第2話 恋する皇女はめんどくさい
誕生日パーティーを翌週に控えた皇女セイレティア=ツバキは、自室にて招待客へ渡す芳礼状を考えていた。
芳礼状とは、封筒に入ったカードを開くと文字や動く絵が浮き出る魔法がかけられた書状のことで、感謝の気持ちを伝える際によく用いられる。
複数の魔法をかけるため芳礼状は貴族の嗜みとされており、センスや品性も問われる。
従って単にお礼の言葉を書くだけでは皇族の威厳を保てない。
ツバキは見本や過去に作った芳礼状を机に並べ、文字の色や絵、浮き出し方などの仕掛けをどうしようか侍女三人と意見を出し合っていた。
カリンが細工の美しい白いペンを取り、ドレスを着た女性の絵をさらさらと描く。
「優雅にお辞儀するツバキ様はいかがでしょう。ドレスはこんな感じで」
「大人っぽいドレス。素敵」
「髪は……やっぱり下ろしたままにしましょうか。緩めの編み込みで、大きな飾りをつけましょう」
「なんだか、実際には作れなさそうなデザインね」
「絵だからできる遊び心です」
得意げに微笑したカリンはペンの蓋を閉め、くるりと回して先端で絵に触れてから空中でクルクル円を描いた。
すると絵の女性が浮き出てきた。優雅にターンをしてから淑女の礼をする。
モモがうーんと腕を組む。
「何か物足りないですね。あ、カオウも書きましょうよ。普通は授印も一緒なんですよね?」
「授印を書くときは魔物の姿でないといけないの」
ツバキが残念そうにつぶやき、侍女たちは顔を見合わせた。
彼女たちはカオウを大蛇の魔物だと思っていたが、城の上空に突然龍が現れたときに、女官から正体を聞いた。
龍のカオウは恐ろしく、なぜ先代の皇帝がカオウを隠したがったのかもようやく理解できた。
「あの、ツバキ様」
「なあにサクラ」
「ツバキ様は、龍のカオウを見て怖いと思わないんですか」
ツバキが目をパチパチさせる。
「怖い? どうして?」
「だってあんなに巨大で」
「蛇のときから大きかったから、今更驚かないわ」
「最初から怖くなかったんですか?」
「綺麗でかっこいいとは思ったわね。龍の姿はとっても凛々しくて……」
手で口を隠し、控えめに微笑む。
主の頬がほんのり色づいたことに気づいたサクラは慌てた。
「ツバキ様。つかぬことをお伺いしますが、最近カオウを見る目が前と違っていませんか」
「えっ」
「カオウのこと、好きになったんですか?」
「あ、その。……うん」
可愛らしく小さく頷くツバキ。
同性でもキュンとしてしまう表情だった。
サクラは愕然とする。
「それ、カオウに言いました?」
「ちゃんと言ってないから、今度伝えようと思っているの」
「言っちゃだめですよ!」
「どうして?」
「まったくもう!!」
サクラはため息交じりに声を荒げ、両手を腰に当てる。
「危機感がなさすぎます。カオウにそんなこと言ったら、また暴走しますよ」
「暴走?」
「脱皮して戻ってきたカオウに何されたか、忘れたんですか?」
「!!」
ツバキは思い出した。
気持ちを抑えられなくなったカオウに押し倒され、無理矢理キスされ、嫌だと言っても止まらなかったことを。
「言わない方がいいかしら」
「はい」
即答され、ツバキはしゅんと肩を落とした。
主の落ち込み様を不思議に思ったカリンが尋ねる。
「伝えたい理由でもあるんですか?」
「だってお兄様の仕事を手伝うようになってから、会う時間が極端に減っているじゃない」
「忙しいのでは?」
「でもこれ見て」
ツバキは袖を捲って、右手首の内側を侍女たちの前に突き出した。
そこには小さく薄っすらと、金色の模様が刻まれている。カオウと契約した印だ。
ウイディラから戻って来たときは、再び肩に付けていたのだが。
「先月突然、手首につけ直したのよ。吸い方もなんだか余所余所しい気がするし。それに魔力たくさん使っているはずなのに、吸うのも朝と夜だけで、どうして足りているのかしら」
ツバキはそっと印を撫でた。
契約すると授印がどこにいるかなんとなく把握できるので、カオウが日中様々な場所を飛び回っていることはわかっている。
