第19話 託された手紙 1
「それで、探し物は見つかった?」
着せかえごっこを満喫したオスカーは蔵書室の窓を開けた。着物はすべて運び出され、蔵書室にはアフランと、貴族男性のようなパンツスタイルに着替えたオスカーだけが残っている。
性別問わずいろいろな着物を着せられたアフランは、自分の服がこんなに着心地のいいものだったとはと思いながら口を開いた。
「いいえ。僕では読むのに時間がかかってしまって」
「具体的に何を調べているんだい?」
「えっと……」
精霊に関することを調べる許可は得ているとツバキの手紙には書いてあったが、ロナロに遺跡があることまで話しているかわからず、口籠る。
すると、オスカーは積み上げられた本の山へ目をやった。
「ここにある本なら読んだことあるから、手伝えると思うけど」
「これを全部ですか?」
「僕の母は前のエイラト州長官だからね。昔はよくここに篭っていたんだ」
先代のエイラト州長官は先代皇帝の妹。つまりオスカーとエレノイアは従姉妹だ。
「興味深いよね。バルカタルに征服されてから、エイラト出身の貴族たちも大っぴらに精霊を信仰できなくなったのに、それでもこんなに多く本が残っているなんて」
「精霊信仰が禁じられたのは三百年前、エイラトが征服されたのは二百年前ですから、残っていても不思議はないのでは?」
「いいや。二百年前も精霊信仰は禁じられていたよ」
オスカーは銀縁の洒落た眼鏡をかけてから、一冊の本を開いた。アフランがまだ手を付けられずにいたエイラトの歴史書だ。
「エイラトとバルカタルの戦争では、水にまつわる逸話が多いんだ。タイミングよく川が氾濫してバルカタル兵を飲み込んだり、瀕死だったエイラト兵がただの水を飲んだだけで回復したり、大多数の祠が壊されてもイーヴィル湖周辺の祠だけは無事だったりね。そして州城が占拠されたとき、城内にある精霊関連の資料は燃やされそうになったけれど、まったく火を点けられなかったそうだよ。火付け役の人が次々変死してしまったんだって。精霊をまったく信じていなかった皇帝もいよいよ精霊の加護の恐ろしさに気づいて、以来、精霊信仰は黙認されるようになったんだ」
変死部分の詳細を読んでぞっとしたが、水の精霊を実際に見たアフランは、やりかねないとも思う。
「バルカタルにとっては屈辱の歴史だから、この蔵書室にしかこれらの記録はないんだけれど」
ニコッとオスカーは微笑み、反対にアフランは青ざめた。
「それは……僕が知っていい話ではないのでは……」
「読めば遅かれ早かれ知るんだし。エレノイアが閲覧許可出したんだから問題ないさ」
「そうでしょうか……」
許可が出ること自体異例なのではと、ためらいがちに頁をめくる。
街の図書館には精霊による加護の影響をここまで生々しく記述したものはなかった。伝え聞いた話ではなく記録として残っていると考えると、恐ろしいが感慨深くもあり、オスカーが蔵書室に篭ってまで読みふけったのも頷ける。
しばし無言が続いていたが、オスカーが何か言いたそうにそわそわしだした。
「あのさ、アフランくん。ちょっと聞いてもいいかな」
「何でしょう」
「君の故郷について教えてくれないか」
「ロナロですか?」
オスカーは「どこから話せばいいかな」とつぶやいてから、机に置いてあった水をゆっくり飲み、おもむろに座り直してアフランと向き合った。
「実は……」
そのとき、先程オスカーが開けた窓から風がさっと吹いた。細長い鳥のような何かが入ってくる。胴体らしき部分が角度によって虹色や透明に見え、動きも鳥が羽ばたくというよりは風の中を泳いでいるようだ。
(風の下級精霊だ)
アフランは精霊を初めて見て以来、水だけでなく風も見えるようになっている。
旋回しながら下降した精霊は、全身で本を撫でて頁をめくると、存在をアピールするようにアフランとオスカーの周りをまわり始めた。長い尾が通るたび柔らかな風が吹く。
「何事だ」
アフランの肩がビクッと震えた。濃緑のドレスに着替え終えたエレノイアが近くに立っていたからだ。
彼女たちには精霊が見えないはず。しかしエレノイアの赤金髪が精霊の風を受けて揺れているので異変に気付いているだろう。
ただ、エレノイアは瞬きもせずアフランを見つめており、そこに疑いや驚きがあるかはわからなかった。
”知をロナロへ返せ”
精霊の声が風鳴りのように響き、長い尾がエレノイアの腕をかすめて服の袖を切り裂いた。腕に赤い線が浮かぶ。
「エレノイア!」
「待ってください」
駆け寄ろうとするオスカーを引き留める。
精霊は何度も”知をロナロへ返せ”と言いながら、風の輪を作るように二人の周囲を旋回し続けていた。
「精霊が、います。僕たちの周りに」
オスカーが「えっ」と喫驚した。
「精霊が見えるのか?」
「はい。『知をロナロへ帰せ』と言っています」
精霊が催促するように泳ぐ速度を上げた。風の輪に乗って巻き上がるように上昇し、天井にぶら下がっていた華美な照明を揺らす。
「精霊がここに……?」
信じたらしいオスカーがエレノイアへ目を向ける。
「知を返せって、まさか、あれのことか?」
そう言って、部屋の奥の壁へ視線を移した。
そこにはエイラトの紋章が飾られていた。鷲をモチーフにした紋章である。
特段驚く素振りも見せず頷いたエレノイアがオスカーの視線の先へ向かい、紋章の一部を彩っていた宝石に触れると、ゴゴッという重い音とともに紋章が右へずれて空洞が現れた。
