第2話 サイロスへ
バルカタルの州の一つ、サイロスは帝都の南西から南に分布した大小多くの島々からなる。
地域は大きく分けて九つ。かつてはそれぞれ独立していたが、九人の首長が自ら始祖アーギュストの子に忠誠を誓い最初の従属国となった。また、始祖の森と接しているエーキリア海や南にはカルバル国もあり、バルカタルにとって歴史的にも政治的にも非常に重要な州だ。
気候は年中暖かく美しい海に囲まれているため、例年は他州から多くの観光客が訪れるが、昨年深刻な疫病が発生した影響から今がベストシーズンであるにも関わらず客はまばらだった。
という事情があるのか元からの島民性か、美しい白銀髪の皇女セイレティア=ツバキとその
「ようこそお越しくださいましたセイレティア様!」
島の女性たちから首に花飾りをかけられ、可愛らしい女の子から透き通った海のような青色のジュースを渡され、男性たちが夕陽と海をバックに雄々しい民族舞踊を披露しはじめる。
呆気にとられたのは、警戒する公用護衛二人の手をすり抜けた神業レベルの歓迎技術だけではない。
島民たちは全員実に開放的な格好をしていた。
男性は一枚の布を股下に通してズボンのように巻き、上半身は亜麻でできたベストのような袖なしの服を着ている者もいるが、大多数は裸。
女性は長いスカートをはいているが、両脇に大きくスリットが入っているため太ももががっつり露出しており、上半身は筒形の布で胸を隠しているだけで、肩や腹はまったくもって無防備だ。ツバキたち帝都から来た者からすれば、胸だけ隠すなど下着同然である。
事前に勉強していたとはいえ、本で知るのと実際に見るのとでは大違いだ。
ツバキと侍女三人は、目の前で踊る筋肉隆々の男たちの裸を見て赤面した。
すると突然、踊りに釘付けだったツバキの視界に不機嫌そうなカオウがぬっと入ってきた。
「もう十分だろ。早く行こう」
カオウは周囲に垣根を作っていた島民たちを追い払うと、ツバキの隣でぼうっとしていた女官アベリアの顔の前で手を振った。はっとしたアベリアは男たちから目を逸らし、こほんと小さく咳払いする。
「サイロス城の従者が迎えに来ているはずだけれど……」
見回してもそれらしき人物はいなかった。皆、色や柄は違っても似たような服装ばかりで、この中に貴族がいるようには思えない。
そうこうしているうちに、ドドンと太鼓を大きく打ち鳴らしたのを最後に踊りが止まった。
周囲から歓声が沸き、ツバキたちも――ツバキは途中から見られなかったが――拍手を送ると、踊っていた男性二十人のうち九人が近づいてくる。
その中で最も体格がよく、最も整った顔立ちの男性が胸に手を当て敬礼した。
なんとその男がサイロス州長官の従者で、他の八人も爵位を持つ兵士なのだという。平民に混じって踊っていたのだ。
「宮殿へご案内します。夕食の時間までお休みください」
爽やかに白い歯を見せたゴリマッチョ従者の言葉を合図に、背丈が一メートルほどしかない小さな象が五頭現れた。サイロスゾウという世界で最も小さな象で、見た目のわりに力持ちらしく、移動や運搬にと馬よりも身近な存在なのだそうだ。
愛くるしい瞳をした彼らの頭には宝石を編み込んだ飾りが、背には赤や黄で派手に染色された布と豪華な鞍が乗っている。
象の背に横乗りした女性陣を男性陣が囲う形で宮殿へ向かうことになった。
カリンの隣に付いていたトキツは、興味津々でこちらを見送る地元民たちを眺めて言った。
「サイロスは
こわごわ象に乗るカリンはトキツをちらと見た。
「トキツさんもサイロスは初めてでしたっけ」
「ああ。だけどこんなに景色がいいと知ってたら、もっと早く来てたのになあ」
確かにサイロスは自然が多く、空気も新鮮で海風も心地よい。
しかしトキツの視線の先には、胸の谷間を惜しげもなく披露する若い女性たちがいた。
カリンはキッと睨みつける。
「今回は他にも護衛がいるからって、気を抜きすぎじゃありませんか。皇女の護衛として恥ずかしい顔は控えてください」
「なんだよそれ。俺がいつそんな顔した?」
「鼻の下伸びてますよ。……いやらしい」
「なっ。カリンだって、男の裸楽しそうに見てたじゃないか。顔赤くしてさ。あんなんに興奮して、どっちがいやらしいんだか」