城にいる時間も気づいていた。近くにいるのに会いに来ない理由はわからない。
「ツバキ様、お茶でも飲みますか? もうすぐ夕食ですが、少しだけ甘い物でも召し上がります?」
すっかり気落ちしてしまった主を励まそうと、カリンが動いたときだった。
目の前に突然カオウが現れた。
随分疲れた顔をしてブツブツ言っている。
「ほんとシュンのやつ人使い荒すぎる。俺が逆らえないのをいいことに、無茶ばっかり言いやがって」
会えると思っていなかったツバキは驚いて反応できなかった。
カオウは気にせずツバキの隣にどさりと座り、机上の紙やペンに目を留める。
「何してるんだ?」
「誕生日パーティーの芳礼状考えていたの」
「ふーん」
カオウは女性が描かれた紙を指でつまんだ。
軽く振ると、絵が浮き出てくる。
優雅にお辞儀する女性を見て、また「ふーん」とつぶやいた。
「どう思う?」
「よくわかんねー」
ツバキはいつもと変わらないカオウの態度にくすりと笑った。
「カオウは何していたの?」
「ん……まあ、いろいろ」
はぐらかすような言い方だった。
「今日はもう終わりなの?」
「うん。あっ違う」
「まだあるの?」
「もう行かなきゃ」
カオウはそそくさと立ち上がり、ツバキに向かって手を伸ばした。
頬に触れられるかもと思ったツバキの胸が高鳴る。
だが、直前で引っ込められてしまった。
「また後でな」
「待ってカオウ」
瞬時にツバキはカオウの腕を掴もうとしたが間に合わなかった。
虚しく自分の手を握る。
俯いてしばらく考えてから、ぱっと顔を上げた。
「やっぱり、ちゃんと気持ち伝えなきゃ」
「ええ!?」
サクラが血相を変えた。
「だからダメですって」
「でもこのままじゃ、お兄様にカオウ取られちゃうわ」
「は?」
侍女三人の声が揃う。
「この前リハルに聞いたら、カオウとお兄様、すごく仲良さそうに話してるそうなの」
「いやいやいやいやいや」
それはない、と侍女三人が揃って手を横に振る。
ツバキは構わず続ける。
「働く楽しさに目覚めたのかもしれないわ。もしかしたら、お兄様から魔力もらっているのかも。私より美味しいのかしら……」
「正気ですか?」
呆れを通り越したカリンが眉を寄せる。
「陛下にはクダラ様とリハル様がいらっしゃるんだし、カオウがツバキ様以外から魔力もらうわけありませんよ」
「そうかしら。疲れてるなら魔力必要でしょう?」
「そんなに心配ならカオウに聞いてみては。そばにいなくても、思念で聞けますよね」
「でも、仕事中だったら悪いし……」
「あーもう、面倒くさい」
カリンはお手上げだと肩をすくめ、後輩二人にバトンタッチした。
サクラがずいと前に出る。
「ツバキ様。もし言ったら、カオウは絶対暴走しますよ。そしたら、キスどころじゃ済みませんよ」
「だ、大丈夫よ。いざとなったら瞬間移動で逃げるか、私の能力で止めるもの」
「甘いですね」
そう言ったのはモモだ。
サクラの隣に立ち、腕を組んで凄む。
「印を消されたら瞬間移動も、空間へ逃げることもできません。ツバキ様の力だって、暴走したカオウを止められる保証はありませんよ、相手はあの龍なのですから。あと、これだけは伝えておきます」
モモはツバキに耳打ちした。
何かを聞いた瞬間、ツバキの体が石のようにピシッと固まる。
「諦めますか?」というモモの問いに、ぎこちなく頷いた。
「何を言ったの?」
感心したカリンが聞くと、モモがムフフと笑う。
「カオウは元蛇ですから、蛇の生態について教えたんです」
「何それ」
「蛇は一日中交尾するらしいですよ」
「モモー!?」
なんてことを吹き込むのかと、カリンはモモの肩を揺する。
真っ青な顔で固まるツバキ、真っ赤な顔で震えるサクラ、こんこんとモモに説教をするカリン。
女官が諸用を終えて戻ってきたとき、皇女の部屋は様々な感情が入り乱れた得も言われぬ空気となっていた。
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