Bravery night

「そうと決まれば、まず最初に……っッ!?」

 身体強化の魔術を唱えるより早く、ゴブールの小柄な肉体がその場から消えた。

 いや、本当に消えたわけじゃない。正しくは、跳んでいた。立ち幅跳びの要領で身体を弓なりに反らしながら、こちら目がけて一気に跳躍してきたのだ。

 そして瞬く間に僕の目の前まで迫ると、ゴブールはその手にしていた鉄の棍棒を振り下ろす。空中にいながらの、ハンマーアタック。

 爆発音とも聞き紛う暴音が、鼓膜を障る。衝撃波と共に飛んできたアスファルトの破片が、すんでのところで回避した僕の頬やジーンズを掠っていく。


「これがあるから、気をつけなきゃいけないんだよね」


 ゴブールの特徴というべき、見た目にそぐわぬ抜群の身体能力。実戦経験を積んでいない頃の僕達もほとほと困らされたものだ。

 異世界では戦闘経験や魔術の習得などを経るうちに、たちまち訓練の準備運動の一貫で犠牲とされてしまう程の雑魚モンスターに成り下がったのだけれど。


「異世界の時よりも、威力が増してる?」


 記憶が確かであれば、ゴブールの攻撃はここまで強力じゃなかった。

 たとえ攻撃を貰ったところで、せいぜいオモチャのバットで叩かれる程度(それでも痛いけど)だったのに。


「あんなの喰らったら一巻の終わりだって」


 小さく毒づいた直後、僕めがけてゴブールの棍棒が再び振られる。

 左から右へと空中を横に薙いでいったその隙に、すかさず詠唱!


勇壮なる鎧インヴェール・アルマ


 身体強化の魔術によって、微かな温もりと共に全身が青白く光る。

 前回よりもスムーズかつ効率良く発動出来ているのは、訓練で少なからずコツを掴めた成果に違いない。

 とはいえ、悠長に思考する隙を与えてくれるほど、魔物だって阿呆じゃない。

 今度はいつの間に左右両サイドの壁にまで移動していた二体のスライミーが、挟み込むように同時に突進。強力な酸を纏った挟撃も、しかし魔術のバフがかかった状況ともなれば心配無用。直ちにバックステップで、一瞬にして十メートル程後ずさると、僕が元いた場所でスライミーが仲良く衝突してへなへなと地面に堕ちてしまった。


「勢いさえ注意すれば、軌道は一直線だからね……『光華の戯れイグネス・ヴァーティゴ)』」


 気絶したスライミーの後ろで次なる攻めの姿勢に入っていたゴブール目がけて、小さな光の球体を投げつける。

 しかし身体能力の高いゴブールは、いとも容易くそれを躱してしまう。

 けれども、そこまで届いた時点で、術は成功したも同然で。


「ゥ、ウボォッ!?」


 キーンと耳鳴りの音と同時に、小さな光球が弾け、圧縮されていた光が拡散する。

 光球が弾ける直前で背を向けていたので断定は出来ないけど、聞こえてきた短い呻きから察するに、無事ゴブールの目の前が眩しい白光に包まれたはずだ。


「魔力で作ったスタングレネード……魔王軍の精鋭には通用しなかったけど」


 普通の魔物相手ならば十分に通用する。それが分かっただけでも大きな収穫(じしん)だ。

 魔力のコントロールは未だに順調。今ならまだ数分以上は戦える上に、十分に展開出来る。

 一瞬の油断が命取り――戦闘訓練の教官が口酸っぱく忠告していた台詞を脳裏に反芻させながら、更にバックステップを重ねたところで、僕はもう一つの本命の魔術を唱える。


「ローヴェンティアの円環より袂を分かち、いざ我とともに灰隔絶離の下にて戯れん――『隔絶されし庭園アディーオ・アウレッタ』」


 前口上を添えて無事唱えきった刹那、術者を中心に一つの波動が起こる。

 その見えない波は瞬く間に半球状に広がって、それに触れて呑み込まれた道路や建物、果ては上空に至るまで、何もかもが灰色に染め上げていく。僕の認識した対象を除いて。


「うん、練習通りに出来た」


 小声で自賛しつつ、突如灰色に変貌した空間に戸惑いを示す魔物を見据える。


「確かに驚くよね? こんな魔術珍しいし」


 何たって、ここは全てが停止し切り取られた空間。

 同じ場所であって同じ場所でない、いわば並行世界なのだから。

 咆哮を上げて、再び魔物たちが迫り来る。迷いはもう吹っ切ったようにみえる。

 だけど、それは僕だって同じ。


「ここでなら、気兼ねなく闘える……『炎舞の矢ヴェロス・フランマ』」


 すかさず炎の矢を虚空から召喚。その数十七本にも及ぶ数少ない手持ちの攻撃魔術を、僕は惜しげもなく一斉発射した。

 相手の魔物達もすぐに反応して、それまでの直進から一転、別行動へと切り替わる。

 一体のスライミーは近くにあった電柱から軒を連ねる店々を壁走りするように。

 もう一体のスライミーは、フェイントをかけるサッカー選手の如く、舗装路を左へ右へと滑らせながら。

 そしてゴブールは、持ち前のバネを活かして、アーケードの屋根付近まで高々とジャンプして。

 三者三様の動きにも気後れせず、僕は炎に包まれた矢の一本一本をコントロールして、魔物めがけて狙い撃つ!


