケンに肩を抱かれていました。


 普段なら知り合って間もない男性にこんなことをされると馴れ馴れしい、と突き放す私です。けれどその時は恐怖からか、不思議と彼の温もりがとても心地良く感じられて、安心出来ました。少しずつ体の震えも収まってきます。


「お前が謝る必要なんてないよ。ペルティエ領に着くまでお前と荷物を守るのが俺の役目なのにな……ここに傷まで……」


 私の肩を抱いている方のケンの手が私の頬をそっと撫でました。


「傷?」


「ああ。お前がしゃがんだ時に短剣にかすったんだろう。御両親のポワリエ侯爵夫妻に会わせる顔がないよ、俺は」


 無我夢中だった私は頬に怪我をしたことなど気付いていませんでした。


「こんなかすり傷なんて……それよりケン、貴方の腕よ! 大変、血が……」


 私は慌てて荷台に飛び移り、私の診察用の鞄を探し、再びケンの隣に戻りました。


「大丈夫だって、着いてからでいい。なるべく早くペルティエの街に入って、警護団に通報したいから」


「馬車は止めないでいいから、出来るだけのことはするわ」


 私は手綱を取っている彼のシャツを脱がせ、傷口を常備している滅菌水で洗いました。


「お、おい、アレックス、ドレスが濡れて汚れるだろーが!」


「汚れたドレスは洗えます。傷口からばい菌が入って感染症になったら大変よ。良かった、傷は大きいけれどそう深くないわ」


 私は清潔なガーゼを当て、包帯を巻きました。


「はい、これで大丈夫よ」


「悪いな。何から何まで。お前の傷も洗えよ。跡が残ったら大事だろ」


「えっ? ああ、そうね……」


 ケンが少し赤くなっています。そこでやっと私は彼が上半身裸なのに気付きました。しかもシャツを脱がせたのは私です。


 確かに医者として患者の体を診ることには慣れています。しかし、彼の逞しい体も赤くなった顔も直視出来なくて何となく気まずい雰囲気になってしまいました。


「あの、このシャツは破れてしまったし、着替えがあるなら……私が貴方の鞄を開けても良ければ荷台から持ってくるわよ」


「いや、いいよ。ペルティエの街まではもう四半時もかからないから。着いてから着替える。そのシャツをまた着せてくれるか?」


「はい」


 ケンの体に直接触れないようにシャツをそっと肩に掛けました。一旦意識し始めるとどうしてもだめでした。ケンが片方ずつ腕を袖に通したので、なるべく冷静なふりを装ってボタンを留めます。


「それにしてもな、びっくりしたよ。お前がいきなり関節技なんてさぁ……てっきり深窓の御嬢様だとばかり……人は見かけによらないって本当だ。賊の奴もそれで油断したな」


「私に護身術を教えてくれた人がいるのよ。初めてだったけれど実戦でちゃんと役に立ったわ」


 私は首に掛けている魔法石をドレスの上からしっかり握りました。この魔法石は魔術師の母が作ってくれたものでした。ルイとお揃いなのです。私の石はルイの瞳の色である薄い茶色で、彼のは緑がかった茶色で私の瞳の色です。


 母は少し魔力を込めたと言っていましたが、私は今までただのお守りと思っていました。私は心の中でルイに助けてくれたお礼を言いました。


「俺達二人がこうして旅を続けられているのもお前の機転のお陰だよ。今日のお前の付き添いだって高額の報酬を前払いで御父上のポワリエ侯爵からいただいていたのに。俺って情けないな……まだまだ修行が足りねぇって思い知らされたよ」


「そんなことないわよ。賊をほとんど倒したのは貴方でしょう。私、素人だけど貴方の剣の筋や立ち回りはただ者じゃないなって分かったもの」


「……いや、俺はタダの平民だよ。時々用心棒や護衛の仕事もしているだけでさ」


 私は納得していませんでした。いくら用心棒だと言ってもあの動きは特別な訓練をしていないと出来るはずはありません。


 シャツを脱がせた時にも見ましたが、彼の逞しい体は普通に力仕事をしているだけの人のものではないと分かります。それに彼は先程修業が足りなかった、と言いました。用心棒なら修行ではなく鍛錬と言うでしょう。彼は本当は何者なのでしょうか。


 しばらく私とケンと間には沈黙が流れました。山賊に遭うまでずっと歌っていたケンも、黙り込んでいます。荷馬車と馬の蹄の音だけが辺りに響いていました。




***ひとこと***

ケンの腕とルイの声に助けられてピンチを脱出したアレックス。ケンのことに大層興味を持ったようです。さて、彼の素性は一体?

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