第18話 アフランの受難

(――は風をまといてコルテゴの枝……違う。実を、グリージャのた……谷へ落とした。リュ……二つルー? の闇が赤き……。これは違うか)


 アフランはパタンと本を閉じた。

 ふう、と一息ついて背の高い椅子に体を預け、扉の方へこっそり目だけ動かす。鷲の頭に獅子の体をもつ魔物が監視の目を光らせていた。


(うう。怖い)


 ここはエイラト州城の蔵書室だった。平民が立ち入るなどありえない場所。空気から高級感が溢れているようで、安物の服を着たアフランはどこからどう見ても浮いている。窃盗すると思われているのか、魔物の刺すような視線が痛い。


 アフランはここで精霊王に関することを調べていた。

 つい先日ツバキから「州長官に話をつけたから指定した日に城へ行ってほしい」という内容の手紙が届いてしまったからだ。ツバキとはこれまで何度か手紙のやりとりをしており、アフランも精霊について調べたことを伝えてきたのだが、なかなか求めていた答えが出ないので、しびれを切らしたのだろう。

 それにしても平民に城へ行けなど無茶ぶりがすぎる。だが皇族の頼み、しかもご丁寧に飛馬車まで用意されてしまっては断るわけにいかず、アフランは戦々恐々と城内へ足を踏み入れたのである。


 蔵書室の本は古い時代のものが多く、アフランにとっては難しい文章が並び苦戦したが、四時間ほどかけてようやく精霊王と水の精霊について書かれた本を見つけた。

 なんとなく理解したところでは、この地に水の精霊の加護があるのは六百年前の暗黒時代に精霊王が水の最上位精霊を召喚し、ウォールス山に住まわせたのが起源らしい。

 だがそれ以外で今のところ精霊王のくだりはない。

 精霊王の遺跡はロナロにあり、エイラトは現在バルカタルの一部だが元は別の国。当然といえば当然ではあった。


(ここにある精霊に関する本全部調べるとなると、とても今日一日じゃ終わらない。借りるなんてもっとできないし)


 題名から選んで持ってきたものはひとまず八冊。目次から関係しそうなところだけ読んではきたが、時間がかかりすぎている。

 調べ終わるまで通い続けるのは避けたかった。今も魔物に見張られて、いつ襲われるか気が気じゃない。

 もっと効率のいい探し方はないものかと、未読の本の背表紙をうんざりと眺めてから、ツバキから最初に受け取った手紙を広げた。

 それにはリタたちを保護したという知らせと、リタから聞いたロナロに関すること――ロナロ人たちの祈りが精霊王の遺跡を守っており、もし遺跡が壊れればすべてが滅びるらしいこと――が書いてある。


(祈りが遺跡を守るってどういうことだろう)


 ロナロでは何度も遺跡を訪れて祈りを捧げていたが、目的は平穏を願うため、つまり村や自分のためで、守る側という認識はなかった。そもそも自分たちに霊力があることさえ知らなかった。


(精霊が姿を消しても霊力のある人間なら精霊は見えるはずなんだよな。でも僕らはロナロにいる間見たことがない。じゃあロナロに精霊がいないってことか? いや、それなら水の精霊がツバキ様に助けを求めた道理がない)


 湖で出会った水の精霊を思い出し、アフランは身震いした。


(水の精霊でもあんなに他の精霊を従えてたんだ。すべての精霊の加護があるなら、遺跡を守る精霊がたくさんいてもいいはずなのに)


 しかしロナロは三百年前と昨年の、二度もたやすく襲撃されている。やはりロナロには精霊がいなかったのだろうか、という疑問が再び浮かんだ。


(うーん。ここにも答えはない気がする)


 アフランが頭を抱えたとき、扉の向こうから騒がしい音が聞こえてきた。張りのある声と複数の足音、何かをガラガラと転がす音。どうやらここへ入ろうとしているらしい。

 アフランを見張っていた魔物がさっと横へ移動した刹那、勢いよく扉が開いた。


「やあやあやあ。君がセイレティアの友人だねっ」


 アフランはぱちくりと目を丸くする。

 声の主は見慣れない服を来ていた。一見ローブのようだが生地は厚めで、裾が床まで届くほど長く、何より色柄が豪華だ。紺を基調として大胆な牡丹の絵が目を引き、随所に金箔が散りばめられている。服からして女性のようだが、顔は中性的で無造作に衣を羽織っただけの出で立ちは女性にしては奔放すぎる気がして判断に迷った。


「あ、あの……?」


 貴族社会に疎いアフランでも、ツバキの主名を呼び捨てにできる女性はそうそういないことは知っている。まさかこの女性がツバキの姉でありエイラト州長官なのかと慌てて立ち上がった。

 その人はフフッと魅力的な笑みを浮かべる。


「どんな子が来るのかと思ったら、なかなか綺麗な顔をしているじゃないか」

「はい?」


 女性がパチンと指を鳴らすと、同じように派手な服が十枚ずつかけられた車輪つきの衣装掛けが続々と運ばれてきた。広いと思っていた部屋があっという間に手狭になる。

 呆然とするアフランを気に留めることなく、女性は鮮やかな青いつつじがふんだんに刺繍された服を手に取った。


「君にはこの着物がいいだろう」

「キモノ?」

「東にある島国の民族衣装だよ。近頃また輸入しやすくなったから、愛しのエレノイアに着てほしくてね。でもどれも素晴らしく似合うだろうから選べなくて、気づいたらこんなに大量に買ってしまったというわけさ。なに、心配することはない。これは城の者たちにあげる分だから遠慮なく受け取るがいいよ」


