第16話 レインの正体

「魔力が影響しているだと!?」


 治癒魔道士の報告を受けたジェラルドは、血相を変えて立ち上がった。


「はい。セイレティア様の体内に膨大な量の魔力がこもっています」

「クリスティアと同じ病ということか」

「少し異なります。ご存知の通り、個人が内包できる魔力には質・量ともに限りがございます。クリスティア様は元から病弱だったこともあり、年々高くなる魔力の質に体が耐えられませんでした。ですがセイレティア様は健やかにご成長なさいましたので、強度は問題ございません」


 姿勢良く立っていた魔道士は素知らぬ顔で言った。

 彼は病弱だと世間で思われている皇女セイレティアが、寝込んでいると聞く割に治癒魔道士を呼ぶ回数が少ないことや、時折行う健康診断でまったく異常がないことも把握している。ツバキが公務を病気で休むのも仮病だと気づいていたはずだが、言及したことはない。

 長らく皇宮にいる彼にとって、仮病など大した事ではないのだろう。すました顔の下に一体どれだけの秘密を隠しているのかは、ジェラルドさえあずかり知らぬところである。


「量が問題ならば、消費すればいいのだな」

「授印様に吸い取っていただければ、一時的にはよくなるかと」

「一時的?」

「通常、体の成長に伴い魔力の最大値も上がりますが、今のセイレティア様は何らかの要因で体の準備ができる前に魔力を増やそうとしているようです。器に無理矢理物を詰め込んだ状態、と申しましょうか。器が柔軟であれば量に見合った大きさへ変化していきますが、柔軟でない場合、あるいは変化が遅い場合は……」魔道士が言いにくそうに口籠る。

「器が壊れるのだな」

「……左様です。一時的に消費したとしても魔力は回復しますので、根本的な問題の解決には至りません。こればかりは、体が馴染むのを待つしかないのです」

「うむ……。ご苦労だった」


 一礼した治癒魔道士が部屋を出ると、ジェラルドは両肘を机について指を組み、口元を隠した。

 誰もいないはずの場所へ視線をついとずらし、穿つように見る。


「さて。今日こそ洗いざらい話してもらおうか」


 低い声で告げるとカオウが姿を現した。こっそり魔道士との会話を聞いていたのだが、ジェラルドと目を合わせないように立つ姿は叱られる前の猫のようだ。


「なんのことだよ」

「始祖の森へ行った目的、そこで起こったことすべてだ」

「もう言っただろ」

「森へ遊びに行ったら雷寵に襲われ、仕方なく一羽残らず殺したという話だったな」

「ああ」

「ほーお? 森で最も危険な区域へふらっと遊びにねえ。それで偶然雷寵と出会い? 顔見知りなのに突然攻撃されて? 派手に応戦したと? 一人ならまだしも、セイレティアがいたらお前は躊躇なく逃げると思うがなあ。ふーん。あいつを最優先するお前がねえ」

「でも本当だし」


 言い方がねちっこいジェラルドと、反省した様子もなく苦虫を噛み潰したような顔をするカオウ。

 見かねたクダラがのっそりと起き上がり、二人の間に座った。


『リハルと森を見に行ったが、場所からしてお前たちはあの木へ近づいたようだな』

「あの木?」

『魔物を取り込んでいたガシュラがあっただろう。だが今は魔物が一頭もいなかった。何をした? セイレティアの魔力が急増した要因かもしれないのだから、正直に話せ』


 老いた獣の瞳が力強く光る。

 カオウは渋々来客用のソファに腰掛け、動揺を気取られないよう横柄に足を組んで腕を背もたれへ乗せた。


「確かにツバキはあの木に近づいた。そしたら蔦が動いて……」

「魔力を吸われたのか!?」


 ジェラルドが突然怒鳴った。クダラも今にも飛び掛かりそうな形相に変わっており、カオウは慌てる。


「そ、そう思ったけど見間違いだった」

「本当か?」

「たぶん」

「どっちなんだ!?」

「あの木がどうしたってんだ」

「…………」


 ジェラルドは怒りを必死に抑え、深く長い息を吐いた。


「あのガシュラは特別なんだ」

「魔物から魔力吸い取ってるのに?」


 カオウは不快になり顔を歪めた。完全に魔力がなくなれば魔物は死ぬ。つまり残り僅かな命を奪っているのだ。

 カオウの気持ちを汲んだクダラが穏やかな声で宥める。


『無理に奪っているのではない。魔物は魔力を捧げることで、安らかな死を迎えられる』

「なんだよそれ。まさか本当に神の国の入り口があるっていうんじゃないだろうな」

「……森へ行った目的を言え」


 ジェラルドはカオウの質問には答えず、威圧的に命じた。逃げることを許さない鋭い眼光。

 しつこい男だなと思いつつカオウは観念して、背もたれから腕を下ろした。

  

「お前も知ってるだろ、俺とツバキにはどうしても埋められない寿命差がある。レインから、その解決策を知りたければ森の中心へ行けと言われたんだ」


 ジェラルドの眉がピクリと動く。


「空間に現れるという女だったか。そいつは以前セイレティアが拉致されたことや、記憶を消したことも知っていたな。お前は正体を知っていて信用したのだろうな?」


 カオウはグッと口を噤んだ。

 始祖の森での出来事を思い出して悔しそうに手を握りしめると、ジェラルドが乾いた笑いを漏らす。


「馬鹿者。知らないくせに深く考えもせず森へ行ったのか。その様子では何の収穫もなかったのだろう。それどころかセイレティアが病気になり、馬鹿なりに責任を感じてコソコソ治癒魔道士の後を追って、魔力量が問題とわかった途端早く吸いに行きたいと馬鹿みたいにそわそわしているというのだな。お前には今日からバカ王の称号をくれてやる」

「なっ。こっちは真剣に悩んでるのに!」

「後先考えず行動した馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」

「レインは普通じゃ知り得ないことも知ってたから、もしかしたらと思ったんだ」

「言い訳はいい。森で起こったことを一から順に包み隠さず話せ」


 他にも隠していることがあるはずだ、と言わんばかりのジェラルドに気圧され、カオウはたじろぎなから話し始めた。ガシュラを見てからツバキの様子が一変したこと、会った時点では普通だった雷寵も豹変して襲いかかってきたこと、瞬間移動しようとしてもできなかったこと、その原因はレインである可能性が高く、ツバキもレインの声が聞こえたと言っていたこと。そして、木にレインがいた気がしたこと。

 口を閉じると、ジェラルドは頭痛を逃がすようにこめかみをグリグリと押し、ジロッとカオウを睨んだ。


「よくそんな重要なことを隠そうとしたな」

「だって……」

「黙れ」


 鬱陶しそうに手を振ったジェラルドはクダラと互いに顔を見合わせたまま黙り込んでしまった。思念で会話しているのだろう。徐々にジェラルドの顔が強張っていき、カオウはそんなに深刻なことなのかと不安に駆られた。

 話し終えたジェラルドが椅子に体を預けて苛立つ気を静める。


「確認だが、レインを見たのはセイレティアが先なのだな。お前ではなく」

「ああ。それまで俺の空間に現れたことはない」

「目的は最初からあいつだったということか」


 苦悩した顔を手で隠すジェラルド。ただならぬ雰囲気にカオウの肩にも力が入る。

 認めたくはないが、と前置きしてジェラルドは続けた。


「レインはレイネスだ」


 カオウは耳を疑った。

 レイネスとは、この世界の創造主であり、始祖へ印を授けた女神だ。


「ガシュラにレインがいたからって、女神ってのは飛躍しすぎだろ」


 空間を自在に操るレインが高位の魔物である可能性は考えていたが、女神とは流石に思えない。しかし彼らの真剣な表情からそれが冗談ではないと知る。


『ゲンオウは話していなかったのだな』


 クダラがカオウの前に移動した。姿勢よく座り、教えを施すようにゆっくりと話し出す。


『六百年前、大半の妖魔は我々が消滅させたが、一体だけ、完全に滅ぼせないものがいたのだ。そこで女神は自分の肉体と共に妖魔を封じるため大地に眠り、ガシュラを通じて魔物から取り込んだ魔力で妖魔を抑えている』

「だからガシュラにいたレインは女神だって? でも、ツバキは魔力を吸われていない。あのときむしろ元気になったって言ってたんだ。今も量が多すぎて病気になっているんだろ」


 クダラは頭を下げ、一呼吸置いてからカオウを見据えた。


『女神はアーギュストに印を授けて魔力を増幅させた』


 カオウははっとした。ただの人間だった少年が数多の魔物と契約できたのは女神と印を結んだからだ。


『あくまで推測にすぎないが、女神は意識だけ眠りから覚めたのだろう。そして印を与えられる者を探していた』

「ツバキに印はない。ついてたら侍女が騒いでいるはずだ」

『肉体が目覚めていないからかもしれない。もっともそうなれば、封じている妖魔も目覚めてしまうがな。とにかく魔力量が増加したのは事実だ。今後も増え続けるようなら、他の魔物とも印を結ばねばならない』

「ダメだ!」


 予期せぬ言葉に全身を貫くような衝撃が走る。想像しただけで怒りが込み上げ、拳を強く握りしめた。


「そんなの絶対ダメだ」

『しかし体に負担がかかっている』

「魔力吸えばいいんだろ」

『いくらお前でも一度に吸える量には限界があるはずだ』

「ツバキは全部俺のだ。他の奴には渡さない」


 怒りに震えたカオウは立ち上がり、クダラと同じことを命じてくるであろうジェラルドを睨みつけた。

 だがジェラルドは無言で頬杖をつき、カオウを見てもいなかった。表情は苛立ちよりも憂慮が勝っているように見える。


「なんだよ。他に何か気になることでもあるのか?」

「……まあ、そうだな」


 ジェラルドはなぜかクダラを一瞥する。


「女神が正体も目的も隠していたのが気になってな」

「どういうこと?」

「セイレティアに魔力を与えると正直に言えば、お前は警戒して反対しただろう」


 カオウは少し考えてから頷いた。魔力量が増えて他の魔物と契約する事態になるとわかっていたら、森へ行くはずがない。

 ジェラルドが再びクダラの顔色を窺う。クダラの目に好奇の光が宿り、杞憂だと気づいたのか苦笑した。


「創造主である女神を悪く言いたくはないが……。女神はセイレティアに近づいて信用を得てから、お前たちの悩みを利用して森へ行くよう仕向けた。これが意味するところはわかるか?」

「女神を信じるなってことか?」


 さっぱりわからず眉根を寄せると、ジェラルドはボソッと「バカ王め」と呟いた。


「お前たちが策略にはまって誘い込まれたことに私は危機感を持っている。セイレティアの信用を得ればお前も動く。つまり、龍の力が悪用される可能性があるんだよ。逆も然りだ。お前たちの行動がどんな影響を与えるか、いい加減自覚しろ」


 カオウは反論できず閉口した。

 確かに詳細も知らずに森へ行ったのは軽率だった。レインは何度かツバキを助けており、だからこそカオウもレインは敵ではないだろうと判断して森へ行ったのだ。


「もしあいつが死んでいたら、森の破壊だけでは済まなかっただろ」


 ジェラルドが冷徹な瞳を向ける。これまで感じたことのない、殺気を滲ませた怒りがそこにあった。


「もう用はない。早く消えろ」


 言い返す隙も与えずジェラルドは呼び鈴を鳴らした。

 すぐに侍従が現れるだろう。

 無言のまま、カオウは部屋から消えた。

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