第14話 手強い相手


 窓から一つ、小さな白粒が見えた。


 早朝の澄んだ青空の中を迷子のように泳ぐ雪をぼんやり眺めながら、どうりで寒いわけだとツバキは両腕をさする。


 鉄格子がはまる窓から遥か下には見慣れない街並みが広がっていた。

 薄っすらとした煙を吐き出す太い煙突が何本も立っているので、工業地域のようだ。

 昼夜活動しているらしく、夜には何色もの灯りが点灯し殺伐とした景色を幻想的なものへ一変させる様子を、ツバキは昨夜一人で見ていた。髪に隠れていたはずのシュリもいない。


「皆心配してるかな」


 誰もいない部屋でぽつりと呟く。


 ツバキの記憶はケデウム州城で兄と会っていたところで途切れている。

 レオがいたような気がしたが、目覚めてから一度も見ていないので定かではなく、昨日は何も説明されないまま何をされるわけでもなく、ただこの場所に閉じ込められていた。


 ツバキがいるのはいたって普通の部屋だ。ベッドや机などの家具も揃っており絨毯もそれほど汚れておらず、鉄格子があることを除けば上等な宿の客室と相違ない。


 ただ、両足首には赤い石が埋め込まれた銀色の足環がつけられていた。

 そのせいかあまり体に力が入らない。

 この分ではギジーの能力で見つけてもらうことも無理だろう。


 何とかして逃げ出したかったが、この建物は崖の上にあるらしく、玄関から続く地面は途中でぷっつりと切れていた。物資が飛馬車によって空から運ばれて来たところを一度目撃している。


「寒い……」


 ぶるっと震えて再度体をさする。


「暖炉つけてもらえないかな」


 薄い雲の隙間から見える太陽の高さから予想するに、もうじき朝食が届く時間だ。

 だが昨日食事を運んできた男は明らかにバルカタル人ではないとわかるほど厳つい体格をしており、言葉も通じなかった。


 只でさえ不安で押し潰されそうな中、そんな男性と接するのは怖い。

つい、もう頼ってはいけない人の顔を思い浮かべてしまい胸が苦しくなる。


 震える手で左手首をギュッと握った。


「しっかりしなきゃ」


 一つ大きな深呼吸をして、もう一度窓の外を眺める。

 雪が舞っているということは、ここはケデウムの北、もしくはイリウムかリロイ。意識を失う前のことを考えるともっと悪い状況かもしれない。


「レオはどこにいるの……」


 とにかく話をしたかった。レオでなくても、言葉の通じる誰か。


 そう思っていたとき、ガチャガチャと扉の鍵を開ける音がした。

 また昨日の男性かと身構えていたが、ゆっくりというより辿々しく隙間が開く。昨日とは違う開き方を不審に思い注視していると、扉を背中で押しながら入ってきたのはツバキと同じ年齢くらいの少女だった。

 小柄で、肩までの濃い茶色の髪、きつい目、への字口。明らかに不機嫌な顔で朝食の盆を持っている。


 少女はちらりとツバキを睨むように見てから、机の上にある手付かずの夕食と交換した。


「せっかく作ったのに」


 ため息混じりのケデウム語。

 ツバキは思わず近くまで駆け寄った。


「言葉通じるのね!? ここはどこなの? 私、どうしてここにいるの?」

「…………」


 少女は鬱陶しそうに眉根を寄せると、深いため息をついて無言で踵を返した。

 また一人になってしまうと焦ったツバキは少女の腕を引っ張る。

 予想していなかった少女はぎょっとした。


「ちょっと! 離して!!」

「あなた、私のこと誰かわかってるのよね?」

「なによ! 皇女だから敬えっての?」

「状況が知りたいの。私が捕まったのは皇女だから? ここはケデウムではないわよね?」

「は・な・し・て~!!」


 少女は何度も腕を振るが、ツバキも離されまいと必死にしがみつく。

 それならと扉へ向かう少女に引きずられそうになりながらも、後ろに体重をかけて抵抗した。


「話が違う!!全然大人しくないじゃない!!」

「いい加減、一人でいるのにうんざりして」

「本があったでしょ!」


 そう聞いたツバキが突然手を離した。

 勢い余った少女が「きゃあ!」と悲鳴を上げて床に倒れ込む。


「あれってケデウムの本よね。私をここへ連れてきたのはレオなの?」


 目覚めたとき、ベッド横の小さな机には着替えと本が置かれていた。

 本の裏表紙にはケデウム州城のものとわかる蔵書印が押されており、内容もケデウムの歴史についてだった。気を失う前、兄へケデウムの歴史をまとめた資料が欲しいと言っていたのは覚えている。