「変な言い方しないでください。私は純粋に踊りを楽しんでたんです!」
「どーだか」
「もういいから、ちゃんと姿勢良く歩いてください」
ツンと進行方向を向くカリン。
トキツはムスッとしながらも、自分より一回りは太そうな兵士の上腕二頭筋を羨ましげに見る。
どうやらサイロスの者たちは平均して体格に恵まれているようだ。最近バルカタルに屈したウイディラも大柄な人が多い印象だったが、サイロスはそれ以上。男女問わず背が高く、筋肉質な人が多い。
(いや、兵士には負けるが、俺だって脱いだらすごいんだ)
トキツは大胸筋を強調するように無駄に胸を張った。
サイロス州の宮殿は一風変わっていた。傾斜に沿って建てられた真っ白な外観は巨大な階段のようで、最上部にあるコバルトブルーの丸屋根以外は屋上テラスのような作りになっており、宮殿というよりリゾートホテルのようだった。
「うわあ。すっごくきれいですよ、ツバキ様!」
案内された部屋の掃き出し窓を開けたサクラは、好奇心を押さえきれずテラスへ出る。
宮殿に到着してすぐ魔法の絨毯で一足飛びにこの客室がある階まで来たのだが、予想より高層階にあるらしい。満点の星空と点在する街の明かりが一望できる。朝になれば、青い空と海がそれはそれは綺麗だろう、とサクラは嬉しそうに言った。
「見晴らしのいい部屋を用意してくれたのね、一応」
ツバキがため息交じりに低い声でつぶやく。
今回ツバキがサイロスに来た真の目的は火の精霊からイヴェをもらうためだが、表向きは皇女セイレティアとして創世祭へ参加するためだ。
だからこそ女官や侍女たち、公用護衛もついてきており、到着したのなら州長官へ挨拶するべきである。
しかしサイロスの州長官はライオネル=シオンだ。唯一の同母兄だが、仲は良くない。従者から多忙のため来られないと連絡を受けただけで、遠方から来たことへの労いも詫びの手紙もなかった。普通は形ばかりでも礼儀上一筆書くものだろうに。
「こういうときはカオウと出かけるに限るわね」
夜の街を上空から眺めれば気分転換になるだろう。
そう思い別室にいるカオウへ思念を送ろうとしたとき、アベリアからストップがかかる。
「セイレティア様。副長官から夕食の招待を受けております」
「わかっているわ。夕食のあとに行くの」
アベリアの眉がピクリと動いた。
「夜八時以降、カオウと二人きりになるのは禁止です」
「ちょっとくらいいいでしょう?」
アベリアの目がカッと見開いた。
圧がすごい。
旅行気分で浮かれきった男女が夜に出かけるなど言語道断だと顔に書いてある。
浮かれてなどいないと言いかけ、自信を持って言えず口を閉じる。
ちょうどカオウから<
ツバキに断られたカオウは、渋々トキツとギジーを誘って従者に勧められた飯屋に来た。
とりあえずサイロスで有名なティハ酒(穀物の蒸留酒にハーブを混ぜた度数の高い酒)とケイバ(スパイスをたっぷりかけた牛の串焼き)と刺し身の盛り合わせを注文する。
ティハ酒を一気に飲み干すと、さっそくカオウの愚痴が始まった。
「なんで俺が平民護衛なんだ!」
苛立たしく、木の実をくり抜いて作られたコップをドンッと置く。
「貴族じゃ自由に動けないだろ。ここにだって来られなかった」
トキツは仕事終わりの至福の一杯を味わってから言った。公用護衛二人はまだ仕事中だ。
「身分じゃなくて! なんで俺も護衛扱いなんだってこと!」
サイロスへ行くにあたり、皇女の付き人として申請されたのは女官一名、侍女三名、護衛四名、授印一頭。授印はギジーのことだ。つまりカオウは今回授印ではなく護衛扱い。今は私服だが、仕事中は軍服を着て規律を守らなければならない。
「護衛だからツバキに触るなって言われたんだ」
「ゾウに乗ってるとき支えるのを口実にベタベタ触ってただろ」
「部屋も別々に用意されたんだぞ。授印なら同じ部屋に泊まれたのに」
「だからだよ」
トキツは新鮮な魚に舌鼓を打ちつつ的確なツッコミを入れる。
そんなくだらない愚痴を聞いていると、ふいに店内が暗くなった。
奥のステージにパッと明かりがつき、夕方見た島民の服よりもさらに布面積の小さい衣装を着た女性たちが現れる。
