第23話 ウイディラの王族 バルカタルの皇族 2
その日の夕方、レオは従者から、王が呼んでいると言付けを受けた。
渡されたティーセットを持って一人で父親の部屋へ行ったが、緋色の光が差し込む中にいたのは王の授印である
不安を煽るような鼬のねっとりとした視線に耐えきれず、自分の部屋に帰った。
まだ九歳の子どもだったレオがしたのはそれだけだった。
その紅茶を飲んだ王が倒れた。
レオが持ってきたと知り、毒味をしなかったらしい。
レオは従者に言われたのだと訴えたが従者は否定し、別の者が彼と一緒にいたと証言した。
訳もわからないまま捕まりそうになったところを、王室専属の教師が助け出してくれた。
教師は東の国の中でも極東に近い国から来たという四十歳手前の男性で、レオを色眼鏡で見ない唯一の存在だった。
彼の授業は東の国の言語だったが、時折文化や歴史を交えながら教えてくれるので、他の教師のように詰め込むだけの退屈なものではなく、毎回わくわくしながら聞き入っていた。
レオもまた、彼にとって特別な生徒だった。
ウイディラは魔力を必要としない道具で溢れているが、当時はまだ東の国からの輸入品が多かった。
そのためウイディラの王は東の国をよく知るその教師を招いたのだが、魔力が全くない彼に対する差別は耐えがたいものであり、授業を受ける王子たちもろくに話を聞かない。
レオだけが教師の話に興味を持ち、生徒の中で最も魔力が高いにも関わらず教師をきちんと敬う素直さもあった。
だからというにはあまりに細い絆ではあったが、教師は命がけでレオを救い出してくれ、逃亡中死んだように見せかけた。
それから二人は東の国へ向かった。
レオは道中、多様な人種、文化、思考に触れ、初めて世界地図なるものを見たときはいかに自分が狭い世界で生きてきたのかを知り、大きな衝撃を受けた。
また、教師は驚くほど博識だった。各地の歴史や政治に精通しているだけでなく、雑学や、ウイディラではなかった哲学的な部分──この世界の成り立ち、なぜ魔力がある者とない者がいるのか──など多岐にわたり、レオの知識欲を刺激した。
やがて定住地を決めると、レオは教師の知人から経営の基礎を学び、実際に働いて資金と人脈を作り、王族として無気力に過ごした年月とは比べ物にならないほど有意義な日々を送った。
「そして十六になったとき、自分たちの店を持とうと思って、リロイに来たんだ」
レオが懐かしそうに細めていた目を上げた。
思慕を抱くレオの表情は穏やかで、東の国の話に聞き入っていたツバキは少しドキリとする。
「どうして戻って来たの?」
「単純に需要があると考えたからだが……リロイにいるかもしれない母親を探すためってのも、あった」
「お母様?」
「先生が探しに行こうって言い出したんだ。母親はすでに殺されているかもしれないし、手がかりも何もないし、俺はそんなの望んでいなかったけど、先生に言われちゃあな」
「見つかったの?」
「いいや、まったく。それになかなか店も上手くいかなくてさあ、散々な一年だった。先生も無理して、病気になっちまった」
微熱が続き咳が止まらず、痰に血が混じるようになり、半年ほどして亡くなった。
打ちひしがれたレオは何もする気が起きなくなり、仕事も放棄し、夜の街をぶらぶらしてウサを晴らしていた。
倒れていたナナとユーゴに出会ったのは、そんな亡霊のような日々を繰り返して数週間後のことだった。
「そっからは三人で仕事を再開して、がむしゃらに突っ走った。カズンが……よく俺といる眼鏡の男いるだろ。あいつが入ってから急成長して……」
毎日楽しかったとつぶやいた後、レオの表情が曇る。
「どこでどう知ったのか、突然ファウロスから手紙が来たんだ」
内容は仕事の依頼だった。
無視していたが、ニ週間後に再び届いた手紙には、「店のために誘いを受けた方が良い」という一言と、レオの本名が書かれていた。城を出てからずっとレオと名乗っていたにも関わらず。
つまり、来なければ店を潰すと脅されたのだ。
仕方なく行くことにしたが、ユーゴに懇願され、一緒に連れて行った。
指定された場所は人払いされた高級料亭だった。
ユーゴには宿で待機してもらい、一人でファウロスと会った。
彼の依頼は、簡潔に言えば王になるために協力しろというものだ。
手始めは邪魔な第一王子を殺すこと。
直接手にかけるのではなく、売り物に毒を仕込むことで。
断ればレオが生存していたと王へ伝えると脅された。そうなれば店を潰されるだけでなく、レオを匿っていたとしてナナたちにも危害が及ぶ。
だが、一度依頼を受けたら泥沼にはまることもわかっていた。
一日考える時間をやると言われたので宿へ戻ろうとしたのだが、なぜか引き留められて食事に付き合わされた。
何か盛られたのか途中で記憶がなくなり、気づいたのは翌日の昼すぎ。
ファウロスはすでにおらず、代わりにいたのは彼の手下。
そして、第一王子が毒殺されたことを知った。
第一王子は、ファウロスと会っていた料亭からさほど離れていない宿にいた。
彼がよく見目のいい青年を連れこむ場所。
王子は菓子を食べて死んだ──身元不明の青年と共に。