「彼って何者?」

「……………」

「どこにいるの?」

「…………」

「あなたの名前は?」

「…………」

「私のことはツバキって呼んでね」

「呼ばないわよ」


 げんなりとした少女は深く息を吐き、朝食へ目を向けた。


「毒なんて入ってないから、さっさと食べたら?」

「食欲ないから」

「…………まあ、いいけど」


 少女はツバキが差し出した手を無視して自力で立ち上がると、ツバキをジロジロ見つめてから口を開いた。


「部屋の外へ出る?」


 予想外の提案にきょとんとするツバキ。


「いいの?」

「ついてきて」


 少女はスタスタと歩き出した。


 赤い石の足環があるとはいえそんな簡単に出ていいものかと拍子抜けしたが、部屋にはいたくなかったのでツバキはついていくことにした。



 廊下には窓がないため外の様子はわからない。ツバキがいた部屋と同じ扉をいくつか通り過ぎ、階段を二階分ほど降りてさらに歩く。

 廊下の途中にあった扉を抜けると、突然雰囲気が変わった。それまでは明るいベージュで模様のある壁紙だったが白色の塗装に変わり、薄暗く、少しばかりつんとした匂いがする。

 嫌な空気だなと思いながらさらに奥へ進んでいくと、厨房があった。


 汚れた調理道具や皿が積み上げられた流し台、焦げ付きがひどい焜炉、歩くとねちゃねちゃしている床。

 あまりの汚さに顔をしかめる。まさかあの食事もここで作られていたのだろうかと思うとますます食欲がなくなりそうだ。


 そんなツバキの表情を見た少女がフフンと笑う。


「ここ掃除しといて」

「え?」

「できたらわたしが知ってること、教えてあげる。別にやらなくてもいいわよ? 部屋に戻すだけだし。どうする?」


 ツバキは仕方なく周囲を見回す。とりあえず床のねちゃねちゃを取ろうと掃除道具が入っている棚を探し、毛の長いモップを手に取る。

 しかし擦ってみたがまったく落ちる気配がない。


 すると少女の嘲笑が聞こえた。


「ばっかじゃない。そのままで落ちるわけないじゃない。そんなことも知らないの? まあ、掃除なんてしたことないだろうけど」


 ツバキはぐっと羞恥心に耐える。

 厨房は汚いだけではなく、部屋よりも寒かった。だが防寒着はなく、しかも服は綺麗な花柄のワンピース。囚われの身としては不釣り合いではあるが、皇女と知られているから待遇が良いのかと思っていた。

 考えが甘すぎたことを痛感する。


 が、ここで大人しくなる皇女ではない。


「掃除できれば、教えてくれるのよね?」

「できればね」


 少女はどうせできないでしょう、という顔をしていた。


「ありがとう」

「はい?」


 ツバキはにこっと笑った。


「やることがあるだけ、昨日よりいいわ」

「は……はい??」

「とっととやっちゃいましょう」


 少女は先ほどまで不安そうな顔をしていた皇女が急にやる気になり戸惑っているようだったが、ツバキは構わず続ける。


「これ、どうやって使うの?」

「え…えっと……。まず洗剤入れた水に浸して……」

「洗剤がどうしているの?」

「は?」


 少女が目をぱちくりさせる。

 ツバキは小首をかしげた。


「だってここまで汚れていたら、普通は魔法使うでしょ?」

「は?」

「え? このモップ魔道具じゃないの? 何もつけなくても擦ればどんな汚れも落ちるでしょ」

「そんなのあるわけないでしょ!!ここはウイディラ!!魔道具なんてそうそうないの!!」

「ここ、ウイディラなんだ」

「あ」


 少女はしまったと青ざめる。

 ツバキは顎に手をあてて考えていたことを口にした。


「ウイディラまで来ていたのね。でもこの前調べたらウイディラは縦長の地形だったから、リロイとの国境付近かしら」

「な……な……何も教えないから!!」

「当たってた?」


 少女の様子から正解だとわかったツバキだが、気分が晴れることはない。最悪な予測が当たり落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせ、とりあえず目の前のやれることをやろうと再度決意すると、モップの柄を持ちドンッと床を鳴らした。

