第17話 緊急招集


 バルカタル帝国は一つの都、五つの州、四つの属国により成り立っている。


 皇帝の下に枢密院と呼ばれる総括機関はあれど州の統治権はあくまで各州長官にあり、都と州にそれぞれ置かれている八省の大臣の地位は都州で違いはない。


 州をまたいだ政策を立案できるのは枢密院のみで、皇帝補佐役の宰相はその機関の最高位である。


 現在の宰相はネルヴァトラス上皇時代から変わっていなかった。

 ジェラルドからの信頼も厚く皇族の一員でもある彼は御年五十九歳の偉丈夫。年の割に艶やかなダークブルーの髪と瞳が知的な印象を与える。


 彼は現在、バルカタル城の敷地内にある別館の会議室にいた。

 他にも枢密院の各州省顧問官十名と宮内府長官一名が早朝にも関わらず緊急招集されている。


 玉座に対して垂直に並んだ二つの長机に六人ずつ着席し、皇帝を待つ間ケデウムの現状を憂いたり、敵国に奪われてしまった要因や責任について近くの者とヒソヒソ話し合っていた。


 帝都ではケデウム副長官がウイディラとつながっていたこと、そしてフレデリックもそれに加担していたという話が広まってるため、代々副長官を務めていたランス家のように権力が一点に集中する問題点を説く声や、フレデリックをケデウム州長官に任命した皇帝の責任を問う声も宰相の耳に届く。


「さ……宰相様。わ、私ごときが宰相様の隣に座ってよろしいのですか」


 今にも消え入りそうな声で宰相に話しかけてきたのは、濡羽色の長い髪が目を惹く若い女性。


 この女性も顧問官の一人。だが五十歳以上の男性が多い中、二十九歳の女性は明らかに浮いている。

 というのも、枢密院メンバーは皇帝に任命権があるものの、各州をまとめる顧問官の交代は容易ではなく、彼女が初めてのことだった。

 しかも二日前国防省顧問官に任命されたばかりで正式な挨拶をしていなかったため、他の顧問官にじろじろ見られ萎縮している。


 宰相は今にも泣き出しそうな彼女の緊張を和らげようと穏やかな声で言った。


「貴女は国防省の総括者だよ、クロエ・グレース。ハノーヴァー公爵家の令嬢としてもっと堂々としていればよろしい」

「しかし私に顧問官など……」

「貴女の能力の高さは陛下と私がよくわかっている。何も臆することなどない」

「は、はい」


 クロエは返事をしたものの自信を取り戻してはいないようだ。もじもじして俯いている。

 二人のやりとりを疎ましく見ていた四角い顔のいかにも厳格そうな男がドンと机に拳を打ち付けた。

 総務省顧問官シアグリウスだ。


 ビクッとしたクロエを無視して男は宰相を鋭く睨みつける。


「まったく。我が国の一大事だというのに、なぜ一番重要なポストである国防省顧問をそんな小娘へ変えたのです。納得のいく理由があるのでしょうな」

「この者はセイフォンとエイラトの国防大臣を経験済み。顧問官に選ばれる資格はある」

「それがそもそもおかしいと言っている。いくら最高司令官の娘とはいえ縁故採用も甚だしい。我等枢密院が侮られよう」


 犬猿の仲ともいえる二人の間にバチバチと火花が散る。

 そこへ、厳格な男の横からひょいと別の男が顔を出した。

 彼は外務省顧問官ウェブスター。整髪料をびっしりつけ全身を同じ高級ブランドの服で揃え、ジャラジャラとごつい装飾品を身に着けている。


 ウェブスターは下卑た笑みを浮かべた。


「きっと陛下と公私ともに親密なのでしょう。こんなに若く美しい女性が異例の大出世とは、いやはや、どんな手を使ったんだか」

「ウェブスター」


 宰相が窘めようとしたとき、皇帝の入室を告げる声が響いた。

 それまでザワザワしていた部屋がしんと静まりピリッとした空気に変わる。


 宰相と顧問官たちは立ち上がって頭を下げたまま皇帝の着席を待ち、宰相の号令で頭を上げた。


「なっ…………!」


 誰かが思わず声を漏らした。

 彼らが驚いた理由は、ジェラルドが濃紺の軍服を着ていたからだった。今から戦へ行く出で立ちに、ごくりと唾を飲み込む者もいる。


「へっ陛下! 今からケデウム州城へ向かわれるおつもりなのですか!?」


 狼狽えたウェブスターが大きな声を発した。

 すでに知っていた宰相は彼をじろりと睨む。

 

「外務顧問官。陛下の許可なく発言するとは何事か」


 注意されたウェブスターはぐっと押し黙った。

 ジェラルドはそんな彼を冷静に一瞥し、次いで他の面々を見渡す。


「ケデウムの現状については知っての通りだ。ケデウムに縁者がいる者は心配だろうが、帝都はもちろんイリウム、エイラトの軍も進軍している。諸侯らは各々冷静に対処するように」


