第13話 振り込み詐欺なんかに騙されるバカな高齢者より俺の方がはるかに生きる価値があるはずだろう?
近くの喫茶店で時間を潰し、ホームに立っていた。
どうするべきか悩んでいる。
どちらの選択をするべきか。
数回の電車を見逃した後、決断を下した。
東京方面の電車に乗ることにした。
要は会社に行くことにしたのだ。
自分でもこの選択肢を取ったことは驚きだった。
城田は混雑する社内で、この選択肢を選んだ理由を考えていた。
今の気分は決してよくない。
それなのに、何故会社に行くのか。
責任感から・・という訳では当然ない。
休むのに逡巡することも今ではなくなった。
ラインを一本上司に送るだけだ。
だとすると、自分は会社に行くことにある程度のメリットを感じている・・ということになる。
少なくとも、今日家に帰るよりはマシ程度には。
休むか、行くかという選択を自由にすることができるようになった今だからこそ、会社に行くことにそれほどのストレスを感じなくなった。
もっとも、前からその選択は自由にできたはずで、変わったことといえば城田の心の持ちよう以外ないのだが・・・
そう別に自由に行動できるのだ。
定時に帰ろうと思えれば帰れる。
上司に怪訝な顔を浮かべられるが、ただそれだけだ。
物理的に、城田の肉体を椅子に縛って帰るのを止めることなどできない。
休みを取るのだって、自由にできる。
有給休暇だけで40日もある。
休みを取っても、給料すら変わらない。
今までそんな自由を自ら制限していたのは、将来を、未来を、これからも変わらない日常が続くという前提の下、それが最善だと判断していたからだ。
だが、状況は変わった。
その判断は、今や最善ではない。
自由に振る舞う事の方が、最善だと、城田は判断しただけだ。
自由に振る舞うことにしたのにもかかわらず、なぜ城田は会社に行くのか。
それは、城田が会社で楽しみを見出したからだ。
今まで遠慮ゆえに出来なかったことを好きにしたら、周りがどんな反応をするか、それを見てみたいという欲求だ。
既にその一部はやり初めている。
定時で帰る、いきなり休むといった行為がそれだ。
今日も出社した時から、そのゲームを早速行う。
始業時刻のわずか数分前に何食わぬ顔で、事務室に入る。
いつもは、始業時刻の三十分前に事務室にいることが、暗黙の了解だ。
「えっ」という顔をした同僚と上司を横目で見る。
涼しい顔をして、「おはようございます。」と一声かけて、自分の席に座る。
上司は何かを言いたそうだったが、やはり何も言わない。
いや言えないのか。
始業時刻になり、部の朝礼が何事もなく始まる。
朝礼が終わり、各自散開になり、タバコ組は、喫煙室に向かう。
移動中、勝田から声をかけられた。
「城田さん。なんかあったの?」
「えっ・・なんでですか?」
「いや・・最近変じゃん。こないだもいきなり定時で帰っちゃうし。急に有給も取るしさ」
勝田は、周りに聞かれないよう声をひそめる。
「いや・・特に何も変わってないですよ。」
「そっか・・まあ・ならいいけど。変ににらまれたら、面倒だからさ」
心の中で苦笑してしまう。
定時で帰る、休みを取るのが変なのか。
変なのはそのことを常識として疑うこともせずに従っている者たちだ。
もっとも、城田もその一員だったのだから、勝田を笑うことはできないのだが。
事務室に戻ると、付箋がパソコンに貼られていた。
客から電話があったらしい。
付箋を書いた同僚に聞くと、聞き覚えのある客の名前だった。
先日、振込手数料を聞かれた際に、こちらから電話を一方的に切った老女だった。
どうやら、三十分後に来店するという電話だったそうだ。
こないだのことに対するクレームか。
それも面白いな。
と即座に感じた自分が可笑しくなり、一人ニヤついてしまう。
ひたすら反論せずに、謝罪するということが嫌なのであって、そうでないなら、別にクレームもそんなに苦ではない。
むしろ、客が感情的になっているところを冷静に見るのは面白いかもしれない。
感情的になっている時、人は無防備になるから、よりその人の本質が見える。
