第14話 始祖の森の中心へ 2

 カオウたちは不自然なほど凹凸のない道をひたすら歩いていた。一歩進むたびに石混じりの地面が下から押し出されるように現れ、目の前の木が脇へ寄せられる。

 目的地まで言葉通り一直線で向かっているらしいが、距離も時間も告げられていない上、先も見えない。緊張と沈黙に耐えきれなくなったツバキは抱き上げられたまま思念を送った。


<さっき雷寵は死ぬ間際の魔物が行く場所って言っていたけれど、蔵書室にあった本の情報は本当だったのかしら>

<はあ? なんのこと?>

<ほら、神の国の入口があるって書いてあったじゃない。そこで死ねば神の国へ行ける、だっけ>

<それは有り得ないって>


 蔵書室には始祖の森に関する本もあった。

 森の調査記録をまとめたものだが、カオウからすると真偽の不確かな、人間が都合良く解釈した情報が慇懃な言葉で並べられていただけだ。


<どこで死のうが、人も魔物も等しく天界へ行く。魔物が集まるのは別の理由があるんだよ>

<例えば?>

<さあ、そこまでは。だけどそんなところへ行けなんて、やっぱりレインのこと信じない方がいいんじゃないか?>

<……私は信じてるわ>


 ツバキがぽつりと願いを滲ませる。

 あれから空間へ何度入ってもレインは現れなかった。

 寂しそうな表情に気づいたカオウは気まずくなりツバキを抱き直した。


<ま、少しでも可能性あるなら行くけどさ>


 カオウは軽くジャンプをすると、開いていた雷寵との距離をつめる。

 樹木の種類はずんぐりとした立派なガシュラ(杉に似た木)に変わり、霧もますます濃くなっていた。

 異変を感じてピタリと立ち止まるカオウ。

 風もなく淀んだ空気の中、かすかに鼻についたのは──屍臭。


「おい、なんか……」


 カオウが呼びかけると雷寵も止まった。

 後ろに出来ていた平坦な道は跡形もなく消え、樹齢千年は経っているであろう、直径五メートル以上ある樹木に囲まれる。 

 その中でも一際太い木を見た瞬間、背に鳥肌が立った。

 合体した木と見間違えるほど奔放にうねった幹に固着していたのは、魔物の死骸だった。見える部分だけで五頭。体の下半分はすでに木と同化しており、上半身は腕のような幹に囚われている。

 淀んだ空気が動いた。

 屍臭を隠すように甘ったるい匂いが広がる。

 風が葉を撫で、カサカサと葉音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。

 カオウの全身から冷や汗が噴き出し、心臓が早鐘を打ち始めた。


(嫌な予感がする)

 

 ツバキがカオウの服を掴む。

 怖いのだろうと見上げたカオウは眉根を寄せた。

 ツバキは怯えるどころか笑みを浮かべていた。まるで何年も待ち焦がれていたものに出会えたような。服を引っ張り、早く行けとせがむ。


「あれはたぶん魔力を取り込んでる。近づいたら死ぬぞ」 

「私を呼んでるもの」


 ゾッとするほど落ち着いた声だった。

 カオウの意思に反して体が勝手に従う。

 降りたツバキは振り向きもせず、吸い寄せられるように歩き始めた。

 明らかに様子がおかしい。

 追おうとしたが足が動かない。地面が沈み、地中に埋まっていた太い根の間に足首が挟まっていた。

 仕掛けた雷寵は喜色をあらわに長い首を上下に振る。


『なんたる運命、なんたる幸運。選ばれし者が現れた!』


 バサバサッと一気に分裂した雷寵の群れがカオウの視界を遮り、ツバキを囃し立てる。

 導かれるままツバキは歩き続けていた。カオウを微塵も気にすることなく──。


「行くな!」


 カオウは思いっきり蹴り上げて地面を抉った。堅い根や石が飛び散り、カオウの邪魔をしていた雷寵のいくつかを打ち落とす。

 生き残った雷寵たちが再度合体し大きく羽ばたいて魔法をかける。

 緩んだ地盤によって倒れてきた巨木に潰されそうになり、素早く空を飛んでよけたが、振り返るとすでにツバキは魔物を取り込む木のすぐそばに立っていた。

 触れる前に止めなければ。


「!?」


 瞬間移動できなかった。何度試しても何らかの力に弾かれる。


(まさかレインが?)


 なぜ、と考える間もなくカオウは空を蹴ってツバキの元へ急降下した。

 しかしそれより早くガシュラに巻き付いていた蔦が生き物のように動き、ツバキの体を幹に縛り付ける。

 手首から溢れ出した金色のもやが木へ吸い込まれていく。

 急激に大量の魔力を吸われるツバキの体がビクビクと震えた。


「やめろ!」


 助け出そうと手を伸ばしたカオウの前に、地面が勢いよく突出する。避けた先でも地面が次々と隆起して行く手を阻み、ツバキの元へ行きたいのに後退しなければならなかった。

 絶え間ない攻撃に気を取られて後ろの巨木に激突、落下する。地盤が沈み、生き埋めにされる寸前で脱出した。


『邪魔をするな』


 分裂した雷寵の群れがカオウを襲う。四方から向かってくる鋭い嘴を払い、吐き出された粘液をかろうじてかわす。


(クソッ)


 ツバキとかなり距離が離れてしまった。

 攻撃そのものは弱いが払い落としても一向に減らない数が煩わしい。焦燥感に駆られたカオウの怒りが頂点に達する。


「邪魔はてめえらだ」


 カオウの体から雷光が放たれた。バリバリッと空気を裂く音がし、直撃した雷寵たちは一瞬で物言わぬ骸と化す。

 塊がボトボトと落ちる音が続く。

 終わると、森が静まった。カオウの息切れだけが孤独に響く。


「…………」


 周囲に転がる数十羽の鳥の中に年老いた一羽を発見した。その鳥はかつて父と共に暗黒の時代を生き抜いた魔物だ。こんな形で最後を迎えるとは想像もしていなかっただろう。

 カオウは静かに目を伏せてから、空高く舞い上がった。



 根こそぎ倒れた木と巨大な柱のように隆起した地面のせいで、森は広範囲に渡り無惨な姿に変わっていた。

 住処を失い騒ぐ魔物たちの頭上を超え、ガシュラに縛り付けられたツバキを見つけて降下すると、蔦を引きちぎって腕の中に抱きとめる。

 目を閉じたまま動かないが呼吸はしっかりしていた。

 安堵して、宝物のように抱きしめ、頭に口付けを落とす。

 傷一つない顔を慈しんで、撫でる。

 ふと、額に白い線が見えた気がした。

 だが前髪をそっと分けても何もない。


「気のせいか……?」


 そのとき。

 視線を感じてバッとガシュラを見上げると、幹が深く窪んだ部分に人の顔があった。青白い肌に、紫黒の瞳をした女性の顔が。

 ニタァと笑い、黒いもやのような息をカオウに吹きかける。


「!?」


 片手で振り払っても黒いもやは顔にまとわりついて離れない。

 徐々に頭がぼんやりとしてくる。

 目の前の景色が消え、黒一色となる。

 闇の中に閉じ込められたような感覚がした。

 誰もいない、何も感じない、ただ広いだけの空虚な世界は、カオウの思考さえも蝕み始めた。考えるべきことは何もない。気にかけるものもない。ただただ自分も無の一部であるのだと。


『ツ……ヲ…………』


 女の囁きが聞こえた。


『……バ…………ニ……』


 空っぽの頭では言葉と認識できず、ただの音としてカオウの耳に吸い込まれていく。音が鳴るたび、少しずつ闇が深くなった。


『……キヲ…………ニ……』


 ────カオウ


 ふいに冷気を感じた。

 闇に白銀の光が差し、意識が引き戻される。

 目を開けると、心配そうな顔でカオウの頬に触れるツバキがいた。


「カオウどうしたの? ぼーっとして」


 パチパチと瞬きするカオウ。

 頭はスッキリしている。ツバキも正気に戻っているようだった。

 カオウは頬から離れようとしたツバキの手を掴み、自ら頬へ当てる。ひんやりとして気持ちが良く、自然と目を細める。


「ツバキこそどうしたんだ。この木を見てからおかしくなったぞ」

「レインの声が聞こえた気がしたの」

「レイン?」

「うん。でもそれから記憶がなくて」

「魔力を吸われたことも?」


 ツバキは困惑して首を捻る。


「そんな感じはまったくないわ。むしろ疲れが取れて体が軽いの」

「魔力吸われたわけじゃなかったのか?」


 カオウはガシュラの木を一瞥した。

 金色に輝いていたガシュラの木肌はすでに元の色に戻っており、先ほど勝手に動いた蔦は微動だにせず、幹に取り込まれていた魔物もいなくなっていた。

 何の変哲もないことが返って不気味だ。


「レインが言っていたのはここで間違いなさそうだけど、結局手がかりどころじゃなかったな。俺たちをからかうにしても度が過ぎてる。レインの目的って……」


 カオウがうーんと唸りながら考え始めると、ツバキが「きゃあ!」と叫んだ。カオウの肩越しに先程まで立派な木が並んでいた場所を見て唖然としている。


「カオウ、一体何があったの? 森が滅茶苦茶じゃない!」

「今頃気づいたのか?」

「だってカオウで見えなかったのだもの! どうしよう。始祖の森が……」

「あー……。さすがにバレるよなあ」


 六百年間育まれてきたバルカタルの象徴とも言える森を壊してしまった。

 事の重大さに気づいた二人は揃って青ざめる。


「と、とりあえず帰ろうか」


 試しに空間に手を入れると反発はなかったので、もう瞬間移動できるだろう。

 ツバキを抱いたまま立ち上がり、ズボンについた土を申し訳程度に払う。

 するとツバキがカオウの前髪を上げた。


「どうした?」

「額に何かついてる気がしたけれど、気のせいだったみたい」

「じゃあ城へ戻るぞ。……ああ、クダラにどう説明しよう」


 確実にしこたま怒られるだろうなあとげんなりして、カオウは瞬間移動した。

 二人が去った後の森がしんと静まり返る。

 張り詰めていた緊張が解けたように、止まっていた風が流れ始めた。

 この日二人が得たものは幸せの道標となるのか、それとも──ガシュラの葉が女の忍び笑いのように揺れていた。

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