Another Story


「んんっ……よし、予習終わりっと」


 復習を兼ねた宿題と予習を一通り済ませて、僕は椅子の上で大きく伸びをする。

 そのついでに、今の時刻も確認する――午前一時を少し回ったところか。


「……そろそろ寝たかな?」


 両親は基本的に日付が変わる前には寝るし、妹だって明日も学校があるから、さすがにもう眠りに就いているはずだ。

 既に私服に着替え終えていた僕は、ジャケットを羽織ると、物音を立てないように静かに家を後にした。


 四月下旬といえども、深夜の時間帯の肌寒さは一向に改善の兆しを見せてはくれない。

 舗装されたアスファルトを一歩踏みしめる度に、口から薄白い煙が吐き出されていく。

 しんと静まり返る住宅街に、今僕だけが生の音を鳴らしていた。


「そういえば、あの時もこんな風だったっけ」


 無事成長を果たした英雄達の快進撃によって窮地に追い込まれた魔王軍が、王宮へと直接奇襲・侵攻してきた、事実上の最終決戦。あの日も、直前までは全てが寝静まったかの如く静かな夜だった。

 ただ違う点を挙げるとするならば、あちら側の夜空の方が大小の星々が満天に広がって輝いていたという事くらい。


「今にして思えば、嵐の前の静けさだったわけだけど……っと」


 目的地を前に、一旦足を止める。そして目線を上げて、今一度場所を確認。


「『六塚商店街』……もし女子達の話が間違ってなければ……」


 商店街名の記されたアーケードの入り口を見上げたまま、僕は再び歩き出す。

 駅からも住宅街からも程近いがゆえに日中は賑わいを見せるアーケード街も、この深夜の時間帯ともなるとシャッター街に様変わりしていた。


「うわ、ここのコンビニ、深夜の営業止めちゃったんだ」


 戻って来た元の世界における世間の流れを再認識しつつ、ひたすら徘徊めいた散歩を続けていく。

 撫でるような春の夜風によって、下りきった店々のシャッター達がガタガタと足並みの乱れた不協和音を奏でる。不安や恐怖を煽る無機物の唸りに、僕は緊張感を保ちながら耳をすませていると。


 ジュッ、ジュッ――明らかに現実離れした異質の音が、僕の耳朶にぶつかってきた。



「……ずっと先の話だと、思ってたんだけどな」


 小さく息を吐き出してから、誰に向けるでもない苦笑い。行き場のない自嘲を零しながら、物音が聞こえる方角へと足を急がせる。

 一歩一歩進む度に、聞き覚えのある音は大きくなっていき、やがてメインストリートから外れた路地裏に差し掛かったところで、とうとう見つけてしまった。


 かつていた世界――オムリア大陸にしか存在しえないサッカーボール大のスライムが、この世界の地で優雅に闊歩している姿を。


「スライミー……まさかこんなに早く再会するとはね」


 あちらオムリアでの魔物名を口ずさんだ直後、魔物の動きがピタリと止まった。どうやら僕の存在に気付いたらしい。

 魔物の大きさや過去の経験則から、強さそのものは大した事はないは知っている。あちらの世界では、普通の一般市民ですら倒せる程度の弱さ。言葉悪く言えば、ゲームにおける『雑魚キャラ』的扱いだ。

 それでも魔物は魔物、少なからず警戒は必要であって――


「っッ!? まずい!」


 魔物が持ち前の弾力を活かして、僕めがけて勢いよく飛び跳ねる。

 僕も咄嗟に左側へ飛び、すんでのところで攻撃を避けたものの。


「やっぱり特徴はそのまま、か……」


 ベチャッと生々しい音を伴わせて、スライムが壁にくっつく。直後、へばりついた壁がスライムの纏う酸によってジュッと焦げついた。

 今ので確信した。紛れもなくこのスライムは、つい数週間前まで暮らしていた異世界に無数にいたハズの『スライミー』だ。


 スライムが次のアクションに移ろうとする刹那、頭の中で思い返す。この世界に帰ってきてから昨日まで、毎晩遅くまで欠かさず行ってきた訓練の内容を。


「大丈夫だ、大丈夫。こっちの世界でも、少しは使えるようになったじゃないか」


 自らにそう言い聞かせながら心を落ち着かせて、すっと目を閉じる。

 わかってたじゃないか、いつかこの日が来るって――声にならない声で呟いてから、僕は願うように唱えた。


『……勇壮なるインヴェール・アルマ


 口ずさむと同時に、身体が温かくなったのを感じる。それから間もなくして、身体の周囲が微かな青白い光に包まれていった。


「あっちの世界では、もっと強固な鎧が作れたんのに」


 基礎魔術の教養さえあれば特訓次第で誰でも覚えられる、最低限の身体強化魔術。

 零落者の烙印を押された僕ですら、召喚された異世界では全身から大量の魔力を迸らせて、まるでスーパーサイヤ人めいた状態までなれたというのに。


「やっぱりこっちじゃ、あまりに少な過ぎ……るッ!」


 ぼやきを遮るかの如く、スライミーの次なる突進が僕に襲いかかる。

 けれども、魔術による身体強化のバフによって、その果敢なる猪突猛進を呆気なく躱すと。


『……かまいたちのウェンテ・チャクル


 この空気中に存在しているはずの魔力元素エーテルを精一杯両手に集中してかき集める。やがて左右の手にブーメラン程の風の円月輪を一枚ずつ作り上げると、建物の壁にへばり着いたスライミーめがけてそれらを投げ放つ。

 綺麗な放物線状の起動を描く透明な二枚の刃は、壁から離れようとしたゼリー状の粘体へ吸い込まれるように向かい、そして呆気なく切り裂いていった。


 ぐぐもった呻りを零しながら、異質めいた魔物の肉体が霧散したかと思うと、あっという間に消滅していく。

 魔物の気配が完全に払拭されたのを確認して、僕はようやく肩の力を抜いた。

 けれども、胸のつかえまで取り切れたわけではなくて。


「そんな……かまいたち一発だけで、魔力切れを起こすなんて……」


 夜の特訓を通じてある程度予測していたとはいえ、ここまで扱い方が難しいものだとは思わなかった。

 あちら側の世界とこちら側の世界とでは、魔力の源であるエーテルの量にかなりの差がある。当然後者の方が圧倒的なまでに少ない!


「術の訓練だけじゃなくて、もっと効率的な魔力の運用方法を考えないと、か……」


 確かめるように自省の呟きを漏らしつつ、壁にくっきりと残った黒焦げの一点を見つめる。

 魔物こそ消滅したものの、壁に残した爪痕までは色褪せはしない。幸か不幸か、変色の範囲はそこまで広くはない。このまま残ったとしてもほとんどの人々が気づかず素通りするだろうし、仮に気付いた人がいたとしても、せいぜい不審火の跡だと思われるのが関の山だ。


「でも、どうにかするしかないよね……」


 だってこれも、僕自身が撒いた種。

 この世界に戻るのと引き換えに背負う事となった、代償なのだから。

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