第27話 精霊王

 乱立する石柱の間を角灯一つで進むのはかなり心もとないことだった。

 奥へ行くほど明黎石の光は色を失い闇を濃くするばかりで、どこからか吹く風の唸り声が不安を煽る。しかも気まぐれなミミズクが何度も同じ箇所を周回させては耳障りな笑い声を上げるため、水の精霊がいつ怒り出すのかと気が気でない。

 踏むたびに水音が混じる。

 地面から滲み出る水がツバキたちの進行方向へ流れていた。


”ここだよ、ここ!”


 叫んだミミズクを追って巨大な明黎石の塊を避けた瞬間、足を踏み外す。


「きゃっ」


 地面がなくなっていた。

 ジェラルドに助けられ滑落は免れたが、焦った拍子に離した角灯が穴底へ消える。

 随分深いらしい。角灯がどこかにぶつかる音が聞こえるまで十秒弱かかった。

 霊力を失いかけた明黎石の光だけでは何も見えず、ジェラルドが小さな光の珠を二つ宙に浮かべると、眼下に巨大な真円が開いていた。大きすぎて直径などわからない。斜面は棚田のように水を張った皿状の階段が続き、淵から溢れた水が下の段、またさらに下の段へと連続した小さな滝をつくる。

 下降し始めた光の珠を目で追っていくと途中で壊れた角灯を見つけたが、穴底はまだ闇の中だ。


「どこまで続いているの」


 クスクスクス、とミミズクが笑った。


”行けばわかるのに”

”なんで行かないの?”

”怖いんじゃないかな”

”臆病だねニンゲンは”

”臆病臆病”

”手伝ってあげよう!”


 ふわりと体が浮いたかと思うと、穴の中心まで運ばれる。

 カオウに抱かれて空を飛ぶのとはまるで違い、風の力のみで下から押し上げられる状態はかなり不安定だ。つい下を見てしまい、飲み込まれそうな巨大な穴に背筋が凍る。

 同じく恐怖で身が縮んでいたリタの手をどうにか引き寄せ、二人でジェラルドにひっしと捕まった。


「そのままゆっくり下ろしてくれるのよね」

”ボクたちと競争ね”


 隣に並ぶミミズク。


「ちょっと待って。競争って、まさか」


 浮遊感がなくなる。


「ひゃああああああああああ!!!!」


 心の準備が出来ないまま、ツバキたちは重力に従って落下した。




「――死ぬかと思った」


 ツバキは放心状態で呟いた。

 地面激突寸前で風が受け止めるもそれは一瞬で、上手く立てずに尻を強打し、腰が抜けた今も座り込んでいる。口から飛び出そうになった心臓が体中で暴れ回っているかのように、なかなか動悸が収まらない。高所で飛行するのは好きだが、カオウがいるからこそ楽しめるのだと痛感した。

 頭上に光の珠が出現してようやく周囲を気にする余裕ができた。自分と違い華麗に着地したジェラルドを見上げる。


「リタは大丈夫……じゃないわね」


 リタはジェラルドに抱きついたまま気絶していた。

 ジェラルドがペチペチと頬を叩くと目覚めたが、間近にある顔に気づいて「いやっ」と突き飛ばして離れた。ジェラルドはムムッと眉根を寄せる。


”遅かったね”

”ボクたちの勝ち!”

”キャハハハハ”


 笑い声が耳をかすめるが、どこにもミミズクの白い姿はない。いたるところから風が吹いては白銀の髪を揺らすので、もしかしたら姿を消して三体に分かれているのかもしれない。

 怒りをぶつけるのは諦めて、周りを見渡す。

 皿状の石段が闘技場の観覧席のようにぐるりとツバキたちを囲んでいた。見上げれば果てしなく続くそれは途中から闇に消え、見下ろせば最下層にあるいくつかの皿から溢れた水が地面の凹凸に沿って中央へ流れている。

 中央には、高さ五十センチ、横幅ニメートルの直方体に磨かれたヴェアフィストが一つ。

 棺みたいとツバキは思った。宝石でできているにも関わらず、華やかさとは無縁の陰鬱な気に包まれている。


「ここに精霊王が眠っているのかしら」


”起こすには水が足りない”

”全部水に浸からないと起きない”

”ここも本当は水の中”


 風が地を這う水を撫でる。


「あなたなら水を増やせる?」


 ツバキは水の精霊に向けて言った。


「”増やすのは容易いが、霊力が異なる。これらのイヴェは守護者の霊力にのみ反応する」

「イヴェって?」

「”ワタシにはワタシの、風には風の、地には地の、火には火のイヴェがある。オーウィンが作ったロナロはイヴェそのものであり、オーウィンと同じ人間でなければ、イヴェに力を与えられん”」