 挙動不審になっていた少女がビクッとしてツバキを見る。


「ねえ。どの洗剤使えばいいの?」

「は?」

「容器がたくさんあるのだもの。知らない文字だし。これ?」

「あっ。それは食器用洗剤の予備」

「じゃあこれ?」

「違うっ。それは漂白剤! 床掃除は隣のやつ。……ああっ。原液じゃだめっ。バケツがいる!」


 少女は蓋を取ってドバドバ床に液体をまき散らそうとしたツバキを慌てて止めた。見るに見かねて準備をしてやり、手本を見せる。

 少女がモップで掃除した箇所だけねちゃねちゃが取れたことに感動したツバキが拍手した。


「すごいっ。魔法がなくてもこんなに綺麗に落ちるのね。チハヤさんのお店にあった洗剤じゃここまで落ちなかったわ!」

「チハヤさん?」

「少しの汚れなら洗剤使っていたんだけど、なかなか落ちないから、つい魔道具使っちゃうのよね。無駄遣いするなってよく怒られていたわ」

「働いてたってこと? 皇女が? ……バルカタルって意外と財政難なの?」

「え? あっ。違う。えーと……そのぅ……しゃ、社会勉強というか……」


 ツバキは笑ってごまかしながら、訝しむ少女からモップを受け取った。

 みるみる綺麗になる床を見るのが楽しくて、ウキウキしながらせっせと磨いていく。


 少女はそんな皇女の様子をぽかんとして眺めた。ぬくぬくと甘やかされて育ってきただろう皇女に辛く当たって大人しくさせようとしたはずが、むしろ元気にしてしまった。


「ねえ、あなたの名前はー?」

「ナナ……」

「ナナ、こっちの洗剤は何に使うの?」

「あー!だめっ。素手で触っちゃ!!手袋手袋」


 呆然とし過ぎて名乗ってしまったことさえ気づかないまま、ナナは洗剤の使い方を教え始めた。





 数時間後。


「はあ……やっと終わった」

「綺麗になってすっきりしたわね」


 床にへたり込んだナナはにっこり笑うツバキを睨みつける。

 

「なんでわたしまで掃除してるのよ」

「ありがとう」

「礼なんて言われたくない!嫌味?嫌味なの?」


 わなわなと震えるナナ。

 ツバキはガンコな汚れをするりと落とした洗剤をキラキラした眼差しで掲げる。


「ウイディラの洗剤ってすごいのね。チハヤさんにプレゼントしたいな。城にもこんな洗剤があればいいのに」

「城なら魔道具があるからいいでしょ」

「魔力が必要だから侍女とか大掃除するとへとへとになってしまうの。私には手伝わせてくれないし」

「え……皇女が気にかけるくらい人手不足なの?やっぱり財政難なんじゃ……」

「違うってば」


 ツバキが幼いころ、アベリア以外の女官と侍女がいなくなってしまった時期がある。

 侍女の仕事まで一人でこなす女官の負担を減らそうと掃除だけでも自分でしようとしたのだが、棚に置かれた物を少し宙に浮かすはずが魔力制御できず、物が飛び回ったあげく家具までひっくり返してしまった。以来城では手伝い厳禁とされている。もっともそれは、制御云々以上に立場上の理由なのだが。


 大掃除で張り切りすぎて魔力を使い果たすサクラとカリンを見る度、ツバキはそこまで魔道具に頼らなくてもと思っていた。ちなみにモモが倒れないのは魔力量が多いのではなく要領よくサボるからである。


「洗剤を使えば、魔道具に頼らなくてもいいのよね」

「いや、魔道具のが早いから」


 ナナがビシッと突っ込んだとき、どたどたと誰かの足音が聞こえた。

 何事かとナナが厨房から顔を出すと、昨日見た厳つい体格の男性ががなり声で何か話し始める。

 外国語だったので意味はわからない。

 ただ、慌てた様子から皇女がいなくなり探していたようだった。

 ナナが男と同じ言葉で返事をしてから振り返る。


「勝手に連れ出したのバレちゃった。昼食の時間みたい」

「もうそんな時間? でもここの厨房使ってないわよね」

「あんたの食事は別の場所で作ってるの。ここは仕事場用のだから」

「仕事場?」

「うん。この建物は住居と職場が一体になってる」

「何の仕事してるの?」

「それは……って、あんたに話すことじゃない!」


 ナナはつい言いそうになってしまった口を手で覆った。

 ツバキはにっこり微笑む。


「掃除したんだから教えてくれるでしょ?」

「私も手伝ったんだから無効よ!」

「でも、一人でなんて言ってなかったわ。ナナは約束破る子なの?」

「んなっ………」


 絶句するナナを見てツバキはふふっと笑った。

 笑われたナナが怒りで顔を赤くする。


「なによ! バカにしてるの!?」

「ううん。カリンに似てるなと思って」

「誰よ!?」

「私の侍女よ。正直でとっても優しいの」

「はあ? 優しい? 私が?」

「顔も似てるから親近感わく」


 目がきつく愛想もないが、ぶつぶつ文句を言いながらも親切で面倒見がよい。そんなところがカリンに似ていると思った。いじられて怒ったときの表情もそっくりだ。


 ツバキは本気でそう考えていたが、ナナはツバキの言葉を嫌味と捉えたらしい。

 ビジッと人差し指でツバキを指す。


「ホントあんたってムカつく! 昼食抜きにするから!」

「大丈夫よ」

「え……昨日もあまり食べてないでしょ。食べなさいよ……」


 心配そうな顔に変わる。

 それがおかしくて、ツバキはまたくすくすっと笑った。

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