第22話 ウイディラの王族 バルカタルの皇族 1

 金糸を織り込んだ白壁に、楕円形の大皿が飾られている。

 皿には絵が描いてあった。三艘の船と、隙間なく並ぶ五階建ての細長い建物、犬と散歩する人。


 郷愁にも似た感情を抱かせる絵。

 一艘の船に積まれた荷に何が入っているのかと、不思議と心惹かれて買ったものだった。


 レオはそれを、無に等しい表情で眺める。


 それが普通の飾り皿と違うのは、中に透明の水が張ってあることだ。

 交鏡という魔道具に注がれた水は、重力に逆らい揺れることなく器に収まっており、平穏な港町の情景をより柔和に見せている。


 レオは絵から目を離すと、持っていた真鍮のきらびやかな長細い箱から一枚の黒い厚紙を取り出した。

 鳳凰を模した紋章が押された厚紙を、交鏡の水へ浸す。


 紙が溶けていくほど透明の水は黒く染まり、港町が消え、かわりに一人の男の上半身が映る。


 レオは無表情のまま心にもない挨拶をした。


「ご健勝で何よりです、ファウロス王子。いえ、ファウロス王」


 わざとらしく言い間違えるレオへ、ウイディラの新しい王はまがい物を見るような目を向けた。弛んだ頬と鋭い目は男の卑屈な性格を如実に表している。


「一体いつまで待たせるつもりだ。例の娘は捕まえたのだろう」

「例の娘とは」


 レオが考えるそぶりも見せず聞き返すと、王のかさついた唇が怒りで震えた。


「とぼけるな。魔物を操るという娘をお前が捕らえたと報告が上がっているぞ。お前からは何も聞いていないがな」

「真偽を確かめているところなので、まだ早いと判断したまで」

「娘がバルカタルの皇女だったということもか」

「皇女だから、扱いが慎重になるんですよ」


 レオは眉一つ動かさず答える。

 王はふん、と不満げな声を漏らす。


「皇女ならそれだけで使い道がある。早く連れてこい」

「あいにく、素直に従うような女ではなく」


 交鏡に映る王はコップか何かを持っていたのか、ガチャンと割れる音がした。


「言い訳はいいからさっさと連れてこい! 女など、殴るなり犯すなり大人しくさせる方法などいくらでもあるだろう!」


 レオの目がわずかに動いた。

 怒りで顔を真っ赤にする王は、レオの感情のない目が変わったことに驚き、卑屈に笑う。


「なんだその目は。わしに歯向かう気か」

「…………」

「今までの苦労が無駄になるぞ、レオニダス」


 本当の名を呼ばれた直後、レオの様子が一変した。

 憎しみを腹底から沸き上がらせたような形相で王を睨む。


 王は恐ろしさで身震いしたが、気取られないよう大声を張り上げた。


「嫌いだったな、父が付けた名が。だが名を変えたところで、お前の中に流れる王族の血は変わらない。例えいやしい腹から生まれたとしてもな。

 いいか、指示した場所へ必ず明日中に連れてこい!」

 

 侮蔑を込めて吐き捨てた王の体が薄くなり、交鏡の水は透明に戻った。


 再び現れた港町が、レオの憎悪の感情を抑えた。


 かわりに再び芽生えた羨望の象徴に背を向け、目を閉じ、深呼吸する。


 ゆっくり目を開けた。

 表情は、怒りでも無でもなかった。


 これから己がすることに対して、相反する頭と心がレオの感情を揺さぶり、むしばんでいく。


 仕事用の個室を出て、目的地へと歩く。

 窓がなく、曇ったガラスからの明かりでは充分な光量がない廊下は、自然と足取りを重くした。


 迷う必要などないはずだった。

 これでようやく終わりを迎えるのだから。

 暗く沈んだ中で出会った光を、静かな時間の中で通わせた温かなものを、すべて捨てることになっても。


 目的地についたが、ドアノブまで手が上がらない。

 どうにも遅い自分の動きに呆れた。

 自嘲気味に口を歪ませてから、ドアノブへ手をかけたとき。


「だーかーらー。ぜんっぜんダメ!」


 中からナナの声がした。

 慣れ合うなと忠告したにも関わらず、またツバキに会いに来たらしい。

 

「そんな強張った顔じゃなくてさ、もっと自然に…………ちがーう!」


 憤慨するナナ。

 何をしているのか気になり扉を開けると、ツバキは椅子に姿勢正しく座っており、ナナは顔の大きさほどもある蛇腹のついた四角い箱ごしに皇女と向き合っていた。


 蛇腹の先には丸いレンズがついている。


 レオはため息まじりに問いかけた。


「何やってるんだお前は。俺のだろ、それ」


 レオに気づいたナナは、悪びれることなくニシシと笑う。


「ツバキがカメラ見たいっていうからさ。部屋から持ってきちゃった」

「きちゃったじゃねえよ」

「ねえ聞いてよ。ツバキったら、笑顔がすんごく下手なの。硬いっていうか、釣り糸で引っ張られたカエルみたいな」


 カエルは言い過ぎだが、ツバキの顔は確かに引きつっていた。怯えているといっても過言ではないほど。カメラのレンズを見ないようにしている。


 ツバキがカメラを指差す。

 