 振り向くと、リタと目が合う。リタは不安そうに首を振った。


「今の私には霊力がないわ」

「”他の力に変えられないだけだ。ワタシが導いてやろう。おいアーギュストの子よ、お前もやれ”」


 偉そうな精霊に促されてリタの後ろに座り、足元に流れていたか細い水の筋に触れる。

 すると、リタの指先から白い光が水に溶けて踊った。風船のように大きな泡が膨らんで音をたてて弾けては水を生み、小さな波を起こしては勢いよく中央へ流れ、棺にヴェアフィストの煌めきを呼び覚ますように水の膜を幾重にも張っていく。

 棺のすべてが分厚い水に包まれると、風が紫の髪を揺らして嬉しそうに笑った。


”これだけあれば出てくるかも!”


 空中に黄色の光が散る。光は蝶となって棺を取り囲み、蝶は風となって棺を揺らした。


”起きて起きて”

”起きてよー”


「やめておくれ、ウェントシルフ」


 優しく甘い声がした。

 棺から全身が浮き上がるように現れた人物を見て、ツバキは二重の意味で驚く。

 意識体がはっきり目視できたこともさることながら、精霊王はこの世のものとは思えないほど美しい容姿をしていた。白い髪に白い肌、白い衣を纏い、人間ではなく雪の精霊だったと言われても納得できるだろう。

 だが残念なことに、彼は随分疲れているようだった。はあ、と儚げにため息をつく。


「ウェントシルフ。彼らにちゃんと説明していないだろう」


”忘れてないよ”

”これからしようと思ってたんだ”

”ほんとだよ”


 クスクスと笑う。

 精霊王はまたため息をついた。


「我にはあまり力がないから頼んでおいたのに。はあ。君たちの気まぐれには困ったものだ」


 それより、と精霊王はジェラルドを見て微笑む。


「アーギュストの正当な継承者は君だね」


 ジェラルドが一歩前に出る。


「ジェラルド=シュン・モルヴィアン・ト・バルカタルだ。こちらはセイレティア=ツバキ。そなたが精霊王か」

「オーウィンと呼んでくれて構わない。ジェラルド、うん、アーギュストによく似ている」


 オーウィンは満足気に頷くと、ツバキへ視線を移した。


「セイレティアはゲンオウの子と契約した子だね」

「ご存知なのですか」

「世の流れは風が教えてくれる。まあ、彼らの気分次第だから偏ってはいるけれど、大体のことは把握しているつもりだ。君の中にアーちゃんがいることも知っている」

「”アーちゃんと呼ぶなバカ者”」


 水の精霊は激高した。しかしツバキの手から噴き出た水は、オーウィンの体をむなしくすり抜ける。


「アーちゃん?」

「彼女の名はアクアヴィテだからね」

「"名を軽々しく教えるな"」


 また水が弧を描いた。水の精霊は諦めが悪いらしい。


”ボクたちのことも前みたいに呼んでよ”

”遊ぼうよ”

”遊ぼう遊ぼう”


 風の精霊がまとわりついているのか、オーウィンは微苦笑を浮かべた。


「本当に時間がないんだよ。姿を現せるのは彼女のおかげだが、浪費したくない」


 水に触れ続けるリタの顔色はかなり悪く、今にも倒れてしまいそうだった。

 湿った地面に寝かせるわけにもいかないので、ツバキは膝をついてリタを支えた。


「だから話したいことはたくさんあるけれど、要点だけ伝えよう。地上に妖魔が現れたことは知っているね」


 ジェラルドが真剣な顔で頷く。


「状況はもっと深刻だ。地底にいる妖魔は彼らと違って知性があり、封じられてからの六百年間ずっと力を蓄えている。弱体化した結界のほころびを見つけ、破る可能性がある」

「強化する方法は」

「霊力だけでは無理だ。アーギュストが備えていたはずだが、愚かにもたった三百年でその意図は忘れられてしまった」


 オーウィンは冷ややかに目を細めた。


「我が今答えられるのは、最上位精霊のイヴェが必要ということだけ。地と水はすでに持っているね」


 ジェラルドとツバキは顔を見合わせた。

 単語自体知ったばかりのイヴェを持っているとはどういうことか。

 ジェラルドは半信半疑ながらも首に下げた球体の宝飾品を出した。中には地の精霊から受け取った石が入っている。


「これのことか」

「そう、それからテラノームの力を感じる。セイレティアはアクアヴィテからもらったイヴェを飲み込んだだろう」

「これもイヴェなの!?」

「”これとはなんだ小娘”」


 ツバキは自分の手から噴き出た水をかろうじて避けた。

 オーウィンが「こらアーちゃん」と窘める。


「普通は飲むものではないのに、無茶をさせてしまったね」


 ツバキは嚥下時の苦痛を思い出して顔をしかめた。

 オーウィンが右上を見上げて深く息を吐く。


「ウェントシルフ、君もそろそろイヴェを作ってくれるかな」


”えー嫌だ”

”嫌だ嫌だ”

”嫌だよね”


 風の精霊が暴れているのか、頭上で風の音がうるさく鳴った。「いい子だから」と、オーウィンが育児に疲れた父親のように宥める。


”火のが渡したらいいよ”

”そうだね。火が先”

”もらえるならね!”


 オーウィンは上空から視線を下ろした。


「仕方ない、先に火のイヴェをもらっておいで。長い間隠れているから、会うのは難しいかもしれないが」


”火のはヒッヒーって呼ぶとすぐ出てくるよ!”

”怒るけどね!”

”ものすごく怒る”

”キャハハハハ!”


「彼はアーギュストの子をかなり嫌っているから、あまり刺激しないでおくれ。そうだ、水のイヴェを持つセイレティアの方が見つけやすいかもしれない。火のイヴェを受け取ったら、水のイヴェも出してあげよう。一番の問題は我のアーサルだが……。御覧の通り、守護者の霊力がここまで届いていないから、いつ壊れてもおかしくない。洞窟内にある明黎石を直接溶かせば時間は稼げるが、石を溶かせるのもまた守護者だけ」


 え、とツバキは声を漏らした。


「ではリタはずっと洞窟内にいなきゃいけないということですか?」

「他の村人でも可能だが、その者が最も適している」

「そんな」


 ツバキは意識を失いかけているリタを強く抱きしめた。

 これから彼女は一生この陽の当たらない場所に閉じ込められ、ケデウムにいたときのような生活を強いられるのだ。


「ん? ケデウム?」


 突然閃いた。というより、思い出した。

 空間からある物を取り出して試しに一つ水に浸すと、リタが触れるよりも濃い白い光が現れ、帯状にしか流れていなかった水が辺り一面に拡散していった。

 オーウィンとジェラルドが揃って目を丸くする。


「驚いた。守護者と同じ、いや、より強い力を感じる」

「セイレティア、それはまさか」


 ツバキが取り出したのは、リタたちの血で作った赤い石だった。


「だって、リタたちが身を犠牲してできたものなのよ。あのまま放置しても捨てられるだけだと思ったから、できるだけ集めておいたの」

「どれくらいある」


 なぜ今まで報告しなかったのかと言いたげな苦渋に満ちた顔でジェラルドが尋ねた。

 赤い石の存在をすっかり忘れていたツバキは苦笑いを浮かべ「これくらいの大きさの袋にいっぱい」と約五十センチ四方を手で示す。


「これでなんとかならないかしら」

「詳細を調べねばならんな。何度かここへ足を運ぶ必要があるが」


 赤い石の効果がすべて同じとは限らないため、慎重になるべきだ。


「いい方法がある」


 しばし黙考していたオーウィンが手を振ると、棺を覆っていた白い光が逆流し、リタの手の平に模様が現れた。洞窟の壁で見た円形の模様と似ている。

 

「転移の魔法陣だ。これと同じ模様を、明黎石とイェイーを混ぜた液で壁の二箇所に書きなさい。守護者とイヴェを持つ君たちなら通過できる。もちろん、悪用はしないでくれるね」


"ボクたちが見張ってるからね"

"アクヨウしたら、めっだよ"

"めっだよー"


「ああ、約束しよう」

「ではそろそろ帰るがいい。魔法陣の一つは、この上がいいだろう。ウェントシルフ、送ってあげてくれるかい」


"いいよー"

"思いっきり飛ばしてあげる"

"楽しいよ!"


「上まで、飛ばす……?」


 ツバキとリタは青ざめた。

 風が足に纏わりつき、ふわっと一瞬だけ優しく浮いたのち、高速で上昇した。


「いやあああああ△○@☆」

「うるさい」


 ジェラルドは三人別々に影で包んで悲鳴をかき消すと、こめかみを押さえた。

 懸念の一つは多少猶予ができたが、難題は山済みだ。

 火の精霊のイヴェをもらうこと、アーギュストがやろうとしていた備えについて調べること、赤い石を効率的に使ってロナロの霊力不足を補うこと、結界の綻びを見つけること。また、属国を含むバルカタル帝国内で災害が相次いでいるため、その対処もしなければならない。


(ああそれから、カルバル・サタールとも会談すべきことがあったな。枢密院の件もいい加減決めねば……)


 ジェラルドは誰をどこに配置するかパズルのように考えながら、影を操る手を握りしめた。

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