中から何かを取り出し、こちらに戻ってくる。
エレノイアの手にあったのは羊皮紙だった。五枚ほど重なった紙には四つ折りにしたであろう折り目がついており、端が破れて所々黒いしみがある。
”知をロナロへ返せ”
精霊は羊皮紙を見るやいなや、幾分落ち着いた声で繰り返してから、現れたときと同じように窓の外へ消えていった。
風が止み、ほっとしたオスカーがエレノイアへ駆け寄る。
「大丈夫かい?」
「
エレノイアは腕についた傷に手をかざした。手の平から金粉が降り注ぎ、瞬く間に傷が消える。彼女の授印の力は治癒能力だ。
「これをアフランへ」
「うん」
エレノイアから羊皮紙を受け取ったオスカーは、じっとそれを見つめたあと、アフランの前に置いた。
隠し金庫にしまうほど貴重なものを見ていいのか心配になったが、オスカーの真剣な眼差しを受け、羊皮紙に目を落とす。
一枚目の上部に菱形と五芒星が重なった印があった。
「精霊の紋章……」
「他に何が書いてあるか見えるかい?」
汚れていて見づらいが、中央にあるのは走り書きのような文字。
「『精霊の守護者へ』とありますね」
「読めるのか!」
オスカーが好奇心に満ちた顔で身を乗り出したので、アフランは不思議に思いながら首肯した。
「僕の故郷もケデウム語ですから」
「ケデウム語で書いてあるんだね? 僕らには精霊の印は見えるけれど、文字は見えてないんだ」
驚いたアフランは再度羊皮紙を見つめる。
「何が書いてあるかご存知ないのですか?」
「そうだよ。でもまさか精霊が教えてくれるとは思わなかったな」
「どういうことですか?」
「実はさっき、君にこれを見せようか迷っていたんだ」
オスカーは椅子を引いてエレノイアを座らせると、自分も隣に座ってから話し始めた。
「この蔵書室に篭っていたと言ったろ。あれは、これを偶然見つけてからなんだ。ただの汚れた紙にしか見えないのに、厳重に保管してあるのが不思議でね。封筒も見当たらないし……。そのころは菱形と五芒星の意味も知らなかったから、ここにある本を片っ端から読み漁った」
古いエイラト語ばかりで苦労した、と苦笑いする。皇族の一員であるオスカーは公用語であるバルカタル語を最初に習ったのだろう。幸いケデウム語とエイラト語は似ているので、アフランでも読めないことはないが、言い回しが独特なのですんなり理解するのは難しい。
「そして、三百年前のバルカタルとケデウムの戦時中に届けられたものだとわかった。届けた人は城の前でこれを持ったまま息絶えていたらしい。エイラトの人ではなかったようだから、かなり過酷な道のりだったんだろう。当時の情勢を考えると、精霊にゆかりがあり、戦争に巻き込まれた場所から来たのではと思った」
「それでロナロだと?」
ロナロも滅ぼされる寸前だった。
「うーん。さすがに断定できていたわけではないよ。なにしろ昔からケデウムとエイラトは仲が悪くてね。僕がケデウムへ行こうとすると、結構大事になってしまうんだ。かといって隠されていたものに関して大々的に調査できなかったから、いろんな糸口を掴みながらこつこつ情報を集めて、条件に当てはまりそうな場所をいくつか見つけた。その一つがロナロだったってわけさ」
オスカーは子供のように目を輝かせてアフランの手を両手で握る。
「でももう存在しないと思っていたから昨年の事件は本当に驚いたよ。君たちをエイラトで預かると決まってから、実は会う口実をずっと探していたんだ。だからセイレティアから手紙をもらったとき僕は運命だと思ったね。ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう。ようやく長年追いかけていた謎が解ける」
「オスカー」
興奮して早口でまくし立てるオスカーを、エレノイアが静かに諌めた。
オスカーは子犬のようにしゅんとする。
「すまない。アフランくんにとってあの事件は辛いことだっただろうに」
「気にしないでください。ただ……」
アフランは羊皮紙にある守護者という文字に注目した。
風の精霊は知をロナロへ返せと言い、水の精霊はロナロ人のことを守護者と呼んでいた。ならばここに自身が探していた答えが書いてある気がしてならない。
だが、読む勇気が出なかった。
ロナロ人は魔力がないため村から出られない。アフランたちのように協力者がいたかは不明だが、飛馬に乗らないかぎり、エイラト城まで数ヶ月かかるはすだ。しかも戦時中。いったいどれほどの月日を要したのだろう。いったいどれほどの困難があったのか。
紙に込められた想いは、決して紙と同じ重さではない。
「アフラン、どうかしたか」
エレノイアに凝視され、ドキリとした。
天色の瞳は何の感情も映していない。
しかし、命がけで届けられたものを読む重責で、答えを前にしていながら怖気づいてしまったアフランの心を浮き彫りにしてくるようだった。
(……僕にできることをしようって、あのとき決めたじゃないか)
リタたちの救出に参加さえできなかった無力な自分を思い出す。
「いえ、何でもありません」
心臓が激しく波打っている。
大きな不安を使命感だけで抑えて、アフランは羊皮紙をめくった。
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