第4話 夢の続き

 パーティーが終わったカオウとツバキは始祖の森にいた。龍姿のときによくいる場所のため、地面は平坦で空は大きく開けている。

 周囲に火を操る魔物たちを呼び寄せて暖を取り、広げた敷物の上に取り置いてもらっていた料理を並べ、二人で星空を眺めながら他愛もない会話をする。

 それが例年の過ごし方だ。


 今年は周囲に(特にサクラに)警戒されて一時間の制限を設けられたが、久々の二人きり。

 カオウは両膝を立てて座るや否や、項垂れて「はあ〜」と大きく息を吐いた。


「あー緊張したっ」

「お疲れ様」


 ツバキがくすりと笑い、カオウは顔を上げる。

 今日のツバキは大人っぽい化粧をして、瞳と同じ碧色のエンパイアドレスを着ていた。

 刺繍がふんだんに入った袖口は長く垂れ下がっており、手を動かすと優雅に揺れるようになっている。

 会場でそんなツバキの姿を目にしたとき、カオウはつい見惚れてしまった。

 それまでは自分でも意外なほど冷静だったというのに、ツバキを見た瞬間どっと緊張が押し寄せてきた。表情に出ないよう必死だったが、相手の目にどう映ったのか自分ではわからない。


「あの、さ」


 声をかけるとツバキが顔を傾ける。

 だが。


(感想聞くなんてカッコ悪いよな)


 考え直して無言になった結果、澄んだ碧眼と見つめ合ってしまった。

 ドキッとしてすぐ目を逸らす。


「えっと……誕生日、おめでとう」

「ありがとう」


(なんだこれ。もうダンス終わって緊張してないはずなのに)


 ドキドキドキと心臓がせわしない。

 ツバキはカオウと「一緒にいたい」と言ったのだから、もう遠慮することはないはずだ。

 だが、その気持ちはカオウと同じ意味にちゃんと変わったのだろうか。

 冷静に考えれば今までと何も変わらない。決定的な言葉は何一つ聞いていないのだ。

 カオウは長年の片思いを拗らせ過ぎて、肝心なときにツバキの熱い視線を曲解した。


(聞きたいけどまた勘違いだったら恥ずかしいしなあ。まあどうせ、あと一年我慢しなきゃいけないし)


 二人の間を風が通り抜ける。

 無言で目の前の料理を食べながら、ゆったりと流れる時間をそわそわした気持ちで過ごした。失った存在が戻ってきた喜び、さらに進展したい気持ち、抑制されてしまったもどかしさで、美味しいはずの料理はいつもより味を感じない。

 ツバキは手を伸ばせば届く距離にいる。

 触れたいが、今触れたら止まらなくなりそうで、触れられない。

 火を操る蜥蜴がからかうように尻尾の火をチリチリと揺らした。


「カ、カオウ。あの……」

「な、なに」

「あのね」

「うん」

「今日、来てくれて嬉しかった。いつの間にダンスを習ったの?」

「仕事の合間に、ちゃちゃっと」


 本当はみっちりがっつり教わっている。


「そういえばシルヴァン様がこのこと知っていたのだけれど、まさかシルヴァン様に教えていただいてたの?」

「げ。あいつしゃべったのか」

「本当に!? ご迷惑じゃない」

「シュンの命令で会ったついでに、ちょっと聞いただけだよ。基本はアベリアに習ってたし」

「アベリアに?」


 カオウは照れ隠しで鼻を触る。


「だって、アベリアにも認めてもらわなきゃいけないだろ」


 アベリアは母親のいないツバキを慈しみ、誰よりも幸せを願っている。ツバキのそばにいたカオウはそれをよく知っている。

 彼女が考える"皇女セイレティアにふさわしい相手"になろうと決意し、今回のことを考えたはいいが、正解だったのか自信はない。

 アベリアの指導は厳しくついつい文句ばかり言ってしまったので、むしろ印象を悪くしただけかもしれなかった。


「シュンより手強いだろうなあ」


 ツバキの前に立ちはだかる強敵アベリアを想像し、ぶるっと身震いした。


「ねえ、カオウ」

「ん?」


 ツバキは表情を見られたくないのか俯いていた。

 近くにいた羊猫という魔物を湯たんぽのように抱きかかえる。ふんわりした毛がぬっくりと温かそうだ。


「一人で頑張らないでね」


 ちらりと横目で見られる。


「ジェラルド兄様のお仕事、大変なんでしょう?」

「大変だけど、できないわけじゃないから」

「でもずっと忙しそう」

「あっちこっち行かされてるしな」

「魔力もたくさん使っているんでしょう?」

「そりゃあ、たまには」

「そう……」


 カオウは煮えきらない態度のツバキを見て眉根を寄せる。


「言いたいことあるなら言えよ」

「うん……」


 返事はしたが、ツバキはもじもじして一向に話そうとしない。

 カオウはワインをコップに波波と注ぎ、飲みながらツバキの様子を観察した。


(文句があるわけじゃないみたいだな。最近何をしてるか聞かれてもはぐらかしてたから、怒ってるかもと思ったけど。……まさか全然会えなくて寂しかったとか? 違うかな。いや、そうかも。俺めちゃめちゃ我慢してたし。うーん、やばい。今そんなこと言われたら……)


