第13話 皇帝の決断

 ジェラルドは言葉を失った。


 野生の魔物は元々人には懐かず、当然だが、人間社会の礼儀など知らない。

 それでも授印ともなれば、印を結んだ相手に従い敬意を払うようになる。


 しかしカオウはセイレティアが頭を下げても決して真似しなかった。

 ジェラルドにいつも不遜な態度で接し、クダラが窘めても一向に改めない。


 ただ、魔物の世界では魔力が絶対の序列となるのでそれは致し方ないとも言える。自分より魔力の劣る人間に頭を下げるなど、龍である彼には耐え難い屈辱のはずだ。


 そんなカオウが臣下になると申し出て、さらに憎いはずのシルヴァンにも頭を下げた。


 ジェラルドにとって天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

 

「どういう心境の変化だ? 以前は私の意見など一切聞く気がなかっただろう」

「そりゃあ、嫌いだから」

「……………」

 

 むむと眉根を寄せるジェラルド。

 頭を上げたカオウはうつむいたまま続ける。


「最近ますますあの父親に似てきたし」

「言っておくが、セイレティアもどちらかと言うと父上似だぞ」

「嫌味っぽくてネチネチしてるし」

「おい」

「紳士面して国民騙してるし」

「おい」

「俺がいない隙にツバキにたくさん見合いさせるし。今もはらわた引き裂いてやりたいけど」

「!?」


 声音が本気だったのでジェラルドの脈拍が少しばかり上がった。


「………………でも」


 カオウは顔を上げた。しかし未だ目は伏せている。


「あんたは、あの父親が俺たちを引き離そうとしたとき、かばってくれた。それに…昔からツバキの味方だってわかってるから…………。だから……」


 言いにくそうに何度も口を開きかけては閉じてを繰り返してから、ちらっと視線をジェラルドと合わせる。


「あんたには、俺のこと認めてもらいたいんだよ」


 照れながら言われて、ジェラルドに動揺が走る。


 カオウが勝手に印を結んだとき、激怒したネルヴァトラスはセイレティアの行動や権利を制限し、カオウを授印と認めず城への出入りを禁じた。

 それは龍と契約した娘を心配したためだったが、カオウにそんな親心などわかるはずもなく、激しく憎み合うカオウとネルヴァトラスの間に立ったのがジェラルドだった。


 カオウには自分がいつか龍になるのだと周囲はもちろんセイレティアにも秘密にして能力の使い方も教えないよう頼み、ネルヴァトラスにはクダラと一緒に二人を監視するから黙認してほしいと説得した。


 まさかそれを恩義に感じているなど思いもしていなかった。

 いつも可愛げがなく偉そうな態度で接してくるクソガキがそんな殊勝な考えをするとは、まったく懐かない飼い猫が実はこっそり隣で寝ていたと知ったときのような気持ちになった。猫を飼ったことはないがそんな気持ちになった。


 ジェラルドは深くため息をついてから、シルヴァンへ視線を移す。

 彼はなにやら考え込んでおり、ジェラルドの視線に気づくと何か言いたげな顔をしていたので頷く。


「一つ、確認したいことがあります」

「なんだ」

「ジェラルド様はケデウム奪還後、ウイディラをどうなさるおつもりですか?」

「我が国を狙い、さらに本当にセイレティアの誘拐もウイディラが絡んでいるのならば、ケデウム奪還だけで済ますわけにはいかないだろうな。とはいえ戦の長期化は避けたい。ファウロスという男は、話し合いに応じそうな相手か?」

「奴はとてもずる賢く、卑怯な男です。信用なさらない方がよろしいかと」

「何が言いたい」


 シルヴァンの柔和な顔の下に隠れた思惑を見透かしたジェラルドは単刀直入に聞いた。

 シルヴァンもジェラルドの表情を読み違えないよう注意しているのか、慎重に続ける。


「ユトレヒトという土地をご存知ですか?」

「いいや」

「ウイディラの首都から南にある重要な都市のひとつです。ウォールス山の麓にあり、かつてはサタールの地でした」

「ということは、精霊の加護があるのか?」

「はい。三百年前精霊の加護が一度薄らいだときに略取されたのです。その土地を取り戻すことは我が国の悲願。それが叶うのであれば、父上を説得できるかもしれません」


 それを聞き、「本当か!?」と目を輝かせたカオウをジェラルドは無言でとどめた。


 水の精霊の加護がある地を奪うことは至難の業だ。二百年前エイラト国に侵攻したときも、圧倒的な兵力差があったにも関わらずバルカタルは大きな損害を受けた。エイラトに流れる川が突然氾濫し、多くの兵が飲み込まれたのだ。犠牲となった兵はなぜかバルカタルの者ばかりだったらしい。


 結果はバルカタルの勝利で終わったが、この戦いを境にバルカタルの勢いは衰えていった。

 自国では不運だと思われている現象も、クダラからは精霊の加護のせいではないかと聞いている。


「戦わずに降伏させることが肝要か」


 今は国同士の争いは避けたい。そんなことをしている場合ではないからだ。

 ジェラルドは長く息を吐く。


「お前本当に、私の命令に従えるか」


 そう聞くと、カオウの表情が一瞬で明るくなった。


「ああ!!」

「そんな期待に満ちた顔をするな。元々シルヴァンはセイレティアの相手の有力候補の一人だ。年齢も近いし人柄も申し分ない。あいつの魔力は低いと思われているから、直系皇族の魔力流出を気にする声は少ないしな。婚約を取り消そうにも私の一存ではできない」

「チッ」

「舌打ちするな。臣下になりたいんじゃないのか」

「なりたいんじゃなくて、臣下になってやるって言ったんだ。あんたを敬うつもりはない」

「先程の気持ちを返してくれ」

「なんだそれ?」

「なんでもない」


 ゴホンと咳払いすると、涼しい顔で紅茶を飲みながら傍観していた女性を忌々しげに見る。


「望んだ展開となってさぞ愉快だろう」

「何のことかな?」


 ハトシェプトゥラはわざとらしいほど目を丸くした。


「決めたのはそなたたちだ。しかしひとつの恋が国を動かすか。……ふむ。お抱えの作家にこの話を書かせてみようか」


 今後の展開も楽しみにしているぞ、とにっこり笑う。

 他人事だと思って、とジェラルドはじとりと睨んでから、カオウに向き直った。


 カオウは早く命じてくれと言わんばかりにウズウズしている。


「いいか、まだどうなるかわからんぞ」

「うん」

「勝手な行動はするなよ。待てと言ったら待つんだぞ」

「うん」

「まずはケデウムの奪還とセイレティアの捜索だが、お前はまだどちらにも参加するな」

「なんでだよ!?」

「命令が聞けないのか?」

「………わかったよ」


 口を尖らせながら渋々承諾したカオウを見て、ジェラルドの胸中に龍を従える高揚感が生まれる。咄嗟に顔を後ろへ逸らし口元を手で覆ったが頭の中にクダラの思念が入り込んできた。


<おやおや。悪い顔になってますぞ>

<そうか?>

<扱い方を間違えませぬよう>

<用法・用量は守るさ。領土を拡げるつもりはなかったが、こうなったら仕方ない>


 ジェラルドは後ろに控えるクダラに向かってニッと笑って見せた。

 そして、宣言する。


<ウイディラを俺のものにする>

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