束の間の平穏
破壊の限りを尽くす轟音の圧に、今すぐ鼓膜が破れそうだ。
鳴り止まぬ暴威の嵐を掻い潜り、避難所として開放された王宮の地下空間へと飛び込む。
己の無事に胸を撫で下ろしたの束の間、その先に広がっていたのはやっぱり絶望だった。
空間の至る場所に横たわる、人、人、人。その全てが攻撃によって怪我を負った者達だった。
兵士や魔術師を始めとする王宮関係者はもちろんの事、王宮周辺に広がる城下町の市井まで、老若男女問わず多数の人々が、血だらけの痛々しい姿を晒していた。
いや、怪我だけならまだいい。中には治療前に(あるいは治療の甲斐なく)事切れてしまったのであろう、顔を布で覆われた者も散見される。
「おいおいセナ、お前無事だったか?」
見知った魔術師の問いかけに、たちまち頷き返す。恐怖で返事が詰まってしまったからだ。
「無事ならとっとと手伝って! こっちはもう手一杯なんだから!」
怪我人の手当てを続ける魔術師の訴えに、返事よりも早く身体を動かす。
軽度の傷から骨折・内蔵破損の治癒魔法まで一通り習得した以上、力を貸す以外の選択肢なんて存在しなかった。
魔王軍によるレンヴァルド侵攻。その訪れはあまりに唐突過ぎた。
英雄達によって大幅に戦力を削がれてしまった敵達が仕掛けた最後の賭け《そうりょくせん》は、既に魔王軍の手に堕ちていた周辺諸国の領土を用いての緻密な囲い込みに加え、王宮内部に潜み続けていた裏切り者達の手引きも相俟って、一晩のうちに国土の大半を魔王軍の手に堕ちてしまったのだ。
幹部総出且つ相討ち覚悟の、まさに文字通りの総力戦。幸い覚醒を果たした英雄達によって王宮内における重要な拠点は、総じて敵襲を凌げているらしい。それでも、魔王が引き連れてくる魔物の物量が圧倒的すぎる。今でこそ拮抗しているものの。
「このままじゃ、ジリ貧となるのも時間の問題だ」
怪我人の治癒を施しながら、ひどく苦い想像に歯噛みする。
そして自問する――僕も何か力になれないだろうか。一緒に召喚されたクラスのみんなが最前線で必死に戦っているというのに、このまま安全な場所に篭もってばかりでいいのだろうか、と。
「……あるには、ある、か……一つだけ」
脳裏に過ぎったのは、この地下空間の奥の奥……誰からも使われていなかった、忘れ去られた部屋に描かれた、一つの巨大な魔法円。
それは僕や崎守さんを含めた庶務二課の面々で極秘裏に進めていた、ある高等魔術の解析研究から導き出した、一つの可能性。あくまで可能性であって、今の状態で果たして実用出来るかどうかも甚だ怪しい。
成功の保証はおろか、下手をすれば自分を含めて味方側にも莫大な被害を及ぼしかねない。
再び地上の方から爆音が轟く。天井の壁が軋み、上からパラパラと小さな瓦礫が落ちてくる。その間にも怪我人は次々と運ばれてくる一方で、いよいよ地下空間すらも安全の保証は見えなくなりつつあった。
「このまま……大人しく待つなんて……」
僕には出来ない! 決意が固まると同時に立ち上がる。
一か八かやるしかない。この状況を覆す可能性に賭けて。
激しい暴力の音が天井の壁越しに鳴り響く。
揺れる。揺れる。視界に映る世界が、小刻みに揺れる。
けれども、周りの人々は気にした素振りを全く見せない。
そうしている間にも、ますます揺れが激しくなってきたぞ?
というか……揺れるというより、揺さぶられている?
