第21話 ロナロ村

 ――殺すがいい。歴史を忘れた愚かな王の選択がすべてを滅ぼすだろう。


 深淵から聞こえるような唸り声が牢獄の壁に反響し、松明の火を震わせた。地面から這い上がってきた冷気が進むことも退くことも許さぬように足にまとわりつく。

 皮と骨だけになった男のどこにそんな力があったのか。

 回復魔法も受け付けず、水も飲まずに何ヶ月も生き続けた男は、その言葉を吐いて死んだ。

 声は今も呪いのように耳に残っている。


 陛下、と護衛に呼ばれてジェラルドは意識を引き戻した。

 私用の飛馬車が軽やかに着地したのは、帝都とケデウム州の境にあるロナロ村。装飾が一つもない簡素な、しかし建て直されたばかりの家の扉を叩くと、紫の髪をした女性が現れた。

 現在のロナロ村を束ねている人物であり、昨年のパレードで皇帝を殺そうとした男の娘、リタだ。ジェラルドへ向ける敵意のこもった目は、牢獄で見た男を思い起こさせる。

 家の中に誰かいるのか、リタは外へ出て扉を閉めた。


「また来たの? 皇帝って暇なのね」

「こちらは約束を守ったのだ。次はそちらの番ではないのか」


 精霊王の遺跡へ案内する交換条件として、リタが提示したのはロナロ村の再生だった。家や畑の修復、より暮らしやすいように水路整備や物資支援、拉致されていた間に亡くなった子たちの墓もケデウムからロナロへ移した。

 精霊の話がなくとも支援はするつもりだったので、条件に問題はない。問題は遺跡にあった。ジェラルドは中に用があったのだが、案内された場所にあったのは小さな石像だけ。どこにも入り口らしきものはなく、それどころか、リタは入れることも知らなかったと言うのだ。


「遺跡の場所は教えた。それでいいでしょう」

「入れなければ意味がない」

「そんなの私の知ったことじゃない」


 リタはそそくさと扉を押し、自分が通れるだけの隙間を開けた。すると、すぐ近くにゆるいみつあみをした少女が不安そうに立っていた。


「キーナ」

「あ……」


 歳はセイレティアと同じくらいだろうか。ジェラルドに怯えて俯く。

 リタは体の向きを変えると、ジェラルドから少女が見えないように隙間を狭めた。


「どうしたの?」

「ナブルがなくなっちゃって……」

「待ってて」


 扉を閉めたリタは帰ろうとしないジェラルドをちらと見て、煩わしそうに深く息を吐く。


「通していただけますか、陛下」


 敬語がわざとらしい。

 一歩後ろに下がってリタを通す。

 ついていくと横目で睨まれたが、あとは無視を決め込んだようだ。話しかけるなという雰囲気をまといながら村の奥へぐんぐん進んでいく。

 左右に揺れる紫色の長い髪を眺めていたジェラルドの頭に、ふと、トリタリスという花が浮かんだ。

 まっすぐ伸びた茎の先に紫色の花弁が垂れ下がる姿は儚げだが、花粉を吸いこむと呼吸困難に陥る危険な毒花。リタも背の高さの割にやせ細って弱々しいが始終ピリピリしており、あまり踏み込むとバルカタルへの憎悪が一気に噴出しそうだった。もっとも、大罪人の娘と彼の処刑を命じた男が親しくなれるはずもないが。


 しばらくして、村の端にある高床式の建物についた。貯蔵庫のようだ。戸だけ作り替えたのか、古い壁と木の色が違い不自然に浮いている。

 リタが中へ入っている間、村を見渡す。

 ジェラルドは事件直後の状況を知らない。死体が散らばってかなり凄惨だったと聞くが、整備された今は静かな村にしか見えなかった。こじんまりした民家がポツポツと並び、畑があり、家畜を飼う、至って普通の村に。


 カタン、と戸が閉まる音がして貯蔵庫を見上げる。

 リタの腕には、結晶模様のついた茶色い布がかかっていた。


「それがナブルか」

「…………」

「布にしては硬そうだが」

「…………」


 無言で階段を降りたリタは、前髪の間からジェラルドを睨んだあと俯き、怒りを堪えるように震える息を吸った。


「ナブルは樹皮を叩いて延ばした布。これを作るのが村の女性の仕事だった。でも私たちだけじゃ、もう、同じようには作れない。これを使いきったら、終わり」


 ジェラルドに背を向けて歩き出すが、足取りは行きよりも重い。一歩一歩が徐々に小さくなり、道の中程で止まった。


「約束を守ったですって? これで村が再生したと本気で思ってるの? 皆あれから一度も笑ったことがないのよ。あの惨劇の日やケデウムで虐待されてた日々を思い出して苦しんで、生きる気力を失ってる。血が怖くて狩りができなくなった子や、親が殺された瞬間を夢に見て泣く子もいる。さっきいたキーナって子はね、外にさえ出られなくなった。こんな状態じゃ、もう、この村は……」


