第15話 森から持ち帰ってきたもの

 夜のとばりが下り、白銀の月光が城を優しく包むころ。

 カオウは突然の状況にパニックに陥っていた。

 ベッドで一人寝ていたはずが、気づけばツバキがカオウの上に重なっていたのだ。

 しかも華奢な肩を露出させた下着姿。絹の薄布は柔らかな胸の弾力をもろに伝え、腰からふとももにかけて美しい曲線を描き、普段の清楚なツバキからは感じられない艶めかしさを引き出している。

 ツバキは潤んだ瞳でカオウにすり寄り、腕を首の後ろに回して熱い吐息を耳に掛けた。


「お願い……。我慢できないの……」


 ごくり、とカオウは唾を飲み込む。

 ツバキの部屋には夜は結界が張ってあり、侵入すると警報が鳴る。瞬間移動したとしても同様だ。しかしツバキが部屋から出る場合は感知しない。

 ツバキから夜這いするなど誰も想像していなかったからだ。


(……ど、どうしたらいいんだ)


 カオウは頬を紅潮させて無防備な姿をさらすツバキをドギマギと見つめた。




 遡ること、その日の朝。


「熱が下がりませんね」


 皇女付き女官アベリアは、ベッドで横になっているツバキの額から手を離した。


「これはただの風邪ではありません。約束通り、今日こそ治癒魔導士様に来ていただきますからね」


 ツバキがむうと口を尖らせる。

 始祖の森から帰った二日後、ツバキはやけに体が怠いと感じた。今年は四の月になってもなかなか気温が上がらないため風邪かと思ったのだが、なんとなく普通の風邪の症状ではない気がした。始祖の森でのことが頭をよぎったが、ジェラルドとクダラにはガシュラに捕まったことまでは話していない。それでなくとも散々怒られたばかりである。風邪の可能性もあるので様子をみることにした。

 だが日が経つにつれて体が熱っぽくなり、ついにアベリアに気づかれてしまった。治癒魔導士に診てもらえば熱は引くだろうが、確実にジェラルドの耳に入ってしまう。

 そこで侍女の顔見知りの薬剤師に魔法薬を作ってもらい、それで治れば報告はしないと約束したのだが……。

 結果、熱は下がるどころかさらに高くなっている。


「仕方ないわね」


 高熱が続き、さすがにつらくなっていたツバキは怒られる覚悟を決め、上半身だけ起こして準備をするよう侍女たちに命じた。


「起きてるのがつらいなら俺にもたれとけ」


 ベッドの縁に座ったカオウがツバキの頭を撫でる。

 ツバキは素直にカオウの肩に寄り掛かり、クスッと笑った。


「なんだか前もこういうことあったわよね。一昨年だったかしら。カイロの冬のお祭りに行きたくて、みんなに内緒で夜に抜け出して」

「ああ、真夜中まで遊んで熱出したっけ。あのときはアベリアにかなり怒られたよな」

「怖かったわね」


 クスクスと笑い合うと、聞き耳を立てていたアベリアがゴホン、と咳払いした。

 侍女から櫛を受け取り、二人の前に立つ。


「お望みでしたらいつでも怒って差し上げますよ」


 真顔が怖い。早く治癒魔導士を呼んでいれば悪化することはなかったのに、という不満がひしひしと伝わってくる。


「髪を整えるからカオウは離れてちょうだい」


 じろりと睨まれたカオウはすごすごと引き下がり、白銀の髪を梳き始めたアベリアを後ろから眺めた。

 アベリアはカオウよりも早くツバキと出会い、他の女官や侍女、家族からも無視されていた幼少期にただ一人寄り添っていた人物だ。

 今のツバキはジェラルドやアルベルト、エレノイアと良好な関係を築けており、新しい侍女たちに慕われてはいるが、それもアベリアの尽力が大きい。

 彼女はカオウとは違う形でツバキを守ってきた。それを知るからこそカオウはアベリアには認めてもらいたいという気持ちが湧く。

 とはいえ、どうすればいいかはまだつかめていないのだが。


(最近はウィンヒのことがあったり、始祖の森壊したりしてるからなぁ)


 うーんと腕組みをする。

 アベリアは昨日はツバキのわがままを聞いてくれたが、ずっと心配していたはずだ。小言を言いながらも髪を梳く手付きは優しく、普段は侍女に任せる身支度を行っているのが何よりの証左だろう。

 カオウはしばらく大人しくしていようと一人で頷いた。


「セイレティア様、どうされました?」


 突然、アベリアが手を止めた。ツバキの異変に気付き、顔からサーッと血の気が引いていく。


「ツバキ!?」


 瞬時に駆け寄り、ツバキの肩に手を置いたカオウは驚愕した。

 体が尋常じゃなく熱い。にもかかわらず、真冬の外に長時間いたのかと思うほどカタカタと震えていたのだ。

 カオウは掛布団をツバキの首までかぶせ、「魔導士を早く呼べ!」と叫んだ。

 茫然としていたアベリアがはっとし、寝室から出る。

 ツバキはぐったりして呼吸も苦しそうだった。

 

「すぐに治してくれるからな」


 呼びかけても返事がない。居ても立ってもいられず、ベッドに入ってツバキを背中から抱きしめた。

 意識が朦朧としているツバキをつらそうに見つめる。


「魔力で治ればいいのに」


 魔物カオウならば魔力を与えられればすぐに治るが、人間ツバキはそうはいかない。

 人間は脆い。人間は弱い。もし願いが叶い、自分も人間になったとしたら。

 カオウの顔から表情が消えた。


 ──ツバキヲ……ニ。


「カオウ! ツバキ様から離れなさい!」


 サクラが慌てて寝室に入ってきた。

 直前に浮かんだ考えが何だったのか思い出せずカオウはしばし我を忘れたが、サクラに腕を引っ張られるとうざったそうに眉を寄せ、手を振り払う。


「うっさいな」

「もうすぐ治癒魔道士様がいらっしゃるのよ。ベッドに男性がいるなんて、絶対見つかっちゃダメでしょう!」

「授印なんだからいいだろ」

「そういう問題じゃありません。ほら早く降りて」


 まったくと言っていいほど怖くない睨みを受けたカオウは、ベッドから降りると姿を消した。これでツバキ以外にカオウは見えない。侍女たちが眠ってしまったツバキを丁寧に寝かせた後、こっそりベッドに戻る。


 やって来たのは、清潔感溢れる純白のローブを着た六十代ほどの男性だった。

 多くの治癒魔法士が所属する機関の最高位である治癒魔道士は、帝国に上限六名しか認められていない。その内の一人である彼は、ツバキやジェラルドと同じく魔物と契約せずとも魔法を使える、所謂覚醒者だ。

 高潔を絵に描いたような外見の魔道士はゆったりとした動作でベッドの横に立ち、ツバキの額に手をかざした。

 淡い光が灯る。

 魔道士が目を細めて光に集中すると、時が静止したような緊張感が部屋を支配した。部屋にいる女官、侍女、カオウでさえも身じろぎできず、じっと見守る。

 長い沈黙は一時間は続いたように感じたが、実際には五分ほどだった。光が消えた瞬間、一斉に息を吐く。

 ツバキを挟んで魔道士と向き合っていたカオウは、魔道士の顔が曇ったことに気づいた。


「これは……」

「深刻なご病気なのですか?」


 アベリアの顔が強張る。

 振り返った魔道士の目には狼狽が見て取れた。


「魔力が体に合っておりません」

「そんな」


 フラッとアベリアがよろけた。近くにいた侍女のカリンが咄嗟に支えるが、アベリアは真っ青だ。

 何かを察した魔道士が慌てて付け加える。


「伝え方の配慮が足りませんでしたね。大丈夫ですよ、命を脅かすほどではない。熱は取り除いたので、昼過ぎには目覚めるでしょう」


 魔道士はアベリアの額に手をかざし、また光を灯して治癒を施す。疲労が消えたのを確かめてから、労るような諭すような口調で囁いた。


「気を確かにお持ちください。クリスティア様とは症状が違います」

「…………はい」


 深々とアベリアが礼をする。

 魔道士が立ち去ると、カリンがそっとアベリアの背中に手を置いた。


「少しお休みになっては」

「いいえ、目覚めるまでおそばについているわ。あなたたちは下がっていいわよ」

「ですが……」


 言いかけたカリンは女官の心情を察したのか口を噤んだ。目を伏せて承諾すると、サクラとモモと一緒に後ろ髪をひかれるように部屋を出る。

 三人だけになり、部屋が静まる。

 カオウは姿を消したままだ。

 アベリアはベッドの横に用意した椅子に座り、ツバキの手を両手で握りしめた。

 熱が引いて穏やかに眠る主を、なおも悲痛な表情で見つめる姿は痛々しい。

 アベリアはツバキに仕える前、ツバキの実姉である第二皇女クリスティアの女官だった。クリスティアは十六を迎える前に天界へ旅立ったが、原因は高い魔力を抱えるには体が弱すぎたせいだ。


「セイレティア様……」


 いつもの凛とした声は弱々しく、心からツバキを心配しているのが伝わる。

 二人きりにした方が良い気がして、カオウも部屋から消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る