「だ、だって、魂が抜けちゃうかもしれないんでしょ?」

「はあ?」

「ナナがそう言ったもの」

「ナナが?」


 レオが聞き返すと、辟易したナナはカメラを持ったまま皇女に詰め寄る。


「だからそれは、カメラが普及し始めたころ東の国で言われてただけで、ただの迷信だって」

「でもでも。魔法でもないのにそのままの姿が紙に留まるのよ。魔力の代償もないのにそんなことができるなんて、仕組みがわからないわ!」


 体に触れそうなほどカメラを近づけられたツバキの目に涙が溜まっていた。

 本気で怖がるツバキを見たレオが、ぶはっと吹き出し、大きな口を開けて思いっきり笑う。


「あっはははは。本気で言ってんのかそれ。魔法の方が意味わかんねーだろ普通。」


 お腹をかかえて笑われたツバキは羞恥心で顔を真っ赤にした。

 

「そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「しかも、銃向けられたときより怖がってるじゃねえか。感覚がおかしすぎる」


 誘拐されたのに泣きもせず掃除までしたらしい肝の座った皇女が、ただのカメラに怯えるなど誰が想像できようか。

 レオは完全にツボに入ったのか笑いが止まらなかった。


「あー。腹いてー」


 ひとしきり笑ったレオは部屋の中へ進み、ナナからカメラを取り上げる。


「立って並べ。二人一緒ならいいだろ」

「えっ」


 ツバキとナナは同時に声を出した。

 ただし、ツバキは嬉しそうに、ナナは嫌そうに。


「ナナと一緒なら心強いわ」

「い、嫌よ。皇女と写真なんて」


 右腕に抱きつかれたたナナは、必死で腕からすり抜けようとしたが、かなわない。


「離してよ! さっきまで怖がっていたくせに、なんで今は乗り気なの!」

「怖くても興味はあるのよ」

「わたし、写真撮られるの嫌いなの」

「あら。ナナもカメラ怖いのね」

「怖くない!」

「ならいいじゃない」


 ほら笑って、とツバキの強引さに押されたナナは、こんな皇女いやだとうんざりしながら、ぎこちない笑顔を作る。


 そんな二人のやり取りは可笑しく、微笑ましく、同時にずきりとした胸の痛みを感じながら、レオはカメラのシャッターを押した。


「わたし、現像してもらってくる」


 ナナがパタパタと近づいてきたので、カメラを渡す。その際、レオはナナにだけ聞こえる声で囁いた。


「今日が最後だ」


 レオを見上げるナナの顔が強ばり、目で懇願してくる。

 それを同じく目で抑えた。

 ナナはレオからカメラへ視線を落とし、無言で立ち去る。


 背後で扉が閉まる音を聞いてから、レオはツバキと目を合わせた。


 空気の変化を感じたのか、皇女は真剣な表情になる。


 レオは空いている椅子を引いてツバキの前に置き、ドサリと座った。

 手を伸ばせばすぐに届く距離。


「座れよ」


 しかし警戒したツバキは首を横に振る。


「俺の膝の上がいいか?」


 さっと椅子に座った。

 レオはくっくっと笑い、椅子の背にもたれる。


「出来栄えは期待するなよ」

「え?」

「写真。あのカメラはかなり古いし、本当は台で固定するんだ。綺麗には撮れていない」

「そうなの」

「あれは俺が東の国から持ってきたものだ」


 東の国、と聞いたツバキの目が興味深げに揺れた。


「レオは東の国の出身なの?」

「いいや。生まれはウイディラ」


 緊張しているのか、レオは息苦しさを感じた。


「俺はファウロスの、腹違いの弟だ」

「…………え?」

「俺の父親はウイディラの王なんだよ」

「王族、なの?」


 ツバキの顔を直視できず、レオは目を伏せた。


「王族とは名ばかりだ。母親はケデウム州の人間で、しかも娼婦だった。他国の、しかもバルカタルというウイディラにとっては得体のしれない国の娼婦との子など、本来なら殺される。周囲は俺の存在を秘匿したかったようだが、他ならぬ王がそれを許さなかった」

「なぜ?」

「奴の母親もケデウムの出身だったらしい。王位継承権はないに等しかったが、どういう訳か王になった」


 父親は六人の子を設けたが、他国の女性との子はレオだけだった。

 殺されなかったとはいえ、母親は国外追放、レオも王以外からは明らかな差別や嫌がらせを受けて育った。

 レオが告げ口をしないことを見越して、王が気づかない程度に。


 皮肉なことに、レオは様々な面で優秀だった。特にケデウムの血が濃いためか魔力が高く、バルカタルの地を狙う王の期待を一身に受けていた。

 一回り以上年の離れた兄たちよりも。


 ウイディラでは王が次の王を選ぶ。

 そのため、次の王はレオになるのではないか──そんな噂が流れ始めていた。


「俺は王位になど興味はなかった。王の期待も、わざとらしいへりくだった態度も、あからさまな敵意も、すべて煩わしかった。

 だが、逃げることはできなかった。もし逃げ出せば、母親を殺すと脅されていたから」

「そんな」

「今にして思えば、俺を従わせるための嘘だったとわかるが、その時はまだ九歳の子どもだった。

 生まれてすぐ引き離されて顔も知らない女のために、馬鹿みたいに耐えていた」


 レオはフッと自嘲した。

 我ながらよく語るとどこか他人事のように思いながら、話を続ける。


「そんな生活を続けていたある日、王の毒殺未遂が起こった」

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