第14話 百人に一人の美女が、同窓会で、中学受験組のブスに嫉妬する理由
安井恵梨香(やすい えりか)は、わずかに差し込む朝日で目を覚ました。
恵梨香の部屋は、隣のアパートの影になっているから、朝でも部屋に届く日光はわずかだ。
こういうところが、気分が沈む原因なのではと・・ふと思う。
些細なことではあるが、以外と馬鹿にならない。
人の心はそういう細かいことに以外と影響を受けるものだ。
昨日の自身の行動もそうした結果の産物だったのだろうか。
先程まで隣に寝ていた男を脳裏に浮かべる。
初めは、副業のネットワークビジネスのカモにするつもりだった。
社会経験がない医者のボンボンなど騙すのは優しく思えた。
もちろん、医者だから、全て金持ちという訳はない。
だが、恵梨香の周り・・・とういうよりこれまでの人生で、そういう人々と接点はない。
だから、テレビなどで描かれるイメージからしか想像できない。
男・・城田と言ったか・・その雰囲気は、しかし想像通りだった。
小学校のクラスに少数ながらいた者たち・・塾に行き、中学受験をした者たちがまとう雰囲気、要は恵梨香とは違う世界に生きている人間たちが醸し出す空気をまとっていた。
実際、中学受験をした同級生たちとは卒業後、関わりを持つことはなかった。
言葉でうまく表現できないが、そう言った雰囲気を持つ人間たちと、時折接する度に、恵梨香は嫉妬と蔑視の入り混じった苦い思いを胸に抱く。
学生時代はそうではなかった。
むしろそういう人間たちを馬鹿にしていた。
だが、成長するにつれて、恵梨香は気づいてしまう。
日本には、厳然たる階級があると・・・
薄々気づいていたが、それがはっきりと認識できるようになったのは、ここ数年だ。
こないだもそのことを強く認識される出来事があった。
地元に残っている中学生時代の友人が、久方ぶりに連絡してきた。
どうやらフェイスブックで繋がった小学生時代の同級生たちと同窓会をするから、こないかという誘いだった。
対して仲の良い友人もいないし、そもそもラインで連絡してきた当の友人も、顔さえ思い出すのが難しいほどの間柄だ。
だが、行く意味はあった。
営業先の開拓だ。
まだ・・というよりも、連絡先すら知らないから、小学校の同級生たちには接触していなかった。
かくして、恵梨香は20年ぶりに、再開することになる。
別の世界の人間たちと。
集まりには、地元に残っている者たちがほとんどだった。
残っていると言っても、恵梨香が生まれ育った町は、一応広い範囲で考えれば関東圏に位置するから、東京に行くのはたやすい。
それでも、東京で暮らしている者は驚くほど少ない。
恵梨香を除くと、都内を拠点にして働いているのは、数人だ。
それは、全員、恵梨香が15年ぶりに再会した中学受験組の面々であった。
それ以外でも、一度は、東京で暮らしていたものは何人かいた。
だが、すぐに地元に戻ってきた。
理由は、恵梨香が現在抱えている問題と同じだろう。
地元に残っている面々と話すと、だいたいが同じような状況だった。
みな恵梨香と同じように、大企業に勤めている。
もっとも、それは、大企業の関連グループの末端社員、契約社員、パートという長い注釈をつける必要があるが・・・
恵梨香の故郷は、周辺の隣の街と驚くほど景色が似通っている。
高速道路に直結する幹線道路沿いに、誰もが知っているチェーンの飲食店、家電販売店、衣料服店、パチンコ店、が立ち並ぶ。
そこから、少し離れた場所に、大型のショッピングモールがある。
地元民の大半は、生活の全てをこの範囲ですます。
遊ぶのも、物を買うのも、そして働く場所も、ほとんどはこの中で完結する。
だから、彼ら彼女らが話すことはこれまた驚くほど似通っている。
地元に残っている小学校、中学校時代の同級生たちの近況・・恋愛話、近くに出来た店の話、バイト先の愚痴、たまに地元以外の話が出るとすれば、テレビで話題になった芸能関係の話。