嫌な予感がした。
慌てて宿へ戻る途中、布を被せられた死体が一つだけ運ばれているところを見た。
駆け寄って、布をめくった。
青白い顔。
口には
日焼けした健康的な肌も、屈託のない笑顔も、そこにはない。
しかしまぎれもなく、ユーゴだった。
「第一王子は詳細はふせられたまま病死として葬られ、ユーゴは"誰かを殺した罪人"として"処理"された」
レオは片手で顔を隠す。
引き取ることさえできなかった。
目の前が真っ暗になった。
その日どうやって宿へ戻ったのか覚えていない。
茫然と、レオは薄暗い部屋の真ん中に立っていた。
生気のない双眸は何も映さない。
だがやがて、白い月明かりに照らされた、机上の小さな紙袋に焦点が定まった。
レオがいない間に買ったのだろうかと、手が勝手に動き、袋を逆さにすると中の物がぽとりともう片方の手の平に落ちた。
小粒の黄色い宝石がついたネックレス。
ナナへの贈り物だった。
それを知ったレオは激しい後悔と悲しみでむせび泣いた。
彼はいるだけで周囲を明るくさせるような青年だった。何があっても機転を利かせ、困難に立ち向かう度胸があった。
だが何も知らされないまま、彼は死んだ。
最後はどれほど恐ろしかっただろう。
どれほど苦しかっただろう。
ユーゴが何をしたというのか。
必死に生きてきただけだ。
幸せにならなければいけなかった。
ナナと一緒に。
しかしその機会は一夜にして奪われた。
レオを慕い、ついてきたせいで。
王族の汚い欲のせいで。
「俺が奪ったんだ」
ユーゴに懇願されてもきっぱり断って、一人で行くべきだった。レオならもっと上手くやれたはずなのだから。
だがファウロスはレオと街に来た青年の存在を知り、レオよりも適任だと判断した。
そしてファウロスは、この後もレオを利用し続けることにしたのだ。
レオの存在は都合がいい。
たとえ死んだとしても、自由に使える店を手中に収められればいいのだから。
「奴に従っても従わなくても、もう関係なかった。だがおかげで決心がついた。奴が俺を利用するなら、俺も奴を利用することにした」
拠点をリロイからウイディラのこの地に移し、ファウロスの命令だけでなく、他の王族や貴族の依頼にも応えるようになった。
どのみちファウロスに有利なことばかり起きるのは、ファウロスにとっても都合が悪い。
「遠回りでも最後には奴の望みが叶うよう、わざと痛みを負わせたこともあった。たんまり金を稼げるし、パズルのように計画を組み立てるのは、案外面白かったよ」
レオは冷たく微笑した。
「結局俺も奴と同類だったってことさ。今では何の躊躇もなく、人に殺せと命じられる」
言い終えたレオは、震える息を吐ききる。
ゆっくり目を開けると、ずっと無言でいたツバキの瞳からは一筋の涙が流れていた。
手を伸ばし、指でツバキの涙をぬぐう。
「悪かったな、こんな話をして」
まばたきをしたツバキの瞳から、溜まっていた涙が落ちる。
「どうして話す気になったの?」
「さあ、どうしてかな。世間の汚れた部分なんて知らないお前を傷つけたかったから、と言ったら?」
ツバキの瞳が揺れた。
王族であると自分でも認めたくない事実を語るうち、レオの中で少なからず皇女であるツバキに対して卑屈な気持ちが生まれてきたことは否めない。
どうせこんな苦労はしたことがないのだろうという鬱屈した虚栄と同時に、汚れた人間になった言い訳を語ってしまった居心地の悪さが胸の内に広がっていた。
侮蔑を含んだレオの声を受け止めた皇女はわずかに怯んだように見える。
だが、両の目はしっかりとレオを捉えていた。
深い海を思わせるような碧眼は純粋で、またもやレオは心のやましさを突かれた気がした。
「私は、ナナの代わり?」
小さくこぼしたツバキの言葉に、はっとする。
「懺悔をしているように聞こえた」
「………………そうか」
レオは膝に両肘を置き、軽く指を組んだ両手の上に額を乗せた。
ナナには王族ということもユーゴの最後も話していない。
ネックレスもまだ部屋にしまったまま渡せないでいる。
それを、レオはようやく思い出した。
押し込めていた悔恨が開いたように、目頭が自然と熱くなり、じわりと温かいものが指を濡らす。
「レオはずっと、一人で抱えていたのね」
躊躇いがちに降ってきた声に無言で耳を傾ける。
でも、とツバキは続けた。
部屋の空気がピリッと変わったような気がし、思わず顔をあげたレオは息を呑む。
凪の海のような瞳で、皇女はレオを見つめていた。
「それでも私は、あなたがしたことを許すことはできない」
容赦のない言葉。レオが皇女の国へ犯した行為への断罪。
けれどもツバキの表情は怒りに染まったものではなかった。
レオの話を聞き、受け止め、罪だけを憎むような。
むしろ慈悲さえ感じさせる
幾重にも塗り固めて、ついには自分でも壊せなくなってしまった偽りの世界に、亀裂が入った気がした。
(……潮時だな)
これ以上続けることはできない。
罪を重ねることも。
自分を、偽ることも。
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