仕事中に、一人ニヤニヤしながら、そんなことを考えている自分はかなりオカシクなっているのか。
それともマトモになっているのか。
ただ、少なくとも、前よりは楽しいのだから、今の精神状態の方がいいだろう。
そう・・・当面の間は。
六十過ぎの女性がローカウンターの席に座っていた。
例の客だ。相変わらず、小奇麗な服に身を包んでいる。
「白木さん。今日はどうされました?」
「ああ・・城田さん。こないだは突然電話しちゃって。申し訳なかったわね。あんなことは窓口の女の子に聞いた方が良かったわね。」
どうやら、クレームではなかったようだ。
この客は、いやずっと専業主婦をやっていた人間は、やはり世間ズレしている。
未だに、銀行員をいや、男のという枕詞が付くが、エリートとして捉えているのだから。
現実の世界と20年はずれている。
そんなことを思った後、クレームではないのなら、何のようで来たんだ・・と疑問を抱いたところ、客の口からすぐに答えが返ってきた。
「今日はね。おたくから送ってもらったこのお手紙の件で来たのだけど・・」
客がバックから取り出したのは、城田の銀行が手当たり次第に客に送っている金融商品の勧誘のチラシだった。
資産運用商品、いわゆる投資信託の販売は、城田の仕事~ノルマ~ではない。
だが、紹介して成約に至れば、城田の人事評価にプラスになる。
「投資っていうのはやったことがないけれど、今は貯金しても金利がねえ・・昔は良かったわよ。城田さんはご存知ないかもしれないけれど、前はちょっと預けていただけで・・」
客のよくある昔話を聞き流しながら、さてどうするか・・と考えていた。
こんなにカモネギ客は滅多にいない。
以前の城田なら、考えるまでもなく、「白木さん・・実は今こういう商品がありまして・・」と適当な投資信託を勧めていただろう。
だが、今の城田はそんなことはしたくなかった。
もちろん、目の前の客を思ってという訳ではない。
単純に面白くないからだ。
もっとも、城田の本心とは別問題に、勧誘しないことはこの客のためにはなるだろう。
なにせ、客に売りつける投信信託はたいてい手数料だけが高いクズ商品なのだから。
別に城田が務める銀行が特別という訳ではない。
良心的な商品を探す方が難しいほどだ。
そういう中味がないものは、たいてい名前だけは立派だ。
目の前に貼られた投信信託の名前には「安心人生」「堅実設計」など耳障りの良い熟語で彩られている。
選挙の時に貼られるポスターの美辞麗句のような安っぽさが漂うが、こんなものに騙される者も少なからずいるのだ。
目の前の客のように、振り込み詐欺に騙される高齢者のように、ググれば五秒で答えがわかる問題を人に聞いてくる上司のように・・・
そう・・・こんな愚かな人間ばかりなのに、なぜ自分が・・
瞬間、怒りがまたも払底する。
ちょうどその時、何かの検査のためか、城田の後ろの事務室のスペースに支店長が立っているのが視野に入った。
支店長が近くにいることに気づいた城田は、わざと大声で話す。
「投資信託をご希望ということですけれど、わたしたちが販売する投資信託は全くオススメできませんよ。」
「えっ・・そうなの。でも私のご近所さんでもけっこう銀行で投資信託を買っている人は多いわよ。」
「いやその方たちは本当にお気の毒ですね・・バカ高い手数料を銀行に払っただけで数十万は損してますよ。」
城田は馬鹿にしたような含み笑いを浮かべる。
「そう・・なの・・で、でも城田さん。全部が全部そんな商品という訳ではないでしょ」
「いえ、全部そうですよ。残念ながらオススメできる商品はありません。私だったら間違いなく買いませんよ。」
城田は、後ろにいる支店長の顔を想像し、笑いを堪えるに苦労した。
「・・・そう・・わかったわ。でも・・城田さん・・・私が心配することじゃないけれど、そんなこと正直に言って大丈夫なの」
客は気まずい顔を浮かべている。
城田の後ろにいる支店長〜いかにも上司といった恰幅の良い中年男性〜を目の端で見ているようだ。