 カオウは悶々とツバキの横顔を見つめる。

 綺麗な肌、長い睫毛、まっすぐ通った鼻筋、ピンクベージュの紅を塗った、ぷるぷるしてツヤのある唇。


「あのね、カオウ。私」


 おいしそうな唇の隙間から、小さな舌がちらりと見えた。


「聞きたいことがあって」


 夕暮れ時の波の音のような、優しい声に引き寄せられる。

 体が傾いていく。

 離れていた距離が近づく。

 目標くちびるまで、あと少し。


「お兄様と私、どっちの魔力がおいしい?」


 体を支えていた左腕がガクっとなった。


「ま、魔力?」

「うん。だって、忙しいのに全然私の魔力吸っていないでしょう。お兄様からもらっているの?」

「もらうわけないだろっ。そんなことしたら、クダラはともかくリハルが怒るよ」

「それじゃあ、どうやって回復しているの?」


 呆れたカオウはサルティボ(数種類の野菜を肉で巻いてソースで煮絡めた料理)をフォークでドスッと刺した。


「回復もなにも、朝晩ツバキからたっぷりもらってるだろ。ツバキの魔力は質がいいから、結構持つんだよ」

「え? 今まで日中もたくさん吸ってたじゃない。本当はいらなかったってこと?」

「あ」


 しまったと口を塞ぐ。


「あれは、常に満タンにしてた感じ」

「そうだったの!?」

「ツバキだって間食するだろ」

「人の魔力をデザートみたいに言わないで」


 軽く睨まれ、カオウは「ははっ」と笑う。

 器に盛られた一口大のズイニャに目を留めた。

 

「なあ。魔力って吸う箇所で味が違うって知ってた?」

「その前に、魔力の味自体が想像できないのだけれど」

「教えてやろうか」

 

 待ってましたとばかりにツバキから羊猫を引きはがして放り投げた。丸々とした羊猫がめあ〜と鳴いて転がる。

 

「手首はさっぱりしてる。果汁入りの水みたいな味」


 ニッと笑んで、過去に吸ったことのある場所を指さしていく。

 

「お腹はちょっと甘くて、完熟前のズイニャみたいだった。うなじは旨味があって、いい香りもした。それで肩は……高級な酒って感じ。すっごく、おいしい」


 羽織った外套コート越しに、ツバキの右肩に触れる。

 考えると無性に欲しくなった。

 ワインも、一流の料理人が作った料理も、大好物のズイニャも、ツバキの魔力には敵わない。


「他はどんな味がするか、試していい?」


 カオウの金の双眸が挑発的に光る。

 碧眼を見つめながら、肩から下へ指を滑らせる。

 ビクッとしたツバキは慌てて手で押さえた。


「だめ」

「いいじゃん。もうすぐもらう時間だし」

「手首だけにして」

「ちぇ」


 重なった右手を掴み、手首に口付けた。

 印から湧く金色の靄を吸い取り、肌に舌を這わせる。


「カ、カオウ。舐めないで」


 舌先で感じるツバキの脈拍は早い。

 いつの間にか星の数が増え、冴え冴えと鋭い三日月が高く浮かんでいた。

 残り時間はあとどのくらいなのか。何ができるというのか。消化不良のまま鬱憤だけがたまっていく。


(あと一年、我慢)


 カオウは手首から唇を離した。


「そろそろ片付けるか」

「そうね」


 ぱっと違う方を向いて、二人はそそくさと片付け始めた。

 ツバキが籠に食べ物を仕舞ってカオウへ渡し、カオウは自身の空間へ入れていく。

 終わると敷物の端を二人で持ち、縦にたたんでから真ん中を折り両端を合わせた。

 正面で向かい合うが、互いを見ない。

 しかし敷物を持つ指と指が触れる。


「ね、カオウ」

「ん?」

「明日からも、忙しい?」


 ツバキが見上げてくる。

 遠慮がちな上目遣いにドキリとしつつ、カオウは返答に悩む。

 そもそもこれまで忙しかったのは、仕事もさることながら大急ぎでダンスやマナーを習っていたからである。


「大丈夫。早急に対応しなきゃいけない案件は終わったから」


 嘘は言っていない。

 ツバキがウズウズしだす。


「本当? もっと会える時間増えるのね?」

「うん」

「よかったあ」


 ぱっとツバキの顔が華やいだ。大輪の花が咲いたようなまばゆい笑顔。

 ドスッとカオウの心が射抜かれる。


「あーもう!」


 グイッと敷物を引っ張り、よろけたツバキにキスした。逃げられないよう、首の後ろに手を添えて腰をきつく抱きしめて。

 ツバキは驚いて顔を強張らせていた。しかし体を押しのけようとする力は弱い。脱皮直後の態度より明らかに軟化している。


(これは……いいのかだめなのか、どっちだ? ……どっちでもいいか)


 一度唇を離し、薄く開いた隙間へ舌を差し入れる。

 大人しいツバキの舌を貪欲に求め、口の中を存分に味わう。

 以前と違い、力任せではない深いキスは甘い刺激となって身体を痺れさせ、頭を蕩けさせた。

 

(ここの魔力はどんな味だろ)


 刺激は欲望をさらに強め、カオウはツバキを抱きしめたまま前傾していく。


(もっと知りたい。もっと、触れたい)


 腰に回していた手を下へ滑らせ、柔らかな膨らみに触れる。

 ツバキが目を見開いた。

 瞳を潤ませてジタバタする姿は可愛らしく、見つめ合いながら交わす深い口づけは、ただただカオウの──。


<カオウ苦しい!>


 頭の中にツバキの思念が響き、カオウははっとして体を起こす。

 いつの間にか龍のように縦長になっていた瞳孔を元に戻した。

 ツバキは息を荒くし、涙目でカオウに無言の抗議をしている。


「ごめんごめん」


 カオウは素直に謝って、宥めるようにそっと抱きしめた。


(あと一年、我慢……できる気しない)


 長い長い一年は始まったばかり。

 「はあー」と吐いた白い息が冬空へ昇っていった。

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