第9話 空振り

「さすがはハトシェプトゥラ様。大輪の薔薇がよくお似合いです」


 髪飾りに加工した真っ赤な薔薇を女王の髪に挿したシルヴァンは、麗しい笑みを浮かべた。


 ハトシェプトゥラも気品ある笑みで応えた後、窓から庭園を物珍しげに眺める。

 桜、藤、紅梅が鮮やかな色を付け、風が吹けばはらはらと花びらが舞い、自国では決して見られない趣のある風情に詠嘆した。


「この地方はもうすぐ冬を迎えると聞いたが、この庭には春の花が咲いているのだな」

「周囲に結界を張り温度調節をしております。土にもそれぞれ特殊な肥料を撒いているので、種類が違っても同時期に咲かせることができるのですよ」

「その肥料はサタールで開発したのか?」

「ええ。カルバルの土にも合いそうな肥料もございます。よろしければこの後紹介させてください」

「もちろんそのつもりだよ。サタールの園芸技術を学びたいと申す者を呼んである」


 穏やかに話す二人が今いるのは、サタールの離宮だ。


 バルカタルとカルバルという二つの大国の貴賓を迎えるとあって、小国サタールは数週間前から国を挙げて準備していた。

 ハトシェプトゥラが庭園を気に入り安堵したシルヴァンだったが、窓から離れた部屋の奥にいるもう一人の貴人を振り返り、不安そうな面持ちになる。


「ジェラルド様はどうなされたのでしょう。やはり、水の精霊が現れず怒っていらっしゃるのでしょうか。せっかくいらしていただいたのに、本当に申し訳ありません」

「それは予期していたのだからシルヴァンが詫びることではない。遺跡の位置がわかるだけでも良いとジェラルドも言っていたではないか」

「でしたら、なぜあんなに険しい顔をなさっているのでしょうか」

「さてねえ」


 シルヴァンは心配そうに首を傾げ、ハトシェプトゥラは若干楽しそうにバルカタルの皇帝を見つめた。





 数時間前。


 ウォールス山にある水の精霊の遺跡へ案内されたジェラルドは一人で水中に潜ることになった。

 人間嫌いの水の精霊に会うには事前の許可が必要で、今回許されたのはジェラルドただ一人。だが許可されても当日気分が乗らないからと現れないことが大半らしい。


 遺跡の入口は、川でも泉でも池でもなく、直径六十センチほどの平たい岩のだ。驚くほど澄んでおり、なぜか心惹かれるが、事前の申告なく触れると引きづりこまれて精霊に弄ばれた上、翌日溺死体となって排出される恐ろしい水。


 ジェラルドは水中でも息ができるという透明なマウスピースのようなものをくわえ、代々遺跡を守り精霊の言葉を訳せるという魔物が現れるのを待つ。


 しばらくしてひょっこり顔をだしたのは海馬タツノオトシゴだった。黄色に黒い斑点がついた海馬は、シルヴァンとジェラルドを見るや恐縮して細長い口を上下に揺らす。


『これはこれは王子とお客人。せっかくおいでくださったのに、大変言いにくいのでございますが……』


 高音のラッパがしゃべったような声。


『水の精霊様は本日お会いにならないそうでございます』


 シルヴァンが驚きと焦りで口を押さえる。


「そ、それは随分早いお返事ですね。断るにしても、いつもは入った者と後、会わずに追い出すのに」

『代わりに伝言を預かっております』

「伝言?」

 

