第16話 みえないこころ

 断崖絶壁の中間に、この屋敷はあった。

 崖を水平に抉ったような大きな溝の中に建てられているため地上からの道はなく、飛馬車がなければたどり着けない。


「この崖は龍の爪痕と呼ばれている。六百年前、龍が妖魔と戦ったときにつけたらしい」


 レオは曇り空のせいで鈍い色に見える街並みを見下ろしながら言った。

 


 あれから一夜明け、レオは昼食を一緒にとツバキの部屋へやって来た。食事を持って来たのは何度か見かけた厳つい男と分厚い眼鏡の男だけで、ナナはいない。昨夜から自分の部屋にこもっているのだという。


 そんな中こちらに来たレオの神経が信じがたく、ツバキは苛立ちを覚えた。


 「そう」とだけ返事をして、白身魚のソテーを一口大に切る。

 食べ終わるまで出て行かないと言われては食べるしかなく、ツバキは渋々口へ運んだ。だが体が飲み込むことを拒否し、吐き出したくなる。レオに悟られないよう水で流し込んだ。


「興味ないか? 始祖の龍の話」

「……特には」


 レオは意外そうに眉を上げる。


「歴史を知りたいのかと思ったんだが」


 視線の先にケデウムの本があると気づいたツバキは静かにフォークを置いた。


「やっぱりケデウムで私と会っていたのは、お兄様ではなくレオね」


 睨みつけると、レオはニヤリとした。ツバキを一泡吹かせたことに満足しているような笑み。


「最近授印を持ったんだ」

「本物の州長官をどうしたの」

「地下牢へ入れておけとは言ったが、その後のことは知らない」

「私の護衛は?」

「さあな。捕まったままか、殺されたか」

「いったいケデウムに何をしたの」


 グラスを置いたレオは冷たい眼差しをツバキへ向けた。しかしそれでも怯まない少女を見てフンと鼻で笑う。


「すげーなお前。俺が睨むと男でも大抵ビビるんだけど」

「うちの警察署長には敵わないもの」

「署長? ああ、もしかしてロウって男か」

「知っているの?」

「ケデウムでいろいろ嗅ぎまわっていたからな。かなり邪魔されて目障りだったよ」


 それからレオはこれまでのことを話し始めた。

 副長官の野心に付け込んでウイディラに寝返らせたこと、彼の配下にある軍や警察を使って武器を持ち込ませ、都合のいい人員を各地へ配置させてきたこと。副長官が捕まってからは、レオが州長官に扮して計画を進めてきたこと。それにより本物の州長官であるフレデリックが謀反の疑いをかけられていること。


 そしてすでに、ケデウムを取り返そうとするバルカタルとウイディラの戦が始まっていること。


 話が進むにつれ、ツバキは青ざめていった。心臓が激しく波打っている。ケデウムの街は、人々はどうなっているのか心配でたまらなく、気づけば体が震えていた。


「余計なことをしゃべられる前に副長官を始末したかったんだが、なかなか見つからなくて困っていたんだ。お前が捕まえてくれて助かったよ」

「……!!」


 ククッと冷笑したレオに向かって、ツバキはコップの水をぶちまけた。


「あなたは……なんてことをしたの……」


 胸が締め付けられて痛かった。あの綺麗な街が戦渦に巻き込まれてしまった悲しみ、図らずもレオに協力してしまった怒りで、レオにすべての食器を投げつけてやりたい衝動に駆られた。