「ええ。大丈夫ですよ。前まではこんなに正直には言えなかったですけどね。お上の方針が変わって、お客様のためになることをやれって指示が出てるんですよ。」
城田はそう言って、おもむろに首を傾げる。
案の定、すぐ後ろで、支店長が目を見開いて、城田を睨んでいる。
「ああ・・支店長こちらにいらっしゃったのですか。ちょうどお客さんに先日支店長が朝礼でおっしゃられていた話をしていたんですよ。」
まさか話かけられると思っていなかったのだろう。
数秒固まった後、支店長は客に目礼をして、そそくさとその場を離れた。
城田はいつも偉そうにしている支店長の情けない姿に客の前にもかかわらず思わず笑ってしまった。
笑いを咳払いでごまかしつつ、客の方に体を向き直す。
「申し訳ありません。支店長は多忙なようで・・話は戻りますが、白木様。まだ購入をご希望ですか。」
客はしばらく視界を中空に漂わせて、しばし何かを考えているようだった。
そして、視界を城田の方に戻し、じっと見つめてきた。
客が次に発する言葉は当然予期したもののはずだった。
しかし、違った。
今度は、城田が先程の客のように口を半開きにして、唖然とすることになった。
「・・・ええ。決めたわ。おたくの銀行で買うことにしたわ。」
一瞬、城田は耳を疑った。
この客は自分の話を聞いていたのか。
聞いてはいたが、理解できなかったのか。
いや・・・いくらなんでもそこまで愚かではないだろう。
頭の中で、客の言葉の真意を考えていたが、そのどれもが間違っていた。
「こんなに正直に話してくれる銀行なら、信用できるわ。」
いや・・信用云々の問題ではないだろう。
単純に金銭の問題だ。
城田の銀行で買うよりも、経費がかからないオンライン上で同様の商品を購入する方が、はるかに安くつくのだ。
そして、この客が買おうとしているのは、物ではない。
単なる金融商品だ。
それに、運用する会社は城田の銀行ではない。
銀行は窓口となり、売っているだけだ。
旅館の中の自販機で買うより、同じものが半額以下の値段で隣のスーパーで売っているのなら、そこで買うだろう。
「あの・今井さん。わたくしどもを信用して頂けるのは大変ありがたいのですが・・お持ちのスマートフォンで検索して見てください。はるかにお得な商品がいっぱい・・」
客は城田の言葉を遮り、片手を煩わしそうに降った。
「ネットとか機械とかは私弱いのよ。この年だし。そういうのはわからないわ。それより、こんなに正直に話してくれる城田さんのような人がいる銀行さんで買った方が安心よ。」
呆れて何も言えなかった。
この客は、城田を信用している訳ではない。
単に、新しいことを学ぶ意欲がないだけだ。
それに年齢は関係ない。
生き方の姿勢の問題だ。
そんな情けない自分自身の姿勢から目を逸らしたいがために、単に年齢を言い訳にしているだけだ。
成長をする気がない人間、学ぶ意欲がない人間、変化を拒む人間など生きている意味があるのか。
やはり・・こんな愚かな人間たちよりも自分の方がはるかに価値がある。
そう自分の方が断然生きる価値があるはずだ。
なのに・・・現実は逆だ。
やり場のない怒りが胸に充満する。
先程、支店長に嫌がらせをして、スッキリしたはずなのに、まるで払拭できていなかったようだ。
このままでは、また爆発してしまう。
いや爆発させた方がいいのか。
こんな客に・・こんな会社に気を使う理由・・利益などもうたいしてないのだから。
「なんであなたのような何も考えていない人がこんなに長生きできるんですか?」
ささやくように、ボソリと城田はつぶやいた。
ここ数日ずっと思っていた言葉だ。
この客というよりも、その他大勢の者に対する投げかけだった。
客は城田が発した言葉を理解できなかったようだ。
キョトンとして城田を見ている。
城田はフラフラとその場から立ち上がった。
客が「え・・ちょっと・・」と言っているのが後ろから聞こえた。
だが、振り返らずにそのまま事務室を後にした。
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