第22話 ヒディスの種
緊迫感漂うセイレティア=ツバキ皇女の部屋。
部屋の主とその魔物はある賭事をしていた。
カオウの手にはカードがニ枚。どちらかにツバキが持つカードと同じ数字が書いてあり、それを引けばツバキの勝ちだが、ヒディスという不運の女神の絵を引いてしまうと、勝敗はカオウに委ねられる。
つまり超庶民的ゲーム、ババ抜きである。バルカタルではヒディスの種と呼ばれ、最後までヒディスのカードを持っていた者にはちょっとした不運が訪れるという迷信つき。
賭けの対象は、ツバキの舌につけられたカオウの印を消すか否かだ。
あの騒動から一ヶ月間毎日「消して」「いやだ」の繰り返しだったためツバキが賭けを申し込んだのだが、あっさり負けてしまい、泣きのもう一回を頼んで今に至る。
ニ枚のカードを凝視するツバキ、固唾をのんで見守る侍女三人。
右のカードをつまみ、カオウの反応を見る。
ニヤニヤしている。
では左が正解かと思うが、先程はこれに素直に引っ掛かって負けた。ならば右か。いやこれも引っ掛けかもしれない。
カオウの表情に注目しながら左のカードをつまむ。
ニヤニヤしている。まったく変わらない。
「早く引けよ。次ツバキが勝ったら印消してやるけど、また俺が勝ったら……わかってるよな?」
次も負けたら、今後魔力を与える際は手首ではなく必ず口からしなければならない。端的に言えば毎回濃厚なキスをするということだ。
動揺するツバキ。その反応を楽しむカオウ。そのやりとりを見せつけられて心中穏やかでない侍女三人。
右か、左か。
「えいっ」
目を閉じて勢いよく右のカードを引いた。
そっと目を開ける。
見えたのは数字の九。
「やったわ!」
ツバキと侍女たちは飛び上がって喜んだ。カオウの舌打ちがお祝いのクラッカーのように聞こえた。
「さあ、今すぐ消しなさい」
一敗していたくせに得意げな笑みを浮かべてカオウににじり寄る。
しかしそのとき、カオウが左手首につけていた腕時計のような装置が赤色に点滅した。
ジェラルドに渡された呼び出し用の魔道具だ。ジェラルドが指輪を回転させると、蓋についた宝石の一部が点滅する仕組みで、色によって意味が変わる。青は「姿を消して来い」黄色は「身なりを整えてから来い」そして赤は「早く来い」だ。
カオウは何事かと訝しんだが、これで賭けを先延ばしにできるとほくそ笑む。
「大変だ。早く行かないと」
「えっ。印消してからにしてよ」
「でも呼ばれちゃったしなー」
「いつも嫌々行ってるくせに!」
叫ぶツバキを無視し、カオウは魔道具の蓋を開けて方角と距離を確認すると、喜び勇んで瞬間移動した。
ゲーム敗者への不運がすぐさま訪れるとも知らずに。
ヒディスの種を芽吹かせたカオウは、五分も経たずに帰ってきた。
顔色がかなり悪い。今にも吐きそうだ。
<もう無理>
カオウはソファに座って読書をしていたツバキの方へふらふら近づくと、倒れるように抱き着き、胸に顔をうずめた。
「きゃ! ちょっとカオウ!」
<休憩させて>
「何があったの?」
<魔物除けがあった>
「魔物除け?」
<すげー臭かった>
「臭いだけ?」呆れるツバキ。
<もう、すんごく、気絶しそうなくらい臭かったんだぞ。鼻の奥にまだにおい残ってる>
カオウは鼻先をツバキの体に押し付けたまま深呼吸し始めた。ツバキのにおいを嗅いで嫌なにおいを消そうとしているらしい。
ツバキはくすぐったいやら恥ずかしいやらでソワソワしたが、甘えてくるカオウが可愛く、金色の頭を優しく撫でる。カオウが言うような嫌なにおいは感じない。ツバキと同じシャンプーの香りが、柔らかな髪を梳くたびに広がった。
「それで、お兄様の用は何だったの?」
<用があるのは俺じゃなくてツバキだって。軽装して来いってさ>
「どこにいるの?」
<どっかの家>
「家?」
<あんなとこ行かなくていいよ。体ににおいつくし>
「ここにいるなら早く印消してくれる?」
<……あー。緊急って言ってたなー。風呂入ってくるから着替えて待ってて>
カオウは思いっきり息を吸って鼻を塞ぐと姿を消した。すぐさまシャワーの音が聞こえてくる。そしてツバキが着替え終わるタイミングを見計らって浴室から出ると、「舌に印をつけたまま兄に会いたくない」と叫ぶツバキをまたもや無視して、無理矢理ジェラルドの元へ送ったのだった。
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