第12話 カオウができること

 会話が一段落し、食事の皿がすべて下げられデザートが出てきた。


 小ぶりの林檎を丸ごと使ったパイはサタールでは国民的デザートと言っても過言ではないほど親しまれているらしい。芯をくりぬいた中にはマシュマロクリームが入っており、クリームの外側の焦げた部分から甘い香りが漂い自然と涎が出る。


「こちらはミチェル・ガーネットという紅茶です」


 シルヴァンの声で、各人の前にカップを置いた給仕たちが湯の中に深紅の蕾を浮かべた。

 すると花が開き、清々しい香りと共に中からふわりと舞った紙がカップの外に落ち、透明だった湯が花弁と同じ色へと変わった。


「先日セイレティア様がいらしたとき、中に手紙を入れることを提案してくださったんですよ」


 ジェラルドの紙には支援への感謝と両国の末永い付き合いを、ハトシェプトゥラには再会の喜びと国の繁栄を、そしてカオウには出会えた奇跡と今後の幸運を願う言葉が流麗な字で書かれていた。


(何が”今日の出会いを天と精霊に感謝し更なる恵みが降りますように”だ)


 カオウはいかにも定型文らしいそれを小さく丸めると、指で弾いた。

 綺麗な弧を描きシルヴァンの前に落ちる。


「カオウ」


 ジェラルドに注意されたがツンとそっぽを向く。


「突然現れたお前にも用意してくれたのだぞ」

「頼んでないし」

「完食したくせに文句を言うな」

「腹は減ってんの」

「お前、ますます捻くれてないか?」

「あんたよりマシだよ」

「……シルヴァン、すまないがカオウのデザートは下げてくれないか」

「あー!!」


 カオウはアップルパイの皿を取られないように守り、素手で一切れ口の中へ放り込む。

 噛んだ瞬間、目を見開いた。


「うまっ」


 パイ生地はサクサク林檎はとろとろ、クリームの甘味が絶妙だった。思わず二個目三個目と頬張っていく。


「お気に召していただけて何よりです」


 カオウは咀嚼しながら、優しく微笑するシルヴァンを忌々しげに見る。

 彼はカオウが龍だと知った当初は驚愕し震えていたが、今は客人としてジェラルドと同じようにもてなそうとしている。このパイも、カオウが食べやすいようにあらかじめ一口サイズに分けられており、その心遣いがイラっとした。


「ムカつく」


 カオウの傍若無人な物言いにも気分を害する様子もない。

 

 苛立たしく舌打ちしてシルヴァンから視線を外すと、ハトシェプトゥラの手に目が止まった。

 彼女はアップルパイの端をナイフで切り、優美な仕草で口に運んでいた。

 カオウの視線に気づくと高貴な笑みを浮かべる。


「何か聞きたいことでも?」

「別に」


 一度目を外し、数秒してからまたちらりと見た。

 女王は紅茶を飲んでカップについた口紅を拭うと、今度はこちらを見もせず口角を上げる。


「聞きたいことがあるなら今のうちだぞ、龍神の子よ」

「その言い方やめろ。カオウでいい。……あのさ、さっき言ってたことってホント?」

「さっきとは?」

「サイロス州長官の知人が……って話」

「興味あるのか?」

「やめておけ」


 強い口調で止めたのはジェラルドだ。


「お前の望んでいる結末じゃない。聞かない方がいい」


 気まずそうに言うと、ハトシェプトゥラがゆっくり顔を上げる。

 

「本人がどう思っているのかは本人しか知らぬこと。聞いてどう感じるかも、カオウが決めること」

「何があったんだ?」

「本当に知りたければサイロスへ行ってみるといい。きっと話してくれる。ただ、ジェラルドが言うように世間の評価は悲恋だと覚悟はした方が良いかもしれんな」

「うまくいった例はないのか?」


 カオウが乞うように聞くと、ハトシェプトゥラは何かを懐かしむように控えめに微笑む。


「こと恋愛に関して、何をもってうまくいったと評するかは難しい。例え結末がつらくとも、愛おしいと思う瞬間があるのなら、私はそれで良いと思う」


 ハトシェプトゥラの目に一瞬涙が浮かび、カオウはギクリとした。


「お前も、置いていかれたのか」


 何となく感じたままを口にすると、ハトシェプトゥラはゆっくり瞬きをした。その目にもう涙はなく、しっかりとカオウを見つめる。


「後悔はしておらんよ」


 女王の瞳は悲哀さえ包み込む深い愛情に満ちていた。


 咄嗟に目を逸らす。

 直視できなかった。

 そんな気持ちには到底なれない。

 今も引きちぎられそうなほどの痛みを体中から感じている。

 

 ”あなたはセイレティアのことは忘れられない”


 レインの言葉が頭の中でぐるぐる回る。


 カオウは机に肘をつき、目元を手で覆った。


 ツバキはカオウが考えていた以上にカオウが魔物であることを気にしている。

 それはわかっている。

 ツバキの隣には、シルヴァンのような男がいいのだろう。

 それもわかっている。

 このままいなくなった方が、ツバキは迷うことなく幸せになれるはず。

 それも、わかっている。


 いつか必ず、置いていかれることも。


 口では覚悟していると言いながら、ツバキが先に死んだら耐えられる自信は本当はない。今までも何度も、気持ちに気づかないフリをして、蓋をして、諦めようとして、それでも結局できずにこんなに苦しい思いをしているのだから。

 

 それでも、どうしても。頭ではわかっていながら、心と体は一緒にいたいと叫んでいる。

 このまま離れてしまったら後悔しか残らない。

 せっかく一緒にいた十年も、つらい思い出として記憶に刻まれてしまうだろう。


(絶対嫌だ)


 カオウは大きく息を吸った。


「シュン。俺、ツバキが欲しい」


 自分の中の迷いを断ち切るように断言する。


「他のやつに渡したくない。渡せない」


 顔を上げて隣にいるジェラルドを見る。

 皇帝は姿勢よく前を向いたまま、カオウを見ようともしていなかった。


「なあ。ツバキの婚約、取り消してくれよ」

「だめだ」


 ガタッと椅子が倒れた。

 勢いよく立ち上がったカオウがジェラルドの胸倉を掴む。


「取り消せ」


 首を締め上げて凄むがジェラルドは顔色一つ変えなかった。

 そばでカオウを威嚇するクダラを手で制す。

 

「二人の結婚は同盟の証。私を殺してもそれは変わらん」

「バルカタルの皇帝が命じれば、サタールも言うことを聞くだろ」

「力で結んだ関係はすぐに綻ぶ。……真に得たいならば、だ」

「……!」


 カオウは手を離した。


「他の方法はないのか」

「ないな。サタール王は婚姻を強く望んでいる。それに、セイレティアがサタールへ嫁ぐことは我が国の利益にもなる」


 冷たく言い放たれ、カオウは俯いて考えた。

 考えに考え、ジェラルドの肩を掴む。


「……俺の力、貸してやる」

「意図がつかめんな」

「今、ケデウムが大変なんだろ。俺がいればすぐに終わる」

「うちの軍を愚弄しているのか。お前の力なんぞ借りずとも取り返せる」


 ぐっとカオウは顔をしかめ、意を決して口を開く。


「それなら、お前の臣下になってやる」


 僅かにジェラルドの眉が動いた。


「この世界じゃ龍は国を滅ぼす力があるって言われてんだろ。まだ完全じゃないけど、転化すれば龍だとわかるはずだ。俺がお前に従えば、もうバルカタルを狙う国なんてなくなる。それは国の利益ってのにならないか?」


 ジェラルドがようやく目をカオウへ向けた。

 食いついたと思ったカオウの気が急いる。


「ツバキをくれるなら、お前の命令なんでも聞いてやる。ウイディラ滅ぼせってんなら、滅ぼしてやる」

「……本当にそんな力があるのか、お前に」

「そんなの知らねえよ。魔物の力全部解放したことないし」

「それでは話にならんな」

「やってみなきゃわからないだろ! なんなら今ここで見せてやろうか!?」


 興奮してきたカオウの言葉に、シルヴァンがぎょっとして血相を変えた。


「待っ。待ってください! それは困ります。サタールで試すのはお止めください!!」

「お前邪魔」

「カオウ」


 シルヴァンを鋭く睨みつけると、ジェラルドから厳しい声が飛ぶ。


「シルヴァンはセイレティアの婚約相手だぞ、そんな態度でいいと思っているのか」


 カオウは思いっきり顔を歪めた。

 ギュッと拳を握りしめる。


 その拳が怒りで震えているのを見たジェラルドは呆れてフンと鼻で笑った。


「お前はセイレティア以外の人間を見下しているだろう。他国の者に礼を欠く臣下などいらん」


 図星を指されたカオウは口を噤む。

 魔物は住む場所により空、地、水に分類され、空は地・水よりも位が高く、龍はそんな空の魔物の中でも頂点に君臨し天の魔物とも云われている。

 対して人間は魔物の力を借りるか道具がなければ魔法が使えない。

 多様な文化に興味を持ちはしたが、自分より劣る人間の命令を聞くなど屈辱的だ。


 だが、それに耐えてでも取り戻したいものがある。

 カオウはゆっくり体をシルヴァンへ向けた。


「……あんなことしておいて……言えた義理じゃないけど。ツバキのこと、諦めてほしい。……お、俺にできることがあれば……何でもする…から。…………た………」


 視線を外してぎこちなく話していたが言葉に詰まる。

 僅かな沈黙の後。


「……頼む」


 生まれて初めて、カオウは人間に頭を下げた。

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