第5話 忍び寄る悪意
バルカタル城の数ある別館の一つに、霞明の館と呼ばれる木目の美しい円形の建物がある。
全身が映る縦長の交鏡(遠隔地の人と会話できる魔道具)が五つと玉座があるだけの質素な部屋だが、皇帝が各州長官と会議をする重要な場所だ。
ジェラルドの正面の交鏡には一人の若い男性が映っていた。
中性的な顔立ちとやや赤みのある金の長髪、ジェラルドと同じ翡翠色の瞳を持つ、イリウム州長官ティベリアス=トール。一度だけ見て暗記した報告書をひたすら棒読みしている。
内容は最近イリウムで急増している放火や傷害事件についてだ。通常、州内の事件事故に皇帝が関与することはないのだが、直近の被害がジェラルドが薬の開発を依頼した知人の会社だったため、詳しい報告を求めている。
「『……先週の製薬会社放火事件の犯人はシュベルツ子爵家の三男』」
「貴族か。動機は?」
「『非魔法薬を作るのが気に入らなかった』」
薬の開発事業は主戦派の貴族たちから良く思われていない。魔法至上主義である彼らは、魔法付与を一切行わない薬を作ることが許せないらしい。
そのため、ジェラルドは彼らが何者かに金を握らせて命じたのではないかと思っていた。
しかし今回の犯人は平民ではなく貴族。せっかく得た爵位を捨てる覚悟で犯行に及ぶとは考えにくいが、三男というのは微妙なところだ。
ジェラルドは本物の人形のように動かなくなってしまった弟を見やる。
彼は妹のエレノイアと同じく表情に乏しい。
ただ、エレノイアは感情を表に出せない顔のつくりをしているだけで、頭の中は突拍子もない考えで詰まっている。
対してティベリアスは、本当にただぼーっと突っ立っているだけだ。
彼は並外れた記憶力を持つ代わりに、自分で考えることが得意ではないのだ。
本人も自覚していたようで、授印の儀で契約した魔物の能力は人の思考を読むことだった。
「他人の考え方を知ることで、変われるかもしれない」というのは、ジェラルドが聞いた数少ない彼の本心の一つだ。
「ティベリアス。今回はお前も取り調べに立ち会っただろう。犯人のシュベルツから何を読み取った?」
ティベリアスは知的そうな瞳を閉じ、報告書の棒読みとは違いつらつらと話し始める。
「非魔法薬が気に入らないのは本当です。でもそれはきっかけに過ぎなくて、犯行時はただ腹が立って、何でもいいから壊したくなったようでした」
「何でもよかった……」
ジェラルドは腕を組んだ。
他の事件の犯人たちも衝動的に動いたと供述している。カッとなりやすい性格もあるだろうが、短期間で何件も重なるのは不自然な気もした。
「他に気づいたことはないか?」
「………………?」
ゆっくり頭を傾けるティベリアス。
「何でもいい。他に心配事や悩みがあったとか、何かを恐れていたとか」
「…………違うかも、しれませんが」
「言ってみろ」
「実は、シュベルツとは二回面会しているんです。怒りで興奮して、思考が読み取れなかったからですが……その際、頭の辺りに変な物が見えました。ぼんやりと、霧みたいな黒い物が」
ハッとするジェラルド。
「それはティベリアス以外にも見えたのか?」
「暗かったから気のせいだと思って確認していません。魔法で一晩眠らせたら消えていましたし」
弟から視線を外し、深く考え込む。
クダラによると、自然から発生した邪気は他の生物に取り憑き、邪気を増幅させてから魔力諸共全て吸い取るらしい。その際、黒い霧が見えることもあるという。
ティベリアスが見た黒い物も邪気だったとすると、今回の犯人も捕まっていなければ、全てを吸い取られて死亡していたはずだ。
ジェラルドは再び同じ翡翠の目を正視した。
「誰かに言ったか?」
「いいえ」
「今後も他言無用だ」
