第8話 千年のうちの十年
暗闇の中、カオウは一人
周囲には、ひび割れた豪華な壺や宝石が取れた首飾り、鏡の装飾の破片が同じように浮いている。
自らの空間に閉じこもってから、どれほどの時が過ぎたのか。
数時間のようにも、数日のようにも感じられる。
入ってしばらくは、静かに目を閉じていた。
やがて怒りがこみ上げ、手あたり次第物を投げつけた。
それも落ち着いてくると虚無感に囚われぼんやりと過ごす。
そしてまたふつふつと沸きあがってきた怒りに任せて手近な物を壊す。
その繰り返し。
(十年前に戻っただけだ)
正確には、十年と一年。
カオウが生きてきた年月と比べると、あまりに短い期間。
(出会う前に戻っただけ。また昔みたいに、好き勝手生きていけばいい)
守りたいと思ったものがいなくなっただけ。
カオウはギリッと歯ぎしりした。
近くにあった絵柄の美しい万華鏡を、遠くにある重厚な盾に投げつけた。
万華鏡は大きく砕け、中にあった色とりどりの鉱石が散らばる。
(あれは、確か)
花と蝶が描かれたその万華鏡は、出会ったころツバキによく見せていた物だ。気に入ったのならあげると言っても、いつでも見られるように持っていて欲しいと頼まれたため捨てずにいた。
初めてこれを見せたのは、前の女官に些細な粗相を激しく叱責され、すすり泣きがなかなか止まず困っていたときだった。昔どこかで拾った万華鏡の存在を思い出したがすぐには取り出せず、空間に手だけでなく頭を入れて探したら、なぜか余計に泣かれたという思い出のある品。
その万華鏡が砕けてしまった。
小さな罪悪感が芽生えるが、見せることは二度とないのだからと頭を振る。同時に、忘れたいのにまたこうして想起してしまった虚無感が胸を締め付けた。
このまま空間にいても悪循環を繰り返すだけかもしれない。
そう思い至りそろそろどこかへ行こうと考えるが、体はどうにもその気がないらしく、またもやカオウは蹲った。
その直後。
「あら~。だいぶ参ってるみたいねえ」
明るい声が突然響き、カオウは驚愕して顔を上げた。
赤紫色の長い髪をした女性だった。女性はカオウの形相を見るなり両頬に手を当てる。
「いやん。転化がちょっと解けてる。怖い顔♡」
「な、なんだお前!?」
空間に知らない人間が現れるなど初めてだった。
他人の空間に勝手に入ることもできないはずだ。いったい何者なのかと警戒するが、そういえばと眉を寄せる。
「あいつが言ってたな。空間に変な奴がいたって」
「あら、あの子は変な奴とは言ってないでしょ」
「…………お前、何者だ?」
確かに女の人がいたと言っていた。しかしなぜそれを知っているのかとカオウは訝しむ。
女性はふふと妖艶な笑みを浮かべた。
「あたしはセイレティアのことならなんでも知ってるのよ。だからあなたのことも、知ってる」
「人間……じゃないよな。魔物か?」
「レイン」
「は?」
「レインよ。あの子から聞いてるでしょ」
ウインクしたレインは豊満な胸の下で腕を組み、あたりを見回した。
「かなり派手に暴れたみたいね。あーあ。あの壺、すっっっごく高いんじゃない? もったいない」
レインは壺の装飾についていた青い宝石を手に取りうっとりと眺める。
カオウは舌打ちして大げさなため息を吐いた。
「早く出てけよ」
「つれないわねえ。フラれて落ち込んでるみたいだから、慰めにきたのに」
「なっ。いらねーよそんなの!」
「正直あたしも、こんなに早く別れるなんて予想外だったわあ。もうちょっと微妙な関係が続くと思って楽しみにしてたのに」
残念、とたっぷり紅を塗った唇を尖らせる。
「カオウももっと攻めなきゃあ」
「勝手なこと言うな」
「とっととやっちゃえばよかったじゃない」
「何を?」
「もお。二人してほんと、お子ちゃまなんだから」