恵梨香は自分が高校時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われた。
よく言えば変わっていないということだろう。
だが、あれから10年以上経っているのに、変わっていないのは果たしてよいことなのだろうか。
中学受験組の同級生はこの集まりに二人、いずれも女性しかいなかった。だからという訳ではないが、隅の方で、目立たず、二人で話していた。
恵梨香も、決して、地元組と仲が良い訳ではない。
ひとしきり、昔話に話を咲かせた後は、今の地元話に突入し、話題に入れなかった。
楽しそうに酒を酌み交わす面々を前に、わかったようなわからないような微笑を浮かべるだけだ。
別にこのままでも良かったのだが、男性陣の姿が、視界の片隅に映る。
どうやら、恵梨香に話かけようとしているようだった。
カモを見つけるためにわざわざ地元に着たのだから、この展開は、恵梨香にとっても好都合のはずだった。
だが、店について、小一時間・・・早くもうんざりしていた。
これ以上より気分を害するであろう者たちと接したくなかった。
同級生の話を聞くたびに、「お前も俺らと同じなんだよ」と言われているようで、それが恵梨香の心をかき乱していたのだ。
自分は、ここにいる同級生たちと同じレベルだと考えたくなかった。
こんな寂れた地元にへばりつき、一生をここで、おそらくたいした仕事にもつけず、たいした男も見つけられず、少ないお金で日々をしのいで、気がつけばいい年になっている・・・なんて人生はまっぴらごめんだ。
そんな親を見ていたから、物心付いてから、ずっとそう思ってきた。
だから、学校卒業後に、地元を離れたのだ。
だが、その結果がこれだ。
恵梨香は、あれだけ忌み嫌っていた地元に舞い戻っている。
そればかりか、そんな見下していた地元の面々に媚びへつらい、自分の顧客になって貰おうとしている。
そんな自分の覆い隠すことができない現状が頭にチラチラと浮かんでは、頭の隅に追いやる作業が先程から続いていた。
自分は、あの人たちとは違う・・こちら側の人間なんだ・・
テーブルの端にいた中学受験組の女性二人に声をかけたのは、そんな思いからだった。
だが、恵梨香の想いは、すぐに裏切られることになる。
彼女たちと恵梨香との共通点は、東京に住んでいるということ以外、ほとんどなかった。
交流している友達、遊ぶ場所、仕事の内容、日々の生活、そんな他愛のない話をしているのだから、たいした違いなどあるはずがない。
しかし、彼女たちの話の端々に、恵梨香はどうしようもなく嫉妬してしまう。
それは、恵梨香が、文字通り、這いずり回りながら、東京にしがみついている生活とは、まるで別物なのだ。
「今度の休みは海外に行こうと思っているんだけど、休みがなかなか取れないんだよね」
恵梨香も、海外には行ったことがある。
とはいえ、最近はめっきり行っていない。
去年、格安航空を使って、一回だけ、韓国に行ったことがあるだけだ。
目の前の女性たちは、海外旅行に行き慣れている風だった。
別にこの一点だけをとれば、たいしたことではないように思える。
海外旅行に行っているから凄いという時代ではない。
それは恵梨香もわかっている。
だが、一時が万事こうなのだ。
つまり、彼女たちは、恵梨香よりも、口に出す話題も、交流している人間も、遊ぶ場所も、全てが洗練されているのだ。
決してそれがいやらしく感じさせずに、自然体なのが、また恵梨香の嫉妬心を刺激する。
こんなことなら、話しかけるんじゃなかった・・・と恵梨香は早くも後悔していた。
彼女たちと話をして、自尊心を回復するのが目的だったのに。
これでは、まだ、地元民と話していた方がマシだった。
その後のことはよく覚えていない。
まだ数日しか経ってないのに、あやふやな記憶しかないのは、酒のせいではない。
恵梨香の無意識~いや、嫌な記憶から自分の心を守るためと認識しているのだから、意識的か~が、想い出すことを拒否しているのだ。
既に朝日が大分登っているはずなのに、相も変わらず部屋は薄暗いままだ。
