第3話 精霊を探せ!
あっという間に一週間が過ぎた。
三日かけて行われる創世祭の予行や、後夜祭で踊るサイロス流ダンスの練習、貴族の晩餐会出席など最低限の公務をこなしながら、合間に火の精霊の遺跡を探すも収穫はまったくなし。
他の遺跡の位置から計算した結果、本島の北にある火山島に遺跡があることはわかっているのだが、火山の上をカオウと飛んだり山の中を歩き回っても、ツバキの中にいる水の精霊はまったく反応しないのだ。
「本当にこの島なの?」
昼過ぎに頂上から中腹まで山を下りてきたツバキは木陰に座って休んでいた。連日の探索で疲労が溜まっている上、日焼け防止のためとはいえ長袖長ズボンはつらい。
ギジーを肩に乗せたトキツが島の地図を開く。彼は日焼けなど気にしないが武器を隠すため半袖の外套と長ズボン、ブーツをはいてこちらも暑そうだ。
「何度も計算したから間違いないって陛下が言ってたけど」
オリュンポスという名の島は一周三十キロメートルほどで、本島側の海沿いには約五百世帯が住んでいるらしいが、ほぼ手付かずの島だ。
地図から目を離して火山を見上げる。
威風堂々とそびえ立つそれは、三百年前噴火したきり休止しているという。
「火口に行けば何かしらわかると思ったんだけどなあ。前みたいに祠が鍵ってわけでもなさそうだし」
サイロスはかつて精霊信仰が禁じられ、祠が破壊された州。今はジェラルドの命令ですべて修復されており、地図に記載されたそれらを探して片っ端から触ってきたが、何も起こらなかった。
「やっぱり火の精霊だから火山にいるっていうのは安直なんじゃないの?」
ツバキが右足を両手でほぐしながら言うと、トキツは額の汗を腕で拭いながら答える。
「水の精霊が湖にいたなら、火の精霊は火山の中ってことは十分ありえるだろ」
「火山の中なんて想像したくないのだけれど」
「湖の中でもちゃんと呼吸できたからたぶん大丈夫さ」
「最後は溺れそうになったじゃない」
見つけたところで無事に帰れるかしらとツバキの不安が増したとき、周辺の魔物に聞き込みをしていたカオウが帰ってきた。
半袖シャツに半ズボンという非常に涼しげな格好をしたカオウは、ツバキから水筒を受け取って隣に座る。
「だめだな。この辺の魔物も精霊なんて知らないって。そもそも精霊がいた時代から生きてるやつがいない」
「そう。地図にある祠は今日で全部まわり終えたし、もうどこを探せばいいのかわからないわ。それとも、ただ触るだけじゃだめだったのかな」
ジェラルドから聞いたところによると、地の精霊は門番のような魔物を呼んで遺跡に入ってから呪文を唱えて呼び出し、水の精霊の本拠地であるサタールでは、仲介役の魔物を通して事前に面会予約を取るそうだ。予約したのに当日断られたらしいが。
歴代の王が火の精霊とどうやって会っていたかは記録がない。
水の精霊がいればなんとかなるという考えは楽観的すぎたようだ。
「とりあえず今日は切り上げようか」
トキツに促されて立ち上がる。
悲鳴が聞こえたのはそのときだった。
「うわあああああ!」
子供の声だ。
「どこから聞こえたの?」
「ちょっと待って」
トキツが能力で周辺を探る。
「まずいな。倒れたまままったく動かない」
「早く助けに行かなきゃ!」
トキツを先頭に、カオウがツバキを抱き上げて急いで向かった。
人ひとりがかろうじて歩ける程度に
案の定、悲鳴の主である十歳くらいの少年は足を滑らせたようだ。周囲に山菜が散らばっている。
幸い気絶しているだけで、打撲はしているものの骨は折れておらず、ツバキは胸を撫で下ろした。
この島の子だろうと思い街へ行ってみると、住民たちは少年を抱えたトキツたちに気づくや否やわっと集まってきた。
ちょうど行方不明となった少年を探すため、捜索隊を組んで山へ入ろうとしていたところだったらしい。
そうしてツバキたちはサイロスで二回目の大歓迎を受けた。
それはもう、帰りづらくなるほどに。
ひっきりなしに新鮮な果物やら野菜やら魚やらを渡してくるのだ。持って帰るには相当の量なので、どうしてもお礼がしたいという母親の家で夕飯をご馳走してもらうことになった。
