第23話 皇帝の顔 兄の顔

 魔物除けがあるからとツバキが一人で転移させられた先は、土壁に囲われた素朴な建物の中だった。

 豪華な宮殿で暮らすツバキがそこを家と認識できたのは、古い木の椅子に座ってお茶を飲む兄が目の前にいたからだ。


 兄は白いシャツに濃藍のベスト、下は黒いズボンとブーツという非常にラフな格好をしていたが、それでも皇帝の風格は隠せるものではない。背もたれのない椅子に姿勢良く座り、欠けた湯呑でお茶をすする大帝国皇帝の姿というのはなんとも奇妙な気持ちにさせられる。


「お兄様、ここは?」

「ロナロ村だ」

「ロナロ? リタもいるの?」

「とりあえず座れ。ところで、なぜ口を隠しているんだ」

「べ、別に」


 舌の印が気になるとは言えない。

 促されて神妙な顔をした兄の向かいに座る。


「アフランに精霊について調べさせていたそうだな」

「エレノイア姉様から聞いたの?」


 アフランの入場許可を求めれば、いつかはジェラルドの耳に入ると予想してはいたが、思った以上に早くて驚く。


「ああ。昨日、その結果が届いた」

「どうして私じゃなくてお兄様に……」


 皇女宛の手紙は差出人をすべてチェックされるため、アフランの手紙は城ではなくチハヤの店へ届くようにしていたはずだった。


「内容が内容なだけに、エレノイアが気を利かせて私に送ってきたんだ」

「そんなに重要なことなの?」

「アフランを勾留するほどな」

「……今、なんて?」


 物騒な言葉を聞いたツバキは驚愕して青ざめた。


「彼が得た情報は国家機密に相当する。他に漏らされては困るんだ」

「どこにいるの」

「牢に入れたわけじゃないから心配するな。むしろ貴族のような待遇を受けている」

「けれど自由はないってことでしょう。私が頼んだせいで」

そうなんて変な考えは起こすなよ。しばらくは面会も手紙も禁止だ」


 ジェラルドは牽制するように一睨した。


「この話をしたのは、これから頼むことがそれほど極秘だと理解して欲しかったからだ」


 さすがに興味よりも不安が先に立ち、ツバキの碧眼が揺れる。

 アフランが軟禁されるほどの情報が何かは不明だが、興味本位で近づくには危険だと直感が告げていた。水の精霊と会ったときの恐怖を思い出し、心臓の辺りを押さえる。


「覚悟がなければ帰っていい」


 黙りこくってしまったツバキを見たジェラルドが声の調子を落とした。

 兄は時折人を試すような言動をする。これもその類なのかと深く考えたが、表情からは読み取れない。


「精霊王に関することよね。まさか、私を遺跡へ行かせるつもり?」

「よくわかったな」

「そうじゃなかったら、わざわざロナロに呼び出す必要ないでしょ」


 ジェラルドはわずかに口角を上げた。


「少々リタを脅しすぎたようでな。お前がいなきゃ案内しないとさ」

「つまり二人の緩衝材になれってこと?」

「そういうことだ。だがリタの要望で私の護衛は連れていけないし、魔物除けがあるからカオウも来られない」


 確かにカオウがいないのは不安だ。


「魔物除けってそんなに酷いにおいなの?」


 鼻をすんすんと動かすが、特に変わったにおいはしない。


「人間は感じないが魔物にとってはかなり強烈らしい。ロナロから離れても体についたにおいはなかなか消えないらしく、前回帰ったときはクダラとリハルに一日中避けられた」

「それがわかっててカオウを呼んだの?」

「臭すぎて怒り狂うあいつは傑作だったぞ」


 くつくつと笑い始めるジェラルド。

 カオウは魔道具で呼び出された約五分後に帰ってきた。ツバキを呼ぶだけならすぐに終わったはずだが、それだけかかったということは、ジェラルドがわざと引き止めていたのだろう。かわいそうに、とツバキは同情した。


 ひとしきり笑った悪徳皇帝ジェラルドは気が削がれたのか、姿勢を崩して頬杖をつき、窓の外を眺める。


「まあとにかく、そういうわけだから無理強いはしない」


 ツバキは兄の端整な横顔をじっと見つめた。

 今のジェラルドは皇帝というよりも一人の兄として話しているようだった。いつになく親近感を覚える。普段とは違う格好で、城ではない場所で会っているのも一因かもしれない。


