第27話 印がなくても、

 ツバキはかじかんだ手を息で温める。

 茶色の外套を羽織り直し、寒さに耐える。


 迂闊だった。

 飛馬の後ろにある荷台を浮かすには魔道具が必要だ。消費量は魔道具にもよるが、ナナはかなり質のいいものを用意してくれたので、下級程度の魔力でも苦も無く浮かせられるはずだった。

 だがツバキは足環の赤い石を破壊した際にかなり使っていたため、崖から降りてからは地を進めばよかったものを、気が急いて遠くまで飛んでしまった。

 次第に重くなっていく荷台に耐えきれなくなった飛馬が暴れ出し、近くの山へ落下も同然に着地。飛馬は逃げ出し、散らばった荷物をなんとか掻き集めたが、半分ほど失くしてしまった。


 幸いだったのは、綿伝のシュリを服の中に入れていたことだ。

 出発前に読んだナナからの手紙によると、シュリは赤い石がついた籠の中にいたが、今日の昼頃外へ出ようと何度も籠に体当たりし怪我をしたらしく、二度と暴れないようにずっと薬で眠らせていたという。

 目覚めれば城にいるサクラに連絡ができる。

 それまでなんとか持ちこたえねばならない。


「ここ、どこかしら」


 ツバキは両膝を引き寄せてつぶやく。

 空中でも国境を越えるときは検問があるので、まだウイディラだと考えてよく、ダブロン山脈のどこかの山にいるはずだとうろ覚えの地図から推察する。

 今は、偶然見つけた洞穴の中にいた。二人分の大きさしかないが、ちらちらと降り始めた雪を凌ぐことはできそうだ。

 道中見つけたクジュという紫の実を口の中でコリッと噛む。割れた実から苦い汁が舌に広がり、顔をしかめた。

 クジュは苦いが魔力を回復できるので、袋に入っていた水筒のお茶で苦味を流しながら、三つほど食べる。


「寝ちゃだめだよね」


 すっかり夜になっていた。心細くなり角灯をつけようか悩む。

 ツバキが普通と違うのは、魔物が怖くないことだ。明かりをつけて盗賊に発見されたくはないが、魔物とは出会いたい。そうすれば寂しさが紛れるというのに、まだ一頭も見かけていなかった。


「ウイディラだからかな」


 外套の中にいるシュリを確認するが、まだ眠っている。

 一つため息をついて、積もった雪をぼんやり見る。

 城に雪が積もると、必ずカオウと雪合戦したり雪だるまを作っていた。

 思い出して、景色がにじむ。


「会いたい」


 今になって気づいてしまった気持ちをどう処理すればいいのか。印を消されてしまっては、二度と会えないというのに。かといって、他の人と結婚することはもうできない。


「このままセイレティアの名を捨てて、ツバキとして生きられたら……」


 言葉にして、はっとする。


「何を考えているのかしら」


 かぶりを振り、気を紛らわすように角灯をつけた。


「……?」


 薄橙の光が届くか届かないかという距離に、白い蛇がいた。

 薄っすら積もっていた雪と同化していたせいで、今まで気づかなかったようだ。

 魔物かと思い「こっちにおいで」と呼びかける。

 蛇は素直ににゅるにゅる近づいてツバキの前で止まると、頭をもたげた。


「こんばんは」


 挨拶をしても蛇は無言だった。

 下級魔物なのかと思ったが、水かきのある手に気づく。


みずち?」


 ツバキが知る下級魔物の中に蛟はいない。


「話し相手になってくれない?」


 首を横に振る蛟。


「話はできるの?」


 首を縦に振ろうとして止まり、一拍置いて横に振る。

 ツバキは首を傾げる。


「話せない理由があるの?」


 どちらにも首を振らないので、ツバキは顎に手を当てて考える。


「そこは寒いでしょう。話さなくていいから、近くに来て?」


 ツバキが腕を差し出すと、蛟はまたにゅるにゅると近寄り、腕にまきついた。

 にっこり笑うツバキ。


「それじゃあ、はいかいいえで答えられる質問をするわね」


 蛟は目をパチパチさせる。

 それは会話と同じ意味なのではと気づいて慌てる蛟が可愛らしくて、ツバキはふふと笑った。 


「あなたはこの山に住んでいるの?」

 蛟は頭を縦に振り、”はい”と答える。

「私が来る前から、ここにいた?」

 横に振り、”いいえ”と答える。

「私が来たから、来たの?」

 ”はい”

「印を結んでいるの?」

 ”いいえ”

「それなら人に言われているわけではないのね?」

 ”はい”

「魔物に、頼まれたの?」

 ”はい”

「……私が知ってる魔物?」


 どちらにも首を振らない。

 ツバキは卑怯だと思いながら、能力を使う。


「お願い答えて。カオウに言われて来たの? カオウは私を、探している?」


 蛟は抗おうとしたが、ツバキの力に逆らえず、口を開いた。


『ツバキという女性をお探ししお守りするよう、龍に命じられていました。貴女がそのツバキ様ですね?』

「そうよ」


 ツバキは手を胸に置き、早くなる鼓動を抑えた。


「ケデウムで私を守ってくれたのも、あなた?」

『いいえ。我ら蛟は龍の命を受け、近くの者が遂行します』

「どうやって命令を聞くの?」

『我ら蛟にとって、龍の声は天の声』

「天の声?」

 

 どういう意味かと問う前に突然蛟が殺気立った。

 ツバキの腕をすり抜けて外へ出る。

 何があるのかとツバキも出て、視線の先を追う。

 緑の光があった。

 森の奥に、二つ。


「目?」


 あれが目ならば、熊よりも大きい。

 光が動いた。

 近づいてくる。

 暗闇ではあれが何か、まだわからない。

 ツバキは角灯を掲げた。薄橙の光が辺りを照らすが、あれには届かない。

 だが、進行経路に生えていた木がのを見た。


「な……に……?」


 さすがに異形の物だと気づく。

 咄嗟に魔力を当てて光らせた石を前方へ投げた。

 眩しく輝く白い光があれの姿を浮かび上がらせる。

 ──赤黒い塊。

 ねっとりとした液体の中に沈むように、白い光を放つ石も吸い込まれていく。

 もう一つ石を光らせ、投げる。


「!?」


 赤黒い塊の一部が伸び、石を捕えた。

 伸びた部分に向かって本体が飛び出しながら、翼の大きな烏へと形を変える。

 しかし形をとどめておくことができないのか、ぼたりぼたりと赤黒い液体が垂れ、地面で再び集まっていった。

 足の生えた巨大ミミズのような物体となり、ずるずると近づいてくる。不気味に光る目をこちらに向けたまま。

 蛟がツバキを守るように立ち威嚇するが、大きさは比ではない。

 

「ち……近づいちゃだめよ」


 声が震えている。逃げようにも体がガクガクとして後ずさりが精一杯。

 光に反応しているのかと角灯をあれの横へ投げたが見向きもしない。ツバキだけを凝視している。

 あれは蛟の姿を真似、ツバキの背を軽々と超える高さまで起き上がり、大きく口を開けた。

 赤黒い液体を涎のように垂らしながらツバキたちを飲み込もうとする。


「キャアアアア!」


 悲鳴を上げたときだった。

 ザシュッと短い音がして、あれの体が縦真っ二つに斬れた。弾けて無数の大粒と化し、赤黒い血の雨のように降り注ぐ。

 次第に視界に入ってきたのは、夜の闇にも映える美しい髪をした人。

 ツバキが会いたいと願い、会えないと思っていた人だった。

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