第24話 苦い思いを飲み込んで
リタは村外れにある円形広場の中央で一人佇んでいた。月に一度の礼拝日に村人全員が集まる場所だ。
目の前には石を積み上げた祭壇があり、一番上に二十センチほどの小さな精霊王の石像が乗っている。両脇には細長い脚の松明台が二つ、頭上にはエルダという樹木の長い枝が複雑に絡み合って広場を円蓋のように覆っていた。
エルダの他にも、イェイーやアチュエという樹木が村には多い。「エルダが天から隠し、イェイーが魔物を遠ざけ、アチュエが人を選り分ける」とは古くから伝わる言葉だ。
リタはコインほどの大きさのアチュエの実をナイフで半分に切ると、杯へ絞った。
礼拝後は村人全員がこの汁を飲む。大人は美味しいと言うが苦いので、子どもは甘味のある葉をかじってから飲んでおり、かじらずに飲めれば大人の仲間入りだとよく見栄の張り合いが起きていた。
松明の熱を感じながら、ゆっくり飲み干す。拉致されて以来久しぶりのアチュエは苦く、喉に張りつくようだった。
「私はまだ大人じゃないみたい」
悲しげに自嘲して、落ち葉や苔で汚れた精霊王の石像を見下ろす。
昔から祭壇と松明台の掃除は子どもたちの努めで、家単位に週替りで回っていた。祭壇は凹凸が多く、松明台は灰の処理が面倒で皆おざなりに済ませており、結局毎回村長である父とリタが仕上げをする必要があった。
アフランとルファが当番の回を除いて。
父はバルカタル人の血が流れる二人を嫌っていたが、丁寧に磨かれた石像を見てはいつも複雑な顔をした。
そのとき何を考えていたのか、リタにはわからない。
「だめね。一人になると余計なことばかり思い出す」
頭を軽く振ると、アフランが転記した遺跡の地図を広げた。
「本当にこんなに広いの?」
遺跡を開けるのは村人が二十歳を迎える儀式のみで、リタが入ったのは三年前。記憶では、遺跡の入り口からまっすぐ延びた通路があるだけだった。
しかし地図は途中に十字路がある。直進の道は記憶にある通り行き止まりだが、左右には曲がりくねった道があり、それぞれ地図の端まで続いている。
深部とはどちらの道のことなのか、そもそも十字路がどこにあるかも見当がつかなかった。
昔の村長だというアスタルの手紙には精霊の認証が必要と書いてあったが、これもさっぱり意味がわからず首を捻る。
「精霊が見えないのにどうやって認証を受ければいいっていうのよ。わからなかったなんて、あの人に言いたくないのに」
皇帝の顔を思い出して歯を食いしばり、アスタルの手紙にもヒントがないならと、仕方なくアフランの手紙を読むことにした。読み飛ばしていたアフランとルファの近況部分にもゆっくり目を通す。
村から出た二人は現在叔母夫婦と住んでおり、アフランは学校へ行き、ルファはパン作りに励み充実した日々を送っているらしい。自分たちとあまりに違う境遇に、嫉妬と憎悪が渦巻く。同時に、散々彼らに酷い仕打ちをして追い出した側なのに、そんな感情を持ってしまう自分の醜さを受け止めねばならなかった。
胸の痛みに耐えながら読み進めていると、不自然な文章に気づく。
「『みんなで守り石を取りに行った日が懐かしい。イェイーの水も飲みたい。よければ一緒に送ってくれると嬉しいです』?」
新年になると山奥の聖域にある明黎石という守り石を取りに行く行事があるが、アフランとは一緒に行ったことがなく、イェイーは人が飲めるものではない。
「…………もしかして」
礼拝日には、自分の明黎石の粉とイェイーの汁を混ぜた色水を顔に塗る風習があった。そして、明黎石の粉を普通の水に溶かして書いた線は乾くと消えるが、イェイーの汁を塗ると黒い線が浮き出る。その特性を利用し、友人へ秘密の手紙を送るという子どもの遊びは、村人なら誰でもやったことがあった。
もしアフランかルファが今も明黎石を持っていたら。
リタは急いでイェイーの小さな黒い実をいくつか集めると、乾いた布に包んで力強く握り、杯へ注いだ。元の線が滲まないことを確認してから、焦りで震える指で少しずつ慎重に塗り始める。
「これって」
魔法を見ているようだった。
道だった箇所は塗りつぶされて道ではなくなり、白紙だった部分には新たな線や文字が浮き上がり――紙全体が濡れたときには、地図の形は完全に変わっていた。
ツバキとジェラルドは霧の中を歩いていた。
霧に包まれた林は別世界のように異様なほど静かで肌寒い。
視界も悪いが、リタが道標として置いた光る鉱石を頼りに進んでいるため、角灯を掲げるジェラルドの歩には迷いがない。ツバキは見失わないよう必死についていく。