「承知しました」
「他に聞きたいことはあるか?」
いつもなら「特にありません」と答えるはずのティベリアスが沈黙し、ジェラルドは不思議に思った。
「どうした」
「先日現れた龍について、臣下に問われました」
ジェラルドはすっと目を細め、無言で待つ。
「陛下が龍を従えてウイディラを制圧したことは、イリウムでかなり話題になっています。また戦になるのではと」
「お前はどう思う」
「交鏡を通しては陛下の考えを読めません」
「お前自身はどう考えているかと聞いている」
静かに問うと、ティベリアスは無表情のまま答える。
「それが陛下のお考えなら賛成致します」
「…………つまらんな」
ティベリアスの目が僅かに揺れた。
「少しはお前の考えを聞きたいのだがな」
「申し訳ありません」
「州長官は皇帝に意見できる立場だ。お前の頭の中には知識が十分ある。せっかく民の声を聞く術を持っているんだ、選び方を知れば良い州長官になろう」
予期せぬ言葉だったのか、ティベリアスは目を瞬かせた。感情が読み取れなかった顔に少しだけ変化が生まれる。
「近々州長官全員集めて説明する。日時は追って知らせる」
「承知しました」
弟の感情の機微を捉えたジェラルドは「以上だ」と告げ、魔道具を操り交鏡の水に波紋をつけた。
水に映る姿が消えて見えてきた交鏡の底には、帝都の北に位置するイリウムの州旗が描かれていた。神話に伝わる幻の植物、銀蘆花(多肉植物の一種)を模している。
「イリウムの街に、邪気か……」
ポツリと呟く。
カオウに退治させていた不完全な妖魔は、どれも森の深部にいた。大きさはウイディラで遭遇したモノの四分の一ほどらしいが数は想定以上で、イリウムが最も多かった。
「あまり悠長にはしていられないな。誰か派遣するか」
そう独り言ちて、霞明の館を出る。
昨夜降った雪は昼になってもまだ残っていた。
クダラが待っている庭園へ続く道を歩いていくと、寒さに耐えながらしゃがんでなにやらぼやいている側近の弱弱しい声が聞こえた。
クダラへパワハラ皇帝の愚痴を言っているようだ。
「終わったぞ」
わざと低い声で告げると側近がびしっと直立する。
「寒いのになぜ汗をかいているんだ?」 という嫌味を飲み込み、ティベリアスの話から考えた対策を諸々命じた。
礼をしてそそくさと立ち去る側近の後ろ姿をクダラと眺める。
クダラの尻尾がジェラルドの膝裏をはたいた。
『可哀そうに。また胃のあたりをさすっていますぞ』
「それなら特別に治癒魔導士でも手配してやろう」
『おや。お優しいですな』
「これからもっと忙しくなるからな」
『……可哀そうですな』
遠い目をするクダラ。
これでもジェラルドはあの側近を気に入っている。心から信頼できる者は限られているからだ。
やはり彼の負担を減らすために人を増やすべきかと考えながら、庭園を通る。
皇帝と授印のみが利用できる入り口から城内へ戻り、要所要所に立つ衛兵や見回りをする上級魔物たちの横を素通りし、執務室へ向かった。
部屋の前には誰もおらず、ジェラルドが入ると衛兵が立つようになっている。
扉を開けようとしたジェラルドの手が止まった。
空気が重い。
部屋の中に、何か不気味な物がいる。
クダラへ目配せし、慎重に扉を開けた。
「…………誰だ」
皇帝が座るべき椅子に見知らぬ人物が座っていた。
深緑の長い髪をツインテールに結んだ少女だった。
横向きで椅子に座り、肘掛けに膝を掛けて足をぶらぶらさせている。
「警備薄すぎ。こんなんじゃすぐ殺せちゃうじゃん。つまんない」
少女はジェラルドを蔑むように微笑した。
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