バカにされてイラついたカオウは鋭くレインを睨みつけた。しかしレインはものともせず、むしろ面白がって顔をニヤつかせる。
「そうねえ。魔物のあなたには直球で言わなきゃわからないかしら」
「はあ?」
「だからあ、交尾よ。こ・う・び」
「ばっ! お、おま……お前……な…何言っ……!」
動揺したカオウの顔が真っ赤に染まった。
レインは唇を指で押さえてふふふと笑う。
「無理矢理襲っちゃえばいいのよ」
「何言ってんだ。そんなことできるわけないだろ」
「そこをガッといかなきゃ。そうね例えば、誰も来ない場所へ監禁して毎晩強引に……きゃー! 興奮しちゃう!!」
「お前ホント、何言ってんだ?」
くねくねして悶える変態に呆れ果てたカオウの顔が無に変わった。
妄想が落ち着いたレインはふんっとそっぽ向いてから横目でカオウを見、意味ありげに微笑する。
「スカシちゃってやーね。あたし知ってるのよ。霊力のある子の家で、あなたがセイレティアにしたこと」
ピキッとカオウが固まった。
レインは、秘密を知られ警戒する余裕のなくなったカオウへ近づき肩に手を置く。
「霊力を得て昏睡してたセイレティアのベッドへ忍び込んで、抱きしめて、チュッチュしてたでしょお。すっごく幸せそうで、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったわぁ。おまけに胸」
「わー! やめろ!! それ以上言うな!!」
カオウは両手で顔を隠してしゃがみ込んだ。頭上でクスクス笑うレインの声が羞恥心を煽る。
「な、なんでお前がそんなこと知ってるんだよ」
「だからあたしは、セイレティアのことならなんでも知ってるのよ。あの子の本心もね」
恥ずかしさで悶えていたカオウがピタリと止まる。
「本心……」
再び寂しそうな雰囲気を漂わせたカオウの背中を見て、レインは目を細めた。
「あの子はあなたになら何をされても、結局許すわよ。無理矢理連れ去ってしまえばよかったのに」
「……あいつが嫌がることは、したくない」
「本当は連れ去って欲しがっていたとは考えないの?」
「そんなこと望んでないよ、あいつは」
カオウは顔を隠したままつぶやく。
「なぜそう言い切れるの?」
「最後に思念で話したとき、あいつの感情が流れ込んできたから」
不安と恐れ。
だがそれは、今カオウと別れることに対してではなく、将来カオウの気持ちが変わってしまうことに対してだった。
「見た目が変わったら、俺の気持ちはすぐに変わるって思ってたんだ」
時の流れが魔物と人では違う。
人間はたった何十年で、すぐに老いてしまう。
「それを知って、カオウはどう思った?」
静かに問われ、カオウは顔から手を下ろした。
「腹が立ったよ。そんな軽い気持ちでいるって思われてたんだから」
龍が本気で人を好きになる。それに比べたら、外見の変化など些細なものだというのに。
カオウが口を閉じると、沈黙が訪れた。
普段、空間の中は物音などしない。いつ来ても辺りに浮かぶ無機質な物たちは無言だ。その不変の空間をたやすく変えた無遠慮な女の存在は厭わしかったが、急に静まられると気になってしまう。
ゆっくり顔を上げようとしたとき。
「セイレティアはあなたより先に死ぬわよ」
先ほどよりやや低い声でレインが言葉を発した。それでもいいのかと暗に問われ、カオウは訴えかけるようにレインを睨む。
「そんなの、とっくに覚悟を決めてる。あいつが先に死んで、一人残されたって、それでもいい。俺は今一緒にいたいんだ。将来のことなんてどうでもいいんだよ!」
憤ったカオウは足元にあった物を蹴り飛ばした。
やれやれと嘆息をつくレイン。
「その考えが、そもそも違うわ」
意味がわからず、カオウはレインに背を向けたまま続きを待つ。