 全員が一斉に敬礼する。


「さて本題だが、ウイディラの王と交渉するため今すぐ使者を送ることにした」


 驚愕した顧問官たちは互いに顔を見合わせた。中でもウェブスターは怒りで顔を歪ませる。


「そっ……それは陛下! 他国に関わることは外務省顧問の私に一報入れるのが通例のはず! なぜ突然このような!」

「ウェブスター顧問官。先程の注意を忘れたか」


 宰相の言葉に歯を食いしばるウェブスター。

 だが彼が発言する前に、隣にいた総務省顧問官が挙手した。

 皇帝の許可を得てから、への字口を開く。


「交渉とおっしゃいましたが、それは侵攻するという意味でしょうか」

「いや、交渉だよシアグリウス」


 総務省顧問官はキリッとした表情を崩さない皇帝を見て目を細めた。


「あと一点。外務省顧問官に報告がなかったのは、この時期に国防省顧問官が変わったのと何か関係があるのですか」


 ウェブスターが動揺して目を見開く。


「なっ何を言うシアグリウス顧問官。わ、私は何もしていない!」

「ウェブスター顧問官」


 再三の注意を一向に聞かないウェブスターを冷ややかに見ながら宰相が立ち上がった。


「その件に関しては私からご報告しましょう。よろしいですね陛下」


 ジェラルドは勝手にしろと示すように手を振る。

 それに軽く頭を下げてから、宰相は顧問官二人に向き直った。


「前任の国防省顧問官は罷免した。ケデウムの副長官から賄賂を受け取り、ケデウム内のみならず他州で起こした息子の犯罪行為に目を瞑っていたためだ」


 総務省顧問官のシアグリウスが眉間に深い皺を刻む。

 宰相は続いて額に汗を流すウェブスターを見下ろした。


「ウェブスター顧問官。此度のことを事前に連絡しなかった理由は、貴君がよくわかっているのではないかね」

「……な……何をおっしゃっているのか……」

「弁明するなら今の内だぞ」

「な、何もやましいことなどしていないと言っているだろう!」


 ウェブスターは顔を真っ赤にて怒鳴った。

 すると、ジェラルドの凛とした声が響く。


「私を見て同じことを言ってみろ」

「…………!」


 皇帝の鋭い双眸にウェブスターがすくみ上がる。

 ジェラルドは彼から視線を外すことなく話し始めた。


「以前から、機密事項が他に漏れているのではと感じていた。諸侯らを疑いたくはなかったが、枢密院にしか話していない内容もあった」

「陛下はそれが私だと!? 私は先帝の代から仕えているのですぞ! 誓ってそのようなことは」


 ドン! と隣から机を叩く音がし、ウェブスターがビクッと体を揺らす。


「陛下の話の途中だ」


 シアグリウスの怒気を滲ませた声が部屋に響いた。

 ジェラルドが話を続ける。


「ケデウムを調査した際、副長官から話が漏れているとわかった。そこで一月ほど、リハルに偵察を頼んだ。ここにいる十二名全員な」


 魔物は姿を消せるが、姿は見えなくても上級の魔物を有する枢密院の者たちには気配を感じ取られる恐れがあった。しかしジェラルドの授印であるリハルは気配さえ完全に消せる。


 もちろん四六時中十二名に張り付くことはできないので、自室以外では皇族に仕える魔物にも命じて情報収集し、副長官と連絡していた五名を洗い出すことはできた。


 そしてつい先日、セイレティアとサタール国王子との婚約が副長官だけでなくレオにまで知られていたことを知った。


 セイレティアの婚約相手は宰相と外務省・宮内府の顧問官しか知らない。その三人の中で副長官と連絡を取っていたのは、外務省顧問官のウェブスターだけ。


 そう説明すると、ウェブスターは顔を引きつらせ、唇を震わせながら叫ぶ。


「それだけで私がやったという証拠にはならないでしょう!」

「ならば、心理鑑定を受けても問題はないな」

「…………!」


 ウェブスターの顔が一気に青ざめた。


「信頼すべき者たちに行いたくはなかったが、致し方ない。無論宰相と宮内府顧問官も同じ鑑定を受けてもらう。良いな二人とも」


 ジェラルドが宰相と宮内府顧問官の女性へ問いかけると、二人は共に異論なしと堂々と答えた。


「この場で認めずその方法により露見したならば、罪はより重くなると心得よ」

「………くそっ!」


 ジェラルドの言葉を受けたウェブスターは逃げ出そうと立ち上がった。

 彼は授印の魔法により物質を意のままに操ることができる。

 捕まえようとするシアグリウスに座っていた椅子を飛ばし、走りながら前方にある扉を開けた。


 しかし突然、彼の体が宙に浮く。


「何だ!?」


 天井高くまで浮き上がる。

 誰かに抱えられているようだったが、姿は見えない。

 顧問官たちも呆気にとられていた。

 余裕のある顔をしているのは宰相と皇帝だけだ。

 

