第26話 龍の咆哮

 時はレオとファウロスの会話まで遡り、ファウロスの自室にて。


「いいか、指示した場所へ必ず明日中に連れてこい!」


 苛立ったファウロスが水面を叩くと、交鏡に映る真っ赤な髪をした異母弟のレオは憎悪を残したまま消えた。


 ただの水に戻った交鏡の底には、鶏の頭と孔雀の羽を持つ鳳凰が描かれていた。五色絢爛の体の中で最も際立つ赤色を、忌々しく睨みつける。

 父親も同じ赤髪だった。


「虫酸が走る色だ」


 濡れた手を振り落とし、部屋の隅に控えていた従者を呼ぶ。


「今すぐ兵をレオの元へやれ。例の娘さえ手に入れば、殺しても構わん」

「しかし、その娘はバルカタルの皇女だったとか。本当に捕らえてよろしいのでしょうか」

「わしに意見するとは偉くなったものだな」


 ギロッとした目を向け、咄嗟に俯いた従者を蔑視した。


「ふん。今バルカタルはケデウムで手一杯だ。ダブロン山脈を越えてここまで来られるわけがない。魔物を呼び寄せるという力、早く見てみたいものだ」


 ファウロスはほくそ笑む。

 ウイディラには魔物が少ない。

 魔力差を埋めるため様々な武器の開発を進めてきたが、それだけは得られなかった。


「魔物さえ手に入れば、バルカタルなど恐れるに足りぬ」


 壁に貼られた地図へ顔を向ける。

 自国ウイディラと、西のダブロン山脈を越えたバルカタル帝都までの地図。

 その左端に記された×印を、野心溢れる目で見つめた。


「……神の国への入り口、か」


 そう、ぼそっとつぶやいた時だった。


「随分ナメられたものだな」


 突然聞こえた若い男の声。

 だが辺りを見回しても、見知った従者二人しかいない。


「魔物はぎょす力がなければ食われるぞ」


 深みのある落ち着いた声が再び聞こえ、ファウロスの心臓が緊張で早まっていく。

 曇天とはいえ部屋が暗いわけではない。姿が見えないのならば魔物の可能性が高く、従者たちも焦燥で顔を青くしていた。


「誰だ!?」


 目の端に人影が映り、慌てて振り向くと、窓際に一人の男が立っていた。

 錫色の髪をした端整な顔立ちの男。

 周りに漂う気圧されそうなほど凛とした空気から、彼が常人ではないことを悟る。 

 男はファウロスと目を合わすなり、うっすらと笑った。


「我が国を騒がしてくれた礼をしに来た」

「!?」

「私はジェラルド=シュン・モルビアン・ト・バルカタル。帝国を統べる者」


 ジェラルドに一歩踏み出され、ファウロスは無意識に一歩下がる。


「ばかな。バルカタルからここまで来られるわけがない」

「そうだな、つい先日までは無理だった」

「!?」

「私の妹を返してもらおう」

「妹? 何のことか」

「早く白状した方がいいぞ。私よりせっかちな奴が皇女を探している」

「知らないと言っているだろう!」

「そうか。それなら」


 ジェラルドが愉快そうに目を細めた刹那。


 閃光が空から落ち、地を揺るがす衝撃がファウロスを襲った。体の芯まで届いた轟音が耳鳴りを起こす。

 雷が城の近くに落ちたのだ。


 そして、光の眩しさに耐えきれずつぶっていた目を開けた瞬間、驚愕する。

 空が金色に染まったかと思うほど巨大な龍が浮かんでいた。


「あ、あの龍は……お前の?」


 あまりの迫力に呼吸ができなくなっていたファウロスは、苦痛に顔を歪めながら問いかけた。

 ジェラルドは座り込んでしまったファウロスを見下ろす。


「そうとも言えるし、そうでないとも言える」


 眉をひそめたファウロスには構わず、憂うような表情を見せた。


「あの龍は私の命令に嫌嫌従っているからな、そろそろ限界だろう。居場所を言わないと、次は私諸共ここを破壊しそうだ」


 龍の顔が近づいてきた。壁一面の窓全てが龍の体で遮られる。

 縦長の瞳孔の中に、ファウロス自身が映っていた。

 金色の瞳に体が硬直する。

 空には、龍が怒りを堪えているような重低音の雷鳴が轟き続けている。


「…………」


 恐怖で口をパクパクさせていると、龍が咆哮した。


「!!!」


 振動によって窓ガラスがすべて割れた。

 破片が広範囲に飛び散り、家具や調度品、従者たちの体に突き刺さる。

 だが、ジェラルドとファウロスの周囲だけ結界が張られたように無事だった。

 訳が分からず茫然とするファウロスに向かって、ジェラルドが冷静に告げる。


「最後だ。皇女の居場所を言え」

「……北にある、龍の爪痕という崖にいる。始祖の龍がつけたと云われている所だ」