 しかし皿を掴んだツバキの手を、昨日のナナの涙が止める。


「……ナナが、あなたは望んでしているわけじゃないと言っていたわ」

「あいつは俺を信じ過ぎだ。俺は元々、平気でそういうことができる人間なんだよ」 


 レオは目元に手をやったが、水を拭うことはせず、顔を覆ったまま吐き捨てるように言った。


「ユーゴという子と王都へ行って、何があったの」

「お前には関係ない」

「私はあなたに連れ去られたのよ。知る権利があるわ」


 強い口調で言っても、レオは無言を貫いた。

 手を動かし、水を払う。

 髪からぽたぽたと垂れる水は気にせず、ただ目を伏せている。


「以前レオは私たち皇族のことを、力を誇示するために人を殺す人種だと言っていたわね。そんなあなたが、ウイディラに協力する理由は何?」

「……単純な理由だ。金の為」

「それならイリウムのアモルで私を捕まえていたはずよ」


 確信を持って言うと、レオは驚いて顔を上げた。

 しばらくツバキを見つめる。

 やがて諦めたようにため息をつき、「思いっきりかけやがって」とぶつくさ言いながら濡れた髪や顔を拭いた。


「あのときはまだ半信半疑だったんだ」


 諦めたのか、彼の顔は落ち着いたそれに戻っていた。

 ワインをゆっくり一口飲み、コトリと置いたグラスを見るともなく見る。


「お前を狙った理由はお前が持つ力だからな」

「皇女だからではなく?」

「帝都でロナロのガキどもを助けただろう。その場にいた部下から、魔物を呼び寄せた奴がいると聞いたんだ。自分も金縛りにあって動けなかったと」


 自覚のないツバキは思い出そうとしても思い出せない。

 魔物を操れるようになった今も、数え切れないほど多くの魔物を引き寄せたなど信じ難かった。


「それから部下から聞いた特徴の三人組を探していた。ケデウムでお前らと会ったのは偶然だし、そんときは気づいていなかったが、なんとなく引っかかっていた。そしてある人物から第三皇女の写真を渡されて、もしかしてと思ったんだ」

「ある人物って?」

「ケデウム副長官の息子」

「ふひぇ!?」


 頭の片隅の隅の隅に追いやっていた男が浮上してすっとんきょうな声を上げるツバキ。


「皇女と恋仲なのになかなか会えないから、皇女がイリウムに来たとき連れてきてほしいって頼まれたんだ。もちろんそんなバカバカしい依頼は断ったが」


 そこまで言ったレオは恐る恐る伺うような目を向けてきた。


「一応確に」「違うから」


 確認されるのも不愉快極まりないと食い気味に言い放つツバキ。

 ははっとレオが笑う。


「そんな毛虫踏んだような顔するな。せっかくの美人が台無し」

「余計なお世話よ。早く続けて」


 一蹴するとレオは肩をすくめた。


「そんな経緯で皇女の写真を手に入れ、可能性を考えた。確かに皇女なら、魔物を呼び寄せるなんて芸当ができてもおかしくはない。だが皇女は魔力が低いという噂もあった」

「だからアモルで私のことを探っていたの?」

「そう。違っても皇女とデートできるんだ。俺に損はないからな」


 レオは懐かしむように目を細める。


「楽しかったな、あの日は」

「私にとっては散々な日だったわ」

「そうか? 俺は途中から、本来の目的を忘れるくらい本気で楽しんでいたけどな」


 優しい眼差しを向けられたツバキは、レオとゴンドラで過ごした時間を思い出した。

 キュ、と胸が痛くなる。


「私をどうするつもり?」


 そう尋ねると、レオの表情は再び硬くなった。

 ワイングラスを掴む。飲もうとはせず、反動で揺れた琥珀色の液体を感慨もなく見つめる。


「…………お前の力のことは、ファウロスという男も知っている」

「誰?」

「ウイディラの新しい王」

「私を売るの? レオ」


 はっきり言葉にすると、レオは目だけでツバキを見た。

 ツバキも彼を正視する。

 ぶつかった視線は緊張を孕み、かつての想いを蘇らせ、同時に違いを痛感する。


「それは……」


 レオが何か言いかけたとき、長らく雲に遮られていた陽の光が射した。

 横顔を照らされ、レオは眩しさで目を細める。

 しかしツバキは一切気にも留めていなかった。

 じっと曇りのない眼でレオを見つめている。

 

 レオの瞳が揺らぐ。皇女の誠実な瞳は、穢れを知る身に深く突き刺さった。

 

「…………お前は、まっすぐ生きてきたんだな」


 レオは机に肘をつき、手をかざして光から顔を隠した。

 ゆっくり目を閉じる。


「お前は最後の切り札だ」

「切り札?」


 ツバキの問いには答えず、静かに立ち上がる。


「食事はちゃんと摂れ。ナナが気にしていた」


 そう言い残して、立ち去った。




 残されたツバキはしばらく扉を見つめていたが、やがて顔を正面へ戻し、ふとスープを見る。


 すっかり冷めきってしまったスープをそっとすくうと、レモンの匂いがした。ご飯も少量入っているが、スープに溶け込んだ卵がまろやかで、まともに食事をしていない体でもすんなりと受け入れられる。


 ゆっくり咀嚼して、ゆっくり飲み込んでいく。

 飲み込む度に、胸が苦しくなる。


 ツバキは拉致された側で、彼は拉致した側だ。

 国を乱した、憎むべき相手の筈だ。

 なぜ、言いようのない苦しみを感じるのか。


 アモルで過ごした時間と、テヘルで垣間見た様々な彼の表情、先ほどの会話、そしてナナの悲痛な叫び。

 

 すべてを思い返してまた苦しくなる。


 ツバキは両手で顔を覆った。


 なぜだか無性に泣きたくなった。

 

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