第10話 優しさか怠慢か 2
ドクンドクンと心臓が不穏な音をたてる。
記憶が操作されているなど到底信じられなかった。
「もう一度、詳しく思い出してみて」
レインの声に導かれるように、ツバキはあの夜のことを順に思い返す。
「洞穴の中で綿伝が起きるのを待っていた。雪が積もっていたからとても寒くて。クジュの実を食べて……それから……ええっと、何をしたのかしら……」
頭が痛み出した。
ツバキの記憶では、クジュを食べてからカオウに抱きしめられた場面に変わっている。だがなぜ洞穴にいたはずの自分が外にいるのか、いつの間にカオウが来たのかが頭痛に邪魔されて思い出せない。
レインがそっとツバキの前頭部に触れた。
「洞穴にいたとき、周りに何が見えた?」
「暗かったから何も……。そうだ、だから明かりを点けたわ。薄い橙色の光。そしたら蛇がいた。ううん、あれは蛟だった。私を見守ってるみたいだったから話をした。なかなか話してくれなかったけれど、カオウが私を探していると知っ……」
頭の中が膨張したのかと思うほど激しい痛みが襲った。
「……だめ……頭痛がひどくなって……。カオウに会うまで、私は何をしていたの?」
「大丈夫。記憶を操作されていると認識したのだから、強く痛むところに魔力を集中させて」
ツバキは言われた通りに魔力を集め、頭痛を押し出すように力を込める。
激痛で顔を歪める。
(へばりついてるみたいに記憶が覆われてる。本当に魔法をかけられていたのね)
そこまでして塞ぎたい記憶は何か。ツバキは頭痛の原因は魔法だけではなく、自分も思い出したくない記憶だからではないかと感じた。
(でも知らないままでいるなんて嫌。だって私は……!)
徐々に痛みが消えていく。
蛟と最後に話した言葉が浮かび上がった。
「龍の声は天の声。蛟はそう言った。でも意味は聞けなかった。…………光を見たから。緑の光が二つ。鉱石を投げたら……赤黒い気味の悪いモノが現れた。私、怖くて動けなくて。飲み込まれそうになって、それで……!」
「もう終わったことだから安心して」
恐怖心まで思い出して震え始めたツバキを、レインは頭を包み込むように抱きしめた。優しく優しく頭を撫で、震えが収まると手を離し、ツバキの顔にかかった髪を耳にかける。
「これが記憶や精神、五感を操る間接的な攻撃魔法を弾く方法。セイレティアは軽微なものなら意識しなくても弾けるけれど、強ければ魔力で対抗しなければ弾けない。それ以前に、認識できなければ対抗しようがない。そこが最も怖いところよ」
「……うん」
ツバキは気もそぞろに自分の両腕を掴む。
魔法をかけられていた驚きと、戻った記憶の恐ろしさ、そしてまたカオウに隠されていたショックで何から整理すべきか頭が働かない。
「記憶を消したのは、ジェラルド兄様?」
「そうよ。正確には命じた、だけど」
「カオウも知ってたのよね」
「そうね」
気落ちしたツバキは目を伏せた。
カオウは龍だったことも隠していた。成長するために離れることも、ツバキへの気持ちも、龍は空にいなければならないことも。そして、人間になりたいと考えていたことも。
彼は躊躇なく秘密を作り、ツバキはそれに気付けない。
「セイレティア」
コツン、とレインが額をくっつけた。
「彼らがなぜそうしたかわかる?」
ツバキは額を合わせたままレインの瞳を見つめた。
先程不安に駆られた紫黒。けれども今は心を冷静にさせてくれる色だった。
「あの存在を隠すため。あれは何なの?」
レインは紫黒の瞳を閉じ、額を離す。
「あなたは前もそうやって知りたがった。そして知れば動かずにはいられなくなる。だから記憶を消されたのよ」
「そんなに危険ということ?」
「ジェラルドはそう判断したようね」
「ねえレイン、教えて。あれは何?」
「あたしから説明していいことではないわ。彼らにちゃんと聞きなさい」
「また記憶を消されるかもしれない」
「消されたことを知ったから、また思い出せる」
レインの手がツバキの前頭部を撫でた。長年空間の中にいるからなのか、彼女の手は異様なほど白い。
(何者なんだろう。おそらく人ではない。でも魔物でもない気がする)
「レインはなぜ知らせてくれたの?」
すっと目を細めたレインは意味ありげに微笑した。
「あたしはあなたとカオウを応援してるだけ」
「それだけが理由と思えないわ。私を見張る目的は何?」
「見張るだなんて。見守ると言ってちょうだい」
白い手がツバキの頬を撫でる。
「あなたはカオウと共に生きると決めた。遅かれ早かれ、巻き込まれてしまうでしょう」
「何に?」
「世の流れに」
レインはツバキの頬からするりと手を滑らせた。
「あなたたちが選んだ道はこれからも困難ばかり。でも今の二人ではきっと乗り越えられない」
「え……」
「何があってもお互いを信じる心が必要よ」
「私はカオウを信じているわ」
「そうかしら。秘密が多いと知ってしまった今も? カオウがあなたに多くを語らないのは、信じていないからではないの?」
レインの言葉が胸に冷たく突き刺さる。
「きっと私を気遣っているのよ」
「不安にさせているのに? それは本当に優しさかしら」
ツバキの奥底にある気持ちをあぶり出そうとする紫黒の瞳。水底に溜まった泥をかき混ぜたように、不安が広がっていく。
「あなたは今まで、カオウを無条件に信頼していた。産まれたてのヒナみたいに。カオウはカオウであり、蛇だろうが龍であろうがあなたにとっては些末なことだった。でももう違うわね? 不安や不満は疑いの種よ。そのままではいざというとき、カオウを信じきれない。そして隠し事をするカオウにも、あなたがまた離れてしまうかもしれないという恐怖が巣食っている」
碧眼が弱々しく揺れた。
婚約という重大な隠し事をしていた罪悪感が胸を締め付ける。
「あなたのことなら何でも知っている」と言っていたレインは、黙り込んでしまったツバキの感情を読み取るように熟視した。
「私はカオウを不安にさせているの?」
ツバキが切なく呟くと、レインの眼差しが温かいものに変わる。
「以前、思念から感情を読み取ったことがあるでしょう。せっかく印を結んでいるんだもの、有効に使いなさいな」
「それは……」
「大丈夫。できるわ」
レインは柔和に目を細めてツバキの頭をよしよしと撫でた。
(不思議。レインに断言されると勇気が湧いてくる)
正体も目的もわからず、ふざけているかと思えば厳しく諭し、最後は優しく背中を押してくれる。
警戒すべきかもしれないが、ツバキは道を示してくれた相手へ小さく頷いた。
すると突然、レインがパチンと手を叩く。
「さて。セイレティアへの忠告は終了! こんなにかわいいあなたを悩ませたんだもの、カオウにもお仕置きが必要よね」
明るく言ってから、色っぽくウインクする。
急激な空気の軟化についていけないツバキは目をパチパチさせた。
「何をする気?」
「カオウがすごーく嫌がること♡」
再びニヤついたレインはツバキの両目を手で覆う。
「心配しないで。そんなに怒らないから。たぶん」
「たぶん!?」
「うふふー」
目の前が急に真っ暗になり慌てたツバキはレインの手を剥がそうとしたが、レインの力は想像以上に強くまったく動かせなかった。
「いいことを教えてあげる」
「……?」
「あたしはもうすぐあなたたちのこと今みたいに見守れなくなる。だからね、思う存分イチャついていいわよ♡」
「へ?」
レインはふふっと笑い、ツバキの目を隠したまま耳元で囁く。
「あなたとカオウの幸せを願う気持ちは本当なのよ。これから何が起きても、それだけは信じて」
「どういうこと?」
焦燥にかられてレインに触れようと手を伸ばしたが、どれだけ左右に振っても触れられなかった。
視界を遮っていた手の感触もなくなり、そっと目を開ける。
レインの体が消えかかっていた。空間の暗闇が透けて見える。
「え、待ってレイン」
虚像のようなレインの目には涙が溜まっていた。
「……ごめんね」
そこでツバキの意識が途絶えた。
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