「降ろしてやれ」


 ジェラルドの命令でようやく地面に降ろされた。

 すぐさま警備兵が駆けつけ、ウェブスターを拘束した。


 ジェラルドは観念して項垂れたウェブスターと、他の顧問官たちの表情を観察する。

 

 背中を向けている者もいるが、呆然としている者が大半だった。


「私を欺き、国に忠義を尽くせぬ奴は要らん。他の者もそれを肝に銘じ、責務を果たすように」


 静かに、しかし厳しい声で戒めると、全員はっと皇帝を向いた。

 その面々の中で青ざめた者の顔を記憶してから、ジェラルドは警備兵へウェブスターを連行するよう命じた。


「ウイディラとの交渉の話に戻そう。交渉内容はただ一つ。バルカタルの属国になるか否か、だ」


 再び顧問官たちのどよめきが起こった。

 「恐れながら!」とシアグリウスが叫ぶ。


「ウイディラがそんな提案にのるはずありません」

「断られたらこちらも同じ手を使えばよい」

「同じとは?」

「王城を乗っ取る」


 シアグリウスがバンバンバンと机を真っ二つに割りそうな勢いで叩いた。


「やはり侵攻する気ではないか!」

「戦はしない。使者は私だからだ」

「!?」

「正しくは私と、軍の特殊部隊数名」


 バシン! とシアグリウスが両手で机を叩き、勢いよく立ち上がった。


「何が使者だ。そんな人数で占拠できると思っているのか!?気でも触れたか!!」


 ジェラルドを幼少期から知るシアグリウスの口調が荒くなり、ジェラルドはフッと笑う。


「できれば戦わず、降参してくれることを願っている」

「降参などするわけがなかろう! そもそもウイディラは魔物でも越えられないほど高いダブロン山脈の反対側。未だケデウムも奪還できていないというのに、さらにリロイを通り南下しなければならん。王城へ行くまでにどれほどの日数がかかるのかわかっているのか!」

「城へ行くだけなら簡単な話だ」

「いい加減にしろ。他に何を隠しているのかさっさと吐け! まったく、いつもいつも回りくどい言い方をしよって。毎回お前の言葉の裏を読むこちらの身にもなれ!!」


 シアグリウスが皇帝を指さして怒鳴りつけると、ジェラルドの近くからプッと吹き出す声が聞こえた。

 ちらりとジェラルドがその方向を一瞥したが、他の誰もそこに何がいるのか見えていなかった。


「では教えてやる」


 ジェラルドは改めて背筋を伸ばし、微笑して告げる。


「我が国は龍の守護を得た」


 苛立ちで体を揺すっていたシアグリウスの動きが止まった。


「………なん……だと?」

「龍が現れたと言ったんだ。それも、始祖の授印の子。バルカタルの現状を憂い、印を結ばずとも守護してくれることになった」


 一同はぽかんとし、互いに顔を見合わせる。

 あまりの突飛さに、シアグリウスが乾いた笑いを発する。


「は……はは。な、何を言っているのです。龍……など、そんなことが……」

「その目で見た方が早いな」


 そう言ってジェラルドが何もない空間へ目配せした直後。


 部屋に大きな影が差した。

 

 玉座の横に窓はなく、ジェラルドから窓の外は見えない。


 だが宰相と顧問官たちは皆一様に目を見開いていた。恐怖に震え、腰を抜かす者さえいる。


 ジェラルドも今までカオウの本来の姿をはっきり見たことはなかった。


 不安と好奇の心を抱きながら壇上をおり、窓際へ近づく。

 そして。


 ゾクッと鳥肌が立った。


 ジェラルドの体よりも大きな目玉が二つ、ギョロリとこちらを向いていた。

 大きな口からは牙が覗き、鋭い鉤爪がこちらを狙うように伸びている。

 圧倒されたのはその巨大さ。

 胴体は城の塔ほども太く、長さは城をぐるりと一周できそうなほど長い。

 こんな別館など、尾のひと振りで容易く砕け散るだろう。


「これは……想像以上だな」


 己の手が震えていたことに気づき思わず笑いが漏れる。


 カオウのいつも人を食ったような態度も当然のことだと思えた。

 彼にとって人の世は、人が蟻の世界を俯瞰するようなものなのだ。


 太陽の光を背に浴びた黄金色の龍の姿は、まさに守護神そのものであり、一歩間違えれば破壊神になりかねない恐ろしさがあった。


 扱い方を間違えるな。

 そう忠告したクダラの言葉の重みを、ジェラルドはずしりと感じた。

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