「もし行くと言ったら、アフランが知った内容を教えてくれるのね?」

「言えるところは」

「そう……」


 視線を下げ、亀裂の入った机を見るともなく見ながら考え、心を決める。


「お兄様が頼ってくるのは珍しいから、行くわ。アフランがそんな目にあっているのに、命じた私が知らんぷりするなんてやっぱりできないし」

「わかった」


 承諾したというのに、ジェラルドはあまり嬉しそうではなかった。やはり格好が違うからか、いつもの兄のようでいて、どこか違うとツバキは思う。


「お前は空間に入れるんだったな。自分の身は自分で守るように」

「うん。あ、最近、近距離なら自由に瞬間移動できるようになったのよ。いざとなったら任せて」

「そうか頑張れ。では遺跡へ行く目的を説明しよう」

「…………」


 意気込みをあっさり流されたツバキは、得意げに上げた手をそっと下ろした。やはりいつも通りの兄だったと心の中で前言撤回する。


「そもそも精霊の遺跡が何かは知っているな」

「妖魔が現れないように、地底と地上を繋ぐ道を封じるため、精霊王と地・水・火・風・空の精霊が眠った場所のこと。で、合ってる?」

「本当に眠っているわけではなかったがな。それに空は……」


 ジェラルドは途中で口を閉じる。


「何?」

「……遺跡は結界石や杭のようなもので、正しくはアーサルと呼ぶらしい。水の精霊はサタール、地の精霊はカルバルにいて、両国はアーサルを守る代わりに加護を受けているが、バルカタルは三百年前に加護を失った」

「祠を壊したり、精霊王の遺跡があるロナロ村を襲ったから?」

「他に、精霊殺しをしていた」

「え……」


 ツバキの心臓がギュッと痛む。


「そのせいで精霊は姿を消した。加護がなくなり霊力のある人間もいなかったために、バルカタルにある精霊王と火の精霊の遺跡の場所がわからなくなっていた。だが城に保存されている建国時代の書物を調べたところ、精霊信仰の象徴シンボルがその場所を示していると知った」

「ロナロの紋章のこと?」

「ロナロに限らず、アーサルの目印にはあの模様が刻まれている。……ここからが本題だが」


 ジェラルドは心して聞くように、と人差し指を立てる。


「かつては、始祖アーギュストの血縁者、主に歴代の王がアーサルをまわって精霊と精霊王に会う習わしがあった。途切れてしまった関係を修復するためにも習わしを再開し、すべての精霊と会わねばならん。まあ、水の精霊は誰かさんが代わりに会ってくれたから、私は地の精霊にしか会えていないが」

「知らなかったんだから仕方ないでしょ」


 じとりとした目を向けられたツバキは、同じ目つきを返した。


「じゃあ精霊王と会えばいいのね」

「話はそう単純じゃない。リタは遺跡の全貌を知らないから、地図を頼りに進むことになる。それにアフランの調査でわかったことだが、精霊王は精霊ではなく人間で、肉体としてはすでに亡くなっているそうだ」


 ツバキは驚きのあまりすぐに理解できなかった。目をパチパチさせる。

 

「人間、だったの? 肉体としてはって、天界へ行かずに意識だけ残っているとでも言うの?」


 この世界では、生物は死んだあと天界へ行くとされ、肉体と意識体は別物という概念がある。国や信仰により魂や霊体とも呼ばれているが、根本的な思想は共通だ。

 もちろんツバキは会ったことがないので定かではない。空間の中で会っていたレインも女神レイネスの意識だと説明を受けたが、いまだに信じられないでいる。


「よくわからんが、それより問題なのは、他のと違って精霊王のアーサルは村人から霊力を吸い取っているってことだ。昔は大勢いたらしいが、今はたった十五人。アーサルへ送る霊力が圧倒的に不足している。このままでは地底との道が開き、一気に妖魔が押し寄せるだろう」


 事態の重大さに気づいたツバキは息を呑んだ。ロナロが滅びればすべてが滅びるというリタの言葉の意味をようやく理解する。


「対策はあるの?」

「それがわかれば苦労しない。建国時代の書物をまた漁るしかないな」


 よほど大変だったのか、ジェラルドはげんなりした。


「手伝いましょうか?」

「いや、いい。古語で書いてあるからオスカーに頼む。あいつもアフランと同じ状況だからどうせ暇だ」


 我ながら妙案だとばかりにあくどい顔をする。


「そろそろ行くぞ」

「あ、待ってよ」


 話を終えて颯爽と立ち上がったジェラルドに続いてツバキも外へ出た。

 村の空気を吸った瞬間、心臓がギュッと痛む。

 

(また……?)


 ツバキは胸に手を当て深呼吸をしてから、ジェラルドの背を追いかけた。

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