 またもシルヴァンの顔が驚きに変わり、隣に立つジェラルドへ得心のような、羨むような視線を向けた。


「伝言など初めてのことです。水の精といい地の精といい、やはりバルカタルの皇帝は精霊にとって特別なのですね」

「会わないのであれば、あまり変わらない気がするが」


 ジェラルドは無駄になってしまったマウスピースを取り外した。異物を口の中に入れるのはかなり気持ち悪かったようで、顔をしかめている。


「それで伝言とは?」

『あのう、それがですね。伝言と言いますか、文句と言いますか』

「何?」


 ジェラルドが聞きかえすと、海馬は客人のただならぬオーラに怯え、一旦水中へ顔を隠した。

 ゆっくりおずおずと細長い口だけ突き出し、ジェラルドだけ近づくよう促すので、警戒しながら耳を傾ける。


『”言いたいことはすでに伝えてある。早くしろ。” そうおっしゃっていました』

「どういうことだ?」

『わかりませぬ』

「誰に伝えたというのだ」

『それが、”始祖と龍の子に”と』


 ジェラルドは驚倒のあまり時が止まったのかと思った。

 頭の中に疑問符が次々と浮かび、いくつかのありえない推察をし、考えたくない一つの可能性に行きつく。


<…………クダラ>

<なんでしょう>

<お前は今何を考えている?>

<おそらくジェラルドと同じことを>


 ジェラルドが痛くなってきた頭を押さえる。

 始祖の子が子孫という意味ならば、直系だけでも十人以上いる。

 龍の子というのも、もしかしたらジェラルドが知らないだけでたくさんいるのかもしれない。

 しかし、龍の子と一緒に、水の精霊の言葉を聞くというとんでもないことをやらかしそうな始祖の子は一人しかいない。


<なぜここにもあいつが出てくるんだ>


 ジェラルドは口の中にマウスピースより気持ち悪いものを入れたような顔になった。





 そして現在。


 無言で山を下りたジェラルドは、美しい庭園をみる余裕もなく、ただただ頭を抱える。


 セイレティアには精霊の話は一切していない。にもかかわらず、なぜ水の精霊と話をしているのか。そもそもどうやって会ったのか。遺跡の入り口はサタールにしかなく、カオウと瞬間移動したのだとしても、入れば必ず海馬がシルヴァンへ報告するはずだが、それもない。



 なぜいつも先を越されるのかと、ジェラルドは重いため息をつく。


 最近ではロナロの事件。そして六年ほどにも、似たようなことがあった。

 それは国内でレイシィア(平民の街)の治安の改善を考えていたとき。

 当時、平民を守るのは軍の仕事だった。

 しかし軍は貴族が主で、平民のことを真に考える者は皆無。平民出身の者も少数いるものの、上層部に逆らえるほどの度胸と実力を兼ね備えた者はいなかった。


 だがある日、軍による暴力や強奪が横行していた平民の街で、上級の授印をもつ軍人に圧勝した男の噂を聞いた。

 しかも調べると男は自警団なるものを設立し、彼の地元周辺の治安は他と雲泥の差があった。

 これは話を聞かなければと会いに行くと、自警団の団員と楽しく談笑する妹の姿が。


 いやいや妹によく似た娘に違いないと声をかけてみれば本人で、城からの脱走がバレて青ざめる妹としばらく見つめ合ってしまった記憶は今も鮮明に残っている。



 ジェラルドとて、自分がやろうとしていることに先回りされるのは面白くない。だが助かっているのは事実で、おそらく今回の精霊の件も一役買ってくれるのだろう。

 本人にそのつもりは全くないのだろうが。


「これもお前の言う天の配剤というやつなのかな」


 そうつぶやくと、虎豹の髭先がふよふよと動いた。


「さて。兎にも角にも地と水の精霊の場所はつかめたのだ。あとは我が国にあると言われる火の精霊、そして精霊王の遺跡の場所を突き留めねばならない」

『それについて、気になることが……』


 それまでジェラルドのそばに臥せていたクダラがのっそりと立ち上がったとき、ドンドンッと勢いよく部屋の扉が叩かれた。


 何事かとシルヴァンが応対すると、普段から青白い顔をさらに青くさせたジェラルドの側近が慌てて入ってきた。

 彼は一礼も忘れてジェラルドへ耳打ちする。


「…………」


 ジェラルドの涼しげな翡翠色の瞳に動揺が走った。

 側近へ指示し下がらせた後、熟慮の末ハトシェプトゥラとシルヴァンを交互に見る。


「すまないが火急帰らねばならなくなった」

「精霊よりも大事な用件なのだろうな」


 女王の真剣な声を受けたジェラルドは、シルヴァンへ視線を向けた。

 シルヴァンは大帝国皇帝の刺すような目ではっとする。


「まさかウイディラが?」


 ジェラルドが頷く。


「ケデウムの州城が落ちた。他に軍の要所もいくつか」

「なっ」


 ジェラルドは手に嫌な汗をかいていた。

 敵は国境を越えたのではなく各所に潜伏し、同時に占拠された。

 州長官のフレデリックは行方不明。しかも、前日まで州城にセイレティアがいたが、まだ帰って来ていないと女官から連絡があったという。

 

 背中に冷たいものを感じた。


 カオウがいるのに捕まるなどありえない。


(一緒にいないのか?)


 しかしカオウとセイレティアが離れるのはもっとありえない。

 だがもし、シルヴァンとの婚約話が知られたのだとしたら。


(カオウは今、どこにいる?)


 ふと、天井を見上げた刹那。


 ぱっと金髪の青年が現れる。


 驚く間もなく、どさりとジェラルドの膝の上に落ちてきた。

 

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