第3話 誕生日パーティー

 眩しいほど白く輝く巨大で豪華な照明。

 帝国一と名高い料理人が腕をふるった料理。

 綺羅びやかな服装の紳士淑女たち。

 歓談を盛り上げる華やかな曲。


 皇女セイレティア=ツバキの誕生日パーティーは例に漏れず盛大に行われていた。

 

 しかし大勢から祝福され、久々に会えた学友と楽しい時間を過ごしていても、ツバキの心は他にあった。


 カオウは相変わらず多忙らしい。今日は朝食も共にすることなく兄のところへ行ってしまった。

 いつもはパーティーの後に二人で祝っていたが、今年はできないだろう。


(誕生日ってこと自体忘れられているかも)


 長命である魔物は誕生日など覚えていないらしいので、それを祝う人間の気持ちは理解できないのかもしれない。

 そんな些細なことすらも、今のツバキには大きな差に感じた。


(だめよね、寂しいなんて思っては。カオウは私のために頑張ってくれているのだもの)


 そう考え直したツバキだが、なせか胸の辺りがもやもやする。

 さっぱりした料理を食べれば治まるだろうかとゼリーを探したとき、聞き覚えのある男性の声がした。


「お誕生日おめでとうございます、セイレティア様」

「シルヴァン様」


 サタール国の王太子。ツバキの婚約相手だ。


「お越しいただきありがとうございます」

「今日のドレスも素敵ですね。美しい人は何を着てもお似合いになる」

「シルヴァン様も素敵ですわ」


 サタールは小国だが、シルヴァンの見目の良さは帝国貴族の間では有名だった。

 ツバキと談笑していた友人たちも噂通りかっこいいと囁き合っている。

 シルヴァンは自覚しているのか、彼女たちへ甘い笑みを浮かべた。

 即座に黄色い声が飛び交う中、ごく自然な流れでツバキを友人たちの輪の中から連れ出す。

 キラキラ王子スマイル恐るべし。


「やはりシルヴァン様は兄のご友人ですね」

「それは嬉しいお言葉です」


 シルヴァンはニコッと笑ってツバキの嫌味を受け流した。




 会話が聞こえない程度に周囲から離れたツバキたちだったが、本日の主役、しかも美男美女が並ぶ姿は注目されないわけがない。

 二人は高貴な雰囲気を放ったまま会話を始めた。


「僕たちが婚約したのではと噂されているようですね」

「そのようです。先程は助かりました」


 公表されてはいないが、一度漏れてしまった情報から噂が広まったのだろう。ツバキも先程の友人たちに真相を問い詰められていた。

 解消する予定でも婚約中なのは事実。

 言葉を濁しても、恋愛話が好きな乙女たちのパワーに押され、困惑していたところにシルヴァンが来たのだった。 


「それならいいのですが。より信じてしまったかもしれません」

「曖昧な状態にしたのは、私ですから。シルヴァン様には本当に申し訳ないことを致しました」


 本当なら、今日婚約を発表する予定だった。

 皇女としての責任を果たすどころか私的な理由で周囲に多大な迷惑をかけている。

 笑顔で隠していても本音では呆れているに違いないと思ったが、シルヴァンは静かに首を振る。


「結果的に、我が国はかつてのサタールの地を取り戻せるのです。セイレティア様には感謝しかありません」

「私は何もしておりません」


 心苦しくなり視線を落とすと、シルヴァンは微笑した。


「セイレティア様がいなければ成し得なかったことです。彼は貴女のために動いたのですから」

「彼って、カオウですか?」

「はい」

「あの。シルヴァン様はカオウと会われたのですよね。失礼はなかったでしょうか」

「いいえ、まったく」


 シルヴァンはしれっと断言した。

 龍の力は伝説通りだった。カオウにしてみればただ姿を現し、少し脅すように雷を落としただけ。それでも人間たちは震え上がって降伏し、落雷した地は今も荒れ果てている。

 あのとき──カオウと初対面したとき──もし婚約解消に協力していなければ、今もカオウに憎まれていただろう。

 その恐ろしさに比べれば、カオウがシルヴァンにしたことなど蚊に刺された程度のことである。

 それよりシルヴァンが気になっているのは、肝心の皇女の気持ちだった。


「聞いてもよろしいでしょうか」

「なんでしょう」

「セイレティア様は、カオウ様のこと……」

「カ、カオウ様?」


 目を見開いたツバキにつられて、シルヴァンも目を丸くした。


「どうかされました?」

「カオウ"様"って」

「皇族の授印に敬称をつけるのは当然でしょう」


 シルヴァンが戸惑いながら答えると、ツバキは口を手で隠して控えめに微笑んだ。


「ふふ。本人の前で呼びました?」

「呼び捨てにしてくれと苦い顔で頼まれました」

「あははっ」


 皇女が弾けるように笑い、シルヴァンは驚く。

 サタールでの皇女は微笑んでいてもどこか寂しそうだった。今の笑顔はまったく違う。原因はやはり彼だったのだと悟った。


「セイレティア様のお心を動かすのは、カオウ様だけのようですね」

「えっ」


 唐突に言われたツバキの右手がそわそわと動いた。

 固く結い上げられた髪に触ろうとし、乱れるのを心配してか途中で止まり、宙をさまよわせてから胸元で両手を握る。

