第17話 試されし龍の長い夜
カオウは何度目かの寝返りを打った。
夜になりベッドに入って一時間。真新しいシーツの香りと布団のぬくもりが眠りへと誘うが、なかなか寝付けない。
ツバキが気がかりだった。
昼過ぎに一度目覚めたツバキは、寝汗を流すため風呂に入リ、少しだけスープを飲むとまた眠りについてしまった。
再度診察に来た魔道士によると、魔力の生成を抑えながら体を作り変えようとしているため、体力の消耗が激しいらしい。魔力を吸ってやれば少しは楽になるかと思ったが、静かに眠っているうちは無闇に吸わない方が良いと言われ、結局カオウは見守ることしかできなかった。
無力な自分に嫌気がさし、また寝返りを打つ。
(これからどうなるんだろ)
レインはツバキに力を与えて何をさせようとしているのか。これが寿命差を埋める方法なのか、それともジェラルドが心配したように利用しようとしているのか。
以前空間で言われた中にヒントがあったか考えてみるが……。
(変なことばっか言ってた気がする)
ツバキに拒絶されて傷ついていたところをいじり倒されただけだったと思い出す。
(ほんとにあの変な女が女神なのか?)
レイネスはあらゆる世界の天界を統べる天帝の娘であり、神話では包み込むような優しさで古代の英雄たちを導いた愛と叡智の女神として知られている。
一方カオウが会ったレインは、変な妄想をして体をくねくねさせていた。
イメージが違いすぎる。
(…………考えるのがアホらしくなってきた)
カオウはまた寝返りを打った。
広すぎるベッドで一人で寝るようになり早八ヶ月。ツバキが恋しくなり隣の部屋へ行こうと何度悩んだだろう。高度な結界が張られているとはいえ、所詮人間の結界だ。本気を出せば破れるが、そこまでして侵入するのは体裁が悪いので我慢した。
一度も警報を鳴らしたことがなく、しかも今日はそういう類の気持ちからではなく本気で心配して隣で寝たいと主張したというのに、女官と侍女たちに信じてもらえなかった。
非常に不愉快な話だと鬱々としていると、ふと、視線を感じた。
誰もいるはずがないと思いながら薄目を開ける。
ベッド脇にツバキが立っていた。しかも光沢のある白い生地の下着姿。胸からふとももの中間あたりまでふわりと広がるシルエットが可憐で、白銀色の髪と白い肌が月光を浴びたように淡く光っており、月の精と言われても信じてしまいそうなほど美しい。
けれどもツバキは人間である。光るわけがない。
「!?」
ガバッと布団をめくり起き上がろうとした瞬間、ツバキが倒れ込み、体が重なった。
「えっ。ちょっ。えっ」
露出の多い下着姿はとても魅力的……もとい、寒そうだと考え直す。
いつもなら抱きしめるところだが、突然の状況に狼狽えてしまい触れるか触れないかの微妙な位置で手が彷徨った。
「カオウ……」
潤んだ瞳で見つめられ、心臓が高鳴る。
ツバキが両腕をカオウの首の後ろへ回した。顔が近づき、頬と頬がくっつく。吐息が耳にかかった。
「お願い……。我慢できないの……」
ごくりと唾を飲み込む。
手で触れていなくても重なった部位から女性特有の柔らかさは伝わる。ドッドッドッドッと鼓動が激しく鳴り、カオウの体が熱くなった。