 もはやどこから情報を整理していいのかわからず困惑するアフラン。

 エイラトはバルカタルの州となる前、サタールよりも南東にある島国と親交があったと歴史の授業で習った。とある時代の女王がその国の文化にどっぷりハマり、街並みをそのまま再現させた地域まであるらしい。国交が途絶えてからも独自に発展させて現在も残っているのだとか。

 そうした背景が関係しているかは知らないが、エイラトは他州と比べて異文化や新しい思想に寛容なのだそうだ。今のエイラト州長官であるエレノイア=ユリカが女性を恋人だと公言しても、州民の間に大きな反発はなかったという。もちろんないわけではなかったが、もしこれがケデウムであれば反乱が起きていただろう、とアフランが信頼する教師は言っていた。

 では先程「愛しのエレノイア」と発言したこの女性が恋人なのだ。

 そこまで考え、絢爛豪華な服はその島国の民族衣装であり、恋人のために買ったはいいが多すぎたので城内で配っているようだと推察する。

 だが一枚だけで目玉が飛び出る金額であろうそれを、菓子でも配るかのような軽さでアフランに渡してきた理由がわからなかった。


「あのう、僕は城で働いていませんし、そもそも男なのですが」

「うん、それは見ればわかるさ」


 だからどうしたという顔で着物を手渡そうとしてくる。


「これは女性のでは……」

「ああ、そうか」


 ようやくわかってくれたのかと胸を撫でおろした。

 だが。


「一度羽織ってみないと似合うかわからないよね。失敬失敬」

(違うそうじゃない)


 貴族に面と向かって言えないので心の中でツッコみ、もしかしたら家族への贈り物にしろという意味かもしれないと柔軟に考えて頭を下げる。


「僕はツバキ様の使いでここに来ておりますが、平民です。こんな高価なものをいただくわけには参りません」

「皇女の使いならばもっと豪華なのがいいかな?」

(だめだ。話を聞いてるようで聞いてない)


 着せようとしてきたので後ずさる。

 衣装掛けを運んできた侍女らしき人々はご愁傷様と言いたげな表情で見守っているだけで止めてくれそうもない。これは諦めるしかないのだろうかと思い始めた矢先。


「何をしておる」


 鈴を転がすような綺麗な声がした。

 アフランににじり寄っていた女性、オスカーがピタッと止まり、壁のように立ち塞がっていた衣装掛けがさっと道を開け、侍女たちが恭しく礼をする。

 そして現れたのは赤金色の髪をした美女だった。

 紅葉色の生地に金糸の流水文様ときらびやかな鳳凰が舞う華美な着物を品よく着こなし、神々しい輝きを放っている。

 アフランはその威風凛々とした立ち姿に圧倒され、何者かと理解する前に体が自然と動いた。膝をつき、頭を垂れる。

 エイラト州長官のエレノイア=ユリカだ。


「顔を上げよ」


 エレノイアはしばしば白磁の美女と呼ばれている。誰もが平伏す美貌を持ちながら、常に無表情で感情が読めないからだ。噂通り、人形のようにピクリとも動かない。

 天色の瞳に見下みおろされたアフランの全身が強張る。


「そなたがアフランか。セイレティアの友人と聞いておるが誠か」

「友人とは畏れ多いことでございます」

「昨年皇帝殺害を目論んだ罪人たちの生き残りとか」


 いきなり心臓を掴まれたような恐怖を感じた。

 アフランは恩赦を受けたとはいえ重罪を犯したことには変わりない。相手は皇族。ツバキが親しげだったからといってエレノイアもそうとは限らず、少しでも気に入らないところがあれば首が飛ぶかもしれないと手が震える。


「知らぬと思うたか? セイレティアの頼みとはいえ平民を城へ入れるのだ。調べないはずがなかろう」


 高圧的な声に身がすくむ。


「セイレティアを誑かし何を企んでおる」

「企んでなど……」

「誑かしていることは認めるのだな」

「違います!」


 青ざめたアフランは必死に訴えた。だがエレノイアの表情は変わらない。


「反論するとは何事か」


 エレノイアが一歩近づき、アフランは恐ろしさで目をギュッと瞑った。叩かれると思ったのだ。

 しかし痛みではなく柔らかなものが背にかかる。目をそっと開けると、黒地に銀色の紋様が装飾された着物を羽織っていた。


(?????)


 目が点となる。

 状況がわからない。

 フフッとオスカーが笑った。


「ごめんねアフランくん。エレノイアはからかっただけだよ。ね?」

「小動物のように怯える様がかわいらしくて、つい興奮してしまった」

「ノリノリだったねっ」


 グッと親指を立てるオスカー。どうやら本気で疑っていたわけではなさそうだと理解するも、エレノイアの表情は固く、淡々とした口調も先程と変わらない。いったいどの辺りでからかわれていると判断すればよかったのかと、真面目なアフランは悩んだ。


「よく似合っておる」


 エレノイアの感情のない顔が近づき、たじろぐ。

 そういえば着物をかけられたのだと思い出した。


「他にも着てみるがよい」

「まだ調べ物が残っていますので」

「男性用も用意してあるから案ずるでない」

「そういうことでは……」

「選べぬならわたくしが選んでやろう。まずはそれを脱げ」


 危険を察知し後退するアフラン。

 しかしエレノイアもじりじりと近づいてくる。今まで空気と化していた侍女たちも州長官に合わせてアフランを取囲み、オスカーに至っては「着せ甲斐がありそうだね。これなんてどうかな?」とすでに選び始めていた。


「え、ちょっとお待ちくださ……。ああっ」


 女性たちの着せかえ人形になりながら、ツバキの手紙に書かれていた注意点を思い出す。


(州長官に絡まれたら大人しくしていた方が早く終わる、だったっけ)


 不憫な美少年はしばらく心を無にすることにした。

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