 龍の姿が一瞬にして消えた。

 緊迫した空気が一気に緩み、ファウロスはガクっとへたり込んだ。

 安堵した瞬間、全身から汗が噴き出し体ががくがくと震える。


「あれが……あれが龍。伝説の。まさか、本当にいたとは」

「まったく。あいつは手加減てものを知らんのか」


 はっと顔を上げるファウロス。

 ジェラルドは不機嫌な顔をしていた。


「知らないだろうから教えてやる。ケデウムはもう返してもらったぞ」

「なんだと?」

「苦戦していた所もあったが、龍とともに周ったらすぐに降伏した。正直、借りを作ったようで面白くはないが」


 さて、とバルカタルの皇帝はウイディラの王に向かって麗しく微笑する。


「簡潔に言おう。バルカタルの属国になる気はあるか?」

「な、なに!?」

「素直に従えば、命だけは助けてやらんこともない」


 ファウロスはギリッと歯ぎしりして睨みつけたが、目の前の男が武器を持っていないことに気づくと、勝ち誇ったようにニヤリとした。


「龍がいなければこちらのものだ」


 銃を懐から取り出して狙い撃つ。


「!?」


 ジェラルドは無傷だった。

 何度も引き金を弾くが一向に当たらない。

 銃弾がなくなったところで、ジェラルドは涼しい顔で笑む。


「交渉決裂だな」


 足首に何かが絡みついた。

 黒い手が両足を掴んでいた。

 ファウロスの体に巻き付くように、異様に長い腕が這い上ってくる。

 抗おうとしても固まって動けず、取ろうにもこちらからは触れられない。


「な、なんだこれは」

「お前の影だよ」


 ジェラルドは顎をさすりながら、影を興味深げに観察する。わずかに息のあった一人の従者の影は早々に本体を捕まえ動けなくしていたが、ファウロスの影はしぶとく手だけを伸ばす。


「なかなか頭が出てこんな。随分臆病な性格のようだ」

「貴様!」

「自分の影か私、どちらに殺されたい?」


 影が首に到達し、ファウロスは目を見開いた。


「や……やめろ」

「安心しろ。ウイディラの統治権は第三王子にやる」

「あの間抜けに!?」

「ここへ来る前、彼とも話をした。すんなりと応じてくれたよ」

「ふざけるな! あんな臆病者に務まるわけがない。そうだ、私と手を組まないか。バルカタルとウイディラならば、世界を征服できる」

「くだらんな」


 ジェラルドは息巻くファウロスを冷酷に睨みつけた。


「誤解しているようだが、私がウイディラを属国にするのは、無用な戦争を起こさぬためだ」


 黒い手がファウロスの顔を覆っていく。

 このまま飲み込まれると覚悟したファウロスは死と同時に別の焦燥感に駆られた。

 僅かな隙間から、声を絞り出す。


「ま、待ってくれ。あれは本当なのか。バルカタルに神の国の入り口があるというのは」


 ジェラルドの翡翠の目が揺れる。


「あるのだな! 父は……私は、それを知りたかった。この目でそれを見たかった」

「それこそくだらん妄想だ」


 ゆっくりと男を指さす。


「バルカタルに挑んだこと、後悔するがいい」


 ゴトン、と重い音がした。

 影と共に分断されたファウロスの首が落ちた音。

 ジェラルドはゆっくり手を下ろす。


「久々に使ってしまった」


 そう独りごちたとき。


『ジェラルドさまあ。かっこよかったですうぅ』


 部屋に潜んでいた人型の鳥の魔物、リハルが姿を現した。

 羨望の眼差しでジェラルドを見つめる。


『クダラじぃの力、久しぶりに見れて興奮しちゃいましたあ』


 近寄ってきたふわふわの頭を優しく撫でてやると、リハルは嬉しそうに喉を鳴らした。


「リハルにも苦労をかけたな。カオウへの伝言係、ご苦労だった」

『本当ですよぉ。カオウったら、すごくグチグチ言ってましたよぉ』


 ジェラルドと思念で会話できるリハルは、命令をカオウへ伝える役だった。

 ケデウム州を周っていたときもウイディラに来てからも、カオウにはいろいろ命じたので、かなり不満がたまっていたことだろう。

 その甲斐あって、ようやく得られた手がかり。


『無事に見つけられるといいですねえ』


 リハルのつぶやきに無言で頷く。

 印を消した今、カオウはツバキの居場所を気配で辿ることができない。

 それでも探し出せるのはカオウしかいないと、ジェラルドは確信に近いものを感じていた。

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