(ど、どうしたらいいんだ)
「な、な、ななな何が、なに」
「カオウ、今すぐ、お願い……」
一音ごとにツバキの熱い息が漏れるたび、全身がゾクゾクした。手がツバキに触れたくて震えるがかろうじて堪える。
「ツバキちょっと待っ」
「魔力……吸って……」
「ま、魔力?」
力なく上げた右手の印から、もやのような魔力が絶えず湧き出ていた。ツバキの肌が光っていたのは、行き場を失った魔力が全身にまとわりついていたからだった。色は金だけでなく白銀も混じっている。通常、印を結ぶと魔物の魔力の色となるが、ツバキ自身の魔力が変換されずに溢れているようだ。体内の魔力量が限界を越えそうなのだろう。
ツバキを右腕で抱き、手首を掴んだ途端、魔力のもやがカオウの中に勢いよく入ってきた。いつもはカオウが吸う量を調節しているが、魔力の方から我先にと吸い込まれていく。体中に巡るのも早い。味は変わらず美味しいがあまりに大量でカオウは酔いそうになった。
たまらず手首を離したが、印から出る魔力は途切れることなくカオウの手にまとわりつき、入りきらない分が腕にも絡み始める。
「ツバキちょっと待って。そんなに一度には無理だ」
「もっと吸って……」
無意識なのか故意なのか、ツバキの足がカオウの脛を撫でた。動いた弾みで下着の裾がめくれ、ツバキのふとももが露わになる。カオウは夜目が効く上に、今のツバキの肌は淡い光に包まれている。はっきりと普段目にする機会のない部位を見たはずみで――本能的に手を伸ばした。
(柔らかっ……じゃない。熱い)
自分の体が熱いのかと思っていたが、ツバキの熱が再び上がっていたらしい。心配になってツバキの顔を見ると、紅潮した頬と少し開いた唇が色っぽく――衝動的にキスした。
(ダメだろ俺!)
と思いながらも唇は離さない。
ツバキも嫌がっておらず、目を閉じてカオウの右腕に体を預けたままだ。
ふとももに触れていた左手をさらに上へ滑らせる。足の付け根まで到達した指を広げてさらに進もうとすると「んっ」と色っぽい声が漏れた。
はっとしたカオウは手と唇を離す。
「これ以上は無理」
「え……?」
ツバキの瞳が不安げに揺れる。
「もう吸ってくれないの?」
大粒の涙を零し始めるツバキ。
「苦しいの……」
「で、でも」
「おねがい」
ツバキが甘えるようにカオウに抱き着き、肩に頬ずりした。
胸の弾力に意識が集中する。かつてここまでツバキが積極的だったことがあるだろうか。いや、ない。
(これはご褒美か? それとも試練か?)
カオウは悩みに悩んだ。
今のカオウは猛暑の砂漠を長時間彷徨い続けた先で清流を見つけたような心境だ。喉がカラカラに渇いているのに水を飲まない遭難者がいないように、庇護欲を掻き立てる涙と無防備な格好、柔らかな肢体を前にして何もしないという選択肢はない。
しかし今ツバキに手を出せば、ただでさえ少ないジェラルドの信頼がゼロになるのは明らかだ。下手すると不純異性交遊どころか接触禁止にされてしまう。
(ギジーが一匹ギジーが二匹……)
錯乱したカオウはなぜか柵を飛び越えるギジーを数え始めた。だが。
「好きなだけ吸っていいから……」
(好きなところから吸っていいだって!?)
カオウは都合よく解釈した。ギジーが転んだ。
両肩を抱いて正面で向かい合う。ツバキは目に涙を溜めて苦しそうにカオウを見つめている。
綺麗な碧眼はまさに清流のようだ。カオウのためだけに流れる水に頼らず何でこの渇きを潤せばいいのか。ツバキの苦痛とカオウの苦痛を和らげる方法は一つ。
(魔力吸うのはいいって言ってたよな。これは魔力吸うためだ。やましい気持ちはない)
頭の中でジェラルドへ言い訳をして、かねてから吸ってみたいと思っていた箇所を凝視する。
正確には、それを隠している唇を。
「舌に印つけていいか?」
「たくさん吸えるの……?」
「そこが一気にたくさん吸える」
しれっと嘘をついた。つけたことなどないから知るわけがない。
熱で朦朧としているツバキは理解していないのか、こくんと頷いた。
「じゃあ口開けて」
言われるがままツバキが口を開ける。
可愛らしい舌が見え、カオウの息が荒くなる。味を想像して唾液も出てきた。
期待と興奮で震える指を口の中に入れる。ツバキの舌はしっとりとして温かく、口の中に指を入れる背徳感でゾクリとした。
「ちょっと痛いけど我慢して」
舌に爪を立てる。痛かったのか指を軽く噛まれたが、カオウはそのまま指先に集中した。印が広がっていく。先の尖った四枚の羽と三つの尾。完全に龍となれば六枚の羽と三つの尾になるという。
刻み終えると、ゆっくり指を抜いた。
「見せて」
ツバキが恥ずかしそうに舌を出す。
印は自分のものだという証だ。金色の線を確認したカオウの頬が緩む。
(なんかエロい)
堪えきれず舌を絡めた。よほど魔力を吸ってほしいのか、ツバキも切なそうな顔で必死に絡めてくる。ツバキから求められる喜びと甘美な刺激が胸の奥を震わせ、甘い魔力を貪るように吸い取る。
ツバキの魔力は他のどの魔物よりも濃くカオウ好みの味だが、ここはさらに濃厚だった。一度知ってしまったら、他からは吸えなくなりそうな危険な味。
(……頭の中溶けそう)
深く唇を重ね、舌を吸う。魔力は十分たまっている。それでも心の渇きは満たされず、カオウはツバキをベッドに押し倒した。
服の上から胸に触れ、反対の手で手首を押さえつける。
唇を離して唾液を舐めとり、首筋へ舌を這わせてビクッと反応するツバキを目で楽しむ。舌と手の感覚がカオウの体の熱を上げ、欲求を高め、理性を奪っていく。
匂いと質感を堪能しながら胸までおりた口づけは下着に阻まれて止まった。
(邪魔だな)
肩紐に手をかけ、腕に沿っておろしながら見えてきた胸の膨らみにキスをして……我に返った。
バッと上体を起こす。
「やっぱ魔力吸うだけなんて無理! つーか、とっくに魔力満杯だし!!」
ツバキの体にまとわりつく魔力は薄くなっているが、消えてはいない。
一体どれだけ魔力が増えたのだろうと怖くなった。今日はあまり消費していなかったとはいえ、以前のツバキなら気絶している量を吸い取ったはずだ。
焦りが生まれる。
このままではクダラの言う通り、他の魔物に吸ってもらわなければならなくなる。
「ちょっと外へ行ってくる」
カオウはツバキの頬を撫でた。
こんな状態のツバキを一人にはしておけないが、どこかで頭を冷やす必要がある。
(極限まで魔力消費して、パッと吸って部屋に帰そう)
肉体的にも精神的にも限界のカオウは、この残酷な試練を終わらせるべく瞬間移動しようとした。
ところが。
「行かないで」
ツバキに手を掴まれた。
碧眼に涙をいっぱい溜めて乞う顔には、清純でありながら色を知り始めた少女の蠱惑的な艶があり、カオウの情欲をこれでもかと刺激してくる。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ)
今すぐ襲いたい衝動をかろうじて抑える。
「で、でも今すぐ外いかないと色々と障りが……」
「さっきの続き……して」
ピカッと上空が金色に光り、ドドーンッと轟音が響いた。
カオウが帝国中に雷を落としたのだ。
結果、大量の魔力消費に成功。ただし、かろうじて残っていた理性も吹き飛んでいった。
「…………」
カオウは片手で目元を覆い、長く息を吐く。
指の隙間から覗く瞳孔は、龍のようになったり人間に戻ったりせわしなく変わっている。
「いいんだな、本当に」
「うん……。まだ吸ってくれる?」
「ああ。たっぷり吸ってやる」
服を脱いで上半身裸になった。
手首から魔力を吸う気はない。
「やだって言っても、もう止められないからな」
カオウはツバキの唇を奪い、手を柔肌へ滑らせた。
※※※
翌朝。
小鳥のさえずりで爽やかに目を覚ましたツバキは思いっきり伸びをした。
「んー。久々に気持ちよく寝られたわ。魔力も落ち着いたみたいだし、よかった」
侍女を呼ぼうと呼び鈴へ手を伸ばしたが、いつもの位置になく、自分の部屋ではないことに気づく。
「カオウの部屋?」
昨夜の記憶がなかった。
首を傾げ、カオウの部屋なら本人が隣で寝ているのかと思ったがいない。
見回すと、部屋の角で毛布にくるまり膝を抱えて座っている姿を発見した。
「どうしてそこに?」
顔が真っ青だ。というより、干からびたように憔悴している。
「えっと……。どうして私カオウの部屋にいるの?」
素朴な疑問を投げかけると、怪訝かつ呆れた顔を向けられる。
「覚えてないのか?」
「ええ、まったく」
「マジで!?」
カオウがいきなり憤慨して立ち上がった。毛布が落ち、鍛えられた肉体が視界に入る。
「きゃあ!」
下着一枚の姿を見てしまい、慌てて下を向いた。向いて、愕然とした。
自分も上半身裸だったからだ。
「えっ? えっ?」
何度見ても裸だ。しかも、変な痕がついている。
「これってまさか」
サーッと青ざめる。
久々に見た変な痕、キスマーク。体のいたるところにある。
「ここにも、こっちにも、こんなところにも! 印も増えてる……。カオウ何したの!?」
布団で体を隠してカオウを見ないようにしながら叫ぶと、三秒ほど間が空いたのち不機嫌な声が返ってきた。
「何もしてない」
「そんなわけないでしょ。こんなにたくさん体についてるのに!」
「最後までしてねーし! ツバキも下ははいてるだろ!」
キレ気味に言われ、半信半疑で布団の中を覗く。
確かにはいていた。はいてはいたが。
「ちょっと脱げかけてるんだけど!?」
「そうだよ、すっげーしたかったけど、我慢したんだ。あそこまでして途中でやめるなんて、人間の男でも無理だぞ。絶対できない。それでも俺は耐えたんだ。偉いだろ。だって俺が欲しいのは一時じゃないし。やっぱ最初は雰囲気大事にしたいし。じっくり時間かけたいし……」
ブツブツ言い始めたカオウを無視し、ツバキは下半身についた痕を確認し始めた。よく見えず、空間から手鏡を取り出す。
いろいろな角度から自分の体を見て……羞恥心で泣きそうになった。
枕をカオウへ投げつける。
「カオウのバカ! エッチ! 変態!」
「はあ!? 魔力吸う過程でついたんだから治療みたいなもんだろ」
「歯形つけるのも!?」
「俺がどれだけつらかったか知ってるか? 何度やめようとしても、ツバキが誘惑してくるし」
「誘惑なんてしてない!」
「しかも魔力が落ち着いたらぐっすり寝やがって。こっちはムラムラして一睡もできなかったってのにさ。あれは試練じゃなくて拷問だぞ。あーくそ。腹立ってきた。昨夜何があったか思い出させてやろうか」
寝不足で苛立つカオウから危険なオーラが放たれる。
「ち、近づいてこないで! 服着て!!」
魔法で行動を止めようか瞬間移動して逃げようかわたわたしている間に、布団を剥ぎ取られた。
その直後。
「ツバキ様ここにいらっしゃるんですか!?」
バターンッとドアが開き、サクラが現れる。
「…………」
固まる三人。
「いやー!!」
「きゃー!!」
「わーー!?」
事後のような主人の姿に衝撃を受けたサクラ、見られて恥ずかしいツバキ、二人の声に驚いたカオウがそれぞれ叫ぶ。
その後、騒ぎを聞きつけて続々と現れた侍女たちによってさらなる混乱に陥り、カオウは必死の言い訳も虚しく白い目で見られることになるのだが――。変な痕がすべて消えるまで一週間かかるとは、誰も想像できなかった。
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