案内されたのは
夫婦と兄妹の四人家族で、夫は長期間の漁に出て不在だという。
「助けてくれてありがとう」
目が覚めた少年は硬い寝台に横たわったまま礼を言った。腕と背中、足に包帯を巻いているため痛々しいが、相当な高さから落ちてそれで済んでいるのは幸運と言えるだろう。
体は大きいがまだ八歳らしい。サイロスは総じて帝都の人間より大人っぽいようだ。
「どうして一人であそこにいたの?」
茣蓙に座っていたツバキが問うと、少年は寝台わきにしゃがんで心配そうに見上げる妹と目を合わす。
「喧嘩してひどいことを言っちゃったから、この子の好物……トビサを採ってきて謝ろうと思ったんだ」
今は亡き祖父からもらった大切なおもちゃを壊されて、つい怒鳴ってしまったと言う。
大きな花のついたゴムで髪を二つに縛っている可愛らしい四歳の女の子は、小さな手で兄の頬に触れた。
「おにーちゃ、いたい?」
「大丈夫だよ」
「おもちゃこわしてごめんね」
「
「……まだ、アニヤのこときらい?」
妹の目から涙がこぼれた。
少年は痛みに耐えながら左手を上げて、妹の頭を撫でる。
「大好きだよ」
「アニヤもおにーちゃが大好き」
妹は涙をこぼしたまま「えへへ」と笑った。
幼い兄妹の微笑ましいやり取りにツバキの顔も綻ぶ。
同時に、兄であるライオネルの顔が浮かんだ。
サイロスにいるからだろうか。最近つい彼について考えてしまう。
五人いる兄のうち、母親も同じなのはライオネルだけだが、最も関わりが浅いのも彼だ。
会うのはいつも兄妹全員が揃う場で、二人だけで会話した記憶はなく、サイロスに来て一週間経っても会えたのは一度きり。それも挨拶のみで終わったが、何年かぶりに一瞬だけ目があった。以降、必死に閉じた箱の蓋がズレてしまったように、どうにも落ち着かないのだ。
ふいに、ツバキの手にカオウの手が重なった。
顔を上げると、陽のような温かな眼差しが安らぎを与えてくれる。カオウがいれば寂しくないと信じた幼い日のように。
ツバキは手の平を返してそっとカオウと手をつないだ。
<私もカオウが大好きよ>
と思念で伝えると、虚をつかれたカオウが固まった。人目があるからか照れないように唇を噛むが、堪えられなくなったのかツバキから顔を背ける。
<……俺のが好きだし>
なぜか対抗するように言って、耳を赤くしたカオウはつないだ手を固く握った。
夕食の時間は互いの暮らしについて談笑しながら(ツバキは平民のフリをしているが)穏やかに過ぎていった。
島では床に座って食べる風習らしく、少年の寝台の横にひいた茣蓙の上に大皿を並べ、皆思い思いに好きな料理を自分で小皿に取っていく。
料理はさっぱりした味付けが多い。
ツバキが手伝った魚料理も、オリベルという植物性の油とレモン汁をかけただけだが、オリベル自体に旨味が凝縮されているためコクがあって美味しかった。
少年が妹のために採ったトビサはフキのような山菜で、砂糖漬けにしてヨーグルトと一緒に食べるそうだ。
一足先にお腹いっぱいになった女の子が、ツバキに抱きついてきた。
「おねーちゃ、絵本読んで!」
渡されたのは、子ども向けの可愛らしい絵が描かれた本だった。エメラルドの髪にエメラルドの瞳の、女性の人魚の絵。
「イリェーネ岬の伝説?」
「うん! 島でほんとうにあったおはなしなのよ!」
初めて読むわけではなく、お気に入りの絵本をツバキに読ませたいらしい。
「ああ、それは」と母親が口を挟んだ。
「サイロスでは有名な民話よ。岬の名前はその人魚の名前からつけられたの」
イリェーネ岬は元々オリュンポス山に連なっていた山だったが、始祖の時代に妖魔との戦いで崩れて現在の地形になったのだという。
絵本の表紙通り、花畑と湖が綺麗な場所だそうだ。
「湖にいる人魚ですか?」
「その人魚ももともとは海にいたのよ。でも湖でしか生きられなくなったの」
母親は哀れむように絵本の人魚へ目を落とした。
「人間になろうとした代償で」
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