あれ? これじゃまるで――
「おーい、もしもーし! 生きてるかー!」
次に耳をつんざいたのは、沈んだ意識を飛び起こすには十分過ぎる程の、痛快な目覚ましボイスだった。
「ずいぶんと長いお昼寝だったな。ハハッ、寝グセまで付いてら」
帯刀くんの苦笑いに、ばっと目を覚ます。瞼を開けた先には、代わり映えしない教室が広がっていた。
あれから結局徹夜で起き続けて、モーニングコーヒーの力も借りて登校までは無事漕ぎ着けたのだけど。
「今日は一時間目始まってすぐだったな。気持ちよさそうに寝息立て始めるの」
「ごめん帯刀くんもしかして気を悪くさせちゃった?」
「まったくだ。こちとら十時間ぐっすり眠ったせいで、退屈な授業中全然寝れやしない」
「強制的に眠らされる魔術が使えたら、お詫びにかけてあげるのに」
「おっと、それだけはマジ勘弁。魔物達に散々浴びせられた身としちゃ、軽くトラウマで――」
「こら、そこの二人! いつまでもお喋りしない!」
冗長な会話をピシャリと断ち切る、壇上からの冷たい一太刀。
顔を上げてみると、そこには一人の女子が、机に両手を置いたままムスッとした表情で僕を睨みつけていた。
「瀬名くん、だっけ? 本当に凄いわね、貴方って。狸寝入りでもなく、一時間目から堂々と眠れるなんて」
視線を合わせるなり、お褒めの言葉が飛んでくる。それが皮肉である事は、声音からも十分に察せられた。
「あっちでは力になれなかった上に、こっちでは最初から力になろうとすらしない……瀬名くん、貴方の辞書に『協調』という言葉は載ってないのかしら?」
「ご、ごめん……井澤さんの言う通り、気が緩み過ぎてるね。気をつけるよ」
壇上から放つ女子学級委員――
その間に、チラリと黒板に書かれた文字を見やる。どうやら来月から始まる体育祭の出場種目の選手決めの真っ只中らしい。
「……ん、まあいいわ。元の世界に戻った以上、貴方にだって色々と事情はあるんでしょうし」
やれやれと肩を竦めると、井澤さんはズレてしまったらしい眼鏡をクイッと上げて、再び話の本題へと戻していった。
「相変わらずだな、凍てつく女帝も」
「三城くんと井澤さんの学級委員……最強のコンビだよね」
「あっちじゃ常に俺達を動かしてた二人だし、なるべくなったと言うべきか」
帯刀くんのぼやきを聞きながら、壇上に立つ井澤さんを見やる。
首元まで黒髪のロング。前髪をカチューシャで留めたデコ出しスタイル。そして眼鏡。
「絵に描いたような委員長キャラだよね」
「ま、実際の委員長は男子なんだけどな」
井澤さんが一歩引いたのと入れ替わるように、もう一人の学級委員である
案の定というべきか、元の世界に戻ってからも相変わらずそのカリスマぶりを見せる三城くん。
しかし、そのリーダーシップぶりに嫌味や文句をいう者など、少なくともこの教室内にいるはずがなかった。
異世界におけるクラスのまとめ役にして調整役をほぼ一手で担っていた三城くん。そのすごさは訓練の途中までしか一緒に加わっていない僕でもはっきりと覚えている。
異世界に飛ばされるや否や、先頭に立って異世界の情報収集を積極的に行ったのを皮切りに、王宮での訓練では教養、武術、魔術、そのいずれも常にクラスで一番をキープし続ける有り様。加えて知識を飲み込むのも貪欲で、ものの数日で異世界の文字も読めるようになった結果、講師に教わる前に一部の魔術を習得してしまい、王宮の魔術師を驚かせていたっけ。
「僕はいち早くこの世界に適応し、魔王を倒すという目的を果たして、必ずや元の世界に帰ります」
異世界での訓練前に行った自己紹介で力強く語った、三木くんの言葉を思い出す。
今にしてみれば、あれは彼なりの宣言だったのだろう。
実際、三木くんは魔王を倒す為に努力を惜しまなかった。そして実際の魔物達との戦闘に於いても、自らリーダー役を買って出て、最前線で戦闘を行いながらもクラスメイトへ全員の特徴を把握し、戦術の指示出しを行うなど、秀でた陣頭指揮能力を発揮し続けてみせた。
そしてとどめは、彼が英雄覚醒後に顕現してみせた『
兎にも角にも、魔王軍を壊滅半ばまで追い込めたのは、彼個人の努力と能力に依るところが大きい。僕だけでなくクラスの誰もが、そう思っているに違いない。
それだけ、この三城翼という男子は、この1年E組における紛れもない英雄――英雄中の
もっとも、元の世界に戻れたのは彼のお陰ではない。
それを知っているのは、僕だけなのだけど。
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