 一見、静かな普通の村に見える。

 しかし、閑散とした村の住民はたったの十五名、リタを除いて十代ばかり。人数が減って耕す必要のなくなった畑は放置され、兵が整備した砂道は手入れできるはずもなく早くも雑草だらけ。建て直した各々の家に空家があるのは、何人かで固まって一つの家に住んでいるからだろう。形だけ揃えても、決して元通りにはならない。戸だけ真新しい貯蔵庫と同じだ。


「もう帰って。遺跡の入口なんて知らないし、調べることもできない。父の部屋は全焼したから……」


 ナブルを抱きしめて肩を震わせる姿は憐憫の情を誘う。

 だが――。


「同情を盾に誤魔化そうとしても無駄だ」


 ジェラルドはリタの背中に冷たい言葉を投げかけた。

 振り返ったリタの苦痛に堪える顔を見ても、眉一つ動かさない。


「精霊王の遺跡が石像だけなわけないだろう。遺跡の全ては知らずとも、入り方くらいは知っているはず」

「…………!」


 驚愕するリタをジェラルドは鼻で笑った。隙あらば皇帝を欺こうとする貴族たちに比べれば、平民の拙い嘘など容易に見抜ける。


「これを」


 ジェラルドは昨日エレノイアから受け取った二つの封筒を取り出した。

 リタは訝しみつつ封筒を受け取り、裏に書いてある名を見て眉をひそめる。


「アフラン? どうしてあの子が」

「読めばわかる」


 手紙を取り出したリタの顔が曇る。

 最初の封筒はアフランがリタへ宛てた手紙だ。簡単な挨拶文と近況、そしてもう一つの封筒内にある手紙を発見した経緯や霊力がなければ読めずやむなく転記したことが書いてあった。

 初めは疑っていたようだが、神妙な面持ちでロナロの元長アスタルの手紙を開くと、時折視線を外して思案しながら文を追い、地図が書いてある紙を何度も確かめる。


「これは本当に遺跡の地図なの? 私が知ってるよりも広い……」


 ジェラルドはリタの表情を注視して目を細めた。


「どうやら地図には細工がしてあるようだ」

「細工?」

「アフランは手紙を人目に晒すことをかなり渋り、転記する際、誰も部屋に立ち入らせなかったそうだ」


 バルカタルの国軍には、物質から感情を読み取る能力を持つ心理鑑定士がいるので、念の為ジェラルドは手紙を鑑定に出した。それによると、虚偽はないが秘匿の意識を強く感じたという。だが地図ははっきり書かれており、文章にも不審な点はなく、魔道具を使われた形跡もない。リタにしかわからない暗号か仕掛けがあるはず。それが何かもわからず遺跡へ入るのは危険だ。


「解読できるか」

「できたとしても、バルカタルの皇帝なんかに言うわけないでしょう。大昔にあなたの先祖がやったことを悔いればいいわ」


 頑なな態度を崩さないリタに辟易したジェラルドは強硬手段に出る。


「協力するならば、この村を保護してやろう」

「保護?」

「この村はもう正式な領地として登記されたから納税義務が発生する。今は猶予期間としているが、お前たちに払えるのか?」


 聞き慣れない言葉が出たからなのか、リタは呆気にとられているが、ジェラルドは構わず続ける。


「それから最近、近くの山で貴重な資源が発見され、この村がある山も注目されている。これも今は採掘許可を出していないが、許可したらいろんな奴らが村にも押し寄せるぞ。遺跡の価値も知らぬ野蛮な者たちがな」


 今度は想像できたのか、リタは獣を見るような目をジェラルドへ向けた。


「脅してるの?」

「取引だよ。私はこの村の重要性を知っている。協力するなら、村を守ると誓おう」


 リタは苦り切った顔で手紙を握りしめると、遠くで家畜の世話をしている子供たちへ視線を移した。皆疲弊していると傍目でもわかる。もしまたよそ者に村を荒らされたらどうなるか、想像は容易い。


「わかったわ。でもあなたは信用できない。だから……」


 リタは言いにくそうに目を伏せ、袖を握った。


「ツバキも呼んで」

「セイレティアのことか」

「あなたの妹よ」


 不可解そうに答えるリタ。皇女の主名までは覚えていなかったらしい。

 彼女が過去の恩からセイレティアを信用するのは理解できるが、ジェラルドはすぐには承諾できなかった。

 今までのように妹が自ら首をつっこんでくるのと、皇帝が直接命令するのとでは意味は大きく変わる。そしてこれに関与したら後戻りできなくなるだろう。


「あいつの意志を聞いてから判断したい。座って話せる場所はあるか」


 ジェラルドは魔道具の指輪をはめている左手を握りしめた。

 これもクダラがよく口にする天の配剤なのだろうかと、薄気味悪いものを感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る