 最初に、壁づたいに素早く移動していたスライミーに命中。二本三本と立て続けに当たり、お店の壁ごとボンという爆発音と共に木っ端微塵となった。

 続いて、ピンボールのように道路の両端を往復しながら迫っていたもう一体のスライミーに対して、道路を遮るように横一列に十本近くの矢を着弾させて爆発。

 直撃こそ免れたものの、熱と爆風によるダメージで深手を負ったのか、すっかり勢いを失くした相手に。


かまいたちの夜ウェンテ・チャクル


 とどめの一撃で完全にスライミーの息の根を止めて、すぐに顔を上げる。

 アーケードの屋根近くまでジャンプしたゴブールが、残っていた矢を全て躱し、右手の棍棒を振り上げながら、もう僕の頭上近くにまで迫っていたからだ。


(慌ててバックステ……いや、間に合わない!)


 避けられ着地点を失った炎の射手が、アーケードの屋根を次々と壊していく。

 破片を撒き散らす爆発音に負けじと、ゴブールが激しく猛り吠える。

 そして頭上高くまで上げていた必殺の一撃が、僕の脳天めがけて振り下ろされる!




 けれども、ついに直撃までには至らなかった。



『……疾光なる幻槍ランサ・デステーリョ


 ほぼ頭の真上にいたゴブールに差し向けた左の掌。

 そこから突き出るように顕現した五メートル以上はあるだろう長い光の槍が、絶叫し続けていた魔物の身体を貫いていた。

 万が一棍棒を投げつけてきた時に備えて、右手で簡易的な魔力盾を展開していたが、刺さった箇所が急所だったのか、それっきり動かなくなり、やがて綺麗に灰色の空に溶けるように霧散していった。


「これで魔物は一通り討伐完了、として……」


 安堵の息を漏らす事なく、僕は目的地へと踵を返す。

 だって魔物の退治は、あくまでもおまけに過ぎない。


「今夜の本命は、転移門こっちだしね」


 再び転移門を張り付かせたシャッターの前で立ち止まる。

 灰色に染まった世界に於いて、木扉だけは未だ鮮やかなチーク色を保っていた。


 術者ぼくと術者が認識した対象を、切り取られた並行世界の一部分へと転移させ、閉じ込めさせる。それが僕が異世界の研究や解析を経る中で習得した、唯一の特殊結界魔術『隔絶されし庭園アディーオ・アウレッタ』だ。

 ありとあらゆる全てが止まった灰色領域に転移した際、僕が認識したのは三体の魔物だけではなかった。

 この転移門もまた魔物同様に認識対象――つまり元の世界から転移させたもので。


「ここで壊せば、元の世界から消えるハズ」


 転移門に手を当てて、転移門を破壊する魔術の呪文を唱えていく。

 高等魔術の一つなので、さすがに前口上の詠唱が必要となるけど、詠唱の呪文自体は異世界で暮らしている間にきちんと記憶してある。


(腐ることなく日々真面目に取り組んでたおかげだよ、本当に)


 転生魔術を応用した、時空転移魔術の完成――それが僕を含む庶務二課の面々が、王宮魔術師と共に進めていた研究だった。

 三十八人の高校生を喚んだ、英雄召喚の儀式。時空間をまたいで僕達を異世界へと導いた転移転生の超高等魔術の仕組みを解析し、より効率且つ簡易的な空間転移魔術、ひいては異なる時空転移の魔術の完成を目指して、魔王軍との闘いの日々の途方も無い研究を続けていたのだ。

 その研究過程で転移魔術の解除や破壊方法も一通り学んできた。これらを知っているのは、異世界に飛ばされたクラスメイトの中では、庶務二課にいた僕と崎森さんだけ。


 そう……幸か不幸か、僕には出来てしまうのだ。

 自ら蒔き散らした不始末の芽を、自らの手で摘み取ってしまう事が。



『――ラテヴィ・エボ・アナスティエ!』



 最後の呪文まで唱えきった直後、目の前の転移門を淡い光が包み込む。

 やがて外枠に刻まれた文字が吸い取られるように消えたかと思えば、直後チーク色の木扉がどんどんと透過していき、数秒も経たないうちに消滅してしまった。

 どうやら無事成功したとみてよさそうだ。


「はぁ……ふぅ……危ない、ギリギリで持ってくれた……」


 転移門の置かれていたシャッターに背中を預けてから、ゆっくりと地べたにへたれるように座り込む。と同時に、展開していた結界を解除する。

 ゆっくりと僕の周囲に色が戻っていく。魔物との戦闘によって破壊された道路や建物も、結界が解けると同時に、すっかり元通りの姿を取り戻していた。

 だって、あくまで破壊されたのは転移先のありえたかもしれない灰色の並行世界であって、僕達の暮らす彩り豊かな現実世界ではないのだから。


「魔物と転移門を認識した上で結界を展開し、討伐・破壊……」


 なんてしんどい作業なんだろう。口ずさんでいて苦笑いが止まらない。

 しかし一般市民に被害が及ばないようにする為には、これ以外に思い浮かばなかったから。


「特訓や経験を重ねて、慣れていくしかないよね」


 本音を言えば、経験を重ねたくもなければ、この戦闘フローに慣れたくもない。

 願わくばこれっきり転移門が現れる事なく、穏やかな日々を過ごさせて欲しい。

 しかしこの転移門を壊した事で、それも叶わない夢となりそうだ。


「今の返事で、ある程度目星は付いちゃっただろうし」


 転移門を作り出したであろう、魔王軍の幹部に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る