 真顔を必死に保とうとしているが、視線が泳いでいる。

 シルヴァンはふっと笑った。


「可愛らしいですよ」

「意地悪なことおっしゃらないでください」

「僕はカオウ様を応援していますので」


 シルヴァンは柔和に目を細めた。



 ちょうどそのとき、ささやかに流れていた音楽が止まった。

 ダンスの時間だ。

 ヴィリオの艷やかで伸びのある音色と軽快なピアノの旋律が始まり、一瞬で会場の雰囲気を変える。


「最初に踊る栄誉を頂けますか?」

「もちろん」


 ツバキは快くシルヴァンの手を取った。

 流れてきたのは、敵対する国の王子と王女の恋物語の曲だった。泉で偶然出会った二人の浮き立つ心が想像できるような、喜びに満ちた曲。

 皇女セイレティア=ツバキと隣国王太子シルヴァンのダンスは優雅で美しく、まさに演劇のワンシーンのような雰囲気に会場中に酔いしれた。




 踊り終えたシルヴァンはツバキの手の甲にキスを落とす。


「ありがとうございました」

「こちらこそ。楽しい時間を過ごせました」

「他の方とも踊られますよね?」

「ええ。あと一・二名の方と踊って退出するのが通例ですから」


 いつもはその後、カオウと夜更けまでしゃべっていた。


(今日はいつ戻ってくるかわからないから、サクラたちに付き合ってもらおうかな。そうだ、トキツさんとギジーも呼べないかしら)


 カオウがいなくても大丈夫だと、ツバキは自分に言い聞かせた。


「そんな悲しそうな顔なさらないでください」


 シルヴァンに言われて、はっと前を見る。


「ごめんなさい、顔に出ていましたか」

「少し。カオウ様が気がかりですか?」


 何か含んだ言い方に首をかしげるツバキ。

 シルヴァンはなぜか口元を緩ませながら続ける。


「彼には驚かされます。正体もそうですが、飽きっぽいように見えて、意外と努力家のようです」

「ど、努力家……?」

「様付けを嫌がるほど堅苦しいのが苦手なのに、マナーを習ったり、今日のためにダンスの練習をしていたそうですよ」


 ツバキは耳を疑った。


(カオウがダンスの練習?)


 茫然とするツバキに微笑んだシルヴァンが、ツバキの背後へ視線を向ける。


「ほら、ちょうど来たようです」

「え?」


 ツバキはシルヴァンの視線の先を追い、ゆっくりと振り返った。

 来るわけがない。そう思いながらも、期待で胸が勝手に高鳴っていく。


「あ……」


 瞬時に惹き付けられた。

 カオウがいた。

 金の刺繍が入った白いジュストコールを着て、姿勢良く歩く姿は貴族の中にいても遜色はない。それどころか、長身で端正な顔の青年は他のどの男性よりも輝いている。

 そう思ったのはツバキだけではない。

 カオウの人目を引く容姿と常人ならざるオーラに、客たちも自然と道を開けていく。


(夢でも見ているのかしら……?)


 トン、とシルヴァンに背中を押された。

 勢いで二歩進み、カオウの目の前で止まる。

 カオウはじっとツバキを見つめてから、軽くお辞儀した。


「踊って頂けますか、セイレティア様」


 カオウに主名を呼ばれて混乱し、口が上手く動かない。

 するとカオウの思念が頭に届く。


<返事は?>

<ほ、本当にカオウなの?>

<早く、返事>


 内心緊張しているのか、少しぶっきらぼうな言い方だった。

 ようやくツバキに余裕が生まれる。


「はい」


 ツバキは微笑んだ。

 皇女らしく淑やかに、でもほんの少し頬を染めて。

 カオウはツバキの手を優しく握ると、腰に手を添えた。

 曲は先程と同じ演劇から、仮面舞踏会のシーンで流れる曲。

 実際の舞踏会でも使用される定番中の定番だ。

 だがカオウと踊るなど夢にも思っていなかった。


<カオウ、どうして? こういう場所は苦手でしょう?>

<うん。でも、誕生日に何か特別なことをしたかったから。それに、俺の覚悟をちゃんと形にしたかった>


 くるりと回った瞬間にそんなことを言われ、ツバキはよろめきそうになる。

 がっちりと腰を引き寄せられ、顔が急接近した。

 息が止まりそうなほど心臓がドクンと跳ねる。

 カオウは気にせずダンスを続けた。スローテンポの曲に合わせて、基本ステップを繰り返す。

 動きは硬く、シルヴァンのような優雅さにはまだ届かない。

 表情にも余裕がない。

 それでもツバキにとっては今までで最も愛おしいダンスだった。

 思わず涙ぐみそうになり、ぐっと堪える。


<カオウ、ありがとう。素敵な誕生日プレゼントだわ>


 思念で語りかけると、カオウは嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔にキュンとときめく。

 ツバキはこの一時を心に刻んだ。

 見慣れた会場、聞き慣れた音楽、よく知る相手。

 新しいものではないのに、好きな人と踊るとこんなに特別に感じるのかと、ツバキは不思議な心地に包まれた。

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