第25話 精霊王の遺跡
どうにかこうにかアチュエを全部飲み終えたツバキは、気を取り直して祭壇の前に立った。
精霊王の石像は人の形をしているが、かなりの年数が経っているせいか、男性か女性かも判別できない。
「少し下がって」
リタが胸の前でロナロの紋章である四角形と五芒星を切り、石像を抜く。
積み重なっていた石が浮いた。上の段から順に統制の取れた動きで祭壇一つ分後ろにずれて再度地面に積み重なっていき、一番下にあった石が宙に浮くと、地下への階段が現れた。地下がどうなっているかは暗くて見えない。
リタは腰に下げた袋に石像を入れてから、手で持てる長さの松明に火を点けた。
「暗いからって転ばないでよ」
リタ、ジェラルド、ツバキの順で降りていく。
水の精霊のときのように吸い込まれて別の場所へ出ると予想していたツバキは拍子抜けしたが、掘られた道は狭く、ツバキとリタが並んでギリギリ通れるかどうかの幅しかない。限られた視界では奥に何が潜んでいるかも予想できず、もし入り口を塞がれたらどうなるかと考えてぞっとした。
「リタ、入り口が勝手に閉まることはないのよね」
「ええ」
「地下の広さはどれくらい?」
リタは少し間をおいてから答える。
「私が知ってるのは、このまままっすぐの道があるだけ。でもアフランが見つけた地図によると、隠し扉があって……」
「隠し扉!」
ツバキの好奇心が刺激された。
「どこにあるの?」
「たぶんこの辺り」
階段が終わり平坦な道に降りると、壁を見上げた。火が揺れて見づらいが、天井に近い部分に小さな丸い穴が空いている。
「本当にあった。前来たときは気づかなかったわ。あの穴の奥に火を入れると、現れるらしいんだけど」
しかし穴は天井付近にあり、手を伸ばしても松明の火は届かなかった。背の高いジェラルドでも無理そうだ。
ツバキはジェラルドの袖を引く。
「偉大なる陛下、踏み台になっ」「断る」
食い気味に言ったジェラルドはリタから松明を奪うと、壁にできていた自分の手の影を操り、いとも簡単に松明を上まで持ち上げた。
穴に近づいた途端火の一部が吸い込まれ、導火線に火がついたように赤橙色の線が長方形を描いていく。
「これが隠し扉?」
線以外変化があったようには見えない。
リタが壁に手を伸ばす。
「通れそう」
リタは恐れることなく進み、岩の向こうへ消えてしまった。ジェラルドもあとに続く。
「ま、待って。どうしてそんなに躊躇なく行けるの!?」
置いていかれたくないツバキは焦り、しかし恐る恐る岩に触れた。
すんなりと指先が入る。生温かい水の中に手を入れているようだ。念の為息を止めて通過する。
ゆっくり目を開けても相変わらず暗闇で、松明を持つジェラルドとリタが見えるのみだった。よほど広い空間なのか、角灯で周囲を照らしても何もない。淀んだ空気とツンとしたカビのにおいがする。
ジェラルドがパチンと指を鳴らした。
パッと魔法の光が灯り、ツバキは眩しさで目を細める。
想像以上に広い。高さは三メートル強、奥行きは十メートルはありそうだ。
奇妙なことに、ここは掘られたというよりはくり抜かれたように壁が滑らかだった。ツバキでは読めない文字や図形が至る箇所に書いてあり、その多くがまじないの類のように、円の中におさまっている。
「ここは三百年前、村人たちがバルカタル兵から隠れた場所らしいわ」
リタは先人たちが作った空洞を目に焼き付けるようにゆっくり眺め回す。よく見ると木の容器や灰色に変色した古布、壊れた武器など、人がいた形跡が散見された。
「壊れた家を片付けていたら、父の手記が出てきたの。我が家に伝わる村の秘密がまとめてあった。たぶん、あの事件を起こす前に書き残したんだと思う」
部屋の中心まで歩いてから、深呼吸する。
「精霊王が人間だったってことと、霊力を補うために私たちが存在してるってことは、そこで初めて知ったわ。三百年前の出来事……アスタルという人が村を出た経緯とか、精霊の力を借りてこの避難場所を作ったこととかも」
壁の文字や図形は精霊の力を使った証らしい、とリタはツバキたちに背中を向けたまま淡々と語る。
「この場所のおかげで何十人か生き残ったけれど、村の災厄はそれで終わらなかった。戦が終わると、まるでいなくなった村人を補充してやるとでもいうように、ケデウムにいた魔力のない人々が連れてこられた。一年ほどでほとんどの人が死んだけど」
「え?」
それまでどんな言葉をかけていいかわからず黙っていたツバキが声を漏らした。
リタがくるりと振り返る。謎めいた笑みを浮かべた。
「アチュエの水は人を選り分ける。霊力がない人には毒なの」
「飲んじゃったけど!?」
「あれくらいじゃなんともない。たまに旅人も飲んでいたけれど、死んだ人なんて見たことないもの」
血相を変えたツバキを見て、リタが笑みに嘲りを滲ませる。
ツバキはジェラルドへ視線を送った。考えは読めなかったが、冷たい目でリタを見ている。
リタはそれを受け止めたまま、話を戻す。
「とにかく、アチュエが選り分けたと父は伝え聞いた。けれど村人の霊力が足りなくなったからか、余所者が混じったせいか、環境にも変化が出てきた。病にかかりやすくなったり、作物が前ほど育たなくなったり。その変化に適応できず、さらに人が減り、村の規模も小さくなって……ついに精霊王の子孫は父と私だけになってしまった」
「子孫って、リタが?」
「精霊王には十二人も子がいて、私は末子一族の末裔らしいわ」
強張った顔で自嘲気味に笑う。
「びっくりでしょ。私も信じられなかったもの。でもアスタルって人の手紙やこの場所が実在したのなら、信じないわけにいかないじゃない。子孫って話も、村が滅んだら世界が滅びるというのも、本当なんだわ」
リタは下を向いてこちらに戻ってくると、ジェラルドの横で立ち止まった。
「私はこの小さな村しか知らないから、世界なんて言われても正直ピンとこない。こんな状況に追い込んだのはそっちなのに、世界が滅びるから守るなんて今さら言われても、ただ腹が立つだけよ」
長い髪で横顔を隠したまま、グッと拳を握る。
「でも私じゃあの子たちを守れないのも、事実。それが一番悔しい。……ああ、だから父はあんな賭けをしたのね」
そう告げて、隠し扉の方へ進んでいく。
ツバキはリタの背を見つめながら、以前聞いた賭けの話を思い出していた。パレードで皇帝の命を狙い、結果としてロナロ村が滅ぶかどうかという賭けだ。
なぜ村が滅んだら勝ちで存続したら負けとなるのか不思議だったが、もしかすると、村長があの事件を起こしたのは、帝国への復讐心だけではなかったのかもしれない。
彼は村人の減少により村が滅ぶのも時間の問題だと気づいていたが、それを防ぐ手段がなく、六百年前は協力関係にあった始祖アーギュストの子孫に村の現状を知らせようとしたのではないか。
だがすでに何代もの憎しみを背負った彼が協力を求めるのは容易ではなかっただろう。今の皇帝が村の重要性を知る可能性は低く、知っていたとしても、リタが言う通り今さら手を貸すならなぜ三百年前に滅ぼしかけたのかと憤懣やるかたない思いも生まれるはずだ。
助けが必要だが、村を救うバルカタルを認めたくはない。そんな複雑な感情があったために、村が滅んだら勝ちなどと言ったのではないか。
ツバキはそっとジェラルドを窺い見た。
彼もまた、長い歴史を背負う立場にいる。ジェラルドからすれば、何百年も前の恨みをぶつけられてもどうすることもできないが、かといって性格上無視はしない。村長と直接会ったはずだが、そのとき何を話したのだろう。
長く見つめすぎたのか、視線に気づいたジェラルドと目が合った。その濁りのない翡翠眼にはツバキのような憂いはなかった。先を見通し、何をすべきかすでに悟っているようだ。
ジェラルドがおもむろにツバキの頭に手を置いた。わしゃわしゃと強く撫でる。
「何するの!」
「ブサイクになってたからな」
眉根を寄せたツバキに意地悪く微笑して、さっと歩き出す。
「何よ、もう」
ツバキも乱れた髪を直しながら追いかけた。
隠し扉から通路へ出ると、火の線は消えて壁も元の硬い岩壁に戻った。
今度はリタ、ツバキ、ジェラルドの順で進む。
魔力を温存するためジェラルドが光を消したので、灯りはまた松明と角灯のみだ。
目的の場所まで二十分ほどらしいが、道は小さな段差が多く歩きづらい。奥へ進むにつれ空気が淀んで息苦しくなってきた。
転ばないよう壁に手を添えて無心で歩き、頭痛がし始めたころ、ようやくリタが止まる。
「ついたの?」
足元に注意していたツバキは顔を上げた。
はっと息を呑む。
前方の壁に女性の上半身の彫刻があった。道中の荒い削り方とはまったく異なり、くっきりとした目鼻に髪の曲線、服のシワまで丁寧に表現され、横顔が確認できるほど立体的だ。
芸術品として見ても素晴らしい出来栄えだが、ツバキが最も驚いたのは、その像が知っている人物、レインに酷似していたからだ。
ツバキはまさかと思いながら、リタに尋ねる。
「この女性は?」
「創造神レイネス様よ」
「じゃあお兄様たちの予想通り、レインは女神レイネスなのね」
ツバキの言葉にジェラルドが反応した。
「どういうことだ」
「レインはこの彫刻とそっくりなの」
「なんだと」
ジェラルドはツバキの後ろから目を凝らす。
「城にあるレイネスの肖像画と違う気がするが。あれは始祖アーギュストが描かせた絵だから、間違いはないはず」
「別人みたいでしょ。だからレインがレイネスだとは思わなかったの」
城の肖像画のレイネスは薄紫の髪を結いあげており、すべてを包み込むような微笑みと勇気を与えるような力強い目をした女性だが、こちらの彫刻は髪をおろし、松明の加減かもしれないが、少し悲しそうな微笑をしていた。ツバキの記憶にある、最後にレインを見た瞬間の表情と重なる。
「ねえリタ。この像は誰が造ったか知ってる?」
リタは彫刻を見ながら肩をすくめた。
「誰がいつなぜここにっていうのは謎なのよ。ただ何千年も昔、精霊王がレイネス様の力を借りてここ一帯の山をつくり、精霊の国にしたっていう伝説がある」
「山をつくった?」
ツバキはあまりに壮大な話で頭がクラクラしてきた。
ジェラルドが顎に手を当てて考える。
「だから王と呼ばれているのか。人間だが女神の力を得たという点は、始祖と同じだな」
「人間だけど何千年も生きてたってこと……?」
「始祖の寿命は人と同じだ」
ツバキの心中を察してジェラルドが釘を刺した。「目の前のことに集中しろ」と小声で話す。
「ここからどうやって先へ進む」
ジェラルドに問われたリタは、それが、と口ごもる。
「地図の右上に印がついていたから、そこに精霊王がいると思うんだけど、ここからその場所への道がないのよ。ただ……」
「ただ?」
「地図には『女神の前で精霊王の血を流す』と書いてあった。たぶん、精霊王の子孫の……私の……血ってこと、だと思う」
リタの声は震えていた。ケデウムで無理矢理血を取られていたころを思い出したのだろう。
ツバキが無言でリタの腕をさする。
「大丈夫よ」
気丈に言ったリタは松明をツバキに預けると、腰に下げた袋からナイフを取り出して鞘を抜いた。
息を整え、人差し指の腹を切る。
すぐさま浮き上がった糸のような鮮血の細いすじを女神へ見せるように手を掲げ、指を下に向けた。
血が数滴地面に落ちる。
しかし、特段何も起きない。
「血が足りないのかしら」
痛みと流血のせいか顔色が悪い。
ハラハラしながら見守るしかないツバキはどうしていいかわからず、兄のいる後ろを振り返った。
そのとき。
「何か聞こえる?」
始めは微かな音だった。
ヒューという、指笛のような。
やがて、甲高い音と低い音が濁ったように混ざり合い、少しずつ大きくなっていく。
「近づいてくる?」
幾重にも重なった異様な音は、獣の唸り声とも悲鳴ともとれる不気味な音へと変化し、大群のように押し寄せ、地を揺らした。
「地震?」
鳥肌が立つ。
ここは袋小路となっているため、逃げ場はない。
「動くなよ」
ジェラルドがツバキとリタを守るようにまとめて抱きしめる。
ツバキは壁に映っていた自分たちの影が兄の方へ動くのを見た――直後、鼓膜が破れそうなほどの轟音と暗闇に包まれた。
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