「あなたは長すぎる寿命のせいで、先のことなんて考えない。魔物は生きていく上で何の制約もないしね。でも人は寿命が短いから、余計に先を考えてしまうのよ。セイレティアはあなたより早く老い、先に死に、やがてあなたの記憶からも消えてしまう。その恐怖に、彼女は耐えれなかった」
「…………」
淡々と告げられ、カオウは目を固く閉じた。そして、ゆっくり息を吐く。
「…………もういいや」
声にならない声を漏らす。
「よくわかった。俺は人間の考えなんて理解できない。うんざりだ」
「今度はどこへ行く気?」
「さあな。思いつくままブラブラしてりゃ、あいつのことなんてすぐに忘れる」
どうせたったの十年。実際、何百年か前の十年間のことなどとうの昔に忘れている。
「お前も早く出てけよ。もう二度と入ってくんな」
冷たく言い放ったが、レインは動かなかった。
苛立ち、力づくで追い出そうと肩を掴む。
しかしレインはびくともしなかった。
「……無理よ」
「は?」
「何百年たっても忘れられない人はいるものよ」
肩を掴むカオウの手にそっと触れ、真正面を見据える。ほんの少しだけ憂いを帯びた顔。
「断言するわ。あなたはセイレティアのことは忘れられない」
カオウの頭にかっと血が上った。
「なんなんだよさっきから勝手なことばかり言って! 目的はなんだ!?」
殺気立たせて魔物の獰猛な目つきで睨みつけたが、レインは怯むどころか、また人をからかうような表情になる。
「あたしはあなたたちを応援してるだけよ」
「はあ!?」
「セイレティアの本心を教えてあげる。あの子自身さえ気づいていない本心を」
怪訝な顔になったカオウに、レインは微笑した。
「思念で受け取ったのは表面的なものにしか過ぎない。懸念がすべて解消されるなら、セイレティアはあなたと一緒にいたいと思うはず」
「そ、そんなこと無理だろ」
困惑するカオウの頬をするりと撫で、耳元でささやく。
「もし、寿命が違っても一緒にいる方法があったら、どうする?」
「……!?」
カオウは迷いの色を目に浮かべた。
龍でさえできない空間の移動を平気でやってのける、人かも魔物かもわからない女の言葉など信用ならない。
だがもし、そんな方法があったなら。
「カオウはどうしたい?」
「……それ……は…………」
「せっかく実った果実が目の前にあるのに、あなたはそれを人にあげるの?」
「…………」
「しかも、サタールの王子ではなく、レオに」
「は!?」
予想外の名が出て、カオウはレインの両肩を揺すった。
「どういうことだよ!」
「捕まったのよ。もうバルカタルにはいない」
「どこにいるんだ!?」
カオウの焦燥を見て、レインは愉快そうに微笑する。
「ふふ。助けるの? あの子を」
「当たり前だろ!」
「助けた後はどうする気? シルヴァンに渡す? それとも……」
「んなもん、後で考える!」
「え?」
レインは目を丸くした。数秒の間のあと、破顔する。
「さっきまであんなにうじうじしてたのに、そこは即決なのね」
「笑ってねーでさっさと言え!」
「教えてあげない。今助けても、時期尚早」
「ふざけんなっ」
「あなたのために言ってるのよ」
「!?」
レインは両肩を掴むカオウの手を簡単に振り払った。加減しているとはいえ女性の力では抗えないくらいの力を込めたつもりだったカオウは驚愕する。
「セイレティアには自分の気持ちに気づいてもらわなくちゃ。だからまだ助けちゃだめ。代わりに、探してくれる人の元へ送ってあげるわ」
うふふと色っぽく片目をつぶる。
そして、狼狽えるカオウの腕へ手をかけ、妖しく微笑んだ。
「さっき言った方法を知りたくなったら、始祖の森の中心へ行ってみなさい」
「……始祖の?」
「じゃあ、またね♪」
レインは反対の手で投げキスをすると、指をパチンと鳴らした。
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