「なんだあれ」
「食事中踊り子が来るって従者が言ってただろ」
踊り子たちは民族音楽らしい独特で軽快なリズムに合わせて踊り始めた。全員の動きは完璧に揃っていて腰飾りについた鈴の音まで乱れがなく、衣装は際どいが振り付けはいやらしくなく華麗で、芸術面に疎いトキツでさえレベルが高いとわかる。
「ふーん」
踊り子たちをちらと見たカオウは、またすぐ肉にかぶりついた。
あまりに素っ気ない。
セクシーな踊り子たちを見て心が躍っていたトキツは驚く。
「せっかく来たなら見とけよ。もったいない」
踊り子たちは美女揃いで、出るところは出て引き締めるところは引き締まっており、実に魅力的だ。
それを堂々と拝めるのだから見なきゃ損なのである。
だがしかし、カオウは食事に夢中。追加注文した魚の塩焼きを頭から食べ始める。
「食べるのは後でもいいだろ」
「腹減ってんだ」
「ほら、中央の子めちゃめちゃ美人だぞ。ちょっとツバキちゃんに似てないか?」
顔を上げたカオウは、中央にいた銀髪ストレートの踊り子へ目を向けるが、眉間にしわを寄せて首を大きく傾げた。
「どこが」
「でも美人だろ?」
「わかんない」
「女性に興味ないってわけじゃないだろ。彼女たちの格好見て何も感じないのか」
「ツバキじゃないのに何を感じろってんだ」
魚の尾まで食べ終わったカオウは、ティハ酒を飲んで次の酒を選び始めた。
まったく興味なさそうだ。その一途さは尊敬に値するが、ツバキ以外にもデレッとするカオウを見たかったトキツとしては面白くない。
他に何か酒のつまみになりそうなネタを考えていると。
「つーか、トキツはまだ彼女できないのか」
「うぐっ」
思わぬ反撃をくらった。
「ギジーもできたのに」
「ぐほっ」
さらなる口撃が心臓を抉る。
そう、ギジーも最近彼女ができた。
相手は帝都のカイロにいた猿の魔物。ギジーがかねてから言っているセキエンコウではないが、鮮やかな紅い毛が美しく、丸まった尻尾がかわいらしい猿だ。
ギジーが勝者の笑みでトキツの肩をたたく。
『トキツもいつかできるって』
「くそう。この裏切り者め」
トキツは近くの店員にビールをジョッキで頼んだ。
彼も決してモテないわけではない。
顔は整っているし長身で体つきも良く、貴族兵士にも勝てるほど強いが物腰は柔らかなので、城で働く女性たちからの人気は高い。
これまでも何度か良さそうな女性との出会いもあるにはあったのだが。
「俺は……勢いで付き合う歳でもないし……。結婚を前提に考えてるからであって……。半端な気持ちで決められなくてだな……」
ビールをちびちび飲みながら言い訳を並べ立てる。
彼は用心棒という仕事柄各地を転々としていたので、恋人はできても短期間だったり体の関係だけだったりと、今まで真剣な付き合いというものをしたことがない。それもあってか、帝都へ来てから出会いがあっても何となく気が乗らず付き合うまでに至らなかった。
要するに、彼女が欲しい欲しいと言いながら踏み込めないヘタレなのだ。
「結局トキツはどういう奴がいいんだ」
カオウは本気で知りたいわけではなかったが何となく聞いてみる。
するとトキツはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにニヤリとし、ビールで喉を潤してから発表した。
「俺は……そうだな。結婚するからには、かわいくて、思いやりがあって、何でも言い合えて、ギジーも大事にしてくれる相手が……って、なんであいつの顔が浮かぶんだ!」
ドンッと勢いよくジョッキを置き「違う。今のは間違いだ」と何度も首を振った。
怪訝な顔をするカオウ。
「どうしたんだこいつは」
『昔から変なとこで意地張るんだよなぁ。それより聞いてくれよカオウ。この前リージーちゃんがな……』
キシシと笑ったギジーは悩むトキツを放ってのろけ始め、カオウも負けじと最近のツバキとの仲を語り始める。
それを隣で聞かされたトキツは「彼女欲しい……」とまたしても嘆くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます