第2章 細工師『鉄鋼主君(アイアン・ロード)』

 作務衣の上に、丈の長い漢服を纏う。黒地に銀糸で、龍の刺繍をほどこしたもの。腰の位置では、細いチェーンを一巻き巻いている。

 左手には指輪。人差し指に経文が彫られた物、小指には小さな宝石で花をあしらった物。右手首には、蛍を意匠化したブレスレットをつけていた。

 長い髪は後頭部で一つにくくり、馬の尾よろしく自然に垂らしている。布のくつを履いて、庵の裏に出た。

 そこにあるのは、いわば洞窟。

 いつもは鉄や宝石などの、細工の素材を集める場所である。しかし、方術を修めた仙人にとっては、もう一つの使い途があった。

 入口に立ち、印を結ぶ。


「“紺玉洞こんぎょくどう、それは地の働きにて玉を結ぶ洞穴どうけつである。故にそこには五行が満ち、どこへも繋がる駅となる。今ここに我が道を拓く”」


 地遁ちとん動径自在どうけいじざい


 地の力を借りて自身の行きたい場所、行くべき場所への“みち”を拓く遁術(移動術)である。

 印を結んだまま、洞窟を進む。

 壁の材質がコンクリートに変わり、そしてその形も長方形へと変形していった。やがて、目の前には階段が。上っていくと、そこは人でごった返す中華街だった。

 左右を見渡し現在位置を把握した徹斎は、おもむろに足を踏み出す。向かう先は、一軒の雑貨屋。漢服姿の店主が、カウンターの奥で、黒い丸眼鏡を押し上げながら迎えてくれる。


「これはどうも、ご無沙汰しております、徹斎様」

「ご無沙汰だねご主人。預けていた例の物を取りに来たんだが」


 店主が苦笑いしながら応じる。


「派手にやらかしましたな。騒がしくてかないません、早く黙らせてきていただけませんか」

「いやぁ、失敗だった。代わりと言っちゃなんだが、これを納めておいてくれ」


 取り出したのは、緻密な作りの風水盤。水に浮かべると、様々なことが占える。


「期待しております。……お求めの品はこちらですね」


 カウンターの下から取り出したのは、一つの指輪。紅い、菱形の宝玉が輝く、龍の意匠の逸品である。

 受け取るなり、徹斎はそれを中指にはめる。


「また返しに来るわ、そん時にお菓子でも。……あ、方々への連絡もお願いするぜ、その分の代金はつけといてくれや!」

「……またのご来店、お待ちしております」





 店を出るなり、徹斎は足を止めた。

 開いた手の甲、先程の指輪を見つめる。

 耳に飛び込んでくる人のざわめき、毒々しいほどの街の色。

 それらの情報が、集中に合わせて、ゆっくりと遮断されていく。

 瞬間。

 グッと手を握る。

 そこからは一瞬の出来事。

 ボウ!!

 指輪が燃え上がる。

 紅い焔が手を伝い、肩に向かって這い上がっていく。

 焔に呑まれたブレスレットが、青緑の光を放つ。

 バシンと手首から飛び立って、徹斎の背でエネルギー質の翅となる。

 地を蹴った。

 宙を舞う青の混じった焔塊。

 隕石と化した徹斎は、直感の導くまま、一直線に空を飛んでいった。





 暗い路地裏。

 ビシバシと、肉を殴る音が響く。


「ぐぶっ……も、やめ……」

「うるせぇ!」

「誰に口利いてんだっ! あぁ!?」


 ひとりの人間を、五人ほどの男達が囲って、一方的に蹴りつけている。


「このっこのっ」

「ごべっ も……ゆるじで……」


 無表情にそれを眺めていた男が、スッと手を上げる。その中指には、黄色い龍の指輪が鈍く光っていた。

 男達が引く。指輪の男は、ゆったりと歩み寄っていく。


「なぁ、分かるだろ? オレだってこんな事したくねんだわ。スマートに行こうぜ」


 しゃがみ込み、ボロボロになった男の顔を覗く。


「このオレ――――白面公主はくめんこうしゅ様の言いたいこと、黒道(中華マフィア)の一頭領にまで成り上がったあんたなら、分かるだろうよ?」


 血だらけの髪を掴み、力の入らない頭を持ち上げる。


「オレの配下になったら、あんただって美味い汁が吸えるんだぜ? オレの方針で動きさえすれば、ほんの少しの上納金さえ納めれば、お前の事務所をブチ壊したあの力で守ってもらえるんだよ。ケンカだってオレが矢面に立ってやる。な? いい話だろ?」


 首を振る力も無い、ボスの男。半分飛びかけた意識で、必死に頷く。


「交渉成立だ」


 ドチャリと崩れ落ち、意識を飛ばしたボスを尻目に、指輪の男――――白面公主は立ち上がった。白のスーツでまとめた小綺麗な肩を震わせ、笑いを必死にかみ殺している。


「これで…… これでやっとオレの時代だ。仙境の片隅で時機を伺っていてよかったぜ! まずは財を手にするんだ。それから強力な宝貝を買いあさり、最強の土竜軍団を形成する! そうすればもう、万事オレの思うがままだ。もう誰にも、オレは止められ――――」


 ガァァァァン!!


 白面公主の眼前に、燃え盛る隕石が落ちた。人の形をした、焔を纏う隕石が。


「見つけたぜ」


 隕石が立ち上がる。


「返してもらおうか、オレの宝貝」

「――――てめぇ『鉄鋼主君アイアン・ロード』!!」


 呼ばれた徹斎は、居心地悪そうに肩をすくめる。


「別に鉄の王なんざ名告なのってねぇ。そんな大仰な名前、オレじゃ名前負けしちまうっつーの」


 白面公主を見やると、欲望でギラつく視線を向けて、徹斎の全身をなめ回すように見つめている。


「歩く宝物庫が飛んで来やがったぜ。頭の先から足の先まで、世に二つと無い宝貝がくっついてやがる。『炎竜サラマンドラの指輪』に『完防漢服アブソリュート・ゼロ』、『韋駄天沓ヘルメス・シューズ』に『創地操鉄ミスリィ・アイアン』まで……」


 五人の取り巻き達が、ジリジリと広がり、徹斎を包囲する。


「分かってるよなぁ!?」


 その一声で、一斉に飛びかかった。

 しなる剣撃

 岩割る鎚撃

 隙を突く毒矢に、うなる拳

 ……その全てを、焔の壁が呑み込んだ。

 攻め手がギョッと飛び退けば、残るは手のひらを差し出した徹斎のみ。

 二鈎剣にこうけん大戦鎚だいせんついも、攻気を纏っていた拳さえ、焼けて使えなくなっている。

 苦悶の絶叫が響いた。

 興味なさげに口を開く徹斎。


「戦闘は得意じゃねぇ。どちらかと言えば術士寄りだし、なんならただの職人さ。攻術の類よりは、元素を操ったり物を取り寄せるような補助術式の方が得意なのには違いない」


 もはや相手にならないと、徹斎の瞳は白面公主にのみ向けられている。


「だがな、こと、道具の扱いに限るなら、オレの右に出る者はそういねぇ。どこぞの器用な妖怪猿か、天界の太上老君たいじょうろうくん、それから燃灯老人ねんとうろうじんくらいなモンじゃねぇ?」


 腰からチェーンを外す。ひょいと宙に放った。


「だからよ―――」

「マズッ!?」

縛妖索ばくようさくか!?」


 チェーンは蛇のように動き回り、五人の取り巻きを一斉に縛り上げる。


「―――諦めてイチから修行し直しな」


 黙ったままの白面公主。その顔は前髪に隠れて見えない。


「……うるせぇなぁ」


 叫ぶ。


「うるせぇんだよ!!」


 激情に持ち上がった顔は、今の一瞬で白骨へと変じていた。


「百年修行してそれが何になる!? 大抵の仙人だって、足りない力は宝貝で補ってやがる。なら強い宝貝を持つ者こそが強者だろう!? 大人しくその力、オレに渡しやがれぇぇぇえええええ」


 指輪が光る。

 足許から地面が盛り上がり、白面公主の身体を覆ってゆく。

 白面公主は『骸骨騎士スケルトン・ナイト』とでも呼びたくなるような変身を遂げていた。

 それは、宝貝の本来の力を上回るもので。

 百年の修行は、白面公主に世界有数の才能を育ませていた。

 才能を持つ者が優れた道具を扱ったからこその、途轍もない出力。

 この状態であれば、天界の最高戦力たる哪吒太子なたたいしとも正面からやり合えるだろう。

 宝貝の能力で生成した、鋼の槍を構える。

 堂に入ったその構えが、百年の修行の重みを思い知らせる。

 血の滲むような百年来の穂先が、ピタリと徹斎の心臓を狙う。


「あばよ『鉄鋼主君』!!」


 致死の一撃が心臓を襲う……!


 ―――しかし。


「悪いな、オレには届かねぇ」


 バチャリと、槍がはじける。

 徹斎に触れる寸前に穂先が溶け落ち、重力を失った水銀のように、徹斎の周りを揺蕩たゆたっているのである。

 徹斎の人差し指で、経文を彫り込んだ指輪が光っていた。


「お前の敗因は、ほんの小さな一つの事実さ」


 焔の右手を振り上げながら、ポツリと告げる。


「……己の力を、信じ続けてやれなかったことさ」


 ゴキリと、白面公主の首から異音が響く。


「……クソ」


 白面公主は、掠れゆく視界の中に、一つの道のみに邁進する、あるいは固執する人間の、力強さを見た。

 ドシャッ

 ボロボロ崩れゆく土の鎧。

 そのそばにしゃがみ込み、徹斎は指輪を抜き取る。

 立ち上がりざま、しみじみと口にしたことは。


「……毎度思うが、コイツらなんでこんなに力を持ちながら迷っちまうかねぇ。これまでの道中懸けたモノを思えば、その先だって己に懸けてナンボだと思うが……」


 クルリと踵を返した。

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