第6話 来訪者

「ふーん。が皇帝ねえ」


 真夏の太陽に照らされた葉のような髪色の少女は、ジロジロとジェラルドを値踏みする。

 年の頃は十代前半に見えるが、厳重な警備をかいくぐり、皇帝の執務室まで侵入した少女がただの人間であるはずがない。完全に人へ転化している時点でかなり高位の魔物だ。


「それ、返すね。道案内してくれたから、殺さないであげた」


 床には城を守護する大型犬の魔物が倒れていた。


『何用だ』

 

 クダラは部屋中から引き寄せた影で皇帝の椅子に座る少女を取り囲んだ。

 床から黒い帯のような影を出現させ、両手足を拘束する。

 しかし少女はそれをものともせず冷笑した。


「あなたがクダラ? もうよぼよぼの爺さんじゃん。こんなんで大丈夫かなー」

「!?」


 少女を中心にしてゴオッと風が起きた。

 手足の拘束が消え、部屋中の書類や物が巻き上げられる。

 重い執務机までガタガタ揺れ始めた。

 少女の大きな目が愉快げに光る。


「待ってるだけじゃ死んじゃうよ」


 徐々に風が強くなり、ついに執務机まで宙を舞った。

 部屋の中で旋風つむじかぜが起こったようにあらゆる物が風に乗り、高度な魔法で強化しているはずの天井や床をギシギシと鳴らしながらジェラルドたちに迫る。

 影で防ごうにも今日は陽が弱い。先程クダラが出したような影では、彼女の力に対抗できないだろう。

 ジェラルドはクダラへ思念を送る。


<行けるか>

<影が足りません。力をお借りしても?>

<無論>


 ジェラルドが手の平を上へ向けた刹那、天井から強い光が差した。

 二人の足元に生まれた濃い影が溶け合い、禍々しい沼のような影溜まりと化す。

 飛び出したのは黒い獣。

 ジェラルドよりも大きな黒い虎豹が旋風を切り裂き、真っ直ぐ少女の喉へ食らいつく──寸前、少女の手から風が放たれ──衝突した風と影の力は消滅した。

 風に巻き上げられていた物が次々と音を立てて落ちていく。

 ジェラルドと少女は互いを見据えたまま動かない。

 どちらの力が上だったのか。それはこれだけではわからないことだった。両者とも本気を出していない。

 粉砕された執務机の最後の破片が落ちる。


「アッハハハ!」


 少女は遊びに興じた子どものように無邪気に笑った。


「人間にしては上出来、かな。あたしの力を防ぎながら、部屋の結界を強化するなんてねえ。あの光はあなたの力?」

「……私の力を知るために来たのではないのだろう」

「まーね。ちょっと遊びたかっただけ。本題は……」


 そこまで言って、少女は部屋を見回す。

 バラバラになった家具や書類で足の踏み場もない。


「なーんか汚いー」

「自分でやったんだろうが」

「皇帝ってのは偉いんでしょー? 綺麗な所へ案内しなさい。次はこれよりもっとふかふかの椅子がいい」


 少しも悪びれることなく要求すると、少女はふわりと宙に浮かんでジェラルドを見下ろす。

 その流れるような飛び方と生意気な口調、なにより瞳の色に既視感があった。

 途端にジェラルドの肝が冷える。


「まさかと思うが、お前……」

「ああ、まだ名乗ってなかったね」


 金色の眼をした少女は偉そうに腰に手を当てふんぞり返り、瞳孔を縦長にして不敵に笑う。


「あたしはウィンヒ。龍よ」




「あー。さっきより座り心地はいいわあ。あ、あと何か食べ物ある? 人間の食べ物はおいしいって聞いてるの」


 ウィンヒと名乗った龍の少女を客間へ通したジェラルドは、剣を向けられながらまったく笑えない冗談を聞かされているような気持ちで彼女の正面のソファに座った。

 ちなみに執務室は燦々たる有様になってしまったので、しばらく使えないだろう。扉の外にいた衛兵や侍従たちは部屋を見てあんぐりと口を開けていた。


「それで用件は」

「甘い物が食べたい」

「用件を聞いてからだ」

「飲み物もちょうだい」


 聞く耳を持たないウィンヒ。

 また何か壊されても困る。

 仕方なく、魔物が好きなシスルジュースと、ズイニャが乗ったクリームたっぷりのケーキを用意した。

 ゴクゴクとジュースを飲み干したウィンヒは、プハッと満足そうに息を吐き、コップを突き出す。


「もう一杯」

「…………」


 ジェラルドが眉を寄せるとウィンヒは「アハハ!」と笑った。

 

「せっかちな男ねえ。あたしはね、忠告に来た」

「忠告?」

「そ。龍は空にいるからさ、下のことがよーくわかるんだ。かなり邪気が充満してる。この国はまだ影響はないけれど、他の国は天災も増えている。だからアーギュストの子、精霊の力を早く回復させなさい」