「ふうう・・」
脳裏に宿る嫌な記憶と部屋の薄暗さ、さらに視界の片隅に映ったダンボールの山が、さらに恵梨香の心を沈ませた。
このまましばらく寝ていようか・・という誘惑に抗えたのは、ベッドにいた男の残り香が鼻腔をくすぐったからだ。
臭い訳ではないが、どうも落ち着かない。
別に、この部屋のベッドで寝た男は昨日の男が初めてという訳ではない。
両手で数えるくらいにはいるが、日は大分空いている。
久しぶりに、見知らぬ他人の匂いを身近に感じて、恵梨香の心は少しざわついた。
その心を鎮めるためなのか、半ば無意識に、恵梨香はベッドから起き上がる。
フラフラとした足取りで、玄関横にある洗面台兼浴場に足を向ける。
ここで、チクっと感じた痛みが恵梨香のふらついた頭を覚醒させる。
本当は、独立洗面台が良かったのに・・・
この部屋を選ぶ時に見た家賃の価格と同窓会にいた中学受験組の女性二人の顔が、脳裏に浮かぶ。
そして、頭の中で混じり合う。
もう、チクリどころではなくなっていた。
かさぶたを取ったように膿が、心を侵食する。
小さく息を吐き出し、洗面台の鏡に写った自分を見つめる。
綺麗・・
恵梨香は美人だ。
それは誰もが認めるはずだ。
だが、この外面上の美しさが、今を作ってしまったのではと、最近思ってしまう。
今の現状・・・あの同窓会の時のような立ち位置・・中途半端な自分。
そう。恵梨香は実に中途半端なのだ。
彼ら彼女のように、地元に残って、そこそこの生活を送ることに満足できない。
それは、恵梨香のプライドが許さない。
そして、そのプライドを形作り、大きくしてきたのは、恵梨香の外見なのだ。
小さい頃から、誰からも優しく扱われた。
周りを見渡せば、それは当たり前のことではないとわかった。
恵梨香は、その他大勢よりも、明らかに、大事に、価値あるものとして扱われていた。
他の孫には冷たい祖母も、恵梨香にだけは優しかった。
両親の素行に、眉を寄せていた小学校の教師も、恵梨香には、その偏見を向けなかった。
他の同じような家庭の子供には、両親に向ける眼差しと同じ、恐れと蔑視の視線を向けていたのに。
二次性徴を迎えた中学以降は、大人だけではなく、同級生からも特別扱いされた。
そんな扱いをずっと受けてきたら、当然自分は特別だと思うだろう。
そうでなくても、人は自分を世界の中心だと思うのが普通なのだ。
多くの人間は成長するにつれて、その想いと現実とのギャップに苦しむ。
たいていは、中学、高校時代にその葛藤に苦しみ、やがて妥協することを学ぶ。
自分は特別だという想いを抱えながらも、その他大勢の一人として扱われる現実と折り合いをつけていくのだ。
そして、その方法も、だいだい同じだ。
現実を縮小し、その中で自分を特別視するという方法。
家庭を築くのも、その延長線上だろう。
広大な世界に対して、自分に特別な価値があると認めさせることができるのは、一部の・・・本当の一部の人間だけだ。
たとえ、出来たとしてもその状態を維持するのはさらに難しいだろう。
自分に対する想い、期待を縮小するというのが、ある意味一番簡単だ。
自分は特別ではない、その他大勢の一人、七十億分の一に過ぎないと客観視するのだ。
だが、本当に心の底からそのように納得できる人間などいるのだろうか。
恵梨香は、その外見のおかげで、中学高校と、自分は特別だと思い込んだままでいられた。
確かに恵梨香は美しい。
だが、それは唯一無二ではない。
生まれ育った郊外では、目立ったのかもしれない。
それは単純な数学の問題だ。
恵梨香の美貌が百人に一人いるかいないかの価値があっても、首都圏に済んでいる人間は数千万人いる。
さして、珍しい存在ではない。
それでも・・・恵梨香が別の価値を見出していれば、また違った道があったかもしれない。
・・・しょうがないじゃない・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます