第12話 触れて感じて

 カオウはかなり苛立っていた。

 暴れていたウィンヒをどうにか眠らせ、傷だらけとなった龍体の治療を終えて空へ送り、城へ戻ったのは夜遅く。

 ツバキの気配をレイシィアの方角で感じたが、瞬間移動しようとしても何かに阻まれできなかった。

 瞬間移動は空間を繋げる魔法だ。おそらく空間にいるレインのせい。

 仕方なく冬の寒さに耐えながら空を飛び、そしてここ、中央警察署に着いた。


(なんでロウのとこにいるんだよ)


 イライラしながら玄関前に降り立ち、乗り込もうとして二の足を踏む。

 空間へ入る前の、茫然自失状態だったツバキを思い出したからだ。

 龍は空にいなければならないと知られてしまった。空へ帰らないカオウを不満に思う龍がいることも、本来ならばもっと力があるということも。

 目覚めたウィンヒとの会話を思い返す。ウィンヒは散々暴れて冷静になったのか、二度と来るなというカオウの言葉をあっさり承諾した。


 ──いいよ、待っててあげる。龍が人間になれるわけないんだし、小娘が死ぬまで百年もないでしょ。そのくらいたいしたことないわ。


 龍は人間に転化できるが、元の体の構造は異なり、すでに持っている膨大な魔力量を抱えるには人間の体は脆すぎる。ツバキも魔力の質は高いが量は体に合った分しか持っていない。

 百年で解決策が見つけられるだろうかと焦りばかりがつのる。

 他にも問題はあった。妖魔のせいで地上は不安定になりつつある。普段は地に無関心な同族がわざわざウィンヒを遣わしたのもそのためだ。


 ──帰らないならなんとかしてよね。地を征服した妖魔が次に狙うのは空なんだから。危うくなったら人間がいようが容赦なく攻撃するから、そのつもりで。


 そうウィンヒは平然と告げた。

 かつてカオウの父親は荒れ狂う妖魔と戦い地を守ったが、龍になりきれていない今のカオウに彼ほどの力はない。

 今の魔力量は龍になるには足りず、人になるには多すぎる。


(中途半端だな、俺)


 ツバキに相談できなかった。もし言えばツバキは不安になり、カオウを選んだことを後悔し、また離れようとしてしまうだろう。

 カオウは手を毛皮の外套の袖まで引っ込め、首を縮めて口も隠した。


(ロウと何してんだろ)


 疎ましげに警察署を見上げる。

 署長室は正面から見えないため明かりで所在を確認することはできないが、ツバキがいるなら話し相手はロウのはずだ。

 二人でいる姿を想像して息苦しくなる。追いかけても追いかけても縮まらない距離を延々走っているようだった。


(待ってるなんてバカらしい)


 一歩踏み出そうとした、そのとき。


「カオウ!」


 ツバキが玄関から出てきた。

 嬉しそうに息を弾ませ、カオウの胸に飛び込む。


「んがっ」


 ツバキの予想外の行動に面食らい、変な声が漏れた。


(悩んでるかと思ったのに)


 ツバキはカオウにピタリとくっついたままだ。身長差があるので顔は見えない。

 細い体をギュッと強く抱きしめると、冷えていた体も心もじんわりと温かくなっていく。

 ツバキを預かってくれたレインにも一応心の中で感謝した。


「ちゃんと空間から出られたんだな」

「レインが出してくれたの。なぜここなのかはわからないけれど」


 わざとだなあのやろう、とカオウは心の中で毒ついた。


「とりあえず、怪我もなさそうでよかった」

「心配してたのは私の方よ。あれからどうなったの?」

「みんな無事だよ。城もちょっと崩れただけで済んだ。ウィンヒも空へ戻ったし、全部片付いたから帰ろう」

「嫌よ」


 ガバッとツバキが顔を上げる。


「い・や」

「なんで」

「私、カオウと話し合いたいことがあるの」


 ギクリとした。ツバキが何を求めているか察しがつくが、カオウは気づいていないフリをする。


「えーっと、あれか? あいつが言ってたつがいってのはウソだからな」

「そんなのわかってる。でもまたカオウを連れ戻しに来るでしょ」

「説得したから来ないよ」

「諦めると思えないけど」

「大丈夫」


 カオウは不安を気取られないようツバキの頭を撫でる。


「とりあえず帰ろう、夜遅いし」

「だめよ。城へ帰ったら話す機会なくなっちゃう」

「みんなツバキのこと心配してる」

「そうやってはぐらかすつもり?」

「はぐらかしてるわけじゃな……痛っ」


 突然、カオウの頬に冷たくて硬い何かが当たった。

 地面に氷の粒が転がっている。視線を上げた先にはロウとコハクがいた。

 全身黒づくめのロウは闇の帝王のごとく苛立った様子でタバコの煙を吐く。


「警察署の前で痴話喧嘩とはいい度胸だな」


 カオウはツバキの頭を包み込むように抱き、ロウを見ないように隠した。


「喧嘩なんかしてない」

「さっさと失せろ」

「言われなくても帰るよ」


 ムッとして言い返すと、ツバキがカオウの腕を押し上げた。体をねじって腕から抜け出す。


「私は帰らないっ」

「だめだって。一度帰って落ち着こう。な?」

「絶対に帰らない」

「だけどさ、城以外に行くとこなんてないだろ。外は寒いし」

「バルカタル中に別荘があるわ」

「別荘!?」


 声が裏返った。

 カオウは自分の自制心を信用していない。

 ツバキが成人するまで手出ししないと約束してから(カオウ基準でキスは手出しのうちに入らない)、長時間二人きりにならないよう意識していた。

 何の制限もない夜中の別荘へ行くのは非常にまずいのである。


(どうする俺……!)


 必死で説得方法を考えていると、氷の粒とは別の物が飛んできた。

 パシッと片手で受け取る。

 ゴテゴテした装飾がついた鍵だった。

 投げたのはロウ。


「俺の家で留守番してろ。日付が変わるまでには戻る」

「は?」

なったツバキは言うこと聞かないだろ」

「おい、ちょっと!」


 ロウはカオウの静止を無視し、家とは反対方向へ歩き始めた。

 コハクが『変なことするなよ』と付け加えて彼の後ろをついていく。


(家貸すってことか?)


 呆気に取られたカオウの服の裾をツバキが引っ張る。

 強い意思を感じる目。


「行こう」

「だけど……」

「お願いカオウ」

「うーん」


 カオウはツバキと鍵を交互に見て、諦めのため息をついた。




 ロウは男爵にはなったが、一代限りのため屋敷はレイシィア(平民の街)にある。

 とはいえ外観は平民の家と比べればかなり立派だ。

 カオウは鍵を使い玄関扉を開けた。入るだけならば瞬間移動すればいいが、それでは備え付けの魔道具を使用できない仕様になっている。

 広間を通って居間に入ると明かりが自然とついた。


「相変わらず殺風景だな」


 机や椅子など最低限の家具のみで、絵画や花といった装飾品は一切ない。

 警察組織の新設にあたり、ロウとともに男爵位を授かった者の多くは結婚しているが、ロウにはその気がないらしい。他に飾り付ける人はいないようだ。


「暖炉つけるね」

「今度は爆破させるなよ」

「昔の話でしょ。失礼ね」


 カオウを軽く一睨したツバキは暖炉の下部にある宝石に触れ、魔力を流して火を起こした。

 以前ツバキは、ロウが警官になる前に住んでいた家の暖炉をつけた際、魔力を流しすぎて爆発させたことがある。


「ものすごく怒られたよな」

「蒸し返さないでってば」


 軽く笑い、カオウは暖炉の前にある革張りの長椅子ソファに座った。

 静かな家に、二人きり。

 お互い平静を装ってはいるが微妙な緊張を孕んでいた。

 ツバキは与えられた時間を惜しみ、右隣りに座って早速問いかける。


「私、カオウのことが知りたい。ウィンヒが言っていたことは本当なの? 全然成長してないって」

「…………」


 カオウはツバキの栗色のウィッグを取った。広がった白銀色の髪を手櫛で梳き、時間稼ぎをするように、指に絡めて弄ぶ。


「カオウ?」


 催促され、名残惜しそうに髪を離し、短く嘆息した。


「本当だよ。千年越えたのにまだ完全な龍になってないし、転化後の姿も、昨年脱皮するまで三百年くらい変わってなかった」

「三百年も?」

「本当ならロウくらいになってるはず」


 カオウは目を逸らして言った。苦い水を飲んだような不快感が胸に溜まっていく。


「空にいなかったせい?」

「そうだろうな。地上で得られる魔力じゃ足りないみたいだ。……こんなにかかるとは思わなかったけど」


 一呼吸置き、ツバキの反応を見ながら続ける。


「だから人間になろうと思ったんだ。魔力に左右されず、同じ速さで生きていける」

「方法は見つかったの?」


 返答しようがなく押し黙ると、「また隠すつもりなのね」とツバキの声が沈んだ。


「隠すわけじゃない。必ず見つけるから、ツバキには待っててほしいんだ」

「待てないわ」


 ツバキの両手がカオウの左手に重なった。


<私では頼りにならない?>


 耳ではなく頭に声が届いた。

 はっとしたカオウは重なった手を引っ込めようとしたが強く握られる。


<私の記憶を消したでしょう>


 驚愕してツバキを見たが、ツバキは目を瞑って思念を送ることに集中していた。

 そして言葉では表現しきれない心情──カオウがジェラルドの臣下となってから抱いていた寂しさ、自分の知らないカオウがいることへの不安が、冷たい風のように胸をついてくる。

 それと同等に抱いていたのは怒り。胸がちりちりと痛むのは、悲哀が交じっているからだ。何もない大地に突如捨て置かれてしまったような。


<どうして隠そうとするの。どうして相談してくれないの>


 言葉にまとわりついたツバキの気持ちが石のように積み重なり、カオウの気持ちを沈めていく。


「俺は……」

「思念で答えて」


 思念を通してカオウの気持ちを知りたいと願っているのだろう。

 しかし今思念で応えたら、カオウの不安が伝わってしまう。


<カオウ、私ね>


 ツバキがカオウの左手を両手で包み、祈るように額に当てた。


<記憶を消したのは、私を守るためにしたことだとわかってる。カオウが一人で頑張ってくれてるのも知ってる。でも私は、待ってるだけ、守られるだけは嫌なの。私だってカオウが大切なのよ。不安があるなら安心させたいし、危険があるなら守りたい。二人のことを一人で考えないで。一人で抱え込まないで。もっと私を頼ってほしい。私はカオウのことが……>


 切実な感情がぷつりと止まり、緊張へ変わった。だが締め付けられるような緊張ではなく。


<私はカオウが好きなんだもの>


 知りたいと願ってやまなかったツバキの気持ちが堰を切って溢れた。

 寂しさも不安もカオウが好きだからこそ生まれるのだと主張し、だからカオウの中に根付く不安も恐れずに打ち明けていいのだと語りかけてくる。

 綿菓子のように温かく、甘い。

 カオウはツバキの肩に頭を預けた。暖炉の火が間近にあるのかと思うほど熱く、のぼせそうだった。


<俺もツバキが好き。すっげえ好き>


 とりあえず溜まった気持ちを吐き出し、落ち着いてから慎重に思念を送った。


<でも不安になる。人間になる方法探したけど、確実なものは一つもなくて。婚約もまだ解消できそうにないし。これ以上問題を知られたら、ツバキの気持ちが変わるんじゃないかって……怖い>


 鼓動が早い。思念で答えたはいいが、自分の認識よりも多くの感情をツバキは感じ取ってしまったのではないか、やはり口から言った方がよかったのではないかと後悔が押しよせた。


<あのね、カオウ>


 ツバキの手がカオウの頬へ伸びる。

 優しく撫でられ、ドキリとした。


<レインにも、私たちが選んだ道は困難ばかりだって言われたわ。でも引き返したいとは思わなかった。どうしたら乗り越えられるかってことしか考えなかった。私は最強の魔物に恋をしたのよ。半端な覚悟はしてないわ>


 カオウは顔を上げ、ツバキを見つめた。 


(そうだった。ツバキは一度決めたら揺るがない頑固者だ)


「あーどうしよ」


 激しく胸を打たれ、はちきれんばかりに膨らんだ衝動に抗えずツバキに抱きつく。

 耳元で「ますます好きになった」と囁き、軽く口づけた。

 驚いたツバキは顔を真っ赤にして耳を押さえる。


「え、あ、カオゥ、え、え、えーと。わ、わたしも、すすす……」

「どもりすぎ」


 カオウはくすくす笑い、人差し指でツバキの唇に触れた。


「もう言わないで。すっごく聞きたいけど、次聞いたら理性吹っ飛びそうだから」

「!!」


 恥ずかしさが頂点に達したのか、涙目になるツバキ。

 その顔があまりに可愛らしく、まったく何もしないのはもったいない気がしてきた。

 日付が変わるまでまだ少し時間はある。


「なあツバキ、キスしていい? そっから先は我慢する」


 カオウは熱のこもった目をツバキへ向けた。

 ツバキの潤んだ瞳は、本当にキスだけで我慢できるのだろうかと不安そうにカオウを見つめている。

 カオウはふ、と笑んだ。


(ロウの家でよかったな。別荘に行ってたら今頃押し倒してる)


 紅潮した頬へ手を添える。

 金色の瞳に縛られたように動かなくなったツバキへ顔を近づけた。

 吐息が熱い。

 ゆっくり目を閉じる。

 重なった唇は──。


「冷てぇ!」


 唇の間に薄い氷が挟まっていた。


『ふう、間に合った』


 いつの間にか部屋の入口にコハクがいた。邪魔できて楽しそうだ。

 発狂寸前のカオウは時計を指差す。


「なんだよっ。まだ日付変わってないだろ!」

『そろそろカオウは我慢できないって、ロウが』

「あいついつか絶対ぶん殴る!」


 カオウはソファに立ち上がって拳を握りしめた。

 ツバキは氷が溶けて濡れた唇をなぞるように拭く。

 その表情はどこか残念そうではあったが──ひとまずコハクの毛を毟ってやろうと追いかけ始めたカオウが気づくことはなかった。

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