ほどなくして、白くぼやけた中に赤い光が見えてきた。
松明の火のようだ。
人影も見える。
「リタかしら」
久々に会えると喜んで駆け出し、ちょうど円形広場に踏み込んだ瞬間、ツバキは呆気にとられた。
「霧が消えた?」
後ろを振り返れば霧はあるが、前方には一切ない。
「霧はここの周囲にだけ発生するらしい」
ちょうど霧の中から出てきたジェラルドが言った。
「天然の結界みたいだろう」
ジェラルドは「まだ解読できてないのか」と呟いて、再び歩き出した。
中央にいたリタはまだ二人に気づいておらず、手元の手紙を食い入るように見つめていたが、ジェラルドに話しかけられると手紙を背に隠した。
その態度が気に入らなかったようで、ジェラルドが不機嫌そうに腕を組む。
無言で睨み合う二人。
「さっそく出番かしら」
ツバキは先行き不安だと思いつつ、二人の元へ向かった。
「リタ! 久しぶりね」
「ええ」
再会を喜ぶこともなくそっけない返事をしたリタは、救出時より血色は良くなっているものの、相変わらずやせ細っていた。村に戻ってから国の支援を受けていると聞き安心していたのだが、状況は良くないらしい。
しかし心配しすぎても余計なお世話だと噛みつかれそうな雰囲気だったので、大人しく祭壇に目をやる。
「この石像は?」
「精霊王よ」
「これが遺跡の入り口なの?」
「解除はしてあるから、あとは石像を抜き取るだけ」
「解除って?」
「簡単に抜けられないようにしてあるの。方法は教えないわ」
リタが威嚇するようにジェラルドを睨んだ。
ジェラルドはムッと顔をしかめる。
「入れればそれでいい。それより地図について何かわかったのか」
「ええ。でも、その場所へ続く道が消えちゃったのよね」
「それはわからないってことじゃないか」
「地図の細工が何かはわかったってこと。言われたことはやったんだから文句言わないでくれる?」
「こいつ……!」
ジェラルドの顔が引きつり、ツバキは心底ヒヤヒヤした。
魔物ではなく人間が皇帝へ不遜な態度をとることはない。普通ならば不敬罪で首を刎ねられる。
ロナロ村で育ったリタが行儀作法を知らないのは致し方ないにしても、もう少し柔らかい言い方はできないのかと頭を抱えた。
「陛下、行けばわかるかもしれませんし、ひとまず遺跡の中へ入ってみるのはいかがですか。リタ、開けてもらえるかしら」
ツバキはジェラルドの気を静めるため敬語を使い、リタへ態度を改めるように目配せする。
「……そうしよう」
「……いいわ」
二人は不承不承怒りを飲み込んだようだ。
安堵したが、この雰囲気のまま先へ進むのは気が重い。
(少しでも和ませられないかしら)
と悩んでいると、リタが年季の入った杯を差し出してきた。
「飲んで」
「これは?」
「アチュエの実を搾ったものよ。礼拝や祭事の際はこれを飲むしきたりがあって、私はさっき飲んだ」
ツバキは少々心配になった。玉ねぎをすりおろしたような刺激的なにおいがしたからだ。毒ではないと思うが、とんでもなく不味そうだ。
ちら、とジェラルドを見る。
彼もさすがに渋っていたが、リタに「飲めないの?」と嫌味たっぷりに言われると、杯に口をつけた。
固唾を飲んで見守るツバキ。
意外にもジェラルドは一気に飲み干した。
「なんだ、美味いじゃないか」
「本当に?」
どことなく不満そうなリタ。
「苦いが美味い」
ジェラルドはケロッとしている。強がりではなさそうだ。
苦いが美味しいということはコーヒーのようなものかと想像し、ツバキも一口飲む。
だが。
「うっ。ゲホゲホッ。に、にが……!」
苦い。あまりに苦い。あらゆる苦い食べ物を一緒くたにして煮詰めたのかと思うほど苦い。
「こんなに苦いなら苦いって言ってくれればいいのに」
涙目で抗議すると、二人は手で口を隠した。
顔も背けているが、笑いを堪えているのは明らかだ。
(うう……。二人とも酷い)
ツバキはしくしくと泣きながらアチュエの果汁を飲む。
しかし幸か不幸か、哀れな少女を揃って見守るうちに、ジェラルドとリタの間に流れていた殺伐とした空気が和らいでいく……気がした。そう思いたかっただけかもしれないが。
「どうせ飲まなきゃいけないんだからさっさと飲め」
「そうよ。全部飲むまで連れて行けないわよ」
(楽しそうなのは気のせいかしら)
半笑いの二人に応援されながら、ツバキはやるせない気持ちをアチュエとともに飲み込んだ。
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