 ウィンヒの金の双眸がギラリと光り、ジェラルドが抱える不安を炙り出した。

 他国の天災については報告を受けていた。東の国の日照不足問題や南にあるカルバルの地震だけでなく、北の国では異常な気温上昇による雪崩や川の氾濫が起きているという。


「ウィンヒとやら。貴女は精霊の力を回復させる方法を知っているのか」

「知るわけないじゃん。そもそも精霊が見えなきゃ話は始まらないってのに。精霊を蔑ろにするなんて、人間ってほんっとーに愚かだね」


 三百年前、当時の皇帝は精霊信仰を禁じ、各地に点在する祠を壊した。精霊が見えなくなったのもそれが原因である。

 だが最大の過ちは、邪気の存在や精霊の役割について後世に伝えなかったことだ。

 始祖の時代から生き続けているクダラがいなければ、そしてジェラルドの父が歴代皇帝と同じく主戦派であり続けていたならば、おそらくジェラルドも戦に気を取られ、世界の異変を知ることはなかっただろう。


「やはりまずは精霊の遺跡を探さねばならんか」

「あ、そうそう。あたしが知りたかったのはそれ。どこまで把握できてる?」


 ウィンヒはケーキを手づかみで頬張り、幸せそうにケーキをもきゅもきゅした。


「んー! おいひい!」

「…………」


 話と態度の差が激しすぎ苛立つジェラルド。同じ龍でもまだカオウの方がマシかもしれないなどと思いつつ、今までわかっていることを整理する。


「精霊信仰の象徴である菱形と五芒星が重なったマークが手がかりとなることはわかっている。現在場所が明確なのは、サタールにある水とカルバルにある地のみ。ただ……ロナロに精霊王の遺跡があるという情報を得られた」


 ロナロは昨年の祝賀パレードで皇帝暗殺を目論んだ犯人たちの故郷だ。ケデウムの元副長官により十数名の子供たちが誘拐され、他の村人は全員殺害されてしまった。

 ツバキたちが子供たちを救出した際、リタという女性から精霊王の話を聞いたという。

 リタとはまだ直接話ができていない。


「ロナロにあると仮定して、三点を地図に書き込んでみた」


 立ち上がったジェラルドは机に地図を広げた。

 バルカタル・サタール・リロイ・ウイディラ・カルバルの周辺国および東と北の一部が記載されている。地名全て網羅されているわけではないが、距離と方位の精度は高い。


「てっきり精霊王を頂点として、水地火風で五芒星を作ると思っていたが、精霊王の真下に地の遺跡があり、精霊王と水、水と地は同じ距離だった。つまり菱形の右半分ができたわけだ。それを元に水の遺跡と反対側の角の位置を割り出した」


 ジェラルドが指したのは、帝都の南西にあるサイロス州。陸続きの他州と違い、多くの島でできた州だ。


「周辺を調べさせているが、サタールやカルバルと違い案内役がいないので難しいかもしれない」


 熟考するジェラルド。目の端にジェラルドの分のケーキを食べるウィンヒを捉えたが無視した。


「遺跡とは各精霊の長の住処のようなものらしい。水の精霊は水中に、地の精霊は地中にいたから他もそうだとして、風が一箇所に留まれるのか?」

『精霊が見えない以上、なんとも。霊力を持つ人か魔物がいればいいのですが』

「始祖の森にはいないのか」

『聞いたことはありませんな』

「クダラが知らないならいないのだろう。……まもなく宰相も帰ってくる。早急にロナロの現村長、リタを訪ねるか」


 ジェラルドは地図から目を離して窓の外を見た。

 薄灰色の空が翡翠色の瞳を曇らせる。

 パレード事件の首謀者はロナロの元村長であり、リタの父親。そして彼の死刑を命じたのはジェラルドだ。 

 再びソファに腰掛けると、口にクリームを付けたままのウィンヒへ問いかけた。


「龍は空にいるのだろう。わざわざ忠告に来るくらいだ、空の精霊について何か情報はないか?」

「だから知らないって。ゲンオウ様がここにいたとき、あたしはまだたったの百歳だったんだよ」


 つまりは約六百年前、始祖の時代。

 百年をたったと軽く言ってのけたウィンヒは目を閉じ、ストローでズズーッと音を立ててジェラルドから横取りしたジュースを飲む。

 

『彼は来ないのですかな?』


 クダラが尻尾を大きく振ると、ウィンヒは最後の一口を飲み込んだ。


「ゲンオウ様は格が上がったからもう地へ降りられない。だからあたしが来てあげたんじゃん」


 それより、とウィンヒはコップをガタンと置く。


「あんたへの用事は済んだから、早く案内してちょうだい」

「案内とは?」

「恋人のところに決まってるでしょ」

「恋人?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするジェラルド。

 ウィンヒはにっこりと笑った。


